第110話 占いは裏がないので外れなし
「美味い! これは本当に美味い!」
アヴェラは大盛りご飯を、かき込むようにして勢いよく口にする。もちろん手にしているのは、わざわざ自分でつくった箸だ。隣にはヤトノがちょこんと座り、大人しく上品に食事中だ。
「美味しいですね……これが御兄様の好物……ふむふむ」
「これをずっと探していたんだ」
「昔からあちこち市場などを巡ってましたものね。そうですか、これを探しておられたのですか。なるほど」
「もう半分諦めていたけど、諦めなくて良かった」
空になった器を名残惜しげに見つめ、けれど満足そうに息を吐いた。
無事だった王城大広間に用意された上席に座り、朝食なのだが目の前には各種多彩な食事が供されている。目の前には復興作業にも関わらず、エルフ氏族の主だった貴人が集まり同席していた。
ノエルとイクシマは恐縮しきり、アヴェラの隣りで身を小さくするばかり。居並ぶ人々の前でちっとも食事が進んでいなかった。この状況で平然と食べるアヴェラはずいぶんと図太いが、ただ単に食事に夢中なだけだ。
この厚遇は王城を守護した事への礼――というのは建前でしかない。
あの凄まじい惨状を目にしたエルフたちは、厚く厚く遇しようと決意したのだ。昨夜の時点で女性が差し入れられもしたが、これはヤトノと他二名がキレて追い払っている。
「お代わりは如何でしょうか」
怯えきって今にも泣きそうな給仕が、消えそうな声で伺いをたてる。猛獣に餌をやる新人飼育員の方が、まだ堂々としているに違いない。だが居並ぶエルフの誰も笑いはしない。むしろ手を合わせ、何も起きませんようにと祈っているぐらいだ。
アヴェラは堂々と三杯めを差し出した。
「では、もう一杯お願い出来ますか。量は並盛りでいいので、熱々に」
「畏まりました」
「それと新鮮な生卵と醤油、これを少し持って来て貰えます?」
「えっ、はぁ? 分かりました直ちに、ご用意いたします」
突拍子もない依頼だったのか、パタパタと慌てた動きがある。だが、エルフのおもてなし心は本気だったらしく、直ぐに用意がなされる。
「御兄様、どうされるのです?」
「そりゃもう決まっている」
ほくほく笑顔のアヴェラは手慣れた仕草で卵を割り、カチャカチャ音をたてながらかき混ぜ、醤油を垂らし、ご飯にかけ、再びかき混ぜた。
白い米粒が黄金に包まれる。
その見た目に違わず味は最高で、しかも醤油の量も奇跡のように適量だ。
「くっ、なんて美味い……尊い味なんだ」
「御兄様、泣いておられます?」
「なんて美味いんだ。これだよこれ」
王城でやるには不作法すぎる食べ方だが、アヴェラがあまりに美味そうに食べるため、居並ぶエルフ一同が思わず喉を鳴らしている。
もちろん卵かけご飯はこの後、エルフの里に定着。貴人をもてなす最高の料理と格付けされたのであった。
◆◆◆
エルフの里の被害は大きかったが最悪ではなかった。
建物の被害は早期に投石機を破壊したお陰で抑えられ、火災も日頃からの備えや豊富な水もあって大火となる前に鎮火ができた。人的被害は皆無ではないが、谷底で大群の侵入を防げた事や幾つかの防衛拠点が機能した事で大幅に抑えられている。
これも全ては王城に侵入したキュクロプが倒され、さらには決戦が行われる前にフェルケルの一群が壊滅したおかげだ。
「とりあえず、いろいろ露呈した問題は対応するみたいじゃな」
「へぇ、そうなんだ。早いね」
そこは落ち着いた部屋だ。
白塗りの壁で床は板。家具の類いは殆ど無く、小さな名文机が一つで織物の上に直に座る。丸窓からは涼しい微風があって心地よい。そして外からは、作業をするエルフたちの掛け声や木槌の音が聞こえていた。
「防御施設や避難所の見直しもあるのじゃがな、最優先は王城への侵入路じゃな」
「そうだよね。こんな一番大事な場所に不意打ちされたらダメだよね」
「かなり巧妙に隠されとった山道があったらしくてな、辿れるだけ辿って破壊しておくそうじゃって。後は監視をどうするかで揉めておるが……」
イクシマはそこで、ニッと笑った。
「あんの役立たずの衛視ども、山ん中にぶち込まれるらしいぞ」
「えーと、それ大丈夫? 主に仕事ぶりに関してだけどさ」
「なになに。不真面目なまんまで生き残れるほど山は甘くないぞよ。いい気味じゃ」
「ちょっとだけ気の毒って思ったり思わなかったり、うーん」
「戦闘にも出んような連中に同情する必要はなかろ」
のんびり雑談に興じているのは、待機をしているためだった。
アヴェラたちは本来の用事――つまりエルフの里で占いをしてもらう――のため、婆様に面会するところだ。最初に来た際は断られたが、今のこの状況で誰が断れようか。あっさり二つ返事で了承された。
