第108話 怒らせてはいけない相手
キュクロプは引き抜いた木を振り回す。
アヴェラとイクシマはその攻撃範囲から逃れつつ、それぞれの得物を振り回し挑発する。標的がノエルと少女に向かないよう、微妙に位置を変え動いていた。
ノエルの方もキュクロプの注意を惹かぬよう慎重に動いて距離を取ろうとしている。しかしエルフの少女は足を痛めている様子で、一生懸命歩こうとはするものの遅々として進まない事に変わりはなかった。
「誰か応援を……」
辺りを見回せば門の辺りで、恐々様子を伺う衛視の姿があった。手招きと指さしで少女を救助するよう合図するが、誰も動こうとはしない。全くの役立たずだ。
「あいつら、衛視なら少しは動けってのに」
「そういうもんじゃって」
言ってイクシマが動いた。
攻撃の通過した瞬間を狙い、転がるように飛び込む。そのまま倒れるようにして振るった戦槌がキュクロプの足指に命中。辺りに轟くような悲鳴があがる。
同時に振り上げられた足にイクシマが引っかけられた。
「ふぎゃんっ!」
イクシマは鞠のように飛んだ。アヴェラが咄嗟に庇うものの、二人まとめて転がった。激突した板壁を突き破り、その中へ突っ込んでしまったぐらいだ。僅かに足が見えるが、直ぐには動く様子がない。
ノエルは決意した。
「大丈夫、大丈夫だからね。絶対に大丈夫! 私が頑張らなきゃ!」
震える少女を抱き締め力一杯宣言すれば、心の奥底で何かが変わったような気がした。思い切って少女を抱え走れば幸運な事に、茂みに隠れていた女性エルフを見つける。そこに、まずは少女を預け振り向いた。
「いま行くから」
小剣を構え応援に走る。
「スピードアップ、アタックアップ」
スキルを使用しキュクロプの足元に飛び込むと、小剣を思いっきり突き立てる。特に狙ってはいなかったが、そこはイクシマの一撃が叩き込まれた部分だ。しかも先程の攻撃で割れた爪の間に思いっきり刺さっている。
咆えるような泣くような悲鳴を轟かせ、キュクロプは後退。
その足が血まみれで倒れていたフェルケルを踏んづけてしまう。ただでさえバランスを崩した状態であるし、足にも力が入らない。思いっきり足を滑らせ仰向けに倒れてしまう。
巨体が転倒すれば辺りは激しく揺れる。
その振動は辺りに伝播。投石機の攻撃のうち、目測を誤り宮殿の裏手の崖に落下していた岩を揺らし転がらせた。それは斜面で何度か跳ね、位置エネルギーを運動エネルギーに変えながら加速。最後に大きく跳ねると、宮殿の建物をも飛び越えた。
勢いよく落下した場所にキュクロプがいるのは必然とも言うべき事象である。鈍く湿った音をたて巨体の胸に岩が突き刺さった。
「うん、まあ知ってた……」
気絶したままのイクシマを抱えたアヴェラは呟いた。ただしノエルは、勢い込んでいたやる気の持って行き先を失って呆然とするばかりであった。
◆◆◆
「何だか分かんないけどさ、とりあえず倒せたって事で良かったのかな」
「めでたしめでたしとは言い切れない。まだフェルケルが残ってる」
「奇襲が失敗したわけでしょ。これで退くと思うけど」
「どうやって、ここの奇襲が失敗したとフェルケルの連中に分かるんだ」
「えーと、教えてあげるとか?」
困った様子でノエルは呟いた。
一番手っ取り早いのは、このキュクロプの死体をフェルケルの群れの前に放り出す事だろう。だが、岩付きキュクロプを下まで運ぶなど現実的ではない。もちろん衛視のエルフたちの手を借りるという案も含めての話だ。
「フェルケルだってバカじゃない。時間が経てば、それなりに気付くだろうな。それまで辛抱するしかないだろう」
「そうだね、それより皆が心配だよ」
さっさと城を出て、ディードリの屋敷へと走る。
戦闘が終わったとみるなり衛視どもが一斉にやって来て、感謝するどころか城の内部への侵入を咎め立てだしたのだ。恐らくは自分たちの不手際を棚上げするための行動に違いない。
女官たちが味方し反論してくれた隙に、気絶したままのイクシマを引っ張りだし抱えながら逃げ出した。まだ戦闘は続いており、下の状況も気になるところである。
「大丈夫かな?」
「どっちがだ」
「えーと、まずイクシマちゃんから」
「外傷はなさそうだし、脳震盪か何かで気絶してるだけだな」
「よく分かんないけど無事ならいいよね。あと、下の皆はどうかな」
「城に出た敵と比べれば、余裕に違いないのでは? たぶん」
「なるほど、それもそうだよね」
門を通り抜けたところでイクシマが気が付いた。
小さく呻き、自分がアヴェラの腕の中に――所謂、お姫様抱っこで――居ると気付くなり暴れ出した。
「降ろせ、降ろさぬか」
「なんだ気付いたか」
