第121話 ふりさけみれば洞窟になる
景色が変わった。
辺りは陰鬱さの漂う農村から、今度はもっと暗さのある暗雲立ち込める鬱蒼とした森だ。そして目の前には紫色を帯びた沼地がある。何か泡がポコポコして、酸っぱいような臭いが漂っている。さながら毒の沼だ。
「何これ恐い! 景色がいきなり変わりよった!」
「はて? さっきまでの建物とか、どうなったのだろう」
「ここはどこなんじゃ。わーかーらーぬー!」
「落ち着こうよ。深呼吸だよ深呼吸。はい、一緒に吸ってー、吐いてー」
二人並んで大きく息を吸い、大きく息を吸っては吐くノエルとイクシマとは別に、アヴェラは静かに前を見つめていた。
目の前の沼地。
その中央に、これ見よがしに岩の塊があって洞窟のように大きな穴が空いている。何かがあるのは間違いなく、要するにそこに進めという事なのだろう。
「ねえ、アヴェラ君ってば。これどうなってるの」
「だから言っただろ、次のシーンに行くと。ここが次のシーンなんだ」
「……? ごめん分かんない」
「ここは本の中だ。だから場面が切り替わったというわけさ」
「転送魔方陣みたいな感じ?」
「あれは転送装置の空間跳躍みたいなもので、こっちは頁をめくっての、空間そのものの変更だから似て非なるものだと思う」
「ますます分かんない」
ノエルは頭を傾け腕組みして困った様子だ。
しかし、この世界には転送魔方陣こそあれど、そうした瞬間移動に対する認知は殆んどないため仕方がない。知識どころか概念すら乏しければ、混乱して当然だろう。
「よーし、我は理解したぞ。考えるのではない理解するのじゃって」
「こいつ意外に逞しいな」
「お主とおれば、嫌でもそうなるってもんじゃろが」
「さよか」
「これから先もお主とおれば、いろいろあるのであろう。我がこうして、理解してやる努力をするしかないではないか。分かったら、少しなりと感謝の意を示してはどうじゃ」
イクシマは偉そうに言ってふんぞり返ってみせた。しかし、その時にはアヴェラはノエルを伴い沼地の浅瀬を歩いている。
「おい、ぼさっとするな。置いてくぞ」
「ちょっとは聞けよおおおっ!」
吼えたイクシマは小走りで追いかけ、アヴェラに蹴りを入れた。蹌踉めいたアヴェラに押され、ノエルは運悪くバランスを崩し毒々しい色の沼に倒れ込んだ。とりあえず毒はなかった。
「このエルフときたら、本当に凶暴だ」
ぼやいたアヴェラは顔をしかめた。思ったよりも痛かったが、イクシマときたら少しも反省したところがない。あえて目線を合わせないままノエルに引っ付いている。
「ノエルよ大丈夫なんか?」
「うん、ありがとう。でも便利だよね、想像して服を替えれば綺麗になるんだからさ」
本の中では自分の想像する通り服を替えられる。それを利用し、ノエルは汚れた服をあっさりと替えてしまった。しかも元より少し改良しているぐらいだ。すっかり使いこなしている。
アヴェラは軽く息を吐いた。
「まあいい、とにかく爺様を探そう」
「私、思うけど。どんどん次の頁に進んだ方がさ、いいんじゃないかな」
「それもそうだよな。こんな泥沼の場所なんて面倒だし。次のシーンに進むか」
「賛成」
ノエルが手を挙げ、まだ不機嫌そうなイクシマを招いて輪になって手を握った。準備が整ったところでアヴェラは集中。意識の中で頁を捲った。
だが、何も変わらない。
先程とまったく同じやり方をしているものの、いくら念じてみても、沼地の中で手を繋いだまま立っているだけだ。他に誰もいないので良いが、傍から見れば随分と間抜けな光景に違いない。
「おかしいな、上手く行かないぞ」
「なんでだろね。もしかするとだけどさ、移動できない理由でもあるのかも」
「なるほど、条件があるのかもしれないな」
手を離し考え込むアヴェラの裾を引っ張り、イクシマは前方を指し示した。とりあえず機嫌は直ったようだが、もしかすると不機嫌なフリをしていただけかもしれない。
「我が思うに、あの洞窟に行けって事でないんか」
「なるほど。確かに、これ見よがしにあるものな。イクシマの言う通りか」
「分かったら、早いとこ行くのじゃって」
あまり泥の上を移動したくない。
毒が無いことはノエルのおかげで分かっているが、そもそも泥に足を突っ込みたいと思わないのが普通だろう。
アヴェラは慎重に歩きだした。
足元注意で、若干生えている丈の短い草の根元を踏みながら進んでいく。もちろんノエルが運悪く足を滑らしそうになるのを支え、助け合いながらだ。
この本の描写のせいなのか、それとも仕様のせいなのか、均一な作り物めいた沼地だ。そのため少し慣れれば、どこを踏めば良いのか分かって歩きやすい。
ペースをあげ進んでいく。
「むっ、ちょっと待てい! なんぞ聞こえよる」
言ってイクシマは足を止め、軽く目を閉ざし耳を澄ませた。エルフなだけに聴覚は優れており、先の尖った耳を僅かに動かし音を拾っている。それが犬より猫っぽく見えるのは、普段の気ままな言動が原因かもしれない。
「これは……戦闘の音じゃな。場所は洞窟の中じゃ」
「どうやら先の頁に進まなくて正解だったな」
「少しは感謝の思いを示してもよかろうに」
