◇第十一章◇

第126話 青い空に広い海

 遙か遠く広がる海原の彼方の果ての、空との境は見わけもつかず、気がつけば空と海に分かれているような景色。

 日射しの下で水面は強く輝き、穏やかな波となって寄せては返している。もしもこれが元の世界であったなら、色とりどりのビーチパラソルとビーチチェアが並び、水着の人々が楽しげに過ごしているような白い砂浜。

 しかし、この世界においては蟹のような姿をしたモンスターと冒険者たちが絶賛戦闘中だ。広さのある砂浜では、数組のパーティが戦い声をあげ、剣や斧を振り命懸けの戦闘をしている。

「クラブシェベ狩りか」

 転送魔方陣のある洞窟から砂浜へと一歩出て、アヴェラは呟いた。足元の砂は日射しを浴びて、うんざりするぐらい熱さを持っている。

「素材が高級食材になるんだよね。私は食べたいって思わないけど、うん」

 少し前にクラブシェベの食事を見ただけに、ノエルは小さく頭を振った。

「でも普段口にしているものだって、実態は分からないな」

「それ、言わないで欲しいけどさ……」

「これは失礼」

 言ってアヴェラは、ひょいと手を伸ばした。

 それで捕まえたのは、まさに砂浜に跳びだそうとするイクシマだ。赤い衣ような服の後ろ襟を掴んで止めたので、仰け反ったような形で苦しんでいる。

「何すんじゃっ!?」

 身を捩らせ力尽くで逃れたイクシマが文句を言った。ちょっとだけ涙目になった目の金色をした瞳は強く輝き、眉間に皺を寄せた不機嫌顔だ。

「それはこっちの台詞だっての。お前は、どうする気だったんだ」

「お主なー、何を言っとるんじゃって! フィールドに来たらやる事なんて決まっておろうが。つまり戦闘ぞ、モンスターどもを蹴散らすのじゃ!」

「モンスター退治は否定しないから、少し落ち着け」

 アヴェラは小っこいイクシマの頭に手を載せ上から押さえ込んだ。そのまま髪の間に指を潜らせ鷲掴みに掴み、無理矢理捻って視線を変えさせる。

 子供に教え諭すように言って聞かせた。

「いいか、砂浜をよーく見てみろ。どうだ、他の人が戦っているだろうが」

「戦っておるな。というかじゃな、手を放さぬか。そんでもって、我らも戦おうぞ」

「そこに思いっきり走っていったらどうなる」

「さあ? それよか、早う手を放せ。とっとと倒さんか」

「戦闘中の人の気が逸れると思わないか。それで誰かが怪我をしたらどうする」

「そんなもん、修行が足りぬからじゃって。分かったら、早う手を放さぬか」

「…………」

「ふんぎゃあああっ」

 アヴェラが手に力を込めると、イクシマは良い声で鳴いた。


「やめんかあああ! それ痛いっ、痛いんじゃって!」

 戦鎚が取り落とされ手足がじたばたされる。金色をした長い髪が動くと、日射しの中で輝いて無駄に綺麗だ。

 流石にノエルが心配した声をだす。

「アヴェラ君ってば、ちょっとやり過ぎだよ」

「言って分からん奴には、力で教えるしかないだろ」

「でもさ……」

「これも本人のためを思ってのことだ。イクシマが誰かに恨まれてしまったら、大変じゃないか」

「心配しての事なんだね。でも、そろそろ動きが止まってるよ」

「おっと」

 言いながら手を放してやると、イクシマは手にしていた戦鎚を放り出すと頭を抱え、その場にしゃがみ込んでしまった。力加減を間違えた事もあるが、力の強まる指輪を装備しているせいもあるだろう。

「お主なーっ!」

 下から振り仰いでくるが、さっきよりも涙目だ。

「何するんじゃって! 頭が割れるかと思ったぞ!」

「次からは力加減に気を付けよう」

「またやる気なん!? もはや許さぬ!」

 砂地を踏み散らし立ち上がったイクシマは怒りを隠そうともしなかった。しかし、もし本気で怒っているなら、とっくに手が出ているだろう。つまり、まだ怒り半分という具合なのだ。何にせよ反省の色は全く見えない。

 アヴェラは眉間を押さえ深々と息を吐いた。

「仕方がない奴だな、いいだろう。こうなったら……」

「ぬっ、なんぞやる気か。受けて立とうぞ」

「戻ったら甘い物でも食べさせてやる。だから言う事をきけ」

「よし分かった」

 途端にイクシマは顔を輝かせた。後光が差しそうな幸せそうな顔だ。

「よいか高いやつじゃぞ。我との約束なんじゃぞ」

 目元を拭ったイクシマは、笑顔になって戦鎚を拾い立ち上がった。今までの怒った様子はどこへやら、すっかり御機嫌だ。最初っからそうしていたかのように、アヴェラの横でちょこんと大人しく控えている。

 扱いやすいと言えるが、問題はこの効果がいつまで続くかだ。

 イクシマに戦いを我慢させ続けるなど――猫を大人しくさせておくように――いつどうなるか分からない事だった。


 転送魔方陣から出たばかりの砂浜は、あまり広くない。

 海が押し込んだ様に湾曲した入り江で、いま立っている場所から弧を描くように波打ち際が続いている。陸側は切り立った段丘となっていて、そちらは容易に上がれない高さがある。

 その狭い範囲に三日月型の砂浜があって、先程から何組かの冒険者パーティが戦闘中だ。様子を見ていれば、互いに距離を取って干渉し合わぬよう、クラブシェベを誘き寄せ戦っている。

