第119話 呪いのプロにお任せを

 問題となった魔本について使用人たちに確認すれば、暗殺者であった侍女が来た頃から見かけたと判明した。つまり暗殺は二段構えだったという事だ。

「さてどうするか……」

 アヴェラは口元に手をやり、ベッドに横たえられた祖父を見やった。

 呪いを解除するとなれば、高位の魔術師か教会の聖職者に依頼し祓って貰うことが一般的だ。しかし依頼料が極めて高額であるし、必ずしも成功するとは限らない。

「じゃっどん、どうするもこうするも教会で解呪して貰うしかなかろうが」

「その解呪に運が影響するなら、私は関わらない方がいいのかな」

「むむっ、ノエルよ。そこまで心配せんでもよかろうと、我は思うぞ」

「そうかな。でも、念の為ってこともあるからさ。やっぱり離れておくね、うん」

 ノエルとイクシマは真面目な顔で、揃って同じ姿勢で腕を組む。

 身長差はあるし、瞳の色は浅葱と金、髪の色は黒と金と全く違う。何より種族が違うが、なんとも仲良し姉妹のような風情がある二人だった。

 その会話を横に、アヴェラは天井を仰いだ。

「普通に考えれば……そうだよな、教会に頼むしかないな」

「うむ。たっぷり金を取られるとは聞いておるが、それはさておき引き受けてくれるかは別らしいぞ。頼める伝手はあるんか?」

「そこは大丈夫、司祭のアンドン様と知り合いなんだ。遊びに行くとな、態々大急ぎで出迎えてくれるぐらいだ。お願いすれば快く引き受けてくれるはずだ」

「おおっ、それは凄いではないかー! これでもう解決じゃな」

 見張らしの良い窓の側にベッドが置かれ、リネンの寝具セットにジルジオは寝かされている。見た限りは健やかに寝ている様子だが、その魂はベッドサイドに置かれた魔本に囚われている。

 室内は人払いがされており、最も忠実な家令ですらここにはいない。

 呪いを何とかするという事で、アヴェラとヤトノ、そしてノエルとイクシマというメンバーだけだ。

「でもさ、アヴェラ君が迷ってるってことは。何か理由があるってこと?」

「その通りなんだよな。流石にノエルは分かってる」

「あははっ、私が素直じゃないだけだよ、うん」

 ノエルは軽く笑い、照れた様子で頭に手をやった。


「実を言うと、教会の解呪も絶対に上手くいくとは限らないらしいんだ。時には失敗してしまって、それで失敗した時は呪われた品は消滅するらしい」

 前にコンラッドから聞いた話では、そういった話だった。だからこそ、何のリスクもなく簡単に呪いを弾いて祓えるヤトノの存在は貴重なのである。

「なるほど、消えちゃうってことは……今回の場合はどうなるのかな」

「そこが気になるんだ」

 ジルジオの魂は本の中に囚われている。その本が消滅すれば解放されるのか、それとも一緒に消滅するのか。それは全く不明だ。

 小さく頷いたアヴェラは、傍らのヤトノに目を向けた。

 窓際で外を眺め、暇そうに小さく欠伸をして口元に手を当てた様子は、ただの可愛らしい女の子だ。しかし、このヤトノは人間ではなく厄神の分霊である。そして厄神は呪いの大元のような存在となる。

 視線に気付いたヤトノはにっこり笑った。それこそ天使のように。

「はい、それはもう簡単な答えです。失敗して品が消滅するのですから、もちろん囚われた魂も同じ運命を辿って消え去ります」

「そうだと思った。ちなみに、これを教会で解呪できそうかな?」

「はいはい、この魔本の呪いの具合ですと……とても捻れて捻くれて熟成された呪いですから。よほどの力でないと無理でしょうね。少なくとも、あの司祭めでは難しいのではないでしょうか」

 呪われた魔本は台に載せられている。

 豪華な装丁をされた書物は、添えられた細い銀鎖が良いアクセントになって美しく見事な逸品だ。これまで、どれだけの魂が囚われてきたかは不明だが、少なくとも見た目からは呪われているとは誰も思わないだろう。

「どうするかな……呪いの対処か。そうだな……まてよ、そもそも呪いってのは何なんだ? ヤトノは知っているのか」

「うふふっ、わたくし御兄様に頼られています。最高です」

 たちまちヤトノは眼を輝かせ、そして大喜びでやってきてアヴェラに抱きつき頬ずりをした。アヴェラの役に立てる事がひたすら嬉しいのだ。

「そもそも呪いとは情念になります。そして誰かが抱いた強い想い、それが作用し何かに宿り張り付いたものが呪われた状態と言えます」

「誰かの想いが作用するとか、なんだか魔法に似ているな」

「流石は御兄様! 素晴らしい洞察力ですわ」

「魔法と同じなのか?」

「同じではありませんが、かなり近いですね。魔法は神たちが自らの認知を得るため、人の想いに力を貸し与え発現させたものです。しかし呪いは概ね、人の想いだけで生じてます。さてさて、この意味がお分かりになりますか?」

 満面の良い笑みをしたヤトノは見るからにウキウキした様子だ。もちろん厄神の一部であるため、こうした時はだいたい碌でもない事だと皆が分かっている。


「なんとなーく、なんじゃが。我はものっそい嫌な予感がしよる」

「うん、私も同じ予感がするんだけど」

「絶対ヤバイ内容なんじゃって、これ」

「間違いないよね」

 ヒソヒソしながら顔を見合わせ話を聞きたくなさそうな二人に対し、ヤトノは不満そうに軽く頬を膨らませ、しかし直ぐに満面の笑顔で抱きついたままのアヴェラを見上げた。しかも、甘えるように上目遣いをするぐらいだ。

