第118話 格好良くて素敵なお爺さん

「そうか海辺のフィールドにまで行ってくれたのか。苦労をかけたのである」

 ジルジオは穏やかに言って頷いた。

 邸宅の中は全く静かで、暗殺騒動があったなどとは誰も思わない平静さだ。しかし使用人たちの目付きが鋭く厳しげである事だけは隠せていない。

 だが、アヴェラにとっては関係のない事だ。

「なかなか海水浴には良さげな海辺でした」

「海水浴とな?」

「えーっと、つまり海で泳いで遊ぶという意味です」

「最近はそのようなものが流行っておるのか。ふむ、面白いものであるな」

 邸宅に戻ったアヴェラの報告に、ジルジオは顎を擦り何度か頷いた。どうにも勘違いをされてしまったが、わざわざ訂正するほどの事ではなかった。

「まあ良かろう。怪我はなかったであるか?」

「なかなか手強い相手でしたけど、軽く肩を斬られた程度ですね」

「なんと! 傷を負ったのであるか」

 ジルジオは目を見開いた。顔の横で手を強く打ち鳴らす。

「誰ぞ最高品質のポーションを持て! いや待てハイポーションだ!」

「とっくに治療済みですけど」

「馬鹿者ぉ! 怪我を軽く見るでない。いや待て、暗殺者の刃ならば毒が塗られてもおる。毒消しは使ったのか? なに!? 使っておらぬだと。ええいっ、毒消しも持って参れ! もちろん最高グレードの毒消しであるのだぞ」

 ジルジオの鋭い声に邸宅内がばたばたする。

 たちまち使用人たちが部屋に駆け込み、テーブルの上に高価な薬品類を並べていく。どれもこれも見るからに高品質の品で、しかも量がとんでもない。

 積み上げられた品々にアヴェラは呆れてしまった。

「いりませんって」

「文句を言うな、爺の気持ちなのである。浴びるほど飲め、いや待てポーション風呂を用意させるべきであるな」

「だーかーらー、いりませんって」

 アヴェラとジルジオは不毛な言い合いをするのだが、一緒に来たノエルとイクシマは少し控えた場所で顔を見あわせている。

「えっとさ、アヴェラ君のお爺さんって何者なんだろ?」

「我が思うに、普通でないのは間違いなかろって。たとえばじゃな、あそこに飾られた木の箱を見るがよい」

「黒い箱の?」

「うむ。あれは間違いなく、我らがエルフの一流職人の手によるものじゃな。里でも希少で高価な品なんじゃって。ましてや、ここアルストルの地であれば、どれだけ貴重なことか」

「えっ、そうなんだ」

 ひそひそ小声で話し合う二人にジルジオが目を向けた。ようやくアヴェラが折れて、ハイポーションと毒消しを飲むことにしたのだ。

「お嬢さん方、お初にお目にかかる。儂はアヴェラの祖父のジルジオである」

「むっ、我はアヴェラの仲間のイクシマである」

 反応したイクシマは堂々と言って目線を合わせ、それから不敵な笑みをみせた。これに対しジルジオは楽しそうに顔を綻ばせ頷き、視線を隣に向ける。

 ノエルは明らかに緊張しているが、しかしイクシマに小突かれ渋々続けた。

「私はアヴェラ君の仲間のノエルです、はい」

「ほうっ、ノエルとな? ああ、気にしなくてよいよい。別に変な意味ではない、知り合いに同じ名前がおっただけなのである」

「そうなのですか」

「そうなのである」

 ジルジオは茶目っ気たっぷりに笑って見せる。それから改めてノエルとイクシマを眺めた。少ししてアヴェラに向かってニヤリと笑った。


「アヴェラよ。やるではないか、なかなか良い娘さんたちを仲間にしておる」

「頼れて信用できる仲間ですよ」

「ああ、その通り。仲間に求める最も重要なことは信用である、うむ。だが侍女の中に不埒者がおった儂が言っても説得力はないのであるがな。わーはははっ!」

「その件ですけど、あの侍女はどこで雇いました?」

「あれか。斡旋所の中でも、とりわけしっかりした紹介であるな」

 さすがに苦虫を噛み潰したような顔でジルジオは言った。

 侍女などの使用人は家系として代々仕える者だけでなく、外部から雇われる場合もある。そうした場合は、斡旋場が身辺調査を行い身元保証をするのだが、そこで徹底的な調査などを行っているはずだ。

 それを潜りぬけた暗殺者の方が上手だったとはいえ大問題だろう。言ってみれば雇用における根幹的な部分を揺るがす事態なのだから。

「相手が相手ですから、あまり斡旋所を責めないであげて下さい」

「アヴェラは優しい事を言うのである」

「こんな想定外の事で、仕事の責任を取らされるのが気の毒に思えて」

「ふむ、これは優しいのではなく甘いであるな」

 ジルジオは顎に手をやり、にやりと笑った。

 そこには窺い知れぬ経験と知識が存在し、老獪という表現が最適だ。

「よいかな。仕事として行う以上は、起きた事には責任が伴う。たとえそれが己の想定せぬ出来事であったとしてもだ。然るに、その責任の所在を曖昧にしては、全てがいい加減になってしまう」

「それはそうですが……」

 アヴェラは前世の自分を思い出し表情を曇らせた。勤め人として様々な理不尽に遭遇し、そこで必要も無い責任をとらされ悔しい思いを何度もしていた。だから、斡旋所の担当者を気の毒に思うのだ。

