第106話 嫌な予感ほどよく当たる

「また来たよ!」

 ノエルが注意喚起の声をあげる。

 道を挟んだ向かいにある下層階の建物は、丁度屋根が腰高ぐらいの高さにある。それで開けた景色を確保しているのだが、今はそこに這い上がったフェルケルの姿があった。先程から断続的に何度も襲って来る。ここまで来るという事は、どれだけの数が襲撃して来て、どれだけの被害が出ているのか不安になるぐらいだ。

 だがしかし、今はそれを気にする時ではない。

「放てぇっ!」

 イクシマの合図でエルフの弓兵が矢を放つ。

 現れたフェルケルの数体は甲高い悲鳴をあげ屋根から転げ落ちた。だが、残りはそのまま突っ込んできた。そもそも弓兵の数が少ない上に、多少の矢では怯まない頑強さがフェルケルにはある。

 だが、その迫る相手にノエルが前に出た。

 手には風の神の加護を受けた小剣――暇を持てあましたヤトノが瓦礫を掘り返し探してきた――を握る。所持者の素早さをあげる効果があるため、赤いマントをなびかせ格段の速度でフェルケルに迫り、たちまち数体に手傷を負わせ怯ませた。そこにイクシマが突っ込み、全てを討ち取った。

 辺りを警戒しつつ、倒したフェルケルから矢を回収しながら戻ってくる。

 ひとまず、今回の襲撃は凌いだというところだろう。

「なんだかさ、やって来る頻度が増えた気がするんだけど」

「そうかもしれぬな。下の戦いがどうなっておるか……情報がないのが辛いぞよ」

「うん、それあるよね。分からないのが一番辛いよ」

「ところでアヴェラのやつめ、戻ってくるのが遅いとは思わぬか」

 イクシマは唐突に言いだした。

「別に心配しておるわけではないぞ。うむ、あやつはフェルケル如きに後れを取ることはないでな。ただ、ちっとばっかし遅いんでないかと思うのじゃって」

 そわそわしながら通りを見やるイクシマは思いっきり心配そうだ。

 アヴェラはエルフの兵士を何人か連れ、逃げ遅れた者の捜索と救出に出ていた。ヤトノも一緒なので何も心配する事はないのだが、そこはそれ。ついつい心配してしまうのが人情というものであろう。

「んーっ、そろそろ戻ってくるかな」

 ノエルは背伸びしながら通りの向こうを眺めやった。火災は殆ど鎮火し燻る程度のため、月光の中に目を細めるしかない。日射しもないのに手を庇のようにするのは、癖というか習性のようなものだろう。


 すると青白い光に照らされた中に動く影がちらほらと見えた。

「あっ、来た。何人か一緒だよ」

「そうか、まあ無事で当然じゃろって」

「待って……後ろに……追われてる感じ!」

「な、なんじゃってっ!? それ大丈夫なんか」

「任せて、応援に行って来る!」

「そこの二人。戦わんでいいで、一緒に行って逃げる連中に手を貸すのじゃ」

 イクシマがエルフの兵士に指示を出す間に、ノエルは走りだした。スピードアップのスキルを使えば、小剣の効果もあって飛ぶような勢いだ。すぐさま幼いエルフを抱え、片手でヤスツナソードを振るうアヴェラと合流を果たした。

「援護するよ」

「助かる。こいつら、しつこくてな」

 アヴェラは左肩に泣きじゃくる幼いエルフを担ぎ、接近するフェルケルの一体を蹴飛ばした。同行するエルフ兵は怪我人を背負い、さらにヤトノは老エルフの手を引いてやっている。

 この状態でフェルケルの追撃をしのぎながら来たのだ。

「私に任せて!」

 気合いを入れたノエルは小剣を手にフェルケルに立ち向かう。その姿は自信に満ちあふれている。この戦いが始まって以降、不思議なぐらい不運が訪れていないのだ。しかも感覚が冴え渡り、誰かに教えられるように些細な気配や動きが分かってしまうのである。

「案外とコクニも過保護。夜の支配者にまで頭を下げるとは……」

 ちらりと月を見上げ、ヤトノは軽く呆れたように息を吐いてみせた。

 自分が何に護られているのか知らないノエルは、変則的な動きで相手を惑わし、一気に接近すると素早く小剣を振るう。非力さを理解しているため狙うのは相手の足。倒すよりは動きを封じる事を最優先とする。一体二体次々と、確実に全てのフェルケルの足に傷を負わせた。

 だが手負いとなった相手は激しく暴れだすため、迂闊に近づけず次の攻撃が難しくなってしまう。振り回されるハンドアクスなどの武器の前に様子を伺っていると、後ろから頼もしい声が聞こえた。

「待たせた」

 幼いエルフを迎えの兵士に預けたアヴェラが攻撃に加わると、暴れるフェルケルへと一気に斬りつけた。振り回される腕ごと殆ど一刀両断で、荒々しくも力強いのは散々追い回された恨み――と、食べ物の恨み――もあるのだろう。

