第127話 喜ぶ海はダイナミック

 入り江となった砂浜の緩やかなカーブの端に到達した。

 そこは前に暗殺者の女を追い詰めた場所だ。悲惨な死を遂げた女を、心優しいノエルとイクシマが砂浜に埋葬し、流木の墓標までたてていたのだが……今は何もない。

 何の変哲も無い砂地があるばかりで、場所も大まかな見当でしか分からない状態だ。特に探すまでもない関係であるし、そもそも探す意味も無い。

 それよりも問題は――。

「のう、我は思うんじゃが。あそこの、アレなんぞ手頃でないんか?」

 殻を背負ったクラブシェベたちが歩き回る姿に、イクシマはうずうずした様子だ。今にも戦いに飛び出しそうな様子で、そろそろ我慢の限界といったところだろう。

 ここまで来るまでに、砂の中に潜んでいたクラブシェベを三度倒している。

 しかし、いずれも素材などは回収できていない。

 冒険者として活動をする以上は現実問題として稼ぎも必要。そろそろ地上を徘徊するモンスターを倒し、その素材を回収せねばならなかった。

「ちょっと待ってくれ。この辺りの砂は……」

 アヴェラは砂地をしっかりと見やった。

 トラップのように潜んでいる気配はない。さらに、周囲に他の冒険者の姿はなく獲物として競合してしまう恐れもなさそうだ。

「どうやら、大丈夫そうだな」

「ならば戦闘ぞ! いいじゃろ、なあいいじゃろ!」

「分かった分かった。足元注意でいけよ」

「よーし! ならば期待に応えてやるんじゃって。ひゃっはー! 戦闘じゃあ!」

 戦鎚を構え直し、イクシマは嬉々として突撃した。

 どれだけ戦いを待ち望んでいたのか、足元の砂を蹴立てる勢いだ。まさに襲いかかるといった言葉が相応しい。元気一杯なのは体力の指輪のせいかもしれず、ノエルの装備している防御の指輪と交換した方がいいような気がしてきた。

 ちらりと視線を送った先で、ノエルが無言で小さく頷いた。

 即座にイクシマのフォローに動きだしてくれるが、ノエルも幼馴染みと同じぐらいの以心伝心度合いだ。ありがたい事だと、思いながらアヴェラも走る。

 跳び上がったイクシマが、大上段に構えた戦鎚を渾身の力で振り下ろした。

「どりゃあああっ!」

 重く鈍い破砕音で、硬そうな殻が粉砕されてしまう。仲間を倒されたクラブシェベたちが素早い動きで接近してくるが、イクシマは戦鎚を振り回し威嚇した。

 その間をノエルが素早く動き、小剣を振るって牽制。

 さらに、横から回り込んだアヴェラが突撃。ヤスツナソードを振るって、固い殻ごとクラブシェベを両断した。

 イクシマは目の前の敵だけに集中している。

「我の力を見せてやるんじゃって!」

 咆えながら砂地を踏み締め、戦鎚を大きく振り回す。遠心力で移動するという器用な事をして間合いを詰め、さらに勢いをそのままに強烈な一撃を叩き込む。そうやって暴れ回り、全てを片付けてしまった。


「勝ち戦ぞ。最っ高よのー!」

「もう少し周りに気を使え。ウッカリエルフ」

「誰がウッカリじゃあああっ!」

 怒るイクシマにノエルを指し示す。

「あのな、今の無茶な攻撃でノエルが危なかった事に気付かなかったのか?」

「うそんっ! そうなんか!?」

 たちまちイクシマは、驚きと申し訳なさをない交ぜにしたような顔となった。戦鎚を放り出し、大慌てでノエルの元に駆け寄っている。なんと言うべきか、アヴェラに対する態度とは随分と違う。

「すまんかった、大事ないか」

「大丈夫、ちょっと距離を取ろうとして転んだだけだから」

「そ、そうなんか。いや、しかしすまんかった」

「私の位置が悪かっただけだからさ。気にしないでね、うん」

「お主は本当に良い奴なんじゃって」

 イクシマはノエルに抱きついた。身長差があるためノエルの胸に顔を埋めているような具合だ。さらに優しく頭を撫でて貰っている様子からすると、駄々っ子な妹を宥めている姉のようにしか見えない。

 近づいたアヴェラは、その金髪を小突いた。

「どうだ、ウッカリエルフの意味が分かったか」

「ぐっ、こ奴め。また言いおったな……」

 悔しそうでも言い返さないのは、イクシマとしても理解したからだろう。

 そこで別の足音がした。

 ほっそりとした指先に紐を絡め、ぎっしり中身の詰まった革袋が差し出される。

「ウッカリ忘れられた素材を回収しておきましたよ」

 パーティの素材回収係を自認しているヤトノだ。戦闘の間にアヴェラから離れ、白蛇から姿を変え素材を集めてきてくれたらしい。

 青天の下、日射しを受け輝くような眩しさがある白い衣装。あどけなさを残した顔立ちも含め何か神聖な存在のように見える。ヤトノの紅い瞳に宿る妖しい輝きを見ない限りは、誰も災厄を司る神の一部とは思うまい。

