第111話 エルフの里に花が舞う

「さて、クエスト完了。よく分かんないけど完了だよね、うん」

 ノエルは王城を出て勢いよく振り向いた。解放感のせいか綻ぶような笑顔だ。

「と、言うわけで後はアルストルに帰るだけ」

「また歩いて帰るのか、しかも今度は飛空挺の分まで歩きだ」

「あははっ。来るときよりも気が楽だし、少し慣れたからさ。楽しんでいこうよ」

「それもそうだ。でも、別にもう少し滞在しても構わないけど」

 アヴェラはちらりと傍らのイクシマを見やった。

 このイクシマが多くを助け守り、フェルケルを退けた事はエルフの間に知られている。それで、これまでの態度を謝ってきた者が大勢いるのだ。

 しかし当の本人は肩をすくめている。

「我は別に用はない」

「いいのか?」

「父上からは調子にのるなと叱責された。それで姉上と父上は大喧嘩じゃ、我が居れば揉め事にしかならんってわけなんじゃって」

「そんな事はないと思うが」

「と言うかなー、お主がもう少し居たいだけじゃろがー」

 暗い声だったイクシマは一転して明るい声をあげた。もちろん無理している事は明らかで、哀しさの交じった笑顔だ。

「お主はここの食べ物が気に入っとるんじゃろ。お見通しじゃぞ」

「……まあ確かにな。米と醤油と味噌は惜しい」

「土産で持って帰ればよかろうが」

「だが、持って動ける量ではないんだよな」

「お主どんだけ持ってく気なん!? そこの小姑に運ばせるんか?」

 イクシマはすっかり呆れ果てている。頭をかきつつ、アヴェラにべったり張り付くヤトノを顎で指し示す。もちろん相手がムッとしようとお構いなしだ。

「誰が小姑ですか、この小娘が」

「小娘言うな。だいたい、小姑ならどんだけ重かろうと平気で運べるじゃろが。うむ、馬車馬の如く荷を牽き運ぶがよい」

「なんて失礼な小娘なんでしょうか。御兄様は、わたくしにそんな事を命じません。ねっ、そうですよね御兄様。御兄様? あのっ、お返事は? どうして真剣に悩んでおられるのですか、御兄様?」

 確かにアヴェラは考え込んでいる、どうすればアルストルの地でも望む物を手に入れられるかを――そして閃いた。

「そうだな何とかするか。ヤオシマ殿に頼んで準備して貰おう」

「えっ、もしかしてアヴェラ君。本当にヤトノちゃんを馬車馬扱いするの?」

 流石に酷いとノエルは批難の眼差しだ。

 ヤトノはヤトノで悲壮な決意をみせ、両手を可愛らしく握っている。

「分かりました、御兄様がなれと言うのであれば。このヤトノは馬の代わりを立派に務めてみせましょう。もちろん犬でも猫でもなりますし、愛玩動物として一日お側で撫でられるのも構いませんとも」

「それなんだか願望がもれてるよね、うん」

 だがアヴェラが幾つかの指示を出すと、皆は大いに戸惑った。


◆◆◆


「…………」

 アヴェラは眩しそうに木を見上げた。

 満開であった桜の花は早くも散りだし、辺りを花片が舞っている。心地よい香りが辺りを包み、里に漂う焦げた臭いもここには届いていない。

 しばらく佇んでいるとヤオシマがやって来た。

 アヴェラの顔を見るなり深々と頭を下げる。その態度は恭しさがある。

「我を呼ばれたと聞いたが、何用かな」

「忙しい中すみませんね」

「いや、構いませんな。貴君に呼ばれたのであれば」

「そんな警戒しないで下さいよ。大丈夫ですから」

「…………」

 しかしヤオシマの表情は硬い。

 アヴェラは軽く困った。どうにも、塩むすびを食べそびれ記憶が飛ぶぐらい怒った間に自分はなにかしたらしい。朧気な記憶では普通に戦っているはずだが、ヤトノやノエルに何があったか尋ねても――さらにはヤトノにすら――言葉を濁らすばかりで教えてくれないのだ。

「実はお願いがあってですね、交易をしませんか」

「……交易とな?」

「はい、エルフの里の米や調味料関係をアルストルに売って欲しいのです」

「唐突な話よの」

「きっと売れると思います」

 アヴェラが何故にこんな事を言いだしたかといえば、もちろん自分が欲しいからである。交易に一枚噛んで、欲しいだけ手に入れてやろうという思惑なのだ。

「されど、それには幾つかの問題があろう」

「お聞きしても?」

「構わんよ」

 ヤオシマは幾分か砕けた様子で頷いた。

「細かい問題は省き、大きな問題を幾つか。まず里には大量に売れるだけの収穫量がない。田畑の収穫量や生産量は簡単に増やせぬ」

「そうなんですか? 開墾ぐらいは簡単でしょう」

「新たな土地を選定し切り開くだけで一年、収穫できるように整えるのに一年。それらに携わる人員を用意せねばならず、栽培する苗の用意や道具類も新たに用意せねばならぬ。おいそれと簡単には増やせぬよ」

「なるほど」

「それらを滞りなく片付けたとして、この先ずっと安定した交易が出来る保証はない。もし不要となれば里の中で収穫物が過剰となって、里の経済が破綻する」

 現実はそういうものだ。他の職種や作業との兼ね合いもあって、おいそれと特定分野のみに増員はできなかろう。もちろん輸出による取り引きもリスクが高く、失敗すれば里全体の生活を巻き込んで破綻しかねない。