 悲鳴をあげさせる事すらなく、フェルケルを斬り倒した。

 残りのフェルケルが同じ運命を辿るまで、さして時間は要さなかった。


◆◆◆


「下の方でも同じ状況だな。つまり防衛拠点があって、そこでエルフたちを保護して抵抗しているようだ。あとは、一番下の詰め所付近で戦いが続いているらしい」

「つまり、そこから洩れ出た連中が里を襲っておると?」

「恐らく。投石機はヤオシマ殿が破壊したみたいだがな」

「そういえば石が飛んで来んくなっとるのう」

 合流したアヴェラは地面に座り込み、肩を辛そうに回した。幼いとはいえ子供一人を担ぎながら戦っていたので、思った以上の負荷がかかっている。もちろん直ぐさまヤトノが飛んできて肩を揉みだした。

 今は兵士に見張りを任せ、小休止というわけだ。

「このまま何とか持ちこたえれば良いのかのう」

「それなんだが……何か引っかかるんだよな」

「はっ? 引っかかるってのは、どうしてなんじゃって」

「フェルケルって連中は投石機を持ち込んで来た。きっと必勝の道具と思ったのかもしれない。ならどうして、それが破壊されて士気が落ちない?」

 アヴェラには戦略だのなんだのは分からない。

 所詮は下級騎士なので、基本的に目の前の敵を斬って倒せばそれでいいという考えだ。しかも前世は普通に一般人だったわけで、必要もないのに戦術や戦略を学び戦況を分析できるような知識など習得していない。

 ただ何となく引っかかるだけだ。

「戦いなんて、必ず勝てると思うからするもんだろ。投石機だけで勝てると思ったのか? そうだったとしても、まだ引かない理由は何なんだ?」

 アヴェラがヤトノに肩を揉まれつつ疑問を口にすれば、その隣でノエルが口元に手を当て首を傾げている。一生懸命に考えているらしい。

「そういえば、ずっと昔に村が盗賊に襲われた時だけどさ。まず村はずれの建物に火がつけられたの。驚いた皆が消火に行ったら、反対側から襲って来た事があったね」

「陽動で相手の目を引き付け、それで本隊が奇襲をかけるのか……」

「でもフェルケルの本隊は下にいるから違うよね」

 ノエルは軽く笑った。別に面白いから笑ったのではなく、この少女は困ったりした時も笑顔をみせる癖があるらしい。きっと優しい気遣いで生きてきたのだろう。


「……そう言えば、森で野営した時に言ったよな」

 アヴェラは傍らのイクシマに視線を向けた。

「里に続く道以外を逃げたフェルケルを一人で追ったって」

「うむ、言ったぞ」

「つまりエルフの里に来る道ってのは、あの谷間以外にもあるのか?」

「道ってほどでないが、ここの少し上の辺りに獣道があったんじゃ。あん時はフェルケルが宮殿の近くに来たってんで大騒ぎだったでな。そんで崖みたいなとこを逃げるもんで、追いかける我は足を滑らせ落ちるんでないかと……まさか!?」

「そこを逆に辿って攻めてくるとかないだろうな」

 アヴェラの引っかかりと、ノエルの話を合わせれば何となくそんな推測が出来てしまう。だがしかし、イクシマは手を左右に振った。

「待て待て、落ち着かんか。あんなところを軍勢なんぞは通れんて」

「少数精鋭なら?」

「むっ、まあ通れん事はない……しかし簡単ではないぞ」

「通れない事はないなら通れるだろう」

「ありえんじゃろ、そんな事は」

「世の中ってものはな、基本的に起きて欲しくない事が起きるものだよ」

 アヴェラはしみじみと言った。

 そこは今の人生よりは、前の人生での経験によるところが大きい。欲しくて手に入れた品が翌日から特価セールになるとか、落とした物が一番落ちてほしくない場所に落ちるとか、壊れて欲しくない部分に限って壊れてしまうとか。

 運不運は関係なく、つまり世の中とはそういうものだ。

「上の守りは?」

「そりゃまあ、近衛がおるが……」

「この状況でも動いてないようだが、そいつらの実戦経験はどれぐらいなんだ?」

「由緒正しきお家の子弟が就かれるのが習わしであってな、そんなんが実戦に出ると思うか? 出る前に周りが止めるって」

「遠征隊の時の連中と同じ、稽古だけの連中か」

「いんや、それより酷い。格好だけで稽古もなんもない」

 その答えにアヴェラは目を覆い天を仰いだ。どうやらエルフの近衛はコスプレという事だ。もしそこにフェルケルの精鋭が奇襲をかけたなら、どうなるかなど想像するまでもない。

「ど、どうすべきなんじゃ?」

 イクシマの声は震えている。最悪の想像が脳裏に浮かび、何をすべきかは理解しているに違いない。だが、この立て続けに起きる異常事態に能動的行動に移す決断力が低下しているようだ。 

「そりゃ様子を見に行って、注意喚起ぐらいしておくべきだろ」

 アヴェラは肩を竦めた。

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