第120話 体験型本は、みんなで楽しめます!

 その景色は薄暗かった。

 曇り空に太陽はなく灰色、目の前には濁った小川、対岸にあるのは古びた民家たち。庭木は立ち枯れたように枝を伸ばし、黒い鳥がとまっている。

「何か気味悪い場所だな」

 アヴェラは目の前の光景にぼやき、呪われた本の中なので当然と思った。

 ここに囚われた祖父の魂を救わんがため、ヤトノの力を借り中へと入り込んだのだが、いきなりの陰鬱な景色には少し戸惑ってしまう。

 しかも――。

「何も着てない。どうなってんだ」

 自分の体を見下ろせば、何も身に付けていない。

 服どころかヤスツナソードやスケサダダガーといった装備すらなく、これは魂だけを送り込まれたからに違いない。着る物を探すのなら対岸に行くしかないが、小川は跳び越すには少し幅広い。流石に素っ裸でジャンプをするのは宜しくない。

 少し下流にある簡素な丸木橋を渡るのが無難だろう。

「待てよ。そうなると、もしかして……」

 ふいに気付いて、アヴェラは身を強ばらせた。

 本の中に入るという経験に驚き、目の前の景色に見入って、すっかり同行者のことを失念していた。後ろで聞き慣れた声がする。もちろんノエルとイクシマだ。

「ノエルよ、お主! なんで何も着ておらんのじゃ!?」

「イクシマちゃんだって、同じなんだよ」

「そんなわけ……ってぇ、うわあああっ!」

 ついアヴェラが振り向いてしまったのは、致し方のない事であった。

 そこにはノエルとイクシマの姿があるが、もちろんアヴェラと同じ状態だ。二人とも呆然として立って、体を隠す素振りすらなく、真正面から全てが見えてしまう。

 どっちの胸も形良く立派で腰元に向けてのくびれも見事、太股から足にかけては肉感的であるし足の間の茂みは薄く淡い。年頃な体つきは穢れを知らぬ美しさがある上に、滑らかな肌と相まって見事なまでに綺麗だ。

 相手を見る時、相手もまたこちらを見るのだ。

 二人がアヴェラに気付くが、揃って視線が下方に向けられ大きく見開かれた。ノエルは目が大きく見開き口を丸く開け、イクシマも似たようなものだが口を戦慄かせている。

「お主、お主……はっ、破廉恥じゃああああっ!」

 その大声で黒い鳥たちが一斉に飛びたつと、まるで文句を言うかのように、上空を旋回し嫌な声で鳴きまくる。

 何とも不安な幕開けであった。


「別にその、お主に見られても構わぬのじゃが。こういうのは、あれじゃあれ。つまり何と言うか、心構えのようなものがいるわけじゃって。そういうの分かるじゃろ」

「うん、仕方ないよね」

 背中越しの声は、とりあえずそうした結論に達したらしい。

「心構えが出来たという事で振り向いても?」

「まだ出来とらん! と言うか、お主なー。もそっと女心を考えぬか」

「さようですか」

「とにかくじゃ、とーにーかーく。これからどうするんじゃ」

「あの家に行って服を探すしかないか……」

 ここが本の中という事を考えれば、ゲームの中のように勝手に箪笥やツボを探っても良いかもしれない。何にせよ何が起きるかは分からないのだから、服だけでなく武器なども手に入れたいところだ。

「えっとさ、そうなると歩いて行くわけだよね。つまり何も着てない状態で」

「そういえば前に、ほぼ全裸で走ってたのがいたな」

「なんですかそれは。あれは仕方ない状況だったんですよ、もうっ」

 気を紛らわすための雑談をしていると、どこからか声が響いてきた。

(……聞こえますか……聞こえますか……御兄様……わたくしは良妹にして賢妹の御兄様を慕うヤトノです……今……本の外から呼びかけています……)

 間違いなくヤトノの声だが、しかしそれは耳に聞こえるものではない。

「こいつ脳内に直接」

(はい?)

「なんでもない。それより、この状況はどうなってるんだ」

(そこは……本の中です……御兄様たちは登場人物として……ではありません……だから……服などは描写されていませんので……だから、ないのです)

「だったら、他の登場人物を倒して服を奪うしかないか」

(さすが御兄様、そのサラッと出る邪悪なところが素敵!)

 急にヤトノの声が強まり、辺りの景色が軋むように揺らいだ。

 厄神の力が強すぎるためヤトノは中に入らない事にしたのだが、しかし圧をかけただけでこの状態だ。その判断は正解だったに違いない。

(申し訳ありません……とりあえず……そこは本の中……全ては想像です。想像こそが……全てなのです……描写するように思い描きましょう)

「なるほど、どんな服でも装備でもいいのか。だったら」

 アヴェラは目を閉じ念じた。

 どうせなら格好良い鎧を身に着けたい。前世の人生でコスプレをした事はなかったが、さりとて興味が皆無だったというわけではないのだ。

 気付けば白銀色の鎧を身に纏っている。

 現実であれば重量過多で動けなくなりそうな重装備だが、さすがに本の中という非現実世界であるせいか、さして重くはない。

「えっとさ、それ凄い鎧だね」

「格好いいだろ」

 ちらりと振り向くと、しゃがみ込んだノエルが胸を隠す仕草をしながら見上げている。強調された溢れんばかりのマシュマロ感が凄かった。しかも両膝の間が際どさときたら、これまた凄かった。


