◇第十章◇
第113話 遠慮の理由は自分の為
「いいのですか?」
アヴェラの声には戸惑いがあった。
なぜなら、コンラッド商会にある部屋を自由に使って良いと言われたからだ。商会に専用の部屋が用意されるなど、通常では考えられない破格の好待遇である。思わず確認してしまう事も無理なからぬことだった。
それに対し、商会の主であるコンラッドは穏やかに笑っている。
白髪の多い黒髪に彫りの深い顔は穏やで好々爺といった雰囲気だ。もちろん一代で財をなした人物であるため、その見た目通りではないのだろう。だが、少なくともアヴェラには好々爺で接してくれている。
「何を言われますか。皆様方が我が商会にもたらして下すった利益を考えれば、この程度では足りないぐらいですな。新しい下着の開発、アルストル家への仲介、エルフとの交易などなど。お陰で当商会は嬉しい悲鳴ですな」
「そうですか」
しかしアヴェラからすれば、全て自分や仲間のために利用させて貰っただけなのだ。こんなに感謝されてしまっては、逆に申し訳ない気分となる。だから頬を掻き、応接室の白壁を見つめてしまう。
「えーと、断るのも失礼ですし。そうですね、自由に使える部屋があるのは助かります。それでは、ありがたく使わせて貰います」
「もっと何か差し上げたいのですが……」
「これ以上は、もう要りませんよ」
「やれやれ、どうしてですかね。もっと貰って欲しい人に限って欲しがらない。世の中とは、ままならないものですな。ちなみにお尋ねさせて貰いますが、どうして要らないのですかな」
「うーん、強いて言うなら甘えてしまうと、次も甘えたくなって堕落してしまう。それであるなら、できるだけ遠慮しておきたいから」
「…………」
その答えにコンラッドは無言のまま瞬きを数回繰り返し、ややあって破顔した。微笑ましいものや、何か純で眩しいものを見たように頷いている。
「なるほど立派な考えですな」
「そんな大したものありませんよ、本当に下らない理由だけですから」
アヴェラは目を逸らし呟いた。
人間は少々不満や不足があるぐらいが丁度良い。満ち足りては、何かをする気力が萎えてしまう。誰かに与えられていると、それを期待し頼り切ってしまう。
そして何より、自分がそうした誘惑に弱い事は前世から良く理解している。だからこそ、あえて誘惑されぬよう遠ざけているだけだ。立派な考えなどありもしない。
「時々頂ける報酬だけで充分ですから」
「なるほど。ですが、このコンラッドは恩を忘れ蔑ろにする人間ではありませんぞ。必要な事がありましたら何でも仰って頂きたい。全力で協力しましょう」
「ありがとうございます、期待しておきますよ」
アヴェラは礼儀正しく笑った。
部屋のドアがノックされ、緑を帯びたショートの髪の少女が入ってくる。アヴェラの幼馴染みのニーソだが、同時にコンラッド商会の従業員だ。
従業員用の可愛らしげな服を着た身体は小柄で、両腕に抱えた小さな箱を重そうに運んでいる。もちろんアヴェラが即座に動いて助けに動いた。昔からの付き合いで、困っていれば助けるのが当然の関係なのだ。
ニーソは嬉しそうに碧色した瞳の目を細めた。
「ありがとなの」
「気にしなくていい。これは、どこに置けばいい?」
「えっと、テーブルの上でお願いね」
「分かった」
息の合った様子で動く二人の様子を、コンラッドが楽しげに見ていたりする。社会的成功を収め財を成した人物であるだけに、今は周りで繰り広げられる人間模様を見守る事が娯楽となっているのだ。
テーブルの上に置かれた小箱をコンラッドが開けた。
のぞき込むと、中には幾つかの品がある。それらは何重にも布を巻かれていたり、聖印が執拗に記された紙に包まれていたりする。さらには銀鎖にて厳重に縛られた本もあった。
どれもこれも厄い気配が漂う呪われた品々だ。
この世界は魔法や死霊などが普通に存在するためか、呪われた品は多く存在し、今日もどこかで誕生している。解呪する費用は高額で、しかも失敗する事もあった。
ただしアヴェラにとって話は別だ。
「これが今回の解呪する品ですか」
「ええ、またお願いします」
「了解ですよ。でも呪われた本ですか、珍しい」
アヴェラは箱の中の本を手に取った。下手に触れば呪われてしまうため、こうした品には迂闊に触るべきではないのだが、アヴェラは平然と手にした。
「おっ、何か出てきた」
銀鎖を解いた本は勝手に頁が開くと、黒い触手がアヴェラへと襲いかかる。喉元へ巻き付こうと触れた瞬間、パンッと乾いた音をさせ触手は弾かれた。
そしてアヴェラの襟元から白蛇ヤトノが這い出てくる。
頭をもたげるが、見るからに不機嫌そうだ。
「わたくしを差し置き、御兄様を本の中に取り込もうとするとは。たかが悪霊ごときなんて生意気なのでしょうか」
「その言い方からすると、取り込む気なのか」
「言葉のあやです、狙っているわけじゃありませんよ。機会があれば別ですが」
「いずれ詳しく話し合おう。で、この本の呪いは人を取り込むのか」
「ええ、そうですよ。手にした者の魂を中に引き入れ、物語を体験させるのです」
「なかなか面白そうじゃないか」
「またそのような事を。宜しいですか御兄様、タイトルはホラー系ですよ」
「よし処分だ」
「かしこまりました」
するするとアヴェラの腕を這って本に近づくと、ヤトノは白く滑らかな尾で軽く打った。先程と同様、パンッと乾いた音が響く。そうなった本は頁をめくろうと何の変化も起きず、完全に祓われ真っ新な状態だ。