「知りたいですよね、知りたいですよね。御兄様は知りたいですよね」

「そうだな、知りたい」

 あっさりアヴェラが頷くと、イクシマは両手を力一杯に振り下げた。

「阿呆おおおっ! そこでどうして頷くん?」

「ううっ、私は聞きたくないんだけど」

 ノエルは耳を押さえているが、しかし実際のところは好奇心が抑えきれないらしい。耳を完全に押さえるには至っていなかった。

 よって、ヤトノは満足そうだ。

「つまりですね、本当は魔法に神の力なんて必要ないのですよ。人だけでも強い強い想いがあれば魔法が使えてしまうのです。もちろん奇跡だって同じです。でも、これは神と呼ばれる存在としては絶対知られたくない事ですから。他では言ってはいけませんよ。だって自分たちの存在にすら関わりますからね」

「やっぱりいいいっ! 知りとうなかった、そんな話とか」

 イクシマは半泣き顔になったが、直ぐに口を尖らせだした。

「と言うかなー。なんで知ってはいかんような話とかするん? そういうこと迂闊に言うなよー! 困るんじゃろって!」

「えっ? だって内緒の事って喋りたくなるじゃないですか」

「それ我らも同じと思わんか?」

「……ふむ、それもそうかもしれませんね」

 目線を上にやって軽く考えたヤトノだったが、納得したように何度か頷いた。それに合わせ黒い髪と、白い飾りの紐が揺れている。

「でも我慢して喋らないようにして下さいね。もし喋れば……」

「ど、どうなるんじゃって。まさか空から雷でも落ちるんか?」

「この大陸が消滅します」

「そんなん話すんなよおおおっ! 聞きとうなかったああああっ!」

「まあっ、なんて騒々しい。御兄様の血縁者が寝ているのですよ。少しは静かになさい。ほんっと、細かい配慮のできない小娘ですね」

「配慮がないとか、あと小娘とか! その口で言うなあああっ!」

 辺りにイクシマの叫びが響き渡れば、ヤトノは迷惑そうに顔をしかめるばかり。神官着のような白衣装でちょこんと立つ姿は、少しも悪びれたところがなかった。


「まあ、いいじゃないか。他で話さなければ問題ないのだろ。ここでの会話は他には聞こえないようにしているようだからな」

「そうですよね。流石は御兄様、分かってらっしゃいます」

 アヴェラにしがみつき纏わり付くヤトノは、その背後から顔を出しイクシマに対し小さく紅い舌を出してみせた。やや挑発気味だ。

「こやつ、やたらと小姑に甘い」

「失礼ですね。そこは信頼関係と言って下さい、信頼関係と」

「ふんっ」

「ふふん」

 同じような言葉でも、ほんの少しの違いで随分と違う。

 ふて腐れ気味のイクシマに対しヤトノが得意げな顔をすれば、またしても威嚇しあいそうになり――間にノエルが入って宥めている。

 まるで幼い妹たちを宥めるような様子だ。随分と手慣れているので、きっと育った村では、そんな事をしていたに違いない。

 アヴェラは悩んだままだ。

「呪いが何かは分かった。この本も誰かの情念が宿ったものという事なら、その情念をどうにかすれば呪いは解けるか、解けやすくなるかな」

「なるほど、それ良い考えだよね。でもさ、どんな情念かなんて分かんないよ」

「そこなんだよな」

「困ったよね」

「うーん、はてさて」

 アヴェラが悩めば、ヤトノは長い白袖ごと両手を合わせ満面の笑みを浮かべた。少し得意そうで嬉しそうで、張り切った様子である。

「それでしたら分かりますよ」

「ん?」

「わたくしの本体は呪いの本家本元、この本に宿った呪い程度など簡単に分かってしまうのです」

「ほう……」

 だったら早く言え、そう口にしなかった代わりにアヴェラは声を低くした。

 しかしヤトノは気付いていない。

「どうやらですね、一生懸命書いたのに少しも読んで貰えず。それどころか批判されて貶されてしまい、この本を読んで評価して貰いたいという想いのようです」

「妙に具体的で生々しいが……それなら、この本を読めば呪いは何とかなるかな」

「はい? 別に本を読んでも何ともなりませんよ」

 あっさり否定されたアヴェラは眉を寄せた。

「なんでだ。今の話の流れからすると、何とかなりそうだが」

「呪いですよ呪い。ドロドロして怨念渦巻いているのですよ。満足したから消えるとか、そんな甘いものではありませんよ」

「だったら、どうすればいいんだ」

「囚われた魂と同じく、この本という世界の中に入って探せばいいのです。この程度の呪いなど、わたくしにとっては児戯に等しきもの。無理にこじ開け中に入るなど、とっても簡単なのです」

「…………」

 アヴェラは無言で拳骨を落とした。

「何故です!?」

 目尻に涙さえうかべ、ヤトノは声をあげた。その様子ときたら、褒めて貰えると信じていたところを怒られた子供のようである。両手を頭にやって、眼をわななかせているぐらいだ。

 イクシマはニカッと笑って、ノエルは困り笑いの顔で呆れ気味だった。

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