第124話 祖父という存在
魔王は倒された。
しかし、まだ息がある。うつ伏せに倒れたまま、地面の上で弱々しく手足を動かしている状態だ。後ろではイクシマが自分の戦いぶりをノエルに説明しているし、ジルジオは空に向かって高笑いをしていた。
「……やれやれ」
抜き身のヤスツナソードを手に魔王へと近づく。
いつでも斬りかかれる心構えで近づいていくとジルジオが気付いた。笑うのを止めると、大剣を肩に担ぎ大股で一歩ずつ踏み締めながらやって来る。その姿は英傑や猛将といったものだ。
「アヴェラよ、どうしたのであるか?」
「いえ、魔王というのは倒しても変身して復活すると聞きますので」
「ほほう!? そうなのであるか!」
「そんな物語を読んだ事があるので、油断しないでおこうかと」
「なるほどアヴェラは物知りだのう。よしよし、それであれば。また倒せるのであるな。アヴェラよ、この爺と一緒に魔王と戦うのであるぞ! 孫と一緒に戦闘! これは楽しみ、うわはははっ!!」
流石はカカリアの親だけあって、親バカならぬ爺バカだ。だが、感性が少しズレている気もする。だが、ジルジオがほくほく顔をするので、何も言えやしない。
わくわくするジルジオの期待に反して、魔王に動きはない。
それどころか空に立ち込める黒雲は消え、明るい日射しが差し込んでくる。変身の兆候はなく、めでたい雰囲気が強まっている状態だ。
「どうやら大丈夫そうですね」
「なんてことであるか。根性のない魔王であるな、実に情けない」
苦笑して剣を鞘に戻すと、そこに聞き慣れた声が響いてきた。
(……聞こえますか……聞こえますか……御兄様……わたくしです。良妹ヤトノです……今……本の外から呼びかけています)
「そういうのは、もういい。それで? これで本は読破したという事か」
(まあ、なんて冷たい……そんなところも素敵です)
「はいはい。それで、どうなんだ」
(魔王を倒し世界に光がもた……らされました、めでたしめでたし……です。残りは後書きと……奥付だけです)
「本の後書きって微妙なんだよな。補足とか言い訳とか無関係な話とかが多いし。まあ作者は作者で苦労して、何を書こうか頭を捻ってるのだろうけど」
(はい? とにかく……あと、少しです。少しでヤトノと会えますよ)
ヤトノの声は遠ざかっていった。
これで、この世界とはお別れになる。読後の満足感と、同時に一つの物語が終わった勿体なさと寂しさが微妙にあった。それは名残惜しさのようなものだ。
アヴェラは魔王を見つめた。
少し動きがあるのは、もしかすると続編への引きなのかもしれない。つまり、文脈的に魔王復活が示唆されているパターンなのだろう。何にせよ今は戦う必要はないという事だ。
だから、傍らに膝をついて屈み込んだ。
「楽しかったよ。素晴らしい物語を、ありがとう」
その言葉に魔王の身体が震えた。微かに向けられた顔には驚きがあって、それが穏やかな嬉しさへと変わった。これは魔王ではなく、本に宿った呪いそのものの反応なのかもしれない。同時に、その身体が透き通り消えていった。
ジルジオは一部始終を見ており、そして真面目な顔となった。
「良い機会である、お前の血筋について語っておくのである」
「なんです?」
「それを知っても良い年頃である。何よりお前という人間を、今の身分のままで終わらせるには、あまりにも勿体なさすぎる。より大きな世界で羽ばたくため、心して聞け。我が一族は――」
「あ、そういうの別に必要ないんで」
「なんと?」
ジルジオはあっけにとられた。拒否されるとは夢にも思っていなかったのだろう。
だが、アヴェラからすれば当然のことだ。
この祖父が上流階級の、それもかなり上の存在である事は、生活ぶりなどから予想がついている。下手に素性を明かされ、そんな上流世界に足を踏み入れ関わってしまえば、間違いなく面倒くさい。
関わりたくないというのが本音だ。
「面倒はごめんですよ。下級騎士トレストの息子、そしていずれは警備隊を率いることになる者。それだけで十分ですね」
「……お前のような者こそが、儂の跡継ぎに相応しいのである。惜しい、実に惜しい。本当に惜しい」
「買いかぶりですよ」
「やれやれ、その言葉を聞くと本当に惜しいと思うのである。儂は諦めぬ、お前が功成り名遂げる機会をつくるか――」
ジルジオの呟きはアヴェラには聞こえなかった。
なぜならノエルとイクシマが二人して跳ねているのだ。
「ほらほら、アヴェラ君もお爺さんも。空を見て見て」
「ものっそい綺麗なんじゃって。見るがよい!」
空は虹色に輝き煌めく星が流れ――めでたさは感じるが派手すぎる――美しい景色となっている。それを見つめていると、周囲が徐々に薄れ白さを帯びていく。きっと奥付部分も終わって、いよいよ読了するのだろう。
全てが白くなり、視界も意識も白に包まれていった。
◆◆◆
「御兄様、お目ざですか」
幼子に向けるような優しい言葉が聞こえてきた。
ふんわり抱きしめられている感覚。ゆっくりと目を開ければ、上から覗き込んでくるヤトノの顔が目の前にあった。自分がどこにいるのか一瞬だけ分からなかったが、どうやら膝枕をされているらしい。
