外伝トレスト11 幸せの形
冒険都市アルストルに建立された神殿は、その用に応じ幾つかに分かれている。
その中で円形の建物は、特別な祭事の執り行われる場所だ。半球形をした屋根から壁に至る迄、内側の一面に神々の姿が描かれている。
天頂の円窓から差し込む柔らかな陽光が、中央祭壇を照らし、そこには揺りかごと共に幼子が置かれている。辺りは肌寒いぐらいの空気で、灯火と共に燃やされる香の匂いが含まれていた。
祭壇の前で老齢の司教が大理石の床に膝を突き祈りを捧げている。
「うっ!」
司教が声にならぬ悲鳴をあげ、その場から逃れるように後退した。
即座に駆け付けた騎士の手にすら気付かず、顔を引きつらせる様子は、まるで目の前に恐ろしいモンスターが存在するようだった。
もちろん老司教の前にあるのは、祭壇と幼子の姿のみだ。
思わぬ事態に静かで厳かであった辺りにざわつきが生じる。周囲に控えた侍祭や神官、神殿騎士たちには何が起きたのか分からず、一様に戸惑いをみせていた。
それは木製のベンチに座る若きエイフス夫妻も同じであった。
老司教の前で祭壇に置かれている幼子は自分たちの大切な存在であるため、二人が不安になるのは当然と言える。さらに今は――我が子の受けた加護を調べて貰っている最中の出来事だったのだから。
世界に存在する全ての生き物は、何らかの神の加護を得ている。
勿論人間も例外ではない。
しかも、人間の場合は加護の種類が人生を左右する。たとえば太陽神のような主神の加護や主流系神や有力神の加護があれば、地位や名誉を容易く手にすることも可能だ。もちろん知名度の低い神の加護であれば、逆に人生は厳しくなってしまう。
だから人々は、我が子が誕生し一年が経つ頃になると神殿へと趣き、如何なる神の加護を持つのか確認するのが慣わしであった。
もちろん両親は我が子の加護が少しでも良いように祈るのだ。
トレストは無礼と知りつつ声を発した。
「司教殿、どうかされましたか」
「…………」
「司教殿?」
「こ、この子の加護は災……あっ、いや……強すぎ、少し加護が強すぎる。それで……それで目眩がしたのです」
老司教は顔色を青くしながら笑ってみせた。引きつり泣きそうな顔だが笑みは笑み。エイフス夫妻は戸惑いながらも、しかし我が子の加護が強いと聞いて顔を見あわせ嬉しそうに頷きあった。
「そうでしたか。ところで、この子の加護は如何なる神からなのでしょうか?」
エイフス家の夫の言葉に老司教は明らかに動揺した。
「それは……それは、まだ分かりません。そうです、このままこの子を神殿にて預かり厳重に、慎重に確認させて頂きましょうか」
「御言葉はありがたいのですが、その子はまだ幼すぎます。今日は一度家に連れ帰りまして、また日を改めて参りましょう」
「……それは確かに。そうですね、では改めて」
「よろしくお願い致します」
我が子を抱き上げたエイフス夫妻は、我が子の名を愛おしげに呼んだ。
「では、帰ろうかアヴェラよ」
エイフス夫妻は礼儀正しく頭を下げ、親子三人で楽しげに出口へと向かって行く。
だが、老司教は極めて厳しい顔だ。表情からは徐々に恐怖が消え去っていき、双眸に強い決意が宿りだす。注意深い者が見れば、そこに聖職者には相応しからぬ殺気を見出していただろう。
「ケイレブの奴にも、この子を見せてやりたいものだな」
トレストは空を見上げ呟いた。
神殿前の広場はアルストルでも屈指の賑わいのある場所として知られ、多くの人々でごった返し賑わっている。広場の周囲には二階三階の建物が並び、住居だけでなく宿や食事処などが軒を連ねているぐらいだ。
辺りは騒々しく、大勢の人々の発する音や匂いが辺りを満たしている。
「そうね。私たちのせいでアルストルを離れたままですもの。悪いことをしたわね」
「まあ、あいつも前から旅に出たいと言っていたのだ。気にする必要は無い」
「上位冒険者になって戻って来ると言っていたけれど、心配よね」
「うむ、あいつは……騙されやすいからな」
冒険的な意味での心配は少しもしていない。
二人ともケイレブの強さや生存能力の高さは熟知している。それよりも、何度も変な商品に手を出し、騙されてしまう事の方が心配だった。
そんな仲間の顔を思い浮かべ、トレストとカカリアは深々と息を吐いた。
ここにいるのは第三警備隊隊長のトレスト=ゲ=エイフスと、その妻であるカカリアだ。数年前に失踪した冒険者のトレストとカカリアという人物とは縁も所縁もない別人である――少なくとも公式の記録としては。