「こ、こんな運び方なんて……破廉恥なんじゃって!」
「お前の破廉恥の基準がよく分からんよ」
ひょいっと放り出すようにして立たせてやると、イクシマは運んでいる最中に乱れた服を手早く整えている。そしてノエルが重そうに運んで来た戦槌を礼を言って受け取った。
「すまぬな」
「こっちに礼はないのか?」
「ふんっ、知らぬ」
イクシマなりの照れ隠しと分かるだけに、それには苦笑するしかない。たぶん逆の状況ならアヴェラも同じ事を言ったに違いないのだ。
「それはご丁寧に。急ごう」
三人は足を早める。石階段を一段飛ばしに駆け下り、道に飛びだした。直角に曲がり、そのまま枝を茂らす木の下を休みもせずに走った。障害物の並べられた場所が見えると、気付いた兵士が手を振ってくれる。辺りに転がるフェルケルの死体は、最後に見た時よりも増えていた。
イクシマが笑った。
「流石は、我がディードリの兵よのう」
「あの衛視どもより頼りになるな」
「比較するのも失礼じゃって」
そのまま招き入れられ、屋敷の中に入っていく。すると辺りの兵士たちが見るからに安堵し、不安が消えていく様子が分かった。無事に凌いだとは言え、それは精一杯の心細い状態だったらしい。そして、それだけイクシマが受け入れられたという事でもあった。
「戦況はどうじゃ?」
イクシマが尋ねれば、誇らしげな答えが返ってくる。
「全て返り討ちにしております」
「そうか、ようやったな」
「ありがとうございます! ところで、城から凄い声が聞こえたのですが」
「ちっとフェルケルの群れとキュクロプが出ただけじゃって」
「えっ!?」
「全部片付いたんで問題ない」
しれっとした言葉に兵士たちは顔を見合わせ驚きを隠せないでいる。衛視の事は兵士たちが一番良く分かっているだけに、誰が片付けたかはすぐ理解できたのだろう。
アヴェラが鼻をひくつかせた。
「よい匂いがする」
目を細め辺りを見回す。どこからか食欲を刺激する匂いが漂ってくるのだ。
「ひと段落したので食事を用意させております」
「この匂いはまさか……」
「ちょうど出来たてですよ。少々お待ちを。おーいっ、ここに頼む」
兵士の合図によって向こうで配布をしていた者が、何かを運んでくる。
アヴェラは目を見張った。
「そっ、それ……それは……」
台に置かれたそれは、紛う事なき――塩むすびであった。
炊きたてのご飯を、塩をつけた手でふんわり握った究極にシンプルだが同時に究極の美味となるもの。夜気の中に湯気を立たせるご飯は、見事な三角形となって白く燦然と輝くようにさえ見える。もう、そこにあるだけで幸せな気分にさせてくれる。
「おっ、おおうおう」
アヴェラは感動に打ち震えた。
「これを食べても!?」
「どうぞ、粗末なものですが」
「いやとんでもない! 最高だ! これは最高のご馳走だ!」
運命というものは粋な計らいをしてくれる。
食べ損ね失意に沈むしかなかったものを、こうして空腹状態になって一番美味しく食べられる時に差し出してくれるのだ。
腹がグウグウと鳴って、早く食べろと訴えてくる。
ずっとずっと待ちわびていた白飯へと、そっと手を伸ばし――だがしかし、その塩むすびが消えた。
飛んできたハンドアクスが台を破砕したのだ。
地面に落ちた塩むすびが土にまみれ転がる様子を、アヴェラはただ呆然と見つめるしかなかった。残りの塩むすびも全て台無しとなっている。
襲って来たフェルケルは兵士が応戦し、弓を射かけ撃退した。
「お主ーぃ! ぼさっとすんな、敵じゃぞ! 危険が危ないんじゃって!」
「…………」
だがしかしアヴェラは沈黙し固まったままだ。
「何を黙っておるんじゃって。聞いておらんのか」
「アヴェラ君ってばさ、どうしたの?」
「分からんが、固まったまま泣いとるぞ」
「えっとさ、大丈夫? どこか痛い?」
「しっかりせんか」
何気に話しかけるノエルとイクシマであったが――。
「「ひぃっ!!」」
二人して悲鳴をあげ抱き合った。
アヴェラが泣きながら笑ったのだ。それは誰も見た事がないような恐ろしい、そして常軌を逸した顔だ。深く大きな呼吸と共に、ゆっくりとヤスツナソードが抜き放たれた。剣身からは黒炎のようなものが吹き出され、手から腕へと纏わり付いている。
見るからに恐ろしく――災厄の使者とは、目の前のコレだとエルフたちは悟った。
「いい加減に……しないと……そろそろ本気で怒るぞ……」
エルフたちは怯え竦み恐怖し身を震わせ、白蛇が少女へと姿を変えた事すら気付かない程だった。
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