第115話 疾く駆け見つけたものは
花壇に残された足跡で方向の見当をつけ、小枝の折れた痕跡で確信。腰高の木柵を跳び越えると、その先の道を走りだす。
この短時間で欺瞞は出来ないため、暗殺者の逃げた方向で間違いないはずだ。しかし、念の為に確認をしておく必要がある。
「ヤトノ、逃げて行くのを見た人はいるか?」
「少々お待ちを」
黒髪を靡かせ併走するヤトノは視線を宙に彷徨わせ、何かを呟き何かを聞き取り頷いた。この辺りを彷徨う死霊を呼びつけたのだ。厄神の一部だからこそ可能な荒技であるが、これこそがアヴェラの言った探すアテだった。
「おりました。案内をさせますので、わたくしの後に続いて下さい」
言いおいて、ヤトノが一歩前を行く。
両手を軽く後ろに流し、長い白袖を黒髪と共になびかせる。神官着のような白衣装の赤い飾り紐が賑やかしげに揺れし、白い素足を動かし疾走していく。後ろのアヴェラと完全に同じ速度で走って、まるで後ろを見ているかのようだ。実際、何らかの感覚にて見て把握しているのだろう。
そのまま森を突っ切り小路に出ると、石畳みの上をひた走る。
「御兄様、あれです」
「確かに」
随分と前方だが、見覚えのある侍女姿があった。
まさか、ここまで即座に追ってくるとは思っていなかったのだろう。向こうは既に歩きに切り替え、通りの中で目立たぬように溶け込もうとしている。
この調子であれば直ぐに追いつけるだろう。
だが、その時であった。
運の悪いことに、ヤトノとアヴェラの前へと横の通りから誰かが出て来た。もちろん運の悪い者と言えば、不運の神コクニの加護持ちのノエルであった。
気づいて目を見開いている。
「えっ、あっ。あわわわっ!」
「ノエルさん、ごきげんよう」
流石にヤトノは神速の身のこなしで、ノエルとの衝突を回避した。
だがしかし、アヴェラはそこまで器用ではない。むしろヤトノが急に動いたせいで、回避が遅れ思いっきりぶつかってしまう。
「しまった!」
「痛ーっ!?」
アヴェラとノエルは絡み合うようにして倒れ込んだ。暗殺者を追うため起き上がろうとするが、起き上がろうとすればするほど上手くいかない。
「お主なー、ノエルのどこに触っておる。破廉恥じゃー!」
しかもイクシマの叫びまで響き、もう何が何やら滅茶苦茶だ。
だが、何にせこれで周囲の注目を集めてしまった。
「御兄様、気付かれてしまいました」
辛うじて顔をあげれば、侍女姿の暗殺者が走りだす様子が見て取れた。アヴェラはヤトノの手を借り立ち上がると、素早くノエルに手を貸し引き立たせる。
「すまないが二人とも謝るのは後にさせて貰う。今は至急の用事がある」
「なんじゃって?」
「急ぎなんで、埋め合わせは後だ。すまない」
「待て待て待てい! ならば我らも共に行こうぞ!」
イクシマが言い出せば痛そうにしていたノエルも頷く。
「もちろんだよ。何かあるなら手伝うから」
「いやこれは……ああ! 付いてきてくれ」
「了解なんだよ」
「行こう。ヤトノ案内を頼む!」
そしてアヴェラたちは一緒になって走りだした。
繁華街を走るとなると――しかも女の子たちが走るとなれば、なにかと――周囲の注目は集まるのだが、アヴェラたちは少しも気にもせず侍女姿の暗殺者を追った。
「あれか、あの女を追っとるんか!?」
「そうだ」
「よし、待てえええっ! そこの女、待たんかあああっ!」
「やめろ叫ぶな」
このボケエルフに相手が暗殺者と言わずに良かったと、アヴェラは心の底から己の賢明さを称賛した。そうでなければ、アルストルの街中に暗殺者の存在が知れ渡り大騒動になっていただろう。
暗殺者の女は身軽に走る。これがロングスカートなら少しは追いつけただろうが、残念ながらジルジオの趣味がミニスカートである事が災いしている。
「こうなったら、私のスキルと小剣の力で追いついてみせる」
「ダメだ、街中でのスキル使用と抜剣は処罰対象だ。目立つのもマズい」
「でも緊急事態だよね?」
「いろいろ事情があるんだ」
スキルに限らず魔法などは都市内では指定の場所か、有資格者でなければ使えない決まりがある。ノエルの持つ小剣は風の神の加護を持ち、所有者の素早さを上げてくれるが、そのためには抜剣せねばならない。しかし往来で抜剣すれば、後で事情徴収など面倒となる。
緊急事態であれば許されるが、しかしジルジオの事情などを考えると過度に目立つことは避けるべきとアヴェラは考えていた。
そのため地道に走って追いかけるしかない。
横から出て来た荷馬車を避け、もちろん運悪く転びかけたノエルの襟首を引っ掴み、坂道の階段を一段飛ばしで駆け上がる。
「ここはマズい!」
その先は噴水を中心とした広場だ。