実態としては、駆け落ちした二人はケジメの意味もあって冒険者を引退。ただしアルストルから逃走し行方をくらました事にするため、ケイレブがアリバイづくりとして旅に出たのである。
「まあ大丈夫だろう。あいつは、ああ見えて変なところで運がある」
「金運はなさそうですけどね」
「確かにな。それはそれとして――」
軽口を叩いていたトレストは愛する者の腕に抱かれた愛する存在に目をやった。たちまち幸せいっぱいの表情となってしまう。我が子は大人しく可愛いく少しも手がかからず、まるでこちらの都合を理解しているかのような反応をする賢い子だ。
間違いなく世界一の素晴らしい子だとトレストは固く信じている。
「この子に強い加護か。いったいどんな神の加護なのだろうな」
「どんな神でも構わないわ。この子を強く護ってくださるのでしたら」
「ふむ、それもそうだな。だが言っておこう、どんな神であろうと俺たちがこの子を愛する心には敵うまいと」
「当たり前ね」
親バカたっぷりの二人は笑いながら歩いていたその時。
「兄ちゃん。ではなくって、トレストの旦那」
声変わりしたての低めの声が割り込んだ。
エイフス夫妻が振り向くと鉄槍を手に、赤いコートを装備した兵士がいた。
「おっとビーグスか」
部下の登場にトレストは嬉しげな声をあげた。もちろんカカリアも旧知の相手に喜び、我が子の手を持って左右に動かす。その微笑ましさに多くの者が笑顔となるが、当の幼子が不機嫌そうである点は誰も気にもしていない。
「どうした?」
「ひっじょーに申し訳ないのですがね。第八警備隊のヴリーズ殿が、ちょーっと面倒な事を言ってきやして。すいませんが少しお時間を頂けやすと……」
「ああ、分かった」
トレストは頷いた。
このビーグスの性格はよく知っており、自分たちで対処可能であれば態々家族の団らんを邪魔するはずがないと理解している。それが声をかけて来たという事は、やむにやまれない状況という事だ。
同様に理解したカカリアも頷いた。
「私は先に戻っているわ。夕飯は待っているけど、遅くなっても問題ないから」
「それはいけない。アヴェラにも負担になるし、俺の分は置いておいてくれ」
「大丈夫よ、食事ぐらい何とかするから」
「いやしかしだな」
「もうっ!」
カカリアは焦れたような声をあげた。
「反論してないで早く行きなさい。そして早く帰れるようになさい」
「それもそうだ」
ぴしりと言われたトレストは即座に肯き走りだす。その後を兵士たちが追いかけていく。見送るカカリアは再び我が子に手を振らせていた。
カカリアは自宅――もちろんエイフス家の小さな家――に戻り、余所行きの服から普段着に着替えつつ、今日までの日々を軽く思い出していた。
式場からの逃走に続き、父親のジルジオがアルストル大公を辞任。その繁忙さによってカカリアの駆け落ちは話題性が消えて有耶無耶に。義両親は責任を取る意味もあって警備隊を辞任して田舎に引っ越し、ケイレブはアリバイづくりのためアルストルを旅立った。
警備隊長に就任したトレストとの新生活は、これまでと全く勝手が違って苦労もあった。時には喧嘩をし和解し、互いに歩み寄り協力し、今日までやって来た。
そして今はとても大切な存在がいる。
「ふふふっ」
カカリアは込み上げる喜びを声にして発露し、我が子の顔を見つめた。
不思議な子と言えば不思議な子で、ほとんど泣かず笑ったりもしない。その眼差しには思慮深さとでも言うべきものを感じる時がある。だが何にせよ――。
「可愛い、私のアヴェラちゃん」
ちょんっと鼻先をつついてやると、アヴェラは戸惑っているように見えた。とにかく全てが可愛い。他の何と引き替えにもならないほど大切で、自分の命より何より上位にある。この子の為であれば、どんな苦労も吹き飛んでしまう。
「さあ、畑仕事をしましょうか」
普段着の上に布のブラウスを羽織り革のベルトで締めると裏庭に行く。蔦で編んだ籠に寝かせたアヴェラを風通しの良い木陰に置くと、カカリアは鍬を手に取った。
エイフス家の経済状況は裕福とは言えない。
だから家庭菜園による食糧供給が極めて重要だ。半年後の食事のため、鍬を手にして土起こしをせねばならない。生家の皆が見たら卒倒しかねない生活だが、今の生活こそが生きているという実感がある。
カカリアは幸せを感じながら額の汗を手で拭った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます