第104話 トラブルは、いつだって突然

「食べ方は迷うが……最初はそのままだな。熱い内こそが、ご飯の醍醐味!」

 用意されているのがスプーンという点が甚だ不満ではあるが、しかし今は熱々の米飯を食べる事こそが全てだ。

 アヴェラは白き輝きをゆっくりと掬い上げ、それをまず眺め、次に大きく息を吸って香りを楽しむ。そして生唾を呑んだ後に口元へ――だが、激