第125話 頭を冷やせば冷静に

 土を固めただけの道は凹凸の中に大小の石塊がある。

 そんな道を進み丘を下っていたアヴェラは立ち止まり背後を見やった。小さな森と小さな館が静かに佇んでいる。先程までそこで手を振っていた祖父は、侍従や侍女に抱えられ邸宅に連れていかれたばかりだ。

「暗殺者どもに爺様を狙った事を後悔させてやる。絶対にだ」

「御兄様、それはどの程度でしょうか」

「全力だ」

「まぁっ、全力ですか! 分かりました、この良妹ヤトノ! 御兄様に敵対しそうな連中を片っ端から呪ってみせます」

 坂道を片足で跳んで歩いていたヤトノは手を合わせ嬉しげな声をあげた。長い黒髪と白い飾り紐が、ふわっと揺れる。その顔には欠片も邪気がなく、目をきらきらと輝かせる様子は無邪気な子供のようだ。

 しかし言ってる事は恐ろしい。

 イクシマは血相を変えて手を横に払った。

「待てえええっ! そんな事したらマズいじゃろって」

「ふむ、小娘は御兄様に敵対する連中に味方する気ですか」

「そんなわけあるか。と言うかなー、それ相手の区別はつくんか!?」

「失礼な。わたくしも、それなりには区別します」

「そ、そうなんか。そんなら良かっ――」

「ちゃんと呪い殺した後に区別します。ですから問題ありませんね」

「んなわけあるかあああっ!」

 イクシマの叫びが辺りに響き渡った。

 邸宅を出て小さな森を抜けた辺りの、まだ丘の途中だ。住居が建ち並ぶ場所から距離があるので良いが、もう少し先であれば、こんな大声を出されては警護の兵士が駆け付けたところだろう。

「流石にそれはどうかなって、私も思うよ。もうちょっと穏便にいこうよ、うん」

「うむ、ノエルの言う通りじゃぞー。冷静になれよー」

「アヴェラ君は、そんな事を言ったりしたりしたら、ダメなんだよ」

「そうじゃぞー」

「お爺さんが大事なのは分かるけど、もっと落ち着かなきゃ」

 ノエルはアヴェラの前に回り込むと軽く睨むように見つめた。ただし怒っているわけではない。真剣な顔をしているのだ。

「アヴェラ君はもっと飄々としてなきゃ。怒っても余裕があってさ、笑いながら相手を蹴飛ばすみたいな感じ。だからさ、そんなに不安そうな顔をしたらダメだよ」

 それで優しい笑顔のノエルがした事はアヴェラの頭を撫でた事だ。爪先立ちになって手を伸ばし、安心させるような優しい仕草で触れた。

 そして、にっこりと笑みを見せている。

「ねっ、大丈夫だからさ」

「……すまない、心配をかけた」

「いつも助言して貰ってるからさ、ちょっとお返しができた感じかな。そんなわけで、アヴェラ君が冷静になってくれて万歳ってところ」

「頭が冷えたから、少し考えてみるとしよう」

「うんうん、そんな感じ。さあ行こうよ」

 アヴェラはノエルに手を引かれながら歩きだす。傍から見れば、親しげで良いムードにしか見えない。実際、そんな状況だ。

 後には呆然としたイクシマが残されている。

「あれっ、我って空気……」

「当たり前ではありませんか」

「何故だ!? 我だって同じことを言っておるのだぞ!! ちゃんと頷いて同意しておるでないか!? こんなの絶対おかしすぎじゃって!」

「哀れですねぇ」

「小姑が、やかましい! がー!」

「しゃー!」

 イクシマとヤトノは互いに威嚇した後に、前を行く二人を追いかけ坂道を走りだす。しかし途中から目的を忘れ、坂の下まで駆け通したのは言うまでもないだろう。


◆◆◆


 ヤトノはフォークで攻撃した。

 痛恨の一撃、イクシマのケーキは半壊した。

 イクシマは激しく机を揺らし威嚇した。

 皿が激しく揺れ動く。

 しかし何の効果もなかった。

「二人とも大人しくしなきゃだめ」

 ノエルが叱るのも仕方ない事で、ここは甘味処なのだ。

 小洒落た動物のオブジェや微妙に可愛くない置物が飾られ、インテリアの色調は白と赤と桃色が主。そんな中で若い女性たちが噂話に花を咲かせ姦しい声がさざめく。漂う匂いは甘ったるく、それだけで口の中が甘くなりそうな環境だった。

「じゃっどん、この小姑が我のケーキを横取りしたのじゃぞ。見ておったじゃろ、我には怒るべき正当な理由があるのじゃって。と言うかなー、アヴェラよ。お主が注意すべきでないか!」

「ん? なんでそうなる」

「それは! こいつがお主の言う事しか聞かぬからじゃ!」

「大きな声を出すなよ」

 イクシマの声で辺りの姦しさが収まり、代わりに声を潜めて囁きあう状況になっている。店員が眉を寄せ軽く息を吐いた様子からすると、どうやら追い出される寸前なのかもしれない。

「ヤトノ、横取りは良くないぞ」

「ごめんなさい、御兄様。反省しております」

「素直でよろしい」

「はい」

 しおらしく言ったヤトノだが、アヴェラに対し微笑む。それから何故かイクシマにまで微笑むのだが、同じ表情であっても微妙に違う。

 だからイクシマは片頬をひくつかせた。

「くっ、こやつやたらと小姑には甘い」

「ちゃんと注意しただろ。あまり文句を言うな、許してやれよ」

「そういうの良くないんじゃぞ」

「分かった分かった、これをやるから許してやれ」

「うぬっ、我は許したぞ」

 アヴェラは自分の前にあった皿を押し出した。

 それは、まだ少しも手をつけていないケーキだ。眼を輝かせたイクシマは嬉しげに味うのだが、ヤトノは少し面白くなさそうだ。何か言いたそうなところを、またノエルが間に入って宥めたりしている。