 随分と慣れた様子で、しかも気心が知れた感じだ。

「これはどうも、狩り場を独占しているか」

「そうみたいだよね。やっぱり、下手に割り込むとマズいかな?」

「恐らくは。生活もかかっているだろうし、割り込むと後々面倒そうだ」

 この場所が一番効率の良い狩り場なのは間違いない。転送魔方陣が近くにあって、行きも帰りも簡単でリスク管理も容易。古参のパーティが独占するのも当然だ。

「この前に来た時はいなかったのに」

「タイミングの問題だろうな。仕方ない入り江の向こうに行くか」

「ここはポジティブに考えてみようよ、うん。たとえば、奥に珍しいものがあるかもしれない。うん、きっとそうだよ」

「奥か、奥に行くほど強いモンスターに遭遇すかもしれないな」

「ううっ、そういうの言わないで。私ってば運が悪いんだからさ」

「そうか? 強いモンスターに遭遇するなら幸運だろ」

 言って水際を歩きだす。

 足も濡れ足場も悪いが、これは他のパーティを刺激しないための配慮だ。

 クラブシェベを倒した冒険者たちが砂地に腰を下ろし、狩り場に乱入しないかこちらの様子を窺っている。ただし相手は男所帯のパーティなので、ノエルとイクシマを見ているだけかもしれない。何せ二人の見た目は良いのだから。

 隣に並ぼうとするノエルを制した。

「悪いが後ろを歩いてくれ」

「えーっ。私は隣がいいのに」

 そこはかとなく不満そうなノエルだが、何が不満なのかアヴェラは疑問だった。相手の感情を察知する事には長けていようとも、機微がないので理由までは察せない。懐の中で、白蛇ヤトノが呆れた息を吐いているかもしれない。

「ここは一列でいかないとマズいと思う」

「どうして一列?」

「クラブシェベが恐いから。いきなり襲われたら最悪だ」

 アヴェラは足元を指さした。

 ここに生息するクラブシェベという蟹のようなモンスターは、砂中に潜み不意打ちをしてくる。実際、それで暗殺者の女が悲惨な最期を遂げた光景は記憶に新しい。

「あっ……そっか」

 ノエルは顔色を変え身を縮め納得した。後ろでイクシマがあわあわするのは、自分の突撃がいかに危険で無謀だったか気付いたからだろう。

「分かったら一列でな」

「でもさ、アヴェラ君は大丈夫なの?」

「慎重に足元を見ながら行くさ。何かあったら助けてくれればいい」

「うん、任せて!」

 不運の加護をもつノエルは当然として、何かと不安要素の多いイクシマが先頭を進むよりは、間違いなく先頭はアヴェラが適任。

 これこそがパーティの役割というものだ。


 波打ち際の砂地は、波を受け水を含んだ白砂は一度は黒味を帯び直ぐに抜けて白さを取り戻す。そんな白さと黒さを永遠に繰り返すのだろう。

 磯の臭いが鼻をつき、規則正しい波の音が耳に付いて肌に微風が感じられる。運悪くノエルが大きめの波飛沫を受け濡れたぐらいで、何の問題もなく進んでいく。

 単調に寄せては返す波と流されては蠢く砂たち。

 ここに本当にクラブシェベが潜んでいるのか、全く無駄で意味の無いことをしているのではないか。そんな疑念が込み上げて――。

「待った」

 手を広げ合図をして足を止める。

 前方の砂が不自然に動いた気がしたのだ。ヤスツナソードを前に突きだし地面を軽く突いてみると、いきなり甲殻類の大きなハサミが飛び出す。

 間違いなくクラブシェベだ。

 危険を回避した事より、潜んでいた相手を見つけた事の方が嬉しかったりする。

 その分厚いハサミがヤスツナソードを掴み……異常に斬れ味の鋭い刃を掴んでしまって、逆に傷を負っている。辺りに青味を帯びた液体が撒き散らされるが、打ち寄せる水の中に拡散してしまう。

「そこだな」

 剣を引いた後に地中へと突き込む。

 ハサミの動きが止まり、力なく倒れた。やがて消えてしまい、間違いなく仕留めたようだ。達成感と共にヤスツナソードを引き抜き、その剣身を確認する。普通の剣は、こうした砂の中に突き込めば細かい擦り傷だらけになってしまうものだが……。

「さすがヤスツナソードだ、なんともない」

「お主なー、満足しとるんはいいが。素材はどうすんじゃ?」

「……あっ」

「まったく、迂闊な奴め。やれやれ、こうなっては我が先頭になってやるしかないではないか。どれ、任せてくれてもよいのだぞ」

「ウッカリエルフに任せられるか」

「我のっ! どこがっ! ウッカリエルフじゃあああっ!」

 イクシマは足を踏みならし怒っている。それで跳ねた海水がノエルにかかっている事には、少しも気付いた様子がなかった。ウッカリよりウカツかもしれない。

「まあまあ、二人とも落ち着いて。ほら、向こうの人達もみてるからさ。うん、地面の中の素材は残念で諦めようね。それからイクシマちゃんはウッカリじゃないけどさ、ここはアヴェラ君に先頭を任せておこうね」

 なんやかやとノエルが宥めに入って、二人をまとめあげる。やはりパーティには役割というものがあるのだった。

 白蛇状態のヤトノがひょっこり顔を出し、辺りを見回している。もしかすると、今まで寝ていたのかもしれない。ちょっとだけ欠伸などをしていた。

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