 つい見とれてしまうと、なぜかイクシマが目を怒らせている。そちらもそちらで何とも言えず、しかも以前に見られているせいか隠す素振りはあんまりない。

「お主ぃー! どこを見ておるんじゃあああっ!」

「具体的に言うのか?」

「なっ、そ、その……言う必要はないぞ。我はその乙女であるがゆえ恥ずかしいわけで……しかし、お主が我を見たいと言うのであれば……ってぇ! なんで後ろ向いてんじゃあああっ!」

 折角アヴェラが紳士的対応をしたというのに、イクシマはお怒りであった。どうやら素っ裸で地団駄を踏んでいるらしく、ノエルが宥めている。

「まあまあ落ち着こうよ。とにかくさ、服を着なきゃだよ」

「むっ、まあ確かに」

「でも想像すれば、どんな服も着られるなんて楽しみだよね」

「むっ、それは楽しみよのう」

 再び対岸の家を眺めるアヴェラの背後で、二人はいろいろと試しているようだ。聞こえてくる声からすると、色まで指定して小まめに変えているようで、この状況を完全に楽しんでいる。

 何にせよ時間がかかる。

 爺様を助けに行きたいアヴェラとしては少し急かしたいところだ。

「準備はどうなんだ?」

「もそっと待てい。お主みたいに簡単には決まらんのじゃ」

「動きやすい服にしてくれよ」

「小煩い奴じゃのう。よっし、我らも準備完了じゃ!」

「やっとか」

 安心して振り向くと、残念な事に二人とも着衣の状態であった。

 ノエルは白にピンクを重ねた服に、体のあちこちを金属のパーツが覆っていた。もちろん腰元には意匠の施された剣がある。

 イクシマは白い上着に青いキュロットパンツで赤い帯を巻き、手には先端に球の付いたバトルスタッフを持っていた。どことなく和風を感じさせるのは、あのエルフの里の文化汚染のせいに違いない。

「何か言う事はないんか?」

「ちゃんと、動きやすそうな服でよかった」

「お主って奴はのう、そういうとこが良くないんじゃぞ。もそっと気を使えい!」

「怒りエルフがうるさいな」

「勝手に名付けんなあああっ!」

 叫ぶ姿からすると、吼えエルフと名付けた方が良かったかもしれない。

 ノエルが笑って宥め、対岸の小屋を指し示してみせた。

「待たせてごめんね。それじゃあ、行ってみよっか。あっ、でもアヴェラ君てば武器がないよ。何が出るか分からないから武器を用意しなきゃ」

「武器か。確かに武器が必要だな。何でも良いとなると、あれしかないな」

 思い浮かべるのは前世の銃火器だ。

 未開文明と一方的に決め付けた剣と魔法の世界に対し、補給と整備が無視された精密機械の銃器で蹂躙するのであれば今しかない。

 そしてアヴェラの想像により――剣が現れた。

 手の中に現れたのは、どう見てもヤスツナソードだ。思わず柄を握れば、普段通りの感触と、頼りになるズシッとした重量感が伝わってくる。


「お主、その剣がどんだけ好きなん?」

「そんなつもりはなかったが」

「折角の機会なんじゃ、ちっとは別の武器を使ってもよかろうに」

「いや、そうじゃなくて……」

 全く想像すらしていなかったヤスツナソードの出現にアヴェラは戸惑った。

 優美で見事な輝きに冴え冴えとした刃は、完全に現実世界で使用していたものと同じだ。ふと思ったのは、これはもしかすると本物ではないかという事だ。

「そうなると剣に魂があるという事になる? まさかそんなはずは……」

 アヴェラは乾いた笑いを短くあげた。少し前にヤスツナソードを紛失した際、確かに剣が自らの意志でモンスターを操り戻って来た事を思い出したのだ。

「まあ、心強いからいいか」

「さっきからどうしたの?」

「なんでもない。さて、先に進むとするか」

 そう応え歩きだすのだが、なぜか丸木橋を渡るところで透明な壁のようなものに邪魔され進めなくなる。試しにイクシマがバトルスタッフを叩き付けると跳ね返された。代わりにアヴェラがヤスツナソードで斬り付けると、ようやく手応えがあって目に見えぬ何かを斬り裂く事ができた。

(御兄様、御兄様……お待ち下さい)

 またしてもヤトノの声が聞こえてきた。

(服と装備の獲得、お疲れ様でした……剣の分際でわたくしを差し置いて御兄様の元に……なんて卑怯な許せません……)

「用事が無いなら先に進むぞ」

(申し訳ありませんが……その先はノドの……余白で……す)

「なんだって?」

(ノドとは本を綴じ……る……部分なのです)

「意味は分からんが理解した。ここを行くのはダメなんだな」

(流石は御兄様……です)

 ヤトノの声は途切れ途切れで聞き取りづらい。

 それでも一生懸命に伝えてくれている事は分かった。

(その中は……普通に動く……場所で……ありません……移動するには……頁を……捲る……のです……頁です……頁を……捲るのです……)

 途切れ途切れだった声は、ついに途切れてしまった。

 先の進み方を理解したアヴェラは、何とも言えない気分であった。

「本の中に入りたいと思った日もあったが、まさかこんな日が来るとはな」

「なあ、これ結局どうするんじゃって」

「ヤトノの言う通り、頁をめくる」

「頁をめくる?」

「さあ離ればなれにならないように手を繋ごう。次のシーンに移動するぞ」

 差し出される手に、ノエルとイクシマは戸惑うばかり。何が何やら分からないものの、結局は信頼の方が勝ったらしい。そっと手を掴み身を寄せてくる。

 そしてアヴェラは頁をめくった。

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