外伝トレスト12 カカリアは母なので

 カカリアは鍬を振るう。

「よいしょっと」

 耕すということは意外に面白い。

 土の中へと先が潜り込む感触、湿った土の臭い、そこに見つける虫たち。一年というサイクルの中で土を起こし、種をまき雑草を取り除き水をやり育った作物を手に入れる。この小さな畑の中には、大公家のお嬢様が知らなかった世界が存在する。

 そして、そのお嬢様は鍬の扱いにも慣れていた。

 力任せに振るうのではなく、腰を使って持ち上げた鍬が自重で落ちるところに少しだけ力を加えてやる。それを呼吸に合わせ繰り返す、単純なようで奥深い動作。モンスターと戦っていた瞬間に、どこか通じるものがあった。

 集中する中で、カカリアは気配を感じた。

「……?」

 近所の知り合いの訪問かと思い振り向く。

 だが、生け垣の間にある簡単な木の戸から入ってくるのは、見知らぬ三人組の男だった。無言のままの行動からすると、侵入者と判断すべきだろう。

 普通であれば、ここで悲鳴の一つもあげるところだ。

 しかしカカリアはそうはしない。

 引退したとはいえ冒険者として活躍し、幾つもの戦いの中で死線をくぐってもいる。そこで培った技術や心得は、今でも生きているし錆び付いてもいない。まずは冷静に鍬を身体の前で斜めに構えると、目付きも鋭く相手を観察する。

 三人組は簡素な麻の衣服と、どこにでも居そうな姿格好だ。

 しかし、その動きは明らかに正規の訓練――それも騎士や兵士といった――を受けたものだった。そんな者たちが揃って日中に、さして裕福そうでない家に押し入ってくるとは考えにくい。つまり単なる物盗りなどではないという事だ。

 咄嗟に脳裏に浮かぶのはナール家の追っ手という懸念。

 だが、カカリアは即座に自分の考えを否定した。

 相手の狙いがどこに向けられているのか、それは冒険者時代の経験によって見抜く力は強い。何より母親としての本能的なもので悟る――理由は不明だが、相手の狙いは最愛の我が子だ。

「このっ!」

 瞬間、カカリアは怒気を漲らせ疾く動いた。

 全ての状況を瞬時に把握、我が子を守るため最も可能性の高い選択をしたのだ。この辺りの判断は、流石に熟練の冒険者と言えるだろう。だが揺りかごまでの間には畑が一枚ある。たった十歩に満たない距離が、今では絶望的なまでに遠く感じられてしまう。

 カカリアの動きは相手の男たちにとって予想外だった。驚きの表情をみせた一人の肩を強打し、相手が倒れるよりも早く次の相手へと打ちかかる。その動きは猫科の猛獣の如く素早く、かつ激しい。


「この女っ!」

 声をあげた相手は咄嗟に腕を振り上げ防御するが、構わず頑丈な木で出来た鍬の柄を叩き付ける。そのまま止まらず、柄の先を槍のようにして相手の腹に突き込む。声も上げず怯んだ相手の側頭部を打ち据え昏倒させる。

 現役冒険者時代と少しも変わらぬ動きも、そこまでだった。

「おっと、動くな」

「くっ……」

「なんて女だ。赤ん坊一人を攫う簡単な仕事ってのは嘘だったな」

 残る一人がアヴェラを前にかざし、鋭い刃を突きつけている。カカリアは即座に動きを止める。相手がこの場でアヴェラを害するつもりでない事は、言葉と行動で分かったからだ。

 分かったが、相手の目的が分からない。

 自分の身がどうなろうと構わないが、この世で最も大切な存在を奪われ、カカリアの全身に冷たい汗が滲んできた。それでも全神経を張りつめ睨み合う。

 玄関の方から声がしたのは、この時であった。

「カカリアの姉ちゃん、裏で畑ですかい? お邪魔しますぜ、トレストの兄ちゃんが今日の帰りに――」

 現れたのはウェージであった。流石に警備隊の一員として鍛えられているおかげもあって、瞬時に腰の剣を抜き放つ。

 しかし、この見るからに兵士といった姿のウェージが登場した事で侵入者は逃げるという選択肢を選んでしまう。もちろん両腕には、カカリアにとって最も大事な存在を抱えたままでだ。

