第117話 青い空白い雲、自然の摂理
迂闊に近寄れない相手を見据え、アヴェラは動きを止めている。それは暗殺者の女も同じで、海からの風によって髪がそよぐだけの動きしかない。
クラッベシューベの存在は近いものの、そちらを気にする状況ではなかった。
「依頼人は誰で目的は何だ?」
その問いに暗殺者は反応しないが、元より期待はしていない。
アヴェラは視線を動かさぬまま女を観察していく。その容姿は取り立てて目立つものではないため、無機質な目と欠落した表情が異質さを際立たせる。体つきは小さくか弱そうに見えてしまうが、そう装っているだけで実際には鋭く危険な存在だ。
ミニスカート姿で膝をついているが、今は警戒を怠れない。
「もう一度聞こう、依頼人は――」
埒があかない状況に苛立ちを覚え、アヴェラは右から左に身体の重心を変える。殆ど僅かな隙でしかないのだが、暗殺者の女は機敏に反応し、短いスカートをはためかせ跳んだ。
「っ!」
真っ直ぐに伸ばされた腕の先で、そこに握られた短剣の切っ先が一直線に迫ってくる。恐ろしいほどに思いきりが良く、そして何より素早い。
見ていたノエルとイクシマが悲鳴のように息を呑む。
アヴェラは咄嗟の動きで、そのまま前に身体を倒れ込ませつつ、砂を蹴って突っ込む。相手とぶつかり合うように重なり、しかし瞬時に砂を蹴散らし離れる。
服の中からヤトノが動揺の声をあげた。
「御兄様!?」
「浅手だから問題ない」
左肩を刃に掠められたアヴェラは顔をしかめた。
傷は負ったが、咄嗟の判断は間違いがなかっただろう。剣の届かぬ間合いへと飛び込んだ相手に対し、その短剣の届かぬ間合いに入ったからこそ軽傷ですんだのだ。もしも横や後ろなどに回避していれば、もっと深い傷を負っていただろう。
今の一瞬の攻防で、暗殺者の女の警戒度は更に高まったらしい。鋭い目線をより一層鋭くさせ、短剣を胸の前に構えている。
しかし女は、次にアヴェラがとった動きが理解出来ないらしい。欠落していた表情に軽い困惑が薄く浮かんだ。
なぜならアヴェラはヤスツナソードを構えもせず、無造作にだらりと下げたのだ。あげく、知り合いにでも近づくような足取りでするすると、まったくの無防備で隙だらけに近づいていく。
何気ない仕草でヤスツナソードをすくい上げるように右から左に振る。
たったそれだけで、甲高い金属同士の衝突音が響き短剣が根元から斬れ飛んだ。
くるくると舞った金属が砂地に埋まるように落下するが、暗殺者の女は表情を驚愕に固定したまま少しも動けないでいる。さすがにこれは予想外だったらしい。
「さあ答えてもらおうか」
その喉元にヤスツナソードの切っ先を突きつけた。
ただの剣ではない。厄神に呪われ、その力の一部を宿す災厄の剣とでも言うべき代物だ。しかもアヴェラの敵意に応じてか、黒い靄のようなものが剣身に纏わり付きだしている。女の目が見開かれた。
波と風の音が響くなか見守っていたノエルとイクシマであったが、しゃくしゃくと砂を踏む音に気付いた。クラッベシューベがハサミを振り上げ接近してきたのだ。一目散に狙うのは暗殺者と向き合うアヴェラの方であった。
「あっ、ちょぅっと邪魔になりそう」
「ならば助太刀ぞ! 我らの手で、ぶちのめしてくれよう!」
「うん、ここは援護しなきゃだよ」
二人して飛びだすとクラッベシューベの動きを阻止しに走る。
その行動自体は良かったのだが、結果としてアヴェラの注意が僅かに逸れてしまう。もちろん、その隙を見逃す暗殺者ではなかった。獣のように後ろへと飛び退き、さらには砂の上を転がりながら向きを変え立ち上がっている。
「逃がすか!」
アヴェラも前に出て間を詰めるが、しかし追いつけない。走りだした背中を見ながら、戦闘中の仲間を置いて追うべきか否か迷いが生じてしまう。その僅かな逡巡のせいで追撃の機を逃してしまう。
戦鎚をモンスターの血で汚したイクシマが駆けて来た。
「むっ、逃げられてしもうたんか。もしかして我か、我が悪いん?」
「そうじゃない。しいて言うのなら、相手の方が一枚上手だった」
「追わんのか?」
「無理だろ、今度こそ逃げに徹するだろうし……おっ、転んだ?」
「転びよったな。って、なんじゃあああっ!?」
暗殺者の女は、ただ単に転んだわけではない。
よく見れば砂地から突きだした何かが足を掴んでいたのだ。
それがクラブシェベのハサミである事は、周囲の砂が盛り上がり大小様々なクラブシェベが這いだした事で分かった。
「た、助けに行かなきゃだよね」
「じゃっどん、あの数じゃぞ。我らまでやられてしまう」
「そんなっ……」
「ノエルよ、見るでない」
クラブシェベたちがわらわら集まりだすと、あの無表情であった暗殺者の女の顔に恐怖と驚愕が浮かび――凄まじい絶叫が強く弱く強く激しく響いた。
