外伝トレスト9 男は宝のために命を懸ける

「いよいよ婚礼の儀が迫っているね」

 兄の言葉にカカリアは静かに笑った。

 豪奢な邸宅の優雅な居室、美麗なドレスで佇む姿は貴族令嬢そのもので、つい先日まで素手でモンスターを殴り倒していたとは誰も思わないだろう。

「今更かもしれないが、お前が嫌なら婚礼を止めて構わない。私は思っているのだよ、私が大公になった時の騒音を抑えるためだけに、犠牲になる必要は無いと」

「ありがとう兄様。でもね、私が自由に冒険者をやらせて貰ったのは、ナール家に嫁ぐからという約束だったもの。好き勝手して、その後で嫌なんて言えないわ」

「しかし……」

「それにね、もう遅いのよ。そう、もう遅いのよ」

 カカリアはもう一度小さく、同じ言葉を噛みしめるように呟いた。次期大公となる兄は何か言葉を続けようとするが、そこに先触れの声が響き邪魔をした。

「ナニア様がおいでになりました」

「そうなの」

 カカリアは笑顔をみせ立ち上がった。そこには、可愛らしい盛りの姪を歓迎する態度しかない。少なくとも事情を知らぬ者には、全くそうとしか思えなかっただろう。

 姪のナニアは生まれて直ぐ体調を崩してしまい、それで転地療養に出ていたのだ。そのためカカリアは、赤ん坊の頃のナニアにしか会っていなかった。

「兄様、よかったですね」

「これでやっと親子で暮らせるよ」

 廊下からパタパタとした足音が響くと、あどけない顔の幼子が飛び込んできた。カカリアのドレス姿に足を止め目を見開いた。とても綺麗なものを見る様子で、動きを止めてしまったぐらいだ。

「うわぁ……」

「ほらナニア、私の妹のカカリアだよ。ご挨拶なさい」

「あい」

 幼子は気恥ずかしそうにしながら、しかし好奇心を抑えきれない様子で目を輝かせ、その綺麗な人に近づいていく。精一杯畏まって御辞儀をしてみせた。

「あたし四歳、名前はナーちゃんなの」

「お利口さんね。私の名前はカカリア、よろしくね」

「おばちゃま、ごきげんよう」

「……!?」

 ナニア四歳、全ての物事が思うままに生きてきた幼子。ある日ある時。この世界には恐ろしい存在がいるのだと知った。後にその思いが醸成され、自分の身を守れる力を得ようと無意識の内に思うようになるのだが、今はまだ涙目になるだけであった。

「お姉様でしょ」

「お、おね……おね……」

「もう一度、お姉様」

「おねさま」

 大人げない妹に苦笑する次期大公は、そのまま静かに部屋を出ていく。 

 廊下に出ると表情を引き締め厳しい顔となる。軽く手を挙げると、即座に配下の者たちが近づき、その言葉を待ち構えた。

「婚礼の儀における警備だが――このようにしてくれ」

「畏まりました。ですが、本当にそれでよろしいのですか」

「構わんさ。その分だけ君たちに負担をかけてしまうが」

「姫さんのためであれば、我らの負担など何の問題もありません。しかし……しかし、そのような事は本当に起きるのでしょうか。そのような馬鹿をする者がいるのでしょうか」

「居ないかもしれないが、居るかもしれない。だが、私としては居て欲しいと願っているよ。兄としては複雑な気持ちではあるがね」

 妹が真に幸せになれる事が起きるのであれば、その手助けをしたかった。物事に遅すぎるという事はないのだから。


◆◆◆


 繁華街にある酒場。

 値段の割りに量が多く味もそこそこな店は、冒険者を始めとして多くの客が訪れる。しかし今は時間帯は食事時にしては遅いが、酒を飲むには早いため客は疎らな状態だった。

 カラコロとベルを響かせドアが開く。

 新鮮な空気とともに入って来たのは、重苦しそうな外套を身に付けたケイレブであった。僅か数歩で足を止め店内を見回し誰かを探している。

 どうやら目的の相手を見つけたらしい。

 厳しげな顔を苦笑に変え、大股でずかずかと奥に向かって歩きだした。力強い足取りの下、木製の床が軋みをあげていた。

 ケイレブは酒場の奥まった小テーブルに声をかけた。

「やれやれ探したよ。ここに来るまで三軒も無駄足を踏んだぐらいさ」

 その席には三人がいた。

 二人はビーグスとウェージという少年で、元はスラムの出身ながら今は警備隊に所属しており、小綺麗な服を着て行儀よく座っている。目の前にある料理には手をつけておらず困り顔だったが、ケイレブの登場によって安堵を見せた。

 残る一人は誰あろうかトレストだ。

 午前中から飲んだくれ、今も追加を求めジョッキを高く掲げている。

「なんだケイレブか。よし、よく来たな。一緒に俺と飲もうではないか」

「僕は酒が苦手なんだがね」

「知っている。いいだろ、偶には付き合えよ」

「やれやれ困った奴だね」

 ケイレブは軽く息を吐き、しかし椅子を引き隣に座った。

 苦手な酒を飲む気はないので注文をする素振りすらしないのだが、酒場の従業員も慣れたもので、トレストの前に追加のジョッキを置くと、ケイレブの前にもジョッキを置いていった。