 その間に、アヴェラは静かに考え込む。


 ジルジオが暗殺者の狙われた事件。

 もし、これを追求していこうとすれば長期戦になるだろう。現実は物語と違って一瞬で事件が解決するものではない。中途半端は許されず、付きっきりで祖父の傍に控え暗殺者対応をしたり、または地道に調査をして犯人を追及したりする必要がある。

 そうなると冒険者生活は出来ない。

 ノエルとイクシマには生活があって稼がねばならないので、アヴェラがジルジオを助けようとするならパーティは解散せざるを得ないだろう。または報酬を用意するしかないが、それが出来るのはジルジオだけだ。しかし、ジルジオが自分で解決すると言って、配下に指示を出していた。そこに無理を言って加わり報酬を出してもらうなど、ただの押し掛けだろう。

 冷静になって自分の気持ちを見つめてみれば、表現として妥当かは不明だが、突発的な出来事に興奮して落ち着かず、じっとしていられず、何となく何かをしたいといった心情といったところだ。

――何もしないのも、一つの選択肢か。

 冷静に考えていくと、大人の対応が頭をもたげてくる。

 つまり度を越さず適当な加減での節度ある対応と、相手の立場や状態を考えた行動をすべきなのだ。しかし、あの祖父の為に何かをしたい気持ちも強い。

「御兄様、お悩みですか?」

 ヤトノから横から見上げて来た。無邪気な子供のようでいて、しかし朱色の瞳の奥には深い叡智があるような気がする。

 アヴェラは飲物のカップを指で弾いた。高い音が小さく響いた。

「うん、実は改めて考えてみるとな。爺様の件で、自分が手を出す理由や必要性がないんだ。それが少し寂しい」

「良いではありませんか。もし助けや協力を求められたら、その時は手を出せばいいのです。それよりも御兄様は御兄様の人生を歩む。それこそが、あのジルジオめにとっては喜びでしょうに」

「そういうものかな」

「ええ、そうですよ」

 ヤトノは深々と頷き、それでアヴェラも小さく頷いて気持ちを切り替えた。

「……では、フィールドに出て冒険だな」


 小さく笑ったアヴェラは、思考を現実的に切り替える。

 最近はフィールドに出る機会が殆んどない。だから実家暮らしのアヴェラと違って、ノエルとイクシマの生活はそこそこ厳しいはずだ。今はまだケーキを楽しむ余裕もあるだろうが、稼がなければそれも難しくなってしまう。

「稼ぐために改めて海辺に行ってみるか」

「クラブシェベ狩りですか。素材は高く売れますし、食べても美味しいですよ」

「そうだな、鍋にしたくなるな」

「鍋ですか? 確かにあの固そうな殻を加工すれば鍋になりそうな……。しかし殻が素材として残るとは聞いておりませんね。もしや生きている内に剥ぐ?」

「……ヤトノの考えている鍋とは違うと思うぞ」

 アヴェラは苦笑したが、却ってそれがヤトノの反応を過剰にさせたらしい。両手を握って気合いを入れている。

「大丈夫です! やってみせます。御兄様が仰るのでしたら、このヤトノ。クラブシェベを鍋にしてみせます」

 どうやら完全に勘違いして、調理用具としての鍋と思い込んでいるらしい。しかし当然と言えば当然だ。鍋にするという言い回しなど、元の世界の全体を考えてもスタンダードではないのだから。

「あのな、鍋というのは鍋料理にして食べるという意味だからな」

「えっ……不覚です。わたくしが御兄様の言葉を理解できなかったなんて」

 俯いたヤトノは嘆いた。

 それはかなりの度合いだったのだろう。ほぼ同時に、地の底から重い音が響き建物が突き上げられるように揺れたのだ。テーブルの上の食器が音をたてながら細かく跳ね、辺りから甲高い悲鳴があがっている。

 ヤトノは厄神の一部だ。

 それが嘆けば地震が起きるのも当然だ。これは自然の摂理の一環らしく、アヴェラに厄は降りかかってこない。しかし放っておけば大惨事になりかねないだろう。

「そういうのいいから、少し落ち着け」

「ですけど、わたしくが御兄様の言葉を理解できなかったなんて……」

「いいじゃないか、何でもかんでも分かってたら面白くないだろ」

「全部知っても面白くないなんて思いません。全部知って把握したいです」

「こいつときたら……」

 埒があかないためアヴェラは強硬手段に出る。

 手を伸ばし隣の席のヤトノを抱えると膝の上に載せてやる。辺りは地震の余韻で怯える客ばかり。だからアヴェラの行為は誰にも気付かれていないが、仮に見られたとしても、地震に怯える少女を宥めているようにしか思われなかったに違いない。

 ただし、ノエルとイクシマは別だ。

 むしろアヴェラの行動によって騒ぎの原因を悟ったらしい。流石に声こそ出さないが、テーブルにしがみつきながら非難がましい目をしている。

 アヴェラはヤトノの髪を撫でてやりつつ、二人にアイコンタクトで謝った。

 地震がおさまりだすと店中は――そしてきっと街中も――不安と動揺に包まれながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していくのであった。

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