第109話 目を合わせてはいけない相手

 谷の底に近い、エルフの里の入り口。

 エルフの軍勢は小さな川を挟みフェルケルたちと対峙していた。戦場は月光に照らし出されているが、川原にはそれらも届かない。そこでは何度となく激戦が繰り広げられ、敵味方の死体が幾つも転がったままだ。

 嫌な匂いが漂っている。

「矢の残りはあと僅かです!」

 その報告にヤオシマは唇を噛みしめた。

 攻撃魔法を使える者たちも、あと数度の使用が限界。殆ど全ての者が傷つき疲弊している。だが、まだフェルケルは退こうとしない。おおよそで五百とみた数から百は減らしたはずなのに逃げる気配がなかった。

 これだけ大規模な攻撃は初めてであるし、これだけ執拗な戦い振りも初めてだ。何かあると思っても、目の前の敵を放置するわけにもいかない。辺りの空気は不安と恐怖と怒りとでピリピリとしている。

「連中は決戦のつもりか?」

「父上、いかがなさりますか」

「おおネアか、無事で良かった」

 兵を伴う娘が現れヤオシマは心微かに安堵した。とはいえ、相手のネアシマの表情は冷たい。妹のイクシマが追放されてから確執があるのだ。公の場はともかく家中の私的な場では口もきいてくれない。それ程、親子関係は冷え切っていた。

「もはや残る矢と攻撃魔法の全てを使うしかあるまい」

「なるほど」

「もはや決戦しかあるまい。闇夜で連中も下手には動いていない。だが、明るくなってくれば、さらに里の中へと入り込まれてしまう」

「今でもかなり侵入されてますよ」

「まあ上は心配なかろうが」

「イクシマがいるからですね?」

 とたんにネアシマが僅かに嬉しげな顔となる。イクシマが一時とはいえど戻って以来、このような感じに機嫌が良いのだ。

「連れてきた二人も相当な手練れと見た。宿を提供しただけの働きはしてくれよう」

「人間の男! あれはどういった関係なのでしょう。まさかイクシマと……」

「さあな、この戦いが終わったら問い詰めてみるといい」

「そうします」

 勢い込む娘の様子にヤオシマは苦笑し、しかし直ぐに表情を引き締め決戦の言を他の氏族にも伝えようと使いの者を呼び寄せた。

 その瞬間だった、全身が震え上がったのは。


 背筋が泡立ち冷や汗が流れるような気分。実際、そうなっている事は間違いない。生存本能がフェルケルの大軍勢を前にした時よりも、もっと強く危機を訴えてくる。何かとんでもなく恐ろしいものが来ると。

「なにあれ恐い……」

 ネアシマの強ばった声にヤオシマは反応した。その声が何に対し呟かれたのかは、教えられるまでもなく分かっていた。それほど恐ろしい気配が存在するのだ。

 それは上から来る。

 斜面に連なる屋根の数々を踏みつけ、一直線にこの戦場へとやって来る。

 何かとんでもない存在が

 エルフたちの誰しも些細な物音もたてず、息さえ抑え身じろぎもせず、その存在の注意を惹かぬよう祈り願い固まってしまう。それだけの恐ろしい何かだ。

 勢いよく地面へと着地。

 ゆらりと立ちがあるのは、あのイクシマの連れてきたアヴェラという人間の男だ。遠目であっても間違いないと分かる。しかし月明かりに照らされる姿は何か黒炎を纏うようにも見える上に、その佇まいや気配も対面した時とは全く違う。

 付近にいた十を超えるフェルケルが雄叫びをあげ迫った。

 普通であれば、その武器に切り刻まれるだけだろう。しかし、アヴェラは平然とした足取りで向かっていく。直線から僅かに斜めに動き、相手との位置関係を微妙にずらしている。手にした剣が一閃二閃とさせすれ違った。

 通り過ぎた後、全てのフェルケルの首が落ちて倒れ伏した。

「なんじゃあれ、ものっそいんじゃ」

 お国言葉が思わず出たヤオシマは、目の前の光景に呆然としている。

 そして――炎の塊が現れた。

「は!?」

 常識外れに巨大な炎が空中に出現した。楕円形のそれは轟々と炎を揺らめかせ、放たれる光は辺りを地獄のように照らす。距離のあるエルフたちですら熱を感じ目を背けるほどだ

 それが音もなく滑るように前進。

 パニックに陥ったフェルケルたちの中を通過すれば、後には焼け焦げ赤熱した地面しか残らない。その周りには重度の熱を帯び焼かれるフェルケルの姿があり、それは敵対するエルフですら惨いと思う有様だ。