 なかなか営業上手な従業員を軽く睨みつつ、ケイレブは言った。

「まったく。君はこんなところで、何をしているのかな」

「見て分からんのか」

 トレストは新たなジョッキを掲げ軽く揺らしてみせた。

「酒だ、酒を飲んでいるんだ」

「なるほど、そうだったのかね。どうだい、酒は美味いかい?」

「苦くて不味い、本当に不味い」

「そりゃそうだろうね。惚れた女に振られたあげく、こんな時間に酒場でかっくらうような酒が美味いはずないものな」

「…………」

 トレストから怒気が溢れ、ビーグスとウェージは身を固くした。


 ひしゃげた銅製ジョッキから中身が溢れだし、トレストの手とテーブルに流れ落ちた。やはり酒場の従業員は慣れたもので、通りすがりに濡れ雑巾を放り投げただけで何も言わない。しかも、直ぐに新たなジョッキを持って来たのは流石だ。

「ところで、知っているかな。アルストル家令嬢の、カカリア=エル=アルストルが結婚するそうだ。近く婚礼の儀が開かれるとかで、いやはや目出度いことだ。今やアルストル全体がお祭り気分だよ」

「…………」

「でも君はきっと、毎日めそめそしながら酒場の片隅で酒を飲むのだろうね」

「今の俺はな、馬鹿にされて黙ってられる気分じゃないぞ」

「残念だ。僕が友と思った相手は、ただの腰抜けだったらしい」

「挑発のつもりか? 手加減すると思うなよ」

 トレストの声は抑えられた凄みがある。ビーグスとウェージは喧嘩の予感に椅子を引き、それを止めるための準備を始めた。二人がここにいるのは、自分たちの上司――つまりトレストの父親――から見張りを頼まれているからだった。

 もちろん酒場の従業員は酔っ払いの対応には慣れているのだろう。不穏な気配を察するや、いつでも動ける態勢と位置をとって目を配っている。

 しかしケイレブは平然とジョッキに口をつけた。

「ああ、確かにこれは不味い。僕にはとても飲めやしないよ」

 少し飲んだだけで顔をしかめ、ケイレブはテーブルの輪染みに合わせジョッキを置いた。手の甲で口元を拭い、改めてトレストに目を向ける。

 穏やかだが鋭い目線で、怒気に満ちた友人を真正面から見つめる。

「僕は知りたいのだが、君のすべき事はここで酒を飲むことなのかい?」

「飲む以外に何もする事がないだろ!」

 トレストの怒りは叩き付けられ、激しい音と共にテーブルの食器が軽く跳ねた。他の客たちからの注意を僅かに引くが、酒場ではよくある事なので皆は直ぐに興味を失った。


 なんにせよ、当事者たちは周囲を気になどしていない。

「では問おうか。このまま酒を飲んで、君は気がすむのかい?」

「やかましい。すむわけないだろうが!」

「そこまで分かって、どうして飲んでいるのやら。理解に苦しむね」

「さっきから何が言いたい! お前は良い奴だが、話が回りくどすぎるんだ」

「これは失礼」

 軽く肩を竦めてみせたケイレブは、さして本気で謝っているわけでもない。鳥の蒸し物をひょいとつまんで口に放り込む。軽くもぐもぐして呑み込んだ。

「あのな、忘れたのか? 僕たちは冒険者じゃないか。そして冒険者ってものは、いつだって宝を手に入れるために命をかける。たとえそれが、どんなものであってもね。違うかい?」

「違わない。いつだって命懸けだ」

「それだったら君はどうして命をかけず、ここで酒を飲んでいる?」

「だが俺は否定された……」

「ああ、そうかい。否定されたから拗ねているのか。下らんね、実に下らない。いつもの調子はどうした。相手の言葉など無視して突撃するのがお前ってもんだろ。それとも――」

 ケイレブは一度口を閉ざし、トレストの眼をしっかり見つめ、また話しだす。

「君が手に入れたかった宝ってのは、命をかける価値すらなかったのかい?」

「……馬鹿を言うな」

 察しの悪すぎるトレストにも自分の宝が何か、自分がどうすべきかを思考が働きだしたらしい。酔いの残った顔に強い意志と決意がみなぎりだしていく。

 ケイレブは苦笑すると、小さな瓶をテーブルに置いた。六角形な小振りなもので、中には半分ほど液体が入っている。

「ほれ解毒ポーションだよ。酔いが早く醒めるから飲むといい」

「すまない助かる」

「さて、それを飲んだら行こうじゃないか。急がないと、全てが手遅れになる」

「行くって、お前もか……?」

「当たり前じゃないか」

 戸惑うトレストにケイレブは肩を竦めてみせた。

「そもそも今更何を言うのかね。この僕がこれまで何度君に、いやいや君たちに苦労させられたことか。それを忘れたとは言わせないよ」

「そこはお互い様と思うが……だが、俺はお前に返せるものが何もないぞ」

「バカを言わないで欲しいね」

 ケイレブは薄く笑って両手を広げた。

 薄暗い酒場の中で、そこだけが目立って明るいような様子だ。

「君は損得で僕と一緒にいたのかい?」

「それこそバカ言うなだな」

「ならばよし、それでは行くとしようか」

「うむ、行こう!」

 立ち上がったトレストはまだ酔いが醒めやらず、軽く足をもつれさせた。それにケイレブが肩を貸してやり、二人揃って出口に向かう。だが、第一の試練として酒場にツケを頼み込むことから始めねばならなかった。

 ビーグスとウェージは顔を見あわせると、残された料理に手を伸ばし口の中に可能なかぎり押し込んだ。そして同時に立ち上がり、トレストたちの後を追いかけていく。




(ドラゴンノベルスさんより書籍化決定!)

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