第105話 その決意は高らかに

 アヴェラが地面に膝を突き、はらはらと涙を零している。

 その横にヤトノはちょこんと座り、流れ落ちる涙を自らの白い袖で拭ってやった。「御兄様、このヤトノにもお気持ちが分かりますとも。わたくしも恥ずかしながら少しばかり感銘を受けておりますもの」

「…………」

「わたくしどもの与える加護。それをあのように思ってくれるからこそ、コクニめもノエルさんに肩入れするのでしょう。でなければ、あらゆる因果をねじ曲げる天運など誰が施すものでしょうか」

「…………」

「あの言葉に心動かされ、神どもが手を貸そうとしております。これを天に愛されると言うことなのでしょうね。本当に感心するばかりですね。そうは思いませんか」

「……ご飯」

「はい?」

「あと少しで食べられたのに」

 つまりアヴェラが泣いていたのは、食べ損ねたご飯のためであったのだ。

「御兄様。流石にそれはフォロー不可能です」

 再びむせび泣きだしたアヴェラに、ヤトノは呆れ返ってしまっている。とはいえ、甲斐甲斐しく涙を拭ってやるのがヤトノらしいと言えばヤトノらしいのだろう。

 幸いな事に今のやり取りはノエルとイクシマに聞こえなかった。

「よし、とりあえず我らはここを守るのじゃって」

「頑張ろう!」

「頑張ろうぞ!」

 ノエル、イクシマは気合いを入れているが、さすがに掛け声までは遠慮して入れていない。しかし二人とも武器がない。どちらも自室に置いてきており、特にノエルの場合は崩れた建物に埋まっている。

 なおアヴェラはしっかりヤスツナソードを装備している。なにせ下手に置いておけば寂しがって追いかけてきかねない。もちろん、どこにでも付いてくる呪いのスケサダダガーも当然装備していた。

「我はちょっくら戦槌ちゃんを取ってくるのじゃって。ノエルの武器は誰ぞに命じて用意させるでな」

「お願いね」

 走りだすイクシマを見送って、ノエルはアヴェラに近づいた。ひょいっと跳ねるように動くと、後ろで一つに結んだ髪が元気に揺れ動く。

 既にアヴェラは――内心はともかく――平静な様子を保っており、周りを冷静に見やるぐらいの余裕はあった。その様子は普段と大差なく、少しばかり不機嫌そうだと分かるのはヤトノぐらいのものだろう。


「大変な事になっちゃったよね」

「まったくだな。まさかこんな事になるとは……」

「でも大丈夫だよね」

「ああ、諦めてはいない。まだチャンスはある」

「そうだよね頑張らなきゃ」

 横でヤトノは小さく息を吐いた。

 アヴェラを宥め賺し、まだご飯を食べるチャンスがあると説得したヤトノには分かっているのだ。ノエルはエルフの里の状況を心配しての発言であるが、アヴェラは全く別の心配による発言なのだと。

 とりあえず会話は成り立っているので問題ないのだが。

 そこでヤトノは傍らを見やった。それは地形的に低い側にある建物の方だ。

「ふむふむ、どうやら敵が参るようですね」

「えっ! どうしよう、まだ武器がないのに。こうなったら魔法しかないよね」

「念のために申しておきますが、火の魔法は止めた方がよろしいかと」

「あっ、そうだね。了解なんだよ」

「素直で宜しいですわ。さあ、御兄様も頑張って下さいまし」

 ヤトノはアヴェラを見やって、ちょいちょいとつつく。

 辺りには消火活動に励むエルフたちの姿があって、路上には保護された無防備な者たちが大勢いる。ここを敵に襲われては大きな被害が出る事は間違いがない。

「頑張るさ。頑張れば、ご飯にありつけるからな」

 ヤスツナソードを抜き放つが、闇夜の炎の中にあっても冴え冴えとした青白い輝きは少しも変わらない。先を下に向けた無構えの状態で静かに臨戦態勢をとった。

 そして敵が現れた。

 屋根の上を伝い身軽に走り回るものが路上に降り立つ。頭に角のある豚顔で、手足が長く腹の出た姿だ。手には以前に見かけたハンドアクスがあり、これがフェルケルという存在で間違いない。

 気付いたエルフたちが悲鳴をあげる中で、一体二体と現れ甲高い声で鳴き交わし、それぞれが獲物を目指し襲撃を開始しようとした。

「させない、水神の加護よアイスブラスト!」

 ノエルが腕を突き出せば氷の塊が現れ、弧を描きながら飛翔し命中。目標としたフェルケルは弾き飛ばされ、地面の上でもがいて苦しんだ。

 同時にアヴェラも空いた手でスケサダダガーを投擲している。最近気付いたが、この呪いのダガーはどうやら必ず鋭い先から相手に命中するのだ。しかもきっちり手元に戻ってくるのだから、投擲武器としては理想に違いない。