多くの冒険者が行き交い、周囲には石造りの小さな建物が広場を囲むように多数配置されていた。その建物こそが、フィールド探索に出る冒険者たちの利用する転送魔法陣が設置された場所になる。つまり――。
「あっ、もしかしてだけど!」
「恐らくそれで間違いない。どこかに飛ぶ気だ」
「フィールドに逃げられたら面倒になっちゃう」
しかし偽侍女の暗殺者は係員を突き飛ばし、ちょうど冒険者が入ろうとしていた小屋の一つに駆け込んだ。騒ぐ係員を押しのけ突入したアヴェラが目にしたのは、魔法陣の中で余裕の笑みを浮かべ転送されていく女の姿であった。
「ここからは海辺に転送されるはずだ」
石壁にもたれ掛かり荒い息を整えながらアヴェラは言った。
転送魔法陣は一度使用されるとしばらく使えない。使用された力のチャージもあるが、転送先での事故防止のためにも連続使用は出来ない仕様となっているらしい。今は魔法陣の放つ色が赤から緑に変わるまで待つしかなかった。
とりあえず順番待ちをしていた冒険者たちには、事情を――ただし、警備隊関係の事件だとでっちあげ――説明して利用を控えて貰っている。
「そんで、お主ー。そろそろ事情を話しても良くないか」
「確かにな。簡単に言うと、あの女は暗殺者だ」
「はあああっ!? なんぞそれ! ものっそい大事でないか」
「大声を出すなよ響くだろ」
イクシマの声は石壁に反響してかなりうるさく、アヴェラは迷惑そうに額を押さえた。ヤトノなどは迷惑そうに顔をしかめているぐらいだ。
だが、ノエルはそれどころではない。身を乗り出すようにアヴェラに迫った。
「もしかしてだけどさ、アヴェラ君が襲われたの!?」
「違う。母さんの方の爺様が狙われただけだ」
「そうなんだ……アヴェラ君が狙われたわけじゃないんだね。あっ、もちろん大変なのは分かってるけど」
どうやらアヴェラが襲われたかと心配したらしい。事情の分かったノエルは自分の胸を押さえ安堵するが、それはどちらかと言えば手を胸にのせている具合だった。
ただし今はそれどころではないアヴェラは一瞥しただけだ。
「というかなー。お主だけでのうて身内まで暗殺者に狙われるとか、お主の家系はどうなっとるんじゃって」
「それもそうだな。でも、爺様がどうして狙われたかは分かってない」
「なんぞそれ」
「そもそも爺様がどういう素性で、何をしてる人かも知らないんで」
「はぁっ!? なんで知らんのじゃって」
「外孫だからな。そんなもんだろ」
「なわけなかろうが。そうよのう、ノエルよ」
問われたノエルが項垂れると、後ろで束ねた髪が上を向く。
「私の家って、お母さんと二人だけだから分かんない」
「ぬっ、それはすまなんだ。悪い事を言うてしまった、許してくれ」
「いいよ気にしてないから」
優しげに笑ったノエルだが、どこぞの貴族とその侍女との間に生まれた素性だけに、それなりに思う所はあるのだろう。少し寂しげではあった。
しばし沈黙が訪れる。
広場の喧噪が微かに聞こえる程度で、僅かな身じろぎの音さえも拾ってしまう。石で囲まれた空間は互いの息遣いも分かってしまう静けさだ。だから徐々に呼吸が整えられていくのが分かる。
魔法陣を見つめていたヤトノが軽く反応をした。
「御兄様、そろそろ転送が可能となる頃合いですよ」
「分かった。さてと、今から追いかけても見つかるかどうかだが」
「ですけど、これで大義名分が出来て良かったではないですか。大手を振ってフィールドに出られるわけですから」
「確かに父さんも母さんも何も文句は言えないな。いや、余計な事を言うと心配が増えるだけかもしれないか」
アヴェラは軽く苦笑して立ち上がる。
ノエルとイクシマもそれぞれ同じように気合いを入れ準備を始めていた。全員が街中で過ごす格好であり、武器は身に付けていても装備は十分ではない。
「今更だが、二人とも一緒に来て貰っていいのか?」
モンスターを狩るわけでもクエストのためでもなく、何の得にもならない危険な暗殺者を追うという事のためだけにフィールドに行こうとしている。
アヴェラとしては巻き込んでしまった気分で申し訳なく思うばかりだ。
「それこそ今更だよね。だって、私たちこれまで一緒にやってきた仲間なんだよ。そういう遠慮なんてないよね、うん。」
「うむうむ。もそっと図々しく、ついて参れ! とか言ってみせよ」
「でも気にするなら、報酬としてカカリアさんのご飯が食べたいかな」
「全く以てノエルは良いことを言う。我もそれで良いぞ」
頼もしい仲間の様子にアヴェラは頭を掻き笑みを浮かべた。
「では、頼もうか。二人とも一緒に来てくれ」
魔法陣の色が緑に変わった。
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