しかし、状況が状況であるため少し時間を要し、こうして指示された部屋でくつろぎながら待機をしているのだった。
暇を持てあましたヤトノはアヴェラに持たれかかり、うつらうつらと幸せそうだ。外からは相変わらず作業の音が聞こえ、それでも静かで穏やかな一時であった。
部屋の外から足音が聞こえた。
トストストストスと軽い音が徐々に近づいてくる。ヤトノを起こし、アヴェラは居住まいを正し背筋を伸ばす。ノエルとイクシマも素早く座り直している。
扉が開くと少女がトコトコやって来た。
昨日の夜にこの王城で助けた、あの少女である。上座にちょこんと座れば、イクシマがそれに深々と頭を下げた。
「婆様、ご機嫌麗しく」
相手の姿に対し相応しくない呼びかけのためアヴェラとノエルは困惑した。
「えっとさ、この子が婆様……?」
「そうじゃぞー、我らが里を導き続けて来られた婆様であるぞ」
「どう見ても年下な感じに見えるけどさ、それ本当?」
「本当じゃって」
顔立ちは整いすぎるほど整い、長い髪は明るく完璧な金色。耳は長く先が細まり、
大きな目は少しつり上がり気味。こうして前にすると、幻想的な生き物にしか見えない。そして、どことなくイクシマに似ている。
それが初めて動いたのはアヴェラの言葉によってだ。
「もしかしてハイエルフ?」
少女の表情が初めて動く。
目線がアヴェラを見つめ数度瞬きし、傍らのヤトノを見やっては硬直すらした。
「厄神の申し子と、厄神の化身か」
「アヴェラ=ゲ=エイフスと申します。それから、こちらはヤトノ」
「強い力は、ちと恐い」
「すいません」
アヴェラはヤトノを後ろに押しやった。もちろんそれで背中に張り付いてくるが致し方がない事であろう。
婆様は軽く身を乗り出し真正面から見つめて来る。
見つめ返した金色の瞳には、不思議な奥深さがあって目がそらせない。
「稀人か。久しぶりに見た」
その言葉にアヴェラは驚かされた。
これまで厄神憑きである事は気付かれても、異世界の記憶を有している事を気付いた者は、ただの一人も居なかった。何かを視る能力が本物であるのは間違いない。
「分かりますか。ところで、その稀人は他にもいるのです?」
「里の姿、里の料理、里にある木と。覚えがあったろ、つまりそういう事であるよ」
「なるほど……」
それで納得をした。米を探し栽培し、さらには醤油や味噌までつくった先人がいるという事だ。きっと充実した異世界ライフを送ったに違いない。何故か、そう確信できてしまった。
「いささかやり過ぎながら、里を守ってくれたこと感謝する」
「あまり覚えていないので礼を言われても……」
実際、塩むすびが落ちて以降の記憶が飛んでおり、気が付けばノエルとイクシマと一緒に塩むすびを食べていたという具合だ。
「それより、その稀人なんですが。まだ他に居ますか?」
「稀にしから現れぬからこそ、稀人と言う」
「なるほど確かにそうですね」
「だが忠告しよう、稀人の末路は大半が悲惨だ。いつまでも未練を引きずり世界に馴染めぬまま浮き世を流離う。身の丈に合わぬ浅はかな知識を振りかざし、物事を考えぬまま事を起こし恨まれ迫害され命を落とす」
アヴェラにはその意味が分かった。
この世界には、この世界のルールがあり文化がある。
そこに余計な事をすればどうなってしまうか。たとえばアヴェラはブラジャーなど新たな下着の知識を振りまいたが、それで苦境に立たされた旧来の下着製造者や関係者は多数いるはず。人の恨みは恐ろしく、いつどこでどんな形で仕返しをされるか分からない。どれだけ力や知識があろうと、常時あらゆる事に警戒など出来やしない。
つまりは、そういう事である。
「今後は注意なされ、ゆめゆめ忘れられぬように」
「…………」
真剣な眼差しの前に、アヴェラは黙って頭を下げた。
大人しくしていたノエルが、様子を見計らい恐る恐ると口を挟む。
「あのー、すみません。アルストルのナニア様から、占って頂きたいという用件があるわけでして。出来ればそれをお願いしたいのですけど、はい」
荷物の中から取り出した書状をそっと差し出すのだが、しかし婆様は手に取ることはしない。そのままノエルの顔を真正面から見つめ、微笑んだ。
「人を探して欲しいという事は分かっている。そして、その答えも。だからこう告げなさい――既に見つけて、いずれ分かる」
「えっと、それどういう意味です?」
「はてさて」
「もう少し、もう少し教えて欲しいです」
「こういうものは、謎めいて短い方がありがたいと思わぬか?」
婆様はニカッと笑う。
それを見てイクシマの関係者だと思うノエルであった。
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