ヤトノの本体である厄神は世界に取り憑いた最強最悪の呪いと言える。そのため、毒を以て毒を制するように、元の呪いは弾かれ消滅してしまったのだ。
すっかり浄化された本を手にアヴェラは尋ねた。
「この本も価値があるのです?」
「価値は高いと言えば高いものですな。古典ホラーの絶版本でして、今回は好事家の方から是非読みたいので、探してくれと頼まれておったのです」
「確かに、読みたい本が読めないっていうのは辛いですね」
「こうした呪われた書物を魔本と呼びますな。書物は人の想いを受けるためか、魔本化しやすいのですよ。これとは別に一冊あったのですが、残念ながら手に入れ損ねましてな。今頃どこにあるのやら。また探しませんと」
「誰かが呪われてなければ良いですね。では、次に行ってみましょうか」
アヴェラは気軽に言って、箱の中から次の品を取り出す。そこに巻かれた布を解きだせば、たちまち薄い霧のような何かが溢れだす。その無造作さときたら、見ているニーソの方がハラハラ心配しているぐらいだ。
「アヴェラってば、もっと気を付けて扱って欲しいの」
「大丈夫だ」
「でも、私は心配なのよ」
「だから大丈夫なんだがな。やれやれ。分かったよ」
心配そうなニーソに対し、アヴェラは軽く困った様子で肩を竦め頷いた。それを見守るヤトノにコンラッドは微笑ましさと可笑しさを堪えている。
全ての解呪は終わっていたが、香りの良い飲み物を手にコンラッドと雑談を続けていた。コンラッドは商会の長を務めるだけあって、様々な知識を有し人当たりも良く、会話をしていて楽しいので話が弾む。
「ところでですな、森と湖のフィールドに行かれたそうで。また新たなフィールドに行かれる気ですかな?」
「そうですね。次は海か山かのフィールドに行きたいですね。どこか一箇所で稼ぐのも良いですけど、いろいろな場所に行って、いろいろな景色を見てみたいので」
「おお、分かります。私も若い頃は、そうやって各地を回ったものです」
「そうやって見分を広められたのですか。でも、実はエルフの里から帰ってから両親が冒険に出るのを控えるよう言われてまして」
「おや、何か問題が?」
その問いにアヴェラは軽く口ごもり、テーブルの木目を見やり苦笑した。
「大した事はありませんよ。どうやら寂しいみたいで」
「ふぁっはっは、良い親御さんですからな」
コンラッドは楽しげに笑った。もちろんアヴェラの両親と直接の交流はないはずだが、トレストは警備隊の隊長を務めている。商会のトップという立場であれば、その人となりを知っていて当然だった。
「アヴェラ殿の年齢ですと、まだ分からぬかもしれませぬがな。親が居ていつでも受け入れてくれる場所があるという事は、本当にありがたい事ですよ」
「そうでしょうね」
「ははっ、偉そうな事を申しましたが。私もそんな事を考えるようになったのは、つい最近の事ですよ。年を重ねると説教臭くなっていけませんな」
「分かりますよ、若者をみるとついつい歯がゆくなって注意したくなるという事は。あぁ、つまり祖父が同じ事を言っていましたので」
アヴェラは言葉を付け加え誤魔化した。
もちろん前世の年齢が年齢なだけに、若者にもどかしさを感じ、余計な助言したくなる気持ちはよく分かる。だがしかし、今世ではまだまだ弱輩者なので迂闊なことは言えやしないのだが。
ふと、言い訳に使わせて貰った祖父の顔が浮かんだ。もう随分と会っていない。
それからもう少し雑談を続け、コンラッドが頷いて立ち上がった。
「さてさて、私はこれで失礼致しますよ。後はニーソ君にお任せしましょう」
「はい、しっかり応対いたしますです」
「これは任せ甲斐がありそうに気合いが入っておりますな」
コンラッドは穏やかに笑い、そして部屋を後にした。
ドアが閉まるとニーソは気を抜いた様子で伸びをする。さらに、両手を投げ出しテーブルの上に突っ伏してしまった。コンラッドは良い人物ではあるが、やはり上司は上司。ある一定の緊張感はあるという事だ。
「まだ忙しいのか?」
「うん。西の方の戦争は一時休戦らしいけど、それで兵隊さんたちがそのまま動けないって話だから」
「なるほど駐留地の兵站維持で、商会は大忙しか」
「アルストルの公爵様は適正価格で買い上げしてくれるからいいけど。他の街だと貴族様に買い叩かれて大変だって話があるの」
「まあ、普通はそうだろな」
「あとはエルフさんとの交易関係で、あちこちとの調整もあるの。だから、お仕事いっぱい。私とっても疲れてるの」
「そうか大変だな、頑張っているか。偉いな」
アヴェラは手を伸ばし、テーブルの上にあるニーソの頭を撫でてやった。幼馴染みの気安さであるが、横で見ている白蛇ヤトノは少々呆れ気味だ。
「私、偉い?」
「そうだな、よく頑張って偉いと思っている」
「あのね、だったらご褒美で……エルフの里の話をして欲しいな。いいかな?」
「ノエルとイクシマから聞いてたじゃないか」
「うん。でもね、私はアヴェラからも聞きたいの」
ニーソは身を起こすと、テーブルに両手で頬杖をつき淑やかに笑った。
訴えるような眼差しが煌めいて、アヴェラは幼馴染みに大人っぽい女性らしさを感じてしまった。その動揺を抑えるため、思わずカップの中身を静かに飲み干してしまったぐらいだ。
「うん、まあいいだろう。そうだな、エルフの里というのは――」
不思議な心地よさの中で、アヴェラはゆっくりと話を始めた。
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