「ありがとう。助かる」
「うゆ、こやつ時々素直になりよるから質が悪い」
変な声を出したイクシマは両手で頬を押さえている。それがにやけ顔を押さえる為と分かるのはノエルだけで、アヴェラはさっさと先に進んでいる。
「この洞窟か。灯りもないのに見通しが効くダンジョンだな」
「任せよ! どんどん進んで行こうではないか!」
「妙にやる気だな、こいつ」
「さあ戦闘ぞ。気を引き締めていけ」
沼地を脱したイクシマは先頭をきって洞窟へと飛び込んでいく。苦笑するノエルが追いかけていき、アヴェラは訝しみながら後を追った。
洞窟の中は奥に進んでも視界に問題はない。壁から天井までがゴツゴツとした岩肌となって、足元は土の地面で小石一つ落ちていない。
「作者の趣味か。どうやら洞窟を知らないらしいな」
言いながらアヴェラは走って行く。
今はもう金属が打ち合わされる戦闘の音が十分に聞こえ、足を速め走る。かちゃかちゃと腰の剣を鳴らし全力で進むが、しかしノエルの速度には追いつけない。
ほどなくして、広まった通路で行われる戦闘に遭遇した。
若い男が複数を相手に立ち回り、激しく剣を打合せ力強く戦っている。しかも相当な手練れで、黒い影のような相手を瞬く間に蹴散らしてしまった。
男は悠然と振り向くと、鋭い目を向けてきた。
圧倒的なまでの威圧感のある眼差しなのだが、それも一瞬のことだ。
「おおっ! もしやアヴェラではないか!」
たちまち破顔した。
「えっ、ひょっとして爺様です?」
「当たり前なのであるぞ!」
ジルジオは堂々と言った。
しかしアヴェラが直ぐに気付かなかったように、見た目が随分と違う。
髪は黒々として眼光鋭く顔に覇気があり、体つきは逞しく鍛えあげられたもの。猛将や勇将といった見た目で、単なる戦士ではなく将器を持った強者の風格がある。けれど猛々しいだけでなく、どこか茶目っ気があって、自然と周りに人が集まるようなカリスマがあった。
「その姿は……」
「なんだか分からぬが若返ったのだ。見るが良い、この儂の若かりし頃の姿を! どうだ格好いいだろう。若い、若いぞ! わーはははっ!!」
「…………」
「それより、お前の格好はなんであるか? 素晴らしい鎧であるな」
「えっ? 異世界……もとい異国風ですから」
「なるほど、なかなかに斬新で面白いな」
興味をひかれた様子のジルジオは、アヴェラの姿を観察している。助けに来た側としては、もう少し困っていて欲しかったと言うべきか、助けを求められるような雰囲気が欲しいところだった。
「ところで爺様は、ここで何をやってるんですか」
「うむ、この洞窟の中に姫が囚われているという事でな。ここの王に頼まれ救出に来たところなのである」
「状況は理解してます?」
「当然なのである。儂は本の中に取り込まれたのであろう。むむっ、そうなるとアヴェラも取り込まれたのであるか!? これは一大事!」
「大丈夫です。こちらはヤトノの力で送り込んで貰いましたが」
「ほう、そうであるか。流石はヤトノ姫であるな」
そしてジルジオからも状況を聞いた。
気付けばこの地にいて、母親と名乗る人物から十六歳になったからと王宮に突き出され、いきなり国王に勇者の子孫だからと難癖を付けられ、僅かな路銀で魔王の退治と姫の救出に放り出されたのだそうだ。
「まったく王者の風上にも置けぬ者なのである。娘を奪われただけでも情けないが、自ら兵を率いて奪還もせぬとは実に嘆かわしい。しかも個人に国家の大事を押し付けるなど、為政者としては全く不適当なのである」
「確かにそうですね」
言いながらアヴェラは、ここが本の中だから仕方がないと考えた。きっと主人公への動機付けや、不遇な中で活躍する展開を作者は狙っていたに違いない。物語というものは頭を空っぽにして勢いで読み楽しむものなので、不合理な部分を気にするのはナンセンスというものだ。
とはいえ、こうして本の中に引きずり込まれ、ストーリーを体験させられる側としては堪ったものではないのだが。
「えっとさ、お爺さんも見つけたのだし。そろそろ脱出しよっか」
「それもそうだな」
アヴェラは肯いた。
しかしそこに声が響いてくる。
(御兄様、御兄様……聞こえますか、御兄様)
「ヤトノか、そっちはどうだ」
(御兄様のお体……わたくしが大事にして……おります。何をしても無抵抗の御兄様……最高です……)
「ここから脱出したいが、早く出たくなってきたぞ」
(いえ簡単には出ら……れませんよ。読破です、読破をするのです)
「最後まで読まないと駄目なのか?」
(はい……それまで、わたくしは……様を堪能……)
そして声は聞こえなくなってしまった。
うきうきした声のヤトノの感じからすると、きっと普段なら出来ない事をしているに違いない。それが何かまでは、あまり具体的に考えない事にして、アヴェラは溜息交じりに洞窟の奥を見やった。
「この奥に進むしかないという事か。そうする爺様、行きますか」
「うむ、囚われた姫を救いだすのである!」
ジルジオは楽しげに、そして豪快に笑った。
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