そして、ぶつんっと途切れた。
へし折り断ち切られ、生きたまま幾つにも分断される凄惨な光景にノエルは元よりイクシマも目を背けている。だが、アヴェラは顔をしかめる程度で見つめている。もちろん、その襟元から顔を出す白蛇ヤトノも平然としたものだ。
「御兄様を傷つけたのですから、当然の報いというものですね。それはさておきまして、どうぞお気を付け下さい。あやつら共は砂の中に潜んでいるようです」
「見れば分かるよ」
「つれない言葉。でも、そんなところが素敵」
「逃げられなくて良かったと言うべきか、あの世に逃げられて残念と言うべきか」
「お任せ下さい。ここは、わたくしの本体に頼んで魂を捕らえましょう。ただし、同時刻に死んだ者の魂から選別しますので、少し時間が必要です。そうですね、まとめて全部捕獲すればいいのですよね。はい、そのようにしましょう」
「やめろって」
無関係の魂まで厄神に囚われそうで、アヴェラは流石に止めた。ただしそれは、寝覚めが悪くなりそうというだけの理由でしかなかったのだが。
「とりあえず爺様には、激戦の末に斬って倒すしかなかったと言っておこう」
「なんだかさ、それ凄く適当な説明だよね」
「こうして怪我もしたわけだし、説得力はあるだろ。こっちは面目が立って爺様は孫の活躍で大喜び、暗殺者はとりあえずいなくなって皆が幸せ。何の問題もない」
「はあ……なんだか、いろいろ物申したいとこだけど。もう、いいや」
がっくり項垂れたノエルだが、まだクラブシェベの方は見られない。一度は目を向け慌てて直ぐに逸らす理由は、既に大半は散っているとは言え、モンスターが食事の最中だからだ。もちろん何を食べているかは言うまでもない。
「あれは流石に惨すぎなんじゃって、数も減っておるんで倒してやるとしよう」
「おかしな事を言う小娘ですね」
ヤトノが白蛇から少女へと姿を変え、砂地の上にふんわり降り立った。白い衣装が強い日差しの中で、より一層白く感じられ何か神聖な存在に見えてしまう。もちろん真逆の災厄を司る神の一部なのだが。
しかしイクシマは指を突きつけ文句を言ってのける。
「小娘言うなー。惨いと言うて、何がおかしいんじゃって!」
「当然でしょう。人間たちだって他の存在を死に追いやり、それを食糧や素材として用いているではありませんか。それは良くて、その逆がダメなのは何故ですか」
「うっ……」
「ご覧なさい、このフィールドを」
ヤトノは青い空に白い雲、陽炎立つ白浜に透明さを宿す海へと手を向けた。
「ここでは人間がモンスターと決め付けた存在たちとて生きております。全ての生き物は平等で、人間もその生き物の一つにしか過ぎません。それであるのに、自分たちだけが特別であると思い上がるのは傲慢というものです。あっ、もちろん御兄様は特別な存在で他とは違いますからね」
諭すように言ったヤトノであったが、一転してアヴェラの腕に抱きつき甘えるように頬ずりまでしている。そんな態度は兎も角、イクシマは反論しかけては黙ることを繰り返し、ようやく口を開いた。
「むっ、まあ確かに小姑の言う通りかもしれぬ。つまり自然の摂理ってことじゃな。じゃっどん、それであれば我らがクラブシェベどもを倒すのも好きにして良いってわけじゃな」
「もちろん構いませんよ。ああ、そうです。ちなみにクラブシェベから回収できる肉は、高値で売れるそうですから」
「それ、あれ見ながら言うん!?」
「何か問題でも?」
「問題しかないじゃろがあああっ! とーにーかーく。奴らは倒す、じゃっどん素材は回収せん。そうするからなー、よいな我との約束じゃぞ!」
吼えたイクシマはクラブシェベの群れへと突撃していく。それにノエルも賛同し剣を手にしており、アヴェラも仕方なく続いた。
もちろん数体だけのため、苦戦らしい苦戦もせず、あっさり戦いは終わる。
心根の優しいノエルとイクシマで砂を掘り、僅かな遺骸を埋める作業を始めた。しかし心根の優しくないアヴェラとヤトノは何もせず見つめているだけだ。
「御兄様、御兄様、あの連中は砂の中に潜っておりましたよね。つまり砂に埋めても意味がないと思いますよね」
「意味はなくても気がすむって事だろう」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
「なるほど」
のんびり交わされる声は波の音に紛れ、幸いにも額に汗する二人には届かない。アヴェラは周囲を警戒しながら暗殺者の素性をボンヤリ考え、作業が終わるのを待つのであった。
そして戻るのだが……走り抜けてきた砂地をおっかなびっくり進んだのは言うまでもない。
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