第137話 伝説の魔法は伝説のままに

 波打ち寄せる岩場で、ノエルとイクシマは身を潜めながら囁きあった。

「あれ、だよね」

「あれ、じゃな」

 岩と砂の混在する海辺には短く枯れた草が疎らに生え、足場はしっかりとしている。そこから海に向かって若干の岩場が突きだしていて、その向こうの水中に何か巨大な長い影があった。

 間違いなくカイゼクラッケだ。

 ピンギヌの巣を突っ切った先の、ウィルオスたちが襲われたという場所付近になる。途中に出現したピンギヌは、クラブシェベと大乱闘した後にカイゼクラッケに襲われたこともあってか、数は少なく小型の弱いものばかりだった。

 おかげで戦闘はあっても殆ど消耗していない。

「まずは魔法を撃ち込んでくれよう」

「でもさ、水中にいたら効果がないかもだよ」

「むっ、それもそうじゃな。じゃっどん、誘き寄せるんには良いのではないか。魔法がもったいないんで、まずは岩でも投げてくれようか。どれ、なんぞ大きい岩でもあればよいのじゃが……」

「この辺りって、そういうの見当たらないね。うん」

「くっそー、こうなったら。やっぱし魔法を撃ち込んでくれようぞ」

 目の前でしゃがむ二人の後ろに、そっとアヴェラが近づいた。

「荷物を預かっておこうか」

「ありがとう。それじゃあ、代わりに頑張るから」

 素直に渡してくれるノエルは良いとして、イクシマは何やら偉そうだ。

「うむ、無くすでないぞ。ちゃんとポーション係もするんじゃぞ、よいな」

「へいへい。何かあれば、思いっきりぶつけてやる」

「ふん! 面倒なやつじゃ。よいか、そういうことすんなよー。思わず避けてしまうかもしれぬ」

「安心してくれ。避けられないタイミングで投げてやるから」

「えーいっ、止めよ止めよ! 何で下らん事を言うん? これから戦闘なんじゃぞ! 大変になるんじゃぞ! 真面目にやらんかー!」

 イクシマの声が辺りに響き渡ると、海面が割れるようにして巨大な姿が現れた。表面から滴り落ちる水滴が雨のように思える大きさだ。どうやら誘き寄せるのに、大きな岩も魔法も必要なかったらしい。


 カイゼクラッケの巨体は青白に体表に黒い斑が入ったもので、どこか不気味な色合いだ。円錐形をした胴体の下部に巨大な真円の目があり、その中にやはり真円の瞳がある。さらに、幾本もの太く長い触手があった。

「なにあれイカぁ!?」

「違うな、足は八本だ。きっとタコの系統だろうな」

「落ち着いとる場合かあああっ! 早う攻撃をせんか! って、違あああうっ! 我がするんじゃった! ええい、混乱させんなよー」

 理不尽に騒ぐイクシマとは違い、既にノエルは魔法を発動させ攻撃にかかっている。飛翔した炎の矢が命中し、軽い爆発を起こした。続けてイクシマも加わり、二人して次々と魔法を放っていく。

 まさに降り注ぐといった具合で、普通では考えられない連発だ。

 火神の協力を得ているが、それでも多すぎた。

 そんな疑問に、尋ねたわけではないが、襟元から顔を出すヤトノが呟いた。

「ふむ、太陽神めが力を貸していますね」

「どうしてだ?」

「ニーソめの祈りに応えたようですね。なかなか感心」

「そうか、後で礼を言わないとな」

 しかしニーソの祈りは、アヴェラの見張りの決意表明と、アヴェラが迷惑をかけた事への謝罪だ。天界を統べる太陽神は――代表として、気苦労が多いだけに――それで喜んだだけに違いない。

 その辺りの事情を、アヴェラとヤトノは知りもしなかった。

 幾つもの火線が飛び爆発する間を縫って触手が伸ばされてくる。全てではなく二本の触腕だけだが、それだけでも脅威である事に違いはない。捕まれば終わりは間違いなく、二人の魔法は触腕を狙いだす。