「しかし、これは大丈夫なのでしょうか」

「ん? 何か気になることでも?」

「こういった甲殻類のお肉は足が早いのですよ、御兄様。こんなに暑くては、腐ってしまわないか心配です。御兄様が手に入れたものを無駄にしたくありません」

「腐るか……それはあるか」

 ノエルとイクシマも軽く考えた上で、同意する様子で頷いている。

「だから他の連中は、転送魔方陣の傍で戦っているのか」

「あの者ども、許せません。場所を独占して御兄様に迷惑をかけるだなんて。よろしいでしょう。呪いましょう、いいえ呪います!」

「はいはい、そういうのはいいから」

「御兄様のいけず」

 ふくれっ面のヤトノを宥め、アヴェラは考えた。

 今まであまり気にはしていなかったが、確かに素材が腐る可能性はある。折角得た素材を台無しにするなど勿体ない――何より、腐った海産物を持ち運ぶなど最悪ではないか。

 脳裏に蘇るのは、前世でウッカリ放置した謎の物体と化した魚介類だ。何重の袋に入れようと、あの臭気には貫通属性でもあるのか意味も無かった。

「戻るか」

 アヴェラの顔があまりにも沈鬱なため、その言葉に誰も何も言わなかった。


 波打ち際を進む。

 始めは綺麗に感じられた景色も、今ではすっかり見慣れてしまった。太陽の日射しに大量の汗が流れ、海の煌めく反射光は目に痛い。この状況で平気なのはヤトノぐらいだった。

「喉が渇いた……」

「どうぞ」

 すかさずヤトノが差し出す水袋も、今では半分以下の量に減っていた。

 口に含むと生温く革の臭気が移ったもので、美味しくもなければ満足感もない。きんきんに冷えた液体を喉で味わいたくなり、今ばかりは前世が恋しくなってしまう。

「ん? 待てよ」

 アヴェラは足を止めた。

 後ろの二人も、ぼうっとしていたのだろう。背中に衝撃、次々と衝突してくる。

 振り向けば、イクシマは戦鎚を杖にして何とか立っている。しかしノエルは運悪く足をもつれさせ砂地に尻餅をついていた。

「急に立ち止まって、すまない」

「ううん。私がちょっと不注意だったのと、不運だっただけだからさ」

「ほら、掴まってくれ」

 手を掴みノエルを引き起こしてやる。小剣などの装備があっても、あまり大した力は必要としない。むしろ力を入れすぎてしまって、軽く引き寄せてしまった。

「ありがと」

 存外に近くでノエルは呟くと、アヴェラは少しどぎまぎした。横のイクシマが注意を引くように砂を蹴ってみせた。

「お主、なんで立ち止まったんじゃって」

「ん? ああ、ちょっと思いついた事があってな。たとえば魔法で飲み水を――」

「却っ下ぁ!」

 イクシマは皆まで言わせなかった。もはやアヴェラと魔法という関係に深い不信感を抱いているらしい。これまでの事を考えれば仕方のない事だ。

 けれど、少しも反省していないアヴェラには不満しかない。

 思わず青く晴れ渡った空を見上げ、深々と嘆息した。

「いきなり否定するとか、ちょっと酷くないか?」

「当たり前じゃろって。お主の魔法はろくなことにならん」


 きっぱり言ったイクシマは、さらにたたみ掛ける。

「それにじゃ! どうしてもという時ならともかく、少し喉が渇いた程度で御神おんかみの力を借りた魔法で水をつくるとか。罰当たりってもんじゃ」

「あーそー、許可があればいいんだろ。ヤトノ」

 アヴェラの呼びかけに、ノエルの砂を払っていたヤトノが振り向く。

「悪いが、水の神様に確認してくれないか」

「大丈夫です。あれは洪水やら干魃やら、わたくしの本体と一緒にお仕事をする仲なのです。この辺りを水に沈めるも、干上がらせるのも簡単ですよ」

 今までの話を聞いていた上で、厄神の分霊というだけあって物騒な事を言う。

「そういうの、いいから。それより、魔法と飲み水の件を確認してくれ」

「御兄様のいけず。つれない言葉が、素敵」

 両手で頬を押さえて悶えるヤトノの姿は可愛らしかった。

 だが、直ぐにしゃきっとしている。

「ですが、そのような事は聞くまでもないのです」

「じゃ、じゃっどん。魔法は神様方の力を借りとるんじゃぞ」

「愚かな小娘ですね。前に申した事を忘れましたか、誰ぞが魔法を使えば神としては楽して認知が上がって大儲け。まして生きるに必要な水ともなれば……ほら、万歳と言っておりますね」

 ヤトノは呆れた様子で海を指さした。そのタイミングで一つ大きな波が押し寄せてきた。もしかせずとも、ダイナミックな万歳の表れなのだろう。

「んなぁっ! あの波、大きすぎやせんか!」

「なるほど。水と海の神は管轄が被ってるんだな」

「気にするとこ、そこぉ!?」

 イクシマが悲鳴のような声をあげた。その横ではノエルが既に諦め、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。

 面白そうに笑ったヤトノは、押し寄せる波を一瞥し、払いのけるように手を振った。途端に波が割れ、アヴェラたちを避けるようにして流れていく。両脇に水の壁が存在するのは、何とも奇妙な光景だ。同時に、涼しい風が横を流れて心地よい。

「まったく水神でも、海系の連中はやる事が大雑把でいけません。もしも、御兄様に何かあったらどうする気なのでしょうか」

 ヤトノは口元に手を当てると、ちょっとだけ怒り気味の様子だ。

「まあいいさ、お陰で涼しくなった。戻ったら魔法で水をつくろう」

 罰当たりかどうかはともかく、ここで下手に魔法を使えば大波が何度来るか分からない不安がある。相手が喜んでふざけていようとも、ちょっと危険が過ぎた。

 波は引いていき、また辺りに静けさと穏やかさが戻った。

 なお、狩り場を独占する冒険者たちは大波に逃げ惑い散々な目に遭ったようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る