外伝トレスト13 そは厄神なり

 特別な祭事の執り行われる神殿の円形をした建物。

 壁一面に描かれた神々が見つめる中で、老齢の司教は中央祭壇に揺りかごを置き、皺にまみれた喉をならし呻き声をあげた。

「この邪悪な存在め」

 司教の額には、じっとりとした汗が浮いている。

 しかし、横に控える司祭にはさっぱり理由が分からない。司教を前に若干不機嫌な顔をするのは反目があるからで、聖職者と言えども権力争いや出世競争とは無縁ではいられないのだ。

「暗部の騎士を使って何をされるかと思いましたら、このような赤子を連れて来させるとは、何をお考えなのですか。御存知かと思いますけどね、暗部という存在は大罪人に向けるべき剣なのですよ」

「貴様に言われんでも分かっておる。だからこそだ、この子供こそが世界に仇なす大罪人。世界に災いをもたらす根源であり、取り除かねばならぬ害悪なのだ」

「なにを仰るかと思えば」

「この子供の持つ加護を知らんから言えるのだ。この赤子の加護こそは――」

 司教は大きく息を吸い、決意と共に次の言葉を口にしようとする。

 しかし、にわかに辺りが騒がしくなった。

 壁際に控えていた警護の神殿騎士たちが反応し警戒に動きだすと、ほぼ同時に入り口の扉が跳ね飛ばされるように開いた。そこに現れたのは若い女性――カカリアだった。

 片手には怯えきった侍祭の襟首を掴み引きずっている。

「貴様! 何ということを!」

 近くの騎士が大声をあげ取り押さえに向かった。そこには司教の前で活躍しようという意図もあったに違いなく、どこか芝居がかった見せつけるような動きがある。だがしかし騎士は本気で行くべきだっただろう。

 カカリアは侍祭を放り投げるなり、容赦ない三節棍の一撃を放ったのだ。

 それを受けた騎士は声もあげず鼻血を撒き散らし、ぶっ倒れた。残りの騎士たちは血相を変え、この狼藉者を成敗しようと次々と剣を抜き放つ。

 しかし司祭は目を極限にまで見開いていた。

「あの方は……まさか……」

 司祭はかつてアルストル家に出入りしていた事があった。

 そしてアルストル家を出奔した令嬢の顔も知っていたし、何より事の顛末をおおよそ把握もしていた。だから前大公が今でも彼女を溺愛している事も、もし万一があればどうなるかも非常によく知っていた。

「斬るなっ! その方に剣を向けてはならん!」

 驚いたのは騎士たちである。

 しかし司祭の指示は絶対であるため戸惑いながらも剣を引くのだが、そこに猛獣の如きカカリアが暴れ込んだ。渾身の一撃が金属の胸甲をひしゃげさせる。重装備の騎士が打ち倒され、木製のベンチに激突し激しい音とともに粉砕した。いずれも、とどめの一撃で鼻を折られ悲惨な状況だ。

「怯むな。取り押さえろ」

 やむなく素手で制圧にかかる騎士たちであったが、我が子を奪われた母親の怒りは凄まじく手に負えない。まさしくドラゴンの尾を踏んだ荒ぶり具合に騎士たちは防戦一方。それどころか、次々と倒されている有り様だ。

 応援を呼ぶ声が響き、辺りは騒然となって混乱状態だ。

「私は奥に、奥の秘室に行く」

「司教は何をなさるおつもりですか」

「秘室にて神事を行い、この邪悪を滅ぼすのだ。絶対に誰も通すな」

「ちょっと!?」

 老司教は幼子の入った揺りかごを抱え走り去った。

 思わず手を伸ばし引き留めかける司祭に、三節棍を構えるカカリアが迫った。その姿も眼差しも、本能に直結する恐怖を感じさせるものがある。

「ひいいいっ!」

 悲鳴をあげる司祭を守るため、騎士の一人が突進。肩から突っ込むような体当たりは、体格差に鎧の重量も加味してカカリアを跳ね飛ばす事に成功した。その華奢な身体が宙を舞い、大理石の床に叩き付けられ木製ベンチの幾つかを巻き込み転がった。