そっと手を伸ばし、確認するようにヤトノの頬に触れた。その柔肌は滑らかで、少し暖かい。くすぐったいのか紅い瞳の目が細められている。
「戻って来たという事か」
「はい、そうです」
「本に入ってから、どれぐらいの時間が経っている?」
「そうですね、お昼寝するぐらいの時間でしょうね」
「なるほど。つまり本一冊を読んだぐらいの時間って事かな」
呟いて身体を起こした。
すぐ側には同じく床に寝かされたノエルと、雑に転がされたイクシマの姿がある。どちらも目を覚ましたところらしく、軽く呻きながら身体を起こすところであった。
「うーん、なんだかとっても眩しい感じ」
「身体の節々が痛いのじゃって」
「あっ、アヴェラ君。おはよう」
「むむっ、小姑めの姿がある。って事は、戻って来たって事なんじゃな」
口々に言っては床の上に座り込んでいく。
ちょっとだけ眠そうに目を擦り、口元に手をやり欠伸をしている。二人ともいつもどおりだ。様子を見ながらアヴェラは自分の顔がいつもよりも、スベスベしている気がした。
「なんだか肌の感じが違うような……」
「あっ、御兄様。あちらも目覚めのようですよ。良かったですね、ええ」
ヤトノの口調が普段よりも早い気がしたものの、それより祖父が気になるアヴェラはベッドの上を見やった。ジルジオが額に手をやり身を起こしている。
本の中で見たような若い姿ではなく、もちろん白髪の五十代として本来の姿だ。しかし、呪いに倒れる前とは違って眼差しは鋭く顔には覇気が宿っていた。
「ふっ、ふはははっ! 何やら気分爽快といったところである」
「元気そうで何よりです」
「若かりし頃を思い出したのである、やりたい事がまだまだ沢山ある。年老いてなんぞ、いられるものか。アヴェラよ、お前の言う通り儂は好きに生きるぞ。そして八十や九十まで生きて、お前の子や孫の顔までみてくれる」
「そうですね長生きして下さい」
アヴェラは素直に微笑んでみせた。
そしてサイドテーブルに置かれた本を見やった。この呪われた本によってジルジオの命が危険に晒されたものの、しかし結果としては良い状態となった。これは感謝せねばならないだろう。
「この本のお陰か。魔王も喜んで満足して、呪いも解かれて良かったよ」
「いえ、別にそれで呪いが消えたりしませんけど」
ヤトノはあっさり否定した。
「言いましたでしょう。呪いはそんなに甘くないと。何百年物の呪いが、言葉一つで変化するほど世の中甘くありませんよ。さっさと祓って終わりましょう」
「身も蓋もない」
「そんなものですよ。では、ちょいさー」
ヤトノが腕を振り下ろし、白い上着の袖が表紙を叩いた途端に本から甲高い悲鳴が響き、銀鎖が弾け飛んで消滅した。あの魔王が完全に消滅したのだろう。何となく哀れな気がする。
様子を見ていたジルジオが眉を寄せた。
「今のは何をしたのであるか?」
「呪いを祓っただけですよ。ヤトノが触ると、呪いなんて簡単に消えますから」
「…………」
ちょっと得意そうなアヴェラの前で、ジルジオは大きく目を見開いた。それからヤトノを、次に呪いの消えた本へと視線を巡らせ、またアヴェラへと戻った。
急に真摯な顔となって諭すように告げる。
「アヴェラや、この事は決して誰にも言ってはいけないのである。この事は、この場に居る者だけの秘密とするのであるぞ」
「えっと、もうコンラッド商会の会頭さんが知ってますけど」
「むっ……コンラッド、噂に聞く男であるな。ふぅむ、噂通りの人物であれば問題ないのであるがどうしたものか」
「時々呪いを祓って報酬を貰ってますけど、必要以上には頼まれませんよ」
「そうであるか」
ジルジオは自分の顎に手をやり、思案するように擦った。
窓の外から明るい日射しが差し込み穏やかな風も吹き寄せている。どこかで薪を割る規則正しい音が聞こえていた。恐らくはジルジオの笑い声が聞こえたのだろう、屋敷の中で慌ただしく動く音や、歓声のような声まで聞こえている。
「いずれ釘を刺しておくとしよう。だが、その前によく聞きなさい」
「はい?」
「呪いが無効化できることは、とにかく隠しておいた方が良いのである。それを使うなとは言わぬ。使いようによっては、とても役に立つだろう。だが、良からぬ者に知られては面倒になるのも事実」
「…………」
「お前が誰かの下らない思惑に巻き込まれる必要などない。たかが呪いを弾ける程度のことで、お前の人生を台無しにすることはないのである」
「はい」
「おっと、その前に言うべき言葉があったな」
ジルジオは優しげに微笑む。柔らかく穏やかで慈しむような様子だ。
「ありがとうアヴェラよ、儂を救いに来てくれて。とても嬉しかったのであるし、とても楽しい時が過ごせたのである。お前は最高の孫だよ」
そっと伸びてきた手が、アヴェラの手をとった。本の中とは違う年寄りの手になっている。しかし、そこに宿る力強さは些かも変わらない。頼もしく暖かく優しく心強いものだ。
ぎゅっと握りしめられる手の暖かみ。
そこに祖父という存在が強く宿っている。
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