 良い例が前世における特定嗜好品の一大ブームだ。それに踊らされ工場が増設され生産量が増加される。そしてブーム終焉後には廃墟となった工場と、設備投資の借金のみが残されるのだ。


「よく考えられてますね。でも輸出と言っても大量でなくていいですよ。里の産業を圧迫しない程度で、余剰分程度の少量を取り引きするぐらいで」

「交易をするかはさておき、交易は量が少なくては意味がなかろう」

「いえ、あります。なかなか手に入らないという希少価値があれば、貴族は高く買いますよ。つまり薄利多売の逆となる厚利少売ですね」

 こうして説明していると、顧客に商品を説明していた前世を思い出し楽しくなってくる。大口契約を結ぼうと頑張ったものだが、今はアルストルで米などが食べられるかどうかの真剣勝負だ。

「なるほどのう。だが、最大の問題がある。里を出た後の草原までの間の森。そこには死霊が出るが、あそこには厄介な死霊の王がおる。下手に何度も通れば必ず現れ災いをもたらす」

「死霊の王なら倒しましたけど」

「……なっ!?」

「まあ自分ではなくヤトノなんですがね」

 アヴェラの合図で襟元から白蛇が這い出し、そのまま少女の姿をとった。にぃ、と笑いかけられヤオシマは後退った。尋常ならざる存在とは知っているが、正体までは知らされていないのだ。

「ご機嫌よう」

「お、お前は……何者だ……」

「まあ失礼な言い振りですこと。わたくしは単なる厄神の一部ですよ」

「なっ! 厄神!? ありえぬ、絶対にありえぬ! と言うか、厄神の一部!? ありえん!! ああ、厄神の一部であれば呪われるのか!?」

「うーん、小娘を彷彿とさせる反応。親子ですねー、失礼なところがそっくり」

 小柄なヤトノが見上げるように見つめれば、ヤオシマは大きく怯んだ。ここぞとばかりにアヴェラは推していく。

「死霊の件は解決ですよ。だったら交易は問題ないと思いませんか?」

「我の一存では……」

「婆様は了承済みですよ。できればアルストルのワインが欲しいそうで」

「ぐっ、あの方ときたら」

「アルストルのコンラッド商会を窓口にして下さい。そこのニーソという名の者が信用できますし個人的な繋がりもあって、いろいろ任せられますので」

 ニーソを指名したのは、もちろん欲しい物を簡単に手に入れるためだ。

 勝手に話を進めているが、商売人としては最高に美味しい話だから問題ないだろう。なにせ希少なエルフ産の品が取り引きできるのだから。

「それでは、それでお願いします。さて――」

 アヴェラは軽く咳払いをすると態度を改めた。


「随分と娘を可愛がっているみたいですね」

「それは皮肉かな」

「本心ですよ。疎んじているという割には、イクシマは随分としっかり文武両道の教育を受けている。しかも他人に教えられるぐらい魔法を習得していたりとか」

「我が家としての嗜みだ」

「聞けばアルストルの街まで護衛をつけたそうですね。一人で生きていける知識と経験、暮らしていけるだけのお金もある。世の中には服が破れても、買う金もない者もいるというのに。随分と厚遇じゃありませんか」

「手切れ金のようなものだ」

 頑固な様子にアヴェラは苦笑し、軽く合図をしてヤトノを前に出した。

「わたくしは嘘が嫌いですよ、それこそ呪いたくなるぐらいに」

 緋色の瞳で見つめられヤオシマは冷や汗を浮かべ、そして観念した。厄神というものはそれぐらい恐怖の対象という事だ。

 ヤオシマは少しずつ話しだす。

「知っておると思うが、あの子の加護は死の神。それに対する偏見は軽んじる事の出来ないものであった」

「だから、あえて冷徹に厳しく接したと?」

「……そうせねば、他の者からの当たりが強かった。死の神の加護を持ち、その上で優雅な生活をしているとなれば、それを羨む者は里にも大勢おる。特に、あの子の双子の姉妹タルシマが亡くなってからは特にだ。タルシマの死を、あの子の加護と結び付ける者も多くいた」

「なるほど、そうしなければイクシマに害があったかもしれないと?」

「あの子に何の責もなかろうと、偏見とはそういうものであるのだよ。お若いの」

「でも、戦いの中に放り込むのはやり過ぎでは?」

「最後にものを言うのは強さ。強くなれば、他の者も表立っては強く言えず危害も加えられぬ。そしてアルストルに行かせたのも、この閉鎖的な里より自由に楽しく生きられると思った。そして実際そうなってくれた」

 ヤオシマはアヴェラを見つめ、万感の思いの込もる目礼をした。

「貴君のお陰でもあろう、感謝しよう。恨まれようと憎まれようと、あの子には生きて欲しい。ただそれだけなのだ」

「なるほど……そこまでの考えですか。いろいろ失礼な事を聞いてしまって、申し訳ありませんでした――」

 アヴェラは頭を下げ、しかしニヤッと笑った。

「そういう事だそうだ」

 思わぬ反応と言葉に訝しむヤオシマであったが、直ぐに気付いた。木の陰から自分の娘たちが現れた事に。

「なっ! 謀ったな」

 一瞬怒気を見せかけるが、ボロボロ泣く娘たちの姿を前にすれば自然とそれも消えてしまう。そして後はもう親子の時間だ。

「さてと、しばらくエルフの里の見物でもするか」

「そうですね」

 咲き誇る桜の下で一つの家族が和解し笑顔となる。そっと立ち去るアヴェラとヤトノは坂を下り、少し先で手を振るノエルを見つけ微笑んだ。

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