 この機に取り押さえようと動く騎士たちであったが、それは果たせない。


「――――――――!」

 入り口から轟くような咆吼が響いた。

 暴風、濁流、雷豪らいごうといった、人が足元にも及ばぬ現象は音であって音ではなく、畏怖を感じさせる轟きとなる。まさにその音をあげ飛び込んできたのはトレストであった。

 トレストは騎士たちをなぎ倒しカカリアへと突進する。

「斬れ! 斬れ!」

「これ以上の侵入を許すな!」

 こちらには騎士たちも剣を向け容赦なく斬り付ける。その幾つもの剣撃に一切怯まず、トレストはその全てを身に付けた鎧で弾き返し突き進む。

 それでも多勢に無勢で取り囲もうとしたところに、さらなる集団が入り口から乱入してきた。揃いの鎖帷子にマントを身に着けた警備隊の一団だ。

「神殿騎士ども! うちの旦那になにしやがる!」

 ビーグスとウェージを先頭にした警備隊は神殿へと乱入した。

 思わぬ状況に騎士たちは戸惑うが、とりあえず数の多い兵士たちに向き直る。そこには悪鬼の如きトレストやカカリアを相手にしたくない気持ちもあったかもしれない。少なくとも騎士たち全員が揃って同じ反応を示した。

「警備隊どもが! こんな事をして無事ですむと思うな!」

「口だけ一丁前の騎士様には参るな。それで怯む奴が、ここに来ると思うのか?」

 そして警備隊の兵士たちは、全員が剣帯を外し武器を手放した。戸惑う騎士たちの前で拳を構え、挑発するように手招きをしてみせる。

「来いよ神殿騎士ども、そんな剣なんて捨てて」

「こっからは俺らとの喧嘩だ。それとも剣がないと恐いのか?」

 口の端をあげ笑うビーグスとウェージに対し、神殿騎士たちは怒りに震えた。

「貴様らに剣など必要ない! 誰が貴様らなどが恐いものか! ぶっ潰してやる!」

 両者は日頃から管轄争いで反目し合っていた。ここまでされて剣を使えば、神殿騎士の評判が地に落ちることも理解している。だから拳の応酬に取っ組み合い、力比べによる盛大な喧嘩という大惨事対戦が始まった。

 その間にトレストは愛する存在へと駆け寄っている。

「カカリア無事か!?」

「私は平気。それより、あの子が奥に!」

「行くぞ!」

「ええ!」

 二人は司教の後を追い、一人残された司祭は目の前の喧嘩に頭を抱えている。


 秘室と呼ばれる特別な祭事が執り行われる場所。

 特別真摯に祈りが捧げられ、神々との繋がりが強いとされる場所である。最奥に祭壇があり、手前には二人掛けのベンチが二連で五列並ぶ小さな部屋だ。

 咽せる程に香の匂いが立ち込め中で老司教は短剣を取り出した。

 採光の窓から差し込んだ光に刃が煌めくが、その光が細かく揺れるのは、これから行おうとする行為に司教の手が震えるせいだ。

 祭壇に置かれた揺りかごの中で、赤ん坊は泣くでもなく冷静に――そうとしか言い様のない表情で――振り上げられた短剣を見つめているばかり。そこには明らかに知性が存在している。

 扉が勢い良く開いた。

「待て!」

「待ちなさい!」

 トレストとカカリアが飛び込んできた。

 驚いた司教が短剣を取り落としかけ、慌てて掴み直すとはからずも赤ん坊に刃を突きつける状態となってしまった。それを脅しととった二人の動きが止まる。

「何故です!? 何故、うちの子にそんな事をするのです!」

 カカリアの糾弾する鋭い言葉に、老司教は泣きそうな顔をする。そこに悪意は少しもなく、むしろ悲壮さが漂うばかりだ。

「この子は……この子の加護は……災厄の加護なのです」

 流石にその言葉は予想外であった。

 呆けたように口を開けるトレストとカカリアの前で、老司教は押し込めていた恐怖と不安が限界に達したのだろう。いきなり顔を歪ませ攻撃的な態度で足を踏みならす。その様子は年老い叡智をもった人格者とはほど遠い。

「このような加護は過去一度たりともない! 何が起こるかも分からない! だから私は、この世界に住まう人々を守るために災厄を取り除かねばならぬ! 世界に数多く存在する罪なき人々の為、この私は甘んじて罪を犯そう!」