 思わぬ反撃に動揺するフェルケル目がけアヴェラは地を蹴り突撃。

 前のめりに踏み込むようにしてヤスツナソードを振るう。何の抵抗もなく構えたハンドアクスごと一撃で斬り捨てる。そこから更に前へと、右に左に斬りつけながら突き進む。バタバタと倒れるフェルケルの間を突き抜け、その先で今まさにエルフの兵士に襲いかかろうとしたフェルケルの胴を真一文字に薙ぎ払って両断した。

 いつもより激しい戦い振りは、もちろん食べ物の恨みである。このフェルケルどもさえ襲って来なければ、今頃は口いっぱいに白飯を頬張っていたに違いないのだ。


 あまりの早業に、辺りのエルフは状況を把握しきれていない。まだ顔に幼さを残したようなエルフなどは、目の前で行われた戦闘にガタガタ震えているぐらいだ。

 アヴェラは兵士の一人を見やった。

「指揮の出来る者は?」

「はっ、はい……私です」

 これはダメだと、アヴェラは瞬時に判断をした。

 恐らくヤオシマもここまで敵が来ると想定もしなかったのだろう。だから、実戦経験のある全ての者を連れ出撃し、後には避難者の保護と消火活動の指揮として若手を残したに違いない。

 しかし完全に裏目に出ている。

 戦槌を担いだイクシマが走って来た。

「どうしたんじゃって!?」

「フェルケルがここまで来たんだ」

「なんじゃとおおおっ!?」

「とりあえず来た分は全部倒したが、まだ来るかもしれない。というわけで、イクシマがここの指揮を執るんだ」

「いやしかし……それはのう……」

 イクシマは辺りを見回した。

 辺りには大勢のエルフがいるが、今の状況に恐怖し怯えた様子だ。しかし、これまでの拒絶された過去が脳裏にちらつくため、イクシマは自分に対する視線だと感じてしまう。だから、どうしても一歩が踏み出せない。

「ここにディードリの三の姫がいる!」

 アヴェラは大きく言い放った。

「生き延びたければ従えっ!」

 その言葉が響き渡ればエルフたちの目が変わる。

 結局の所誰しも他人に縋りたいのである。誰かに命じられ使われる事で恐怖を忘れ、そして全ての責任から逃れたいのだ。

 突然、皆から頼り縋る視線を向けられイクシマはうろたえた。

「お主ー、何を言うのじゃって。我にそのような権限なんぞはないぞ」

「権限? そんなもの知ったことか、今は非常事態だ。誰かがやらねば大勢が死ぬ。だったらお前がやれ」

「はぁ!? ものっそい無茶を言いおった!?」

「つべこべ言うな、やれ。お前にしか出来ない、お前なら出来る。このまま悪評にまみれて終わりたくないだろうが、とにかくやってみろ」

「むっ、むう……確かにそれは……分かった、我はやってみる。その代わり、我の傍におってくれぬか」

「安心しろ、皆が一緒だ」

 手招きでノエルも呼び寄せ、アヴェラはイクシマの隣りに立った。もちろんヤトノも素足でペタペタやって来るとしゃがみ込み、両手を頬に当てこれからどうなるのか興味深げに見物をしだした。

 覚悟を決めたイクシマは大きく息を吸って吐いて、強い眼差しを辺りに向ける。戦槌の石突きで地面を強く打ち、辺りを見回す。

「これより防備を整える!」

 凛とした大声が響き渡る。それは先程のヤオシマにも負けないものだ。

「避難した者たちはディードリが屋敷の中庭に入れ、互いに手を貸し合い落ち着いて行動せよ! 何でもいいんで武器になるもんを手に持て! 兵士どもの半分は皆の傍にて警戒せよ! 残りは障害物になりそうなもんを持って来て、ここに並べよ!」

 皆が弾かれたように動きだす。

 逃げ延びた者たちは誰かの手を引き、傷ついた者に肩を貸し、または励まし合いながら屋敷の門をくぐる。兵士たちは木の柵や棚などを運び、辺りに並べ壁をつくり弓を手にした。

 有象無象でしかなかった集団が、イクシマの指示によって多少なりとも自衛できる集団へと変化したのだ。苦境の中にあって、それぞれが歯を食いしばり耐え忍び乗り越えようとしていた。

 もちろんそれを成したのは皆から疎まれていた一人の少女である。

 そしてエルフの里の長い夜が始まろうとしていた。

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