第114話 市中の森に佇む家の住人は

「――さて中途半端な時間ですが」

 ぺたぺたと歩きながらヤトノは言った。

 白味を帯びた石の敷き詰められた道路は、石造りの建物の間を抜けて続いている。左右の玄関先には美しい花の咲く鉢植えが幾つも並び、風景に黄色や青の彩りを添えていた。

 ふと空を見上げれば、冴えた青を背景にほぐした綿のような雲が浮いている。

 誰もが今日は良い日だと思ってしまうような穏やかな光景だ。

「御兄様は、これからどうなさります?」

「さて、どうするかな」

「しばらく新しいフィールドには出られませんよね」

「父さんと母さんの様子からすると、しばらくは無理だな」

 アヴェラは断言した。

 寂しがりのトレストは仕事に行きたくないと我が儘を言い、やって来たビーグスとウェージの両名が連行していったぐらいである。そしてカカリアときたら、街の外でまともな食事もできなかったはずと大量の料理をつくり、アヴェラが僅かでも手伝えば感動して涙ぐむぐらいなのだ。

 ある意味では、なかなか難物な家族だった。

「爺様に会おうかな」

 アヴェラはコンラッドとの会話の中で考えていたことを思い出した。

「なるほど、確かに随分と会っていませんね」

「冒険者養成所に入ってからだから、一年以上になるか。寂しがっているかな」

「あちらはあちらで、御兄様に会うと大喜びの者ですからね」

「会いに行くべきか……」

 トレスト側の祖父母は警備隊を引退してから、近郊の集落へと移住し田舎でスローライフを決め込んで滅多に会えない。今ここで爺様と呼んでいるのはカカリア方の祖父で、アルストルに居住しているため会おうと思えば会う事が出来る。

 では、なぜ会わないでいたかと言えば若干の理由がある。

 両親の反応には微妙なものがあるし、その行き来にも理由は分からぬが、人目をはばかるような素振りがあった。何らかの確執があるのは間違いない。そうなると子供として微妙に気を使っているのだ。

「どうするかな」

 悩むアヴェラの横を、荷馬車がゆっくりと通り過ぎていった。

「全ては御兄様の気の向くままに」

「だったら……行くとするか」

「では、そういたしましょう」

 ヤトノは微笑んでアヴェラの手を引っ張りだした。

 空は薄い白雲に覆われ、とこどこに淡い青空が見え隠れする。青々とした木々の木漏れ日が描く影は輪郭の曖昧なもので、程よく過ごしやすい陽気だ。


 小さな森の隣にある小さな邸宅が見えてきた。丘の上に佇むそれは、一つの絵になるような景色で、どことなく牧歌的な雰囲気も漂わせている。

「いつ見ても不思議だな」

「そうですか? 別に何も気になるところはありませんが」

「だからだよ」

 目の前にある小さな森は、アルストルという発展めざましく数々の住居が密集した都市の中に存在する。しかも明らかに小まめな手入れがなされている森だ。

「我が祖父ながら何者なんだろな?」

「本人もしくは、知っている者に聞けばよろしいのでは」

「いや、そこを誰も言わないってことは、何かあるって事だろ。藪を突いてドラゴンが出て来たら最悪じゃないか。それに家系図とかルーツを妙に知りたがる年寄りじゃあるまいに、そこまで興味は無い」

 ぽてぽて歩いて行くと、手前の畑で作業をしていた者がアヴェラに気付いた。見知った顔で祖父の元で働く侍女の一人だ。

 即座に作業の手を止め手早く汚れを払い、アヴェラの前に出てくると慇懃な態度で案内をしてくれる。以前から仕草が洗練されていると思っていたが、目配りや動きが戦士のそれだと、今このとき初めて気付いた。

 そうした者を置くこと自体が何ともおかしなものだ。

 侍女に案内され邸宅へと進み、そのまま部屋に案内されると――。

「おお、アヴェラであるか。来てくれるとは思わなんだ!」

 祖父ジルジオは大喜びでアヴェラを迎えてくれた。

「よく来た、よく来てくれた。今日は何か用事でもあるかな、いやいやいや用事などなくても全く構わぬ。よく来た」

 知的な顔立ちに白髪。五十代ながら精悍さを残した細身の体に、簡素だが質の良い衣装を身に付けていた。祖母にあたる人物は早くに亡くなっているため、今は若い侍女たちに囲まれ悠々自適の暮らしだ。

 窓辺の心地良さげなそうな椅子に促される。

「用事代わりに、この顔を持ってきました」

「それは何より嬉しいものであるな」

「無事に冒険者になりまして、そこそこ活躍して成長できました。ようやく胸を張って会えるかと思って、やって来ました」

 ものは言い様であって、忙しさにかまけ半ば忘れていた事はおくびにも出さない。

「そうかそうか、冒険者になったか……」

「何か?」

「あっ、いやな。あのカカリアが冒険者になった頃を懐かしく思い出しただけである。さあどうかな、面白い冒険の話でもしておくれ」

「そうですね――」

 アヴェラが話しだすと、同行してきたヤトノは邪魔せぬようにと、部屋にあるソファに座り込んだ。あとはまるで彫像のように動きを止めるが、もし注意深いものが見ていれば、微風を受けても黒髪の一筋すら動いていない事が分かっただろう。