 暴風が吹き荒れ渦巻き状に回転する風の柱が幾本も立ち上り、辺りを荒らし回りフェルケルを空高くに巻き上げていく。

 これはもう戦いではない。

 ただの虐殺だ。

 ヤオシマは何も出来ないまま頭の片隅で考える。この川向こうだけで起きている現象が何か一つでもこちらにくれば、エルフたちの全滅は必死。

 予知で告げられた災厄は、きっとこれに違いない。

 そう確信していた。


◆◆◆


「まったく御兄様ときましたら、我を忘れてはしゃいでおられますこと」

 ヤトノは谷底まで移動すると、軽く不機嫌そうな声で呟いた。

 やや小柄な紅い瞳に整った顔をしたあどけなさ。長く黒い髪には白く小さなリボンが飾られ、白い神官着のような衣装を重ねている。月光の中に素足も含め、その白さは眩しいぐらいだ。

「はしゃぐ? 我の知っとる定義と違うんじゃが」

「ちょっとだけ暴走しておられますから」

「いんや、ちょっとどこでないじゃろって」

 手を庇にして見やるイクシマは呆れ気味だ。

「小うるさい小娘ですね。ご覧なさい、御兄様はフェルケルだけ攻撃してますし。いったいどこに問題があると言うのですか」

「地形が変わっとるとことか?」

「問題ありません! 些細な事です」

 ヤトノはムキになった仕草で足を踏みならし前に出た。

 続けてノエルも顔をだすが、それは恐る恐るという仕草であり、この目の前の状況には感心とも呆れともつかない様子だ。

「もうなんだか凄い。うん、そうとしか言えないよね」

「先程説明しましたように、御兄様が本気で怒ったところに加護が影響したと言いますか……ええ、まだ魔法の範疇ですね」

「えっとさ、あれって本当に魔法?」

「悪ノリした一部の神どもが、面白がって力を無尽蔵に貸しているのです。御兄様に力を差し出すことは大変素晴らしく当然な事ですが、しかし面白くない気分もありますね。わたくしの御兄様に他の神が手を出すというのも」

 ヤトノが白い袖を口元にやり、悩むような素振りをみせる。もはやフェルケルは生きている方が珍しいぐらいの状態となっており、吹き荒れる魔法の中心に笑い声を上げるアヴェラが立っている状態となっていた。


「そろそろ止めに参りましょうか」

 歩きだしかけたヤトノに手が伸ばされた。それは勇気を持って近づいていたヤオシマだ。皆を率いる立場として何が起きているのか確認する必要があった。

「お前たち何を、待て」

「わたくしに触れるな、エルフ!」

 ヤトノはギロリと傍らを睨んだ。

 たったそれだけでヤオシマは動けなくなる。目の前に居るモノが尋常でないと分かってしまい、硬直し顔色を夜目にも白く青ざめさせてしまう。

 イクシマがそっと父親に触れ宥めた。

「安心して下され、父上。今すぐ何とかしますので」

「あっああ……だが、どうする気なのだ」

「これを使います」

「そうか……ん?」

 頷きかけたヤオシマだが、それを見て訝しんだ。

 目の前の惨状を収めるには到底相応しいとは思えないものだった。つまり、幅広の葉に載せられた握り飯なのである。

 それで何をするのか理解が出来ないが、理解しろと言う方が無理だろう。

 ただし、イクシマは気にした様子もない。

「しっかし、食べ物の恨みは恐ろしいのう。ちっと度が過ぎてやせんか」

「きっと凄く食べたかったんだよ」

「そういう問題ではなかろ」

「でもいいよ、私が握ったやつを食べて貰うから」

「待てい! 片方は我が握ったのじゃぞ」

 全くもって危機感のない、そして場違いな会話がなされる。ヤオシマたちエルフが目を丸くして注目していた。

「お二人とも、そろそろ参りますよ。わたくしの傍にいませんと、どうなっても知りませんので遅れませんように」

 言葉を遮るようにしてヤトノが言った。見るからに足止めされ不本意そうな顔をしている。二人は揃って首を竦めてみせた。

「行こう、イクシマちゃん!」

「うむ共に行こうぞ!」

 ヤトノを先頭にノエルとイクシマは走りだした。

 不思議な事に月の光が降り注ぎ足元を照らし、川の水は止まり地面は平らとなって石も草も消える。ただ一本の道が戦場が伸びるのだ。明らかに何かの神々が施したものである。つまり逆に言えば、それだけの存在が何とかしたいと思っているという事なのだが。

 三人が、ひた走る。

 そして辿り着き――青白い月光の世界に静謐が訪れた。

 エルフの里の長い夜は終わりを告げ。後には地形の変わった谷底と、呆然とするエルフの集団が残されるばかりであった。

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