外伝トレスト10 愛すべきバカ

 その日、街全体がアルストルを代表する名家令嬢の結婚式に浮き立っていた。

 幸せのお裾分けで振る舞われる品々を受け取る人々が祝福の声をあげ、通りでは詩人が幸せの詩を披露し、楽士が華やかな曲を奏でる。幾つもの露店が道沿いに並んで賑やかし、建物の上から花が投げかけられ青い空に白い鳥が放たれる。

 式典が行われるのは尖塔に小尖塔を持つ白き建物で、この日の式が行われるに相応しい壮麗さであった。

 しかし、その手入れの行き届いた緑の芝で揉め事が起きていた。

「ここは立入禁止だ、直ぐに出て行け」

 平然と敷地に入った男に対し、職務熱心な兵士は槍を向けた。

 これだけ重要な式であるにも関わらず、なぜか警備が手薄で人員不足。権威を畏れる人々は近づかないが、それでも偶に酔っ払いが入り込むため気が抜けないのだ。

 だが、相手は酔っ払いではなかった。

 平然と槍の穂先を避けたかと思うと、柄を掴み奪い取って放り投げてしまう。そのまま歩き続ける姿に、兵士は呆気にとられ直ぐ我に返った。

「おい貴様! ここをなんだと――ぐぁっ!」

 殴り倒された仲間の姿に、周りの兵士たちが集まってくる。

「お前ら邪魔するな。今日の俺は恐いぞ」

「はいはい。兵隊さんたち退こうか、他人の恋路を邪魔するやつはドラゴンに蹴られるって言うだろ。今のこいつはドラゴンより恐ろしいのでね」

「押し通る!」

 トレストは兵士たちに構わず突き進んだ。

 もちろん普通に忍び込む事も計画したが、意外にも警備が手薄であった事と、何よりトレストが正々堂々に拘ったからだ。

 人生最高の宝を手に入れるのに、コソコソしたくないらしい。

「だからね、僕がせっかく言葉を尽くしてるってのに、何で君は突っ込むかね。本当に愛すべきバカだね。そのバカバカしいバカに付き合う僕もバカなんだけどね」

「バカバカうるさいぞ」

「だが事実さ」

「自分でもそう思うさ!」

 言いながらトレストとケイレブは互いの死角を補い合い、兵士たちを次々と殴り倒していく。しかし所詮は多勢に無勢、行く手を阻む兵士は軽く十人を超え、まだ増援がやって来ていた。