 しかしジルジオは微笑ましそうな顔をする。

「責任を取らせた上で、次をまた任せてやらせればいい。そうすれば相手は感謝しつつ、全力を尽くしてくるであろう」

「……なるほど、確かにそうですね」

「しかしそれで許されたと思い、こちらを甘くみて手を抜いてくる愚か者もおる。その相手だけではなく、それを見ていた周囲もであるがな。そうやって人を見極めていくものである」

「はぁ……」

 まるで敏腕悪辣な経営者のようだと、アヴェラは祖父に対する印象を変えた。

 前世でみた社会生活を思い返してみるが、これだけの人物はいなかったように思える。やはり、この祖父は何者なのだろうかと不思議だ。


「なんと言うか、爺様って商会でも運営してました? そんな感じですね」

「なに……?」

 ジルジオはマジマジとアヴェラを見つめた。

 まるで何を言っているのか、皆目見当もつかないといった様子だ。

「アヴェラよ、お前はひょっとして何も知らぬのか?」

「知らないとは、何が?」

「この格好良くも素敵なお爺さんの、素晴らしくも華々しい経歴とかである」

「知りませんよ」

「なんとまあ……自分の生まれに関わる事ではないか」

 目を瞬かせる祖父の前でアヴェラは肩を竦めた。

「まあ多少の興味はありますけどね。怪しい素性で危ない事をしてないかとか、そういった心配程度の興味ですけど」

「あっさりしておって、ちと寂しい」

「だって爺様は爺様だから。遊びに行くと喜んでくれて、それで美味いものを食べさせてくれる。ときどきプレゼントと一緒に嬉しい気分をくれる。そういうのが大事だから、それで充分かな」

「ふうん……」

 ジルジオは何やら感心した様子で自分の顎を擦った。しばし天井を見上げ微笑み、ややあって苦笑に変わるのだが、どこか嬉しそうである。それも心の底からだ。

「どれ、アヴェラの喜びそうなものでも、何かやろうかね」

「嬉しいな。催促しないフリをして催促してみるものだ」

「わーはははっ! こやつめ言いよるわ」

 ジルジオは大笑しつつ壁一面の棚を見やった。

「どれどれ、丁度良い品があったような」

 そこには様々な品が並ぶ。砂時計があれば陶器の皿もあり、異国情緒漂う木彫りの熊や綺麗なガラス質の石、精緻な彫物のされたイコンや小さな小さな風景画などもあって、どれも丁寧に並べられている。そして残りの棚には本が詰め込まれていた。

 本というものは知識や情報を伝達するもので、そうした極めて貴重な内容に相応しい豪華な装丁がなされる。そのためどれも分厚く頑丈そうで、人が殴り倒せそうなほどの代物になっていた。

 数ある本を眺めるジルジオは、その中の一冊に目を留めた。

「おっと、こいつは何の本であったかな。覚えのない本であるな」

 ジルジオは背表紙に指をかけ本を抜き出した。それは青革に金箔による騎士の紋章をあしらった豪華な本で、そこに細い銀鎖がかけられている。


 とした、アヴェラは眼を見開き椅子を倒し立ち上がった。

「爺様、その本を捨ててください! 今すぐに!」

「なんであるか?」

「あっ」

 アヴェラが声をあげた時には、ジルジオは銀鎖を解いていた。

 本が勝手に開きページの間から黒い触手が素早く伸び、それはジルジオの身体へと突き刺さった。身体から半透明の塊が引き出され、黒い触手と共に本の中へと消えていった。

 本が落下する。

 力を失ったジルジオの体がくずおれ、倒れるところをアヴェラが受け止めた。

「爺様? しっかり」

 頬を叩いても反応がない。完全に力が抜けきった状態に、一瞬最悪の想像をしてしまう。だが、冷静になって確認すれば、僅かな呼吸がある。どうやら意識がないだけだ。

 アヴェラの襟元から白蛇ヤトノが這い出てくると、床に転がる本を見やる。

「ふむ、これは呪われた本ですね」

「やっぱり魔本か。それならヤトノの力で祓えるよな」

「それはもちろんです。ですけど、わたくしがこの呪いを祓うと同時に、取り込まれている魂も粉々になってしまいますね」

 確かにヤトノが呪いを祓う方法は、厄神という最大の呪いをぶつける事で他の呪いを弾き飛ばすものだ。毒をもって毒を制する方法なのだから、そこまで都合はよくなくて当然だった。

 異常に気付いた使用人たちが駆け付けるが、さすがに今度はアヴェラを疑う様子はない。しかし連続しておきた事態に動揺が見え隠れするのは事実だ。

 アヴェラは古参の家令を呼び寄せ事情を説明した。

「爺様を寝室に運んで寝かせるように。それから、この事は他言無用。今から対応を考えるので騒ぎを起こさないように」

 いくら血縁者であってもアヴェラは指示する立場ではない。だから相手が従ってくれるか不安と焦りがあった。しかし古参の家令は軽く目を見張ると、素直に頷き指示通りに行動すると述べてくれた。

 安堵するアヴェラは顎に手をやり、どうするかを考え込む。

 なお――アレは間違いなく、若き日のジルジオそのものであった。目の前で指示を出された家令は後にそう述懐する。

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