 援護したいアヴェラであったが、岩場を突進してくる黒白の入った姿を見つけた。どうやら騒ぎに気付いて、漁夫の利を狙うつもりなのか、ピンギヌたちが両ヒレを広げ鋭いクチバシを突きだし一直線に突撃してくる。

「こっちも忙しくなりそうだな」

 アヴェラは呟くと、ヤスツナソードを静かに抜き放った。


 三体のピンギヌを斬り倒した瞬間、クチバシが突き出される。咄嗟に腕を伸ばし、その頭部を先に押さえてやる。腕に激しい負荷がかかるが、それでもクチバシの攻撃自体は止められた。

「数が多いな! こうなったら!」

 蹴り飛ばしバランスを崩させたところで、翼のようなヒレを掴む。

 そのまま渾身の力を込め振り回せば、他のピンギヌは近寄れず後退っている。さらに回転の力を加えていき、まるで砲丸投げのように、掴んだピンギヌを思いっきり投擲した。

 ピンギヌは叫びをあげ、一直線にカイゼクラッケに向け綺麗なフォルムで飛んで行く。そのままクチバシでも突き刺されば良いと思ったのだが、素早く動いた触腕が見事に絡め取り、そのまま――。

「食べてる?」

 触手の中心へと運び込まれ、ピンギヌは甲高い悲鳴をあげ、生きたまま喰われていった。悲鳴が唐突に途切れ、後は振り回される触手が空を切る音が響くだけだ。

「なんだか悪いことをしてしまったが、まあいいか」

「さすが御兄様! 自分本位な邪悪な発言が素敵!」

「どこが邪悪なんだよ」

 ヤスツナソードを構えたアヴェラであったが、ピンギヌには見向きもされなくなっていた。どうやら標的は仲間を食らったカイゼクラッケに変わっているらしい。

 原因となったアヴェラには見向きもしない。

 良く分からない心理だが、その辺りはピンギヌなりの理屈があるのだろう。カイゼクラッケも、向かってくるピンギヌに攻撃対象を変え、モンスター同士の戦いが主となっている。

「大丈夫か?」

 その隙にアヴェラは二人に駆け寄った。

 如何に火神と太陽神の協力があったとは言えど、魔法を使いすぎたせいで息遣いも荒く疲労している様子だ。肩で息をしているぐらいだ。

「全っ然、倒せないんじゃって」

「なんだかさ、表面で無効化されてる感じかな、うん」

「くっそー! あっちの攻撃はなんとかなるんじゃが、こっちの攻撃が殆どきいておらん! ものっそい厳しいんじゃって」

「今の内に撤退した方がいいかも」

「えーい! 悔しいが、そうするしかなかろ」

 その場を移動しようとする二人だが、しかし心配だった。ウィルオスの時は、かなりしつこく後を追ってきていた。このまま浜辺に向かって走ったところで、後を追われてしまい、別のモンスターと遭遇してしまって挟み撃ち。

 つまり同じ轍を踏むだけだ。

「こうなったら魔法を使おう」

「それダメっ! ダメったらダメだから!」

 即座にノエルが悲鳴のような声をあげる。今まで積み上げた数々の惨事に加え、神界大戦の恐れがあるのだ。

「安心しろ問題ないから」

「そんなわけあるかあああっ! お主の思いつきなんて絶対に良くない。止めておけ、よいな、分かったな」

「だから問題ない、ちゃんとやる。ニーソに迷惑をかけられん」

「その前に我と約束したじゃろがあああっ!」

 イクシマの叫びにカイゼルクラッケが反応、轟くような咆吼をあげた。肌や服や全てが細かく激しく震動する。振り向けばピンギヌは既に全滅しており、もはや一刻の猶予もなかった。