 しかしトレストを追うように、布で顔を隠した謎の者たちが駆け付けた。

「うちバカ息子の邪魔してんじゃないよ!」

「ちょっと母さん。前に出すぎ」

「黙らっしゃい。息子の一世一代、前に出ないでどうすんの!?」

「分かってるけど危ないって」

「危ないと思うんなら、あんたがあたしの前に出ればいいのよ。それともなんだい、一生守るって言ったのは嘘だったのかい」

「嘘なものか!」

「だったら証明してみなさいよ」

 言い放った謎の女は謎の男の背を叩き、さらに後ろを振り向いた。

 そちらには麻布を目出し帽の如くかぶる男たちがいる。

「あんたたちもね、あたしの後ろに隠れてんじゃないよ」

「「うっす」」

「蹴散らしな!」

「「うっす!!」」

 声をあげた謎の男たちは、一斉に兵士に向かって突っ込み、妙に慣れた手つきで取り押さえてしまう。

 ケイレブは頼れる増援に頭を下げた。

「あっ、どうも。いつも夕食ありがとうございます」

「気にしなさんな。あたしらは、ちょっとだけ警備隊に似てる謎の援軍だからね」

「そうですね……」

 堂々と強弁する姿にケイレブは尊敬の念さえ抱いた。しかしその間にもトレストは一人で先に進んでしまう。もう何も目に入っていない状態らしい。

「少しは待てってのに。すいません、僕も行かせて貰います」

「あいよ。これ以上、あたしらが進むと流石にマズいわね。馬鹿息子を任せるよ!」

「了解しました」

「ビー、ウェー。あんたらは行っといで」

 ケイレブはすっ飛んできた少年二人を伴い、愛すべきバカの後を追いかけた。


◆◆◆


「それでは数多の神々に見守られ、誓いの口づけを」

 祭壇の前にいたカカリアは司祭の言葉に軽く瞑目した。

 自分の運命は受け入れている。自分の成すべき事も分かっている。これが愛すべき家族にとっても、この街のためにも最善の選択だと分かっている。

 分かってはいても、心の中に一人の男の姿が去来してしまうのは事実だった。どうやら自分が思っていた以上に、その相手は心の中に入り込んでいたらしい。

 だが、今更分かっても全ては終わりだ。

――さようなら。

 カカリアは心の中で静かに別れを告げた。ナール家のぼんくらを夫とする覚悟を完全に決め、その家を乗っ取り牛耳ってやろうと誓った。

 その時であった、静まり返った空間に、激しい音が響いたのは。

 入り口ドアが撥ねのけられるように開いたのだ。

 兵士にしがみつかれながら中に入ってくる男の姿がある。もう一人のよく知った男が邪魔な兵士を引き剥がし、少年二人がそれを手伝っている。

 なお、花びらを撒いていたナーちゃん四歳は花籠を落っことしていた。

「どうして?」

 カカリアは思わず呟いた。

 列席者が身を引いて出来た道を、トレストがずかずか近づいてくる。花婿となる予定のナール家のぼんくらが、ぼんくららしい空気の読めなさで不快を表明した。

「貴様。ここをどこだと思っている、今は私の――」

 拳の一撃に、ぼんくら男は床に転がって痙攣をした。

 ナーちゃん四歳は生まれて初めて見る暴力に、両手で口を押さえている。

「邪魔をするな。次は手加減しない」

 どこに手加減があるのか、とカカリアは頭の片隅でぼんやり考えている。しかし、予想外の出来事に理解が追いついていない。さらに心の中では戸惑いと怒りと、嬉しさと喜びが入り乱れていた。

 目の前に来たトレストを軽い上目遣いで睨んでしまう。

「ちょっと、何のつもりなのよ」

「君を迎えに来た」

「だから言ったでしょ。私は家の――」

「家や定めなど、どうだっていいのだ! 俺には君だけが全てだ! 君しかいない、君でなければダメなんだ! だからもう一度言おう、俺と生涯を共にしてくれ!」

「そんな事……」

 僅かに後退ったカカリアは、もう自分では何も考えられなくなった。思わず視界を彷徨わせてしまう。助けを求めるように視線を向けた先で、父と兄の優しい微笑みと小さな頷きが目に入る。


 その瞬間。

 カカリアは感情に支配され、望む相手の腕へと飛び込み唇を合わせた。ナーちゃん四歳が両手で目を押さえ指の間から見ているが、父親に回収されている。

「はいはい、そこの二人。盛り上がっているとこ悪いけどね、そろそろ逃げないとマズかろうと僕は思うのだがね」

「兄ちゃん、それ妬いてんのか?」

「断固として違う!」

「なんでムキになってんだ」

「うるさいよ」

 そんなやり取りにカカリアは心からの笑みをみせ、大事な宝物のように抱かれ運ばれていく。この腕の中こそが、本当にいるべき場所と信じている。

「逃がすな。我がナール家の名誉に懸けて賊を捕らえよ――をぉっ!?」

 ナール家の当主が我に返り動きだし、けれど勢い良くスッ転んだ。

 まるで足でも引っ掛けられたような転びっぷりだ。しかし、それが出来そうな相手はアルストル大公その人しかいない。そのような高貴な人物が、まして娘を攫われた父がそのような事をするはずもないため原因は不明だ。