「このっ!」

 もちろん逃がす気のないカカリアが突進するのだが、最初に強打した相手がふらつきながらも立ち上がり行く手を阻む。

「邪魔っ!」

 鍬を回転させ渾身の一撃を叩き込む。

 相手を蹴り飛ばしたカカリアは鍬を放りだし、木の戸に突進。はね除けるように通過すると、逃げた男の後を追った。しかし、僅かな遅れがあったため、既に裏の通りに男の姿はなく、完全に見失ってしまった。


 そこで無闇に動いて探し回ったりなどせず、まずは裏庭に戻ったカカリアの行動は流石としか言い様がない。

「姉ちゃん、これはいったい!?」

 ウェージは倒れた男たちを拘束している最中であった。

 だがカカリアは無言のまま男の一人に歩み寄ると、襟首を掴んで引きずり上げた。男は薄ら笑いを浮かべるのだが、その顔面へと――拳を叩き込む。

 鼻面を潰された男は声なき声をあげるしかない。

 むしろ横で見ていたウェージの方が悲鳴のような声をあげてしまった。

「ね、姉ちゃん!?」

 戸惑いと恐れの声には構わず、カカリアは男を地面へと投げ捨てる。地面を見回し、先程投げ捨てた鍬を見つけると、それを拾い上げ戻って来た。

 その全てが無言のままだ。

 睨み付けてくる相手にカカリアは、いきなり鍬を振り抜いた。

 男は顔の真横を掠めた鍬に最初何が起きたのか分からなかったらしい。土と砂利を押しのけ突き立つ音に、恐る恐る眼をやって始めて理解した。同時に、今の一撃が殆ど狙いもつけず振るわれたとも分かったのだろう。

「や、止めっ!」

 地面に深く突き立った鍬が引き抜かれ、また振り上げられる様子に男は極限にまで眼を開き、悲鳴のような声をあげた。

 だが、カカリアは一切構わない。

 そのまま渾身の力で振り下ろす。今度は股の間に突き立ち、しかも衣服の一部が巻き込まれ断つようにして千切れている。

 見守っているウェージは止める事すらできなかった。むしろ一歩二歩と後退って目の前の惨劇を見守るしかない。

 無言のまま都合五回も鍬が振り下ろした後に、ようやくカカリアは言葉を発した。

「あの子をどこに連れ去ったか言いなさい」

 その時には、男の顔面は蒼白となって全身が硬直している。

「それは……」

「あなたは、もう一人居るという事を忘れない方がいいわね」

 カカリアは冷徹に言って鍬を構えた。


 ただの主婦でない事は今までの身のこなしで分かっている上に、静かな怒りを湛えた冷徹な目を見れば単なる脅しでない事は明らかだ。

「待て! 待って下さい! 言う、言うから!」

「…………」

 無言で見つめるカカリアの前で、男は自分が神殿の兵士であると告げた。訝しさに顔をしかめれば、それをどう思ったのか男はさらに司教から命じられ、子供を連れ去りに来たと白状した。

「神殿? どういうこと?」

 悩むカカリアは容赦ない一撃で昏倒させた。

 その手際に戦慄しつつ、ウェージは倒れた男の懐を探る。

「姉ちゃん、こいつの持ってる身分証は確かに神殿のもんです」

「そうなると間違いないわね」

「どうして神殿の連中が、坊ちゃんを攫ったんですかい」

「分からないわ。分からないけど……このままだと、あの子が危ないわ」

 我が子が危ないとカカリアには分かっていた。それも今すぐに動かねばダメだと分かっていた。単に連れ去られたのではないと、理屈でもなんでもなく母親としての直感が告げている。

「…………」

 カカリアの雰囲気が変わった。

 それはウェージが一歩後退るぐらいに、何か得たいの知れない恐さを纏っている。

「ウェージ君、貴方はトレストのところに走って状況を伝えなさい」

「姉ちゃん?」

「私はあの子を取り返しに行くわ」

「ちょっ、取り返すとか言ったって相手は神殿……」

 言いかけたウェージだが、カカリアに一瞥された途端に押し黙ってしまう。たった一つの感情に塗りつぶされた双眸を前にすれば、誰だってそうなるだろう。

 ふいっと視線を動かしたカカリアは家へと向かうのだが、その仕草は獲物に興味を失った獣のようであった。

 カカリアは自宅に戻り寝室に行く。

 両開きの棚を開き吊されてあった衣服の幾つかを退かせば、そこに冒険者時代の装備一式が保管されている。もちろん手入れは怠っておらず、いつでも使える状態だ。

 そして母は動きだす。

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