「普通にアクアボールを使うだけだ」

「むっ、アクアボールなら……って、なんでそれ!?」

 イクシマが呟いた時には、既にアヴェラは集中しだしている。前には辺りの砂から水分を吸い上げたが、今回はそんな事はしない。もっと別の使い方をするのだ。

「水神の加護、アクアボール!」

「ぬっ? 馬鹿な、こやつの魔法が意外に普通じゃと」

「よし行け」

 アヴェラのコントロールで透明な水球は滑るように飛ぶ。

 今まさに攻撃に転じようとしたカイゼルクラッケの触手の間を飛翔、その透明な水球は巨大な口の中へと吸い込まれ――次の瞬間、その巨大な胴体が爆散した。

 辺りに生臭い血や肉が降り注ぎ、音をたてて地面に叩き付けられる。大きめの破片が運の悪いノエルにベチッと当たってバタッと倒れ、痛みと汚れとで涙目になりながら起き上がった。

「えっと、何? 何なの!?」

「なにあれ恐い」

 呆然とする二人の声にアヴェラは得意そうだ。

「簡単なことだ。水球を消失させたのさ、ただし気化させてな。つまり身体の中で体積が千七百倍になった圧力を受けたわけだ」

「えっ?」

「身体の中からの攻撃だからな、どれだけ強かろうが意味はない」

「…………」

 ノエルとイクシマは顔を見合わせた。

 どちらも何が起きたかは理解していないが、たった一つの事は分かった。

「我は分かったんじゃって。一番ヤバイんのは、やっぱしお主じゃ……」

「ごめん、私も今の魔法はちょっと……」

 二人からは大不評で、アヴェラは小さく鼻を鳴らした。

「素晴らしい魔法だろ。用途としても間違っていない。ヤトノ、どこかの神様から苦情は来てるか? あと海神様からの文句とか、その他もろもろ」

「ふむ、そのような事など気になさる必要はありませんのに。少々お待ちを」

 ひょいっと白蛇の姿を現したヤトノは、そのまま身体を伸ばし空を見やった。

「太陽神めは拍子抜けしてますね。海神めは、新たな魔法の誕生を目の当たりにしたと感心しておるようです。あっ、もちろんですが。わたくしの本体は大喜びですよ」

「これはもう完璧だな」

「流石は御兄様です」

「そうだろう、そうだろう」

 上機嫌なアヴェラは、海からの風を受けながら楽しげに笑った。


 海中にカイゼクラッケの痕跡は既に消え、後は地上に飛び散った残骸のみだ。

 その中に硬質な平たい円盤が転がっていた。銀色に燦めき、中心に黒い真円がある。どうやらそれはカイゼクラッケの眼であり素材らしい。

 ヤトノがてってけ走って拾いに行っている。

「あのさ、私は思うんだけどさ。今の魔法ってダメなんじゃないかな」

「どうしてだ? どこからも苦情もない完璧な魔法だろ」

 アヴェが訝しがると、ノエルは両の指先を付き合わせ深刻そうだ。とてもとても不安そうだが、それは普段の不安とは様子が異なっている。ここまでの反応をする姿を見るのは、これが初めてだ。

「今のって殆ど透明だったよね」

「もちろん」

「もっと小さくとか、できちゃうよね」

「そうだな、実に応用が効く。どんなモンスターでも容易く倒せる」

「この魔法が広まったらさ。たとえばだけど、この前みたいな暗殺者とかが使うかもって思うのは心配のしすぎ?」

「…………」

 アヴェラは無言のまま目を瞬かせた。

 視認しにくい透明な球で、しかも小さなサイズでも簡単に人を殺生せしめる威力がある。しかもしかも、多少でも魔法を使えるなら誰でも容易に使えるお手軽さ。

 もしこれが世に出て広まりでもすればどうなるか。

 考えるまでもなく、暗殺し放題だ。

 前世界において史上最悪の大量殺戮兵器を開発した者がいる。その者は確かに歴史に名を残したものの、同時にそれは悪名でもあった。また当人も自らの行いに強く後悔していたというが、その苦悩はいかばかりか。

 アヴェラは自問自答した――自分は後悔せずにいられるだろうか。

「……封印した方がいいか」

「そうだね。その方がいいかなって、私は思うよ」

「危ない所だった。ありがとう、教えてくれて」

「ううん、余計なこと言ってごめんね」

 カイゼクラッケを倒した証拠の素材を回収すると、寂れた漁村へむけて歩きだす。結局今回の魔法も、自粛ではあったが、封印されたのであった。

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