 さらに会場ではアルストル家の貴婦人たちが、なぜだか次々と不調を訴えだし、周りの者たちはその対応に追われ大混乱となってしまう。

 興奮したナーちゃん四歳が走り回る事も混乱に拍車をかけている。

 そしてアルストル家の兵たちは、最高の笑みで気勢をあげた。

「我らの名誉にかけ、姫さんをお救い申し上げる! まずは全員整列!」

 まずは建物の入り口で点呼が行われ、装備の確認が念入りに行われる。その隊列は見事で整然としたもので、猫の子一匹通れない。もちろんナール家の兵士もだ。

「隊長殿、このような時に犯人は北に逃げるそうです。今回も間違いありません、姫さんは北に連れ去られたはずです」

「なるほど! では北で間違いない。北を固めるのだ」

「畏まりました!」

 アルストル家の兵士たちは、戸惑うナール家の兵士を伴い北へと向かう。

 しかし偶々付近にいた警備隊まで捜索に加わったにも関わらず、令嬢の行方はようとして知れなかったのであった。


◆◆◆


 この出来事にアルストル大公の怒りは凄まじく、兵士たちを激しく叱責しただけでなく、その娘を一族から追放処分とした。さらには全ての記録から娘の記述を削除させ、身の回りの品も全て破棄させ存在を徹底的に抹消させた。

 このため上流階級の間では事件を口にする事さえ憚られたほどだ。

「とりあえず、これだけ記録を消せばカカリアの生活に問題はないであるな」

「しかし父様も随分と、お甘い事で」

「お前ほどではない」

「妹に甘いのは兄の特権ですよ」

「ならば、娘に甘いのは父の特権であるな。おっと、青石のグラスも忘れず届けてやるのだぞ。あれは、カカリアのお気に入りであるからな。それと寝具が変わっては寝つけまい。忘れず運ぶよう、兵士たちに言っておくのだぞ」

「父様。カカリアの暮らす家に、あの寝具は入りませんよ」

「なんだと……よろしい。ならば、その家を建て替えてしまえ」

「できませんって。カカリアは追放の身ですよ、目立ったら困るでしょう」

「うるさい黙れ、私はやるぞ。娘の心配をして何が悪い。建て替えだ、建て替え!」

「ダメですって。アルストルの大公が何を言ってますか」

「ならば私は引退する。今からお前が大公をやれ、私は自由になってカカリアの家に遊びに行く。いやいや心配だからな。いっそ一緒に暮らすのもよいのである」

「新婚家庭に居座るとか最悪ですね」

 激しく激怒するアルストル大公は自ら剣を取って娘を探しに行こうとし、それを側近たちが宥める日々が続いたという。これが遠因となって大公位の継承が早められたと囁かれる。

「ところでな、いずれ生まれる子に名を授けてやらねばならぬ」

「それは良いですね、カカリアもきっと喜ぶでしょう」

「実はもう考えてある」

「用意がいいですね。それで、どんな名ですか」

「アヴェラという名であるのだが、どう思う?」

「良き名であるかと」

 以後のアルストル大公は塞ぎ込むことも多く、人に会う事も控え人前に出ることすら大幅に減ったという。やがて自室に姿すらないことも多くなり、ついには隠遁生活をすることとなった。

 やはり娘の件が大きく堪えたのだろう。

「しかしアヴェラという響きは、いささか男っぽいのでは。もし女の子であった場合は如何なさいますか。別の名も考えられてはどうでしょうか」

「ならば女の子向けの名前も考えるのである。そうであるな……」

「使われなかった名は、私の王都にいる友に譲りますよ。最近、手を付けた侍女の一人を側室に迎えると言っておりましたから」

「ふむ。お前の友人となると、あの御方か。なかなかお盛んな方であるな。ま、それはそれとして。女の子であれば……そうだな、ノーエルというのはどうだ」

「それもまた良き名であるかと」

 大公家は今日も平和だ。

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