 ジルジオはアヴェラの話だけではなく、その一生懸命に話す様子を見ることも楽しんでいるらしい。侍女の用意した青磁のカップで茶を一口する。

「ふぅむ、そうか。あのエルフの里にまで行ってきたのであるか。アヴェラも随分と活躍しているようで、感心するばかりであるな」

「まだまだ途中ですけどね。仲間に恵まれまして」

「女の子二人と冒険か。ヤトノ姫を含めれば三人か、何とも華やかなことだ」

「姦しい時もありますが」

「それもまた楽しいものだ。儂も最近は体調があまり優れぬのでな、そうした賑やかしさが羨ましいのである。はぁ、もう儂も年なのであるなぁ」

 静かに言うジルジオの声には僅かな寂しさがあった。

 だが、前世ではジルジオより年上であったアヴェラからすれば、五十代などまだまだ若く、天が与えた使命を自覚するような年齢でしかない。

「老化というのは気力からだそうですよ。気力が萎えると、そこから年老いていくそうですよ。だから、八十九十まで生きるつもりで好きな事をやったらどうです」

「ふふふっ、アヴェラの言うように生きられたら良いのであるがな。もし八十まで生きれば、お前の子の――おや、ヤトノ姫よ。なにかな?」

 笑いかけたジルジオは、いつの間にか傍らに来たヤトノの姿に緊張を隠せない。姫と呼ぶのは、その素性が厄神にあると知っているからだ。それでいて受け入れているのは、アヴェラの為に存在すると知っているからで、そこは流石にカカリアの血縁者といったところだ。

「ふむ、ふむふむ」

 ヤトノはジルジオのカップから立ち上る湯気を嗅ぎ、それからアヴェラのカップでも同じ事をした。

「ふむ、大丈夫そうですね」

「大丈夫そうとは、何の事だヤトノ?」

 アヴェラは聞き捨てならない言葉に眼を細めた。しかしヤトノはきょとんとしながら、何故そんな反応をされるのか分からない様子だ。こうした部分が人とは違う存在というところだろう。

「分かっていることを教えてくれ」

「はい、こちらのカップには遅効性の毒が入ってましたので。中から徐々に体を蝕み、病のように死なせるものですね。本体の司る権能に毒関係は薄いので詳しくは知りませんけど」

「遅効性の毒? まさか、爺様の体調が悪いのは……」

「まだ初期ですが毒の影響ですね」

 平然と言ったヤトノの言葉にアヴェラは思考を巡らせた。

 このカップの中身は同じポットから注がれ、片や毒入り片や毒なし。するとカップに毒が塗られていたという事になる。だが、もし不審なものが塗られていたりしたのであれば、それを運んできた侍女が気付かない筈がない。

「っ!」

 一瞬でそこまで考えると同時に跳ねるように立ち上がった。

 だから間に合った。

 突如、風のように迫ってきた黒い影がジルジオに打ち込んだ刃を、鞘から抜きもしないスケサダダガーで受け止めた。ヤスツナソードは玄関に預けてきたが、便利なこのダガーは勝手についてきている。

「やっぱりそうか」

 襲撃に失敗し飛び退いた相手は侍女だった。ここまでの案内だけでなく、飲物の配膳をした相手である。毒物を混入を看破され、すかさず直接的攻撃に切り替えてきたらしい。

「何の目的で爺様を狙った」

「…………」

 問いただすが、物語の悪役のように自分の企みを暴露しだすはずもない。もちろんアヴェラもそれは期待していない。今の声によって邸内の者に事態を気付かせる事が目的だ。

 目論見通り騒がしくなった雰囲気に、暗殺者はじりじりと後退しはじめた。その眼は少しも泳がず、アヴェラを見据えたままであったが、いきなり身を翻すと開いていた窓に突進し逃げ去って行った。完全に戦闘員として訓練された動きだ。

 追いかけようとしたアヴェラだが、ほぼ同時に取るものも取りあえず駆け付けた他の侍女や侍従が駆け込んできた。しかし室内でダガーを構えるアヴェラの姿に目付きが鋭くなり敵意が宿る。今この瞬間だけを見れば、確かに誤解されても仕方がない。

 ここで動いては、完全に逃げるように思われかねず。判断に迷うアヴェラであったが、そこでジルジオの大喝が轟いた。

「馬鹿者どもが! 儂の孫を疑うバカがおるかっ!」

 その姿は威風堂々とし、先程までの孫に目を細める好々爺姿は微塵もない。

「賊は窓から逃げ去った! 邸内の警戒を厳にせよ! 飲食物に毒物が混入されておった、邸内にある全てを廃棄し新たに用意せい!」

 使用人たちは背筋を伸ばし、それぞれが即座に行動に移りだした。いずれも何らかの訓練を受けたと思える動きで、やはり普通ではない。

「アヴェラよ、よう守ってくれた。お前も安全な場所に――」

「いいえ、追いかけます」

「なに?」

「まだ追いつけるでしょうし、探すアテもあります」

「そうであるか……」

 断言したアヴェラに、ジルジオは顎を擦り感心したように笑った。

「では行くがよい! 行って賊を討ち取って来い!」

「はい」

 アヴェラは強く頷いた。

 いつの間にかヤスツナソードを持って来てくれたヤトノを伴い、暗殺者の後を追って同じように窓から飛び出した。

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