 言い放つ内に高ぶった感情のまま、老司教は短剣を振り上げた。

「やめろっ!」

「やめてっ!」

 トレストの怒声とカカリアの悲鳴が響き――世界は闇に包まれた。

 実際には何も変わらず、採光の窓からは変わらぬ光が差し込んでいる。けれど、それを感じる心が何か大いなる気配に圧倒されている。目に色は見えど心が色を感じず、存在する空気そのものが耐え難いほど重く感じられている。

「こ、これは……」

 辛うじて呟いた老司教は、祭壇の上に生じた楕円の闇を見つめ、恐れ戦きながら一歩二歩と後退。腰から落ちるように倒れてしまう。

【汝は我が加護を持つ者を害するか】

 闇から声ではない声が響き、真っ白な蛇がゆっくりと這いだした。人の胴よりも太い蛇体は闇色の気配を漂い、血のように紅い目は怪しい輝きを湛えている。

 老司教は知らず泣いていた。

 そこにあるのは単なる恐怖ではない。神に仕える存在として、自らが祈りを捧げ存在を感じていた中の一柱の出現に、畏怖し感動し涙したのだ。たとえそれが災厄の化身であったとしても、その気持ちに変わりない。


 だが無慈悲な言葉が響く。

【腐れ】

 突如として老司教の身体が崩れ、辺りに腐臭が立ち込めた。溶けるように腐り落ちていく中で目だけがギョロギョロと動き、やがてそれも肉の中に埋もれてしまう。

 白蛇は肉塊から興味を失い、その紅の目を揺りかごに向けた。

 その動きに硬直していたトレストとカカリアは我に返る。一人では耐えられなかったかもしれない、二人だけでも無理だったかもしれない。だが、二人で一つを想う心が力を与えてくれる。

「「うちの子に! 触るな!」」

 叫びをあげ揺りかごへと飛びつくと、そこからカカリアが我が子アヴェラを引ったくって抱きかかえる。その二人をトレストが背後に庇い、全身全霊を込め白蛇に対峙してみせる。

 白蛇が動きを止めた。

【我が使徒を渡せ】

 不機嫌そうな声の響きに、トレストは震えながら踏み留まった。

 苛立つように白蛇の尾が軽く振られ、途端に足元から鳴動が突き上げてくる。建物の中に何の変化も無いが、外からは幾つもの悲鳴や叫びが聞こえてきた。何が起きたかは分からないが、外では間違いなく大きな事件が起きている。

【我が使徒を渡せ】

 静かな声にトレストとカカリアの胃の腑が縮み上がる。

 恐らく世界の全ての者が同じ状況にあると奇妙な確信があった。この恐るべき存在が何者であるのか、奇妙な確信と共に悟っている。人の身では抗えぬ絶対的な災厄の化身に違いない――だが、我が子の姿が二人に力を与えた。

「俺たちの子を渡すものか!」

「たとえ誰であっても! この子は渡しません!」

「この子が自らの足で踏み出すその時まで、俺たちが守らねばならない!」

「この子が愛する者を見つけるその時まで、私たちが守らねばならない!」

 トレストとカカリアは言葉を発しただけで疲労困憊し、息つく姿も弱々しい。だが、我が子を護ろうとする意志は少しも衰えがなく、むしろ強まるばかりだ。

 白蛇の動きが止まった。

 紅い目が二人を見据えるが、そこには戸惑うような感心するような、驚くような不思議な様子だ。同時に先程まで小さく暴れていたアヴェラが神妙にしている。

【これが定命の命のみが極稀に放つ純粋たる魂の輝き】

 白蛇が小さく息を吐いた。

【その魂に免じ、我が使徒を護る存在を残し我は退こう】

 闇へと吸い込まれるようにして白蛇の姿が消えていく。完全に消える寸前に、そこから小さな白蛇が飛び出す。疲労困憊するトレストとカカリアの前で、小さな白蛇は長い黒髪に紅い瞳をした、可愛らしい顔立ちの少女に姿を変えた。

「わたくしの名はヤトノ。本体の命により、我らが使徒を守護いたしましょう」

 目を疑い呆然とする二人の前で、少女ヤトノは穏やかに微笑み優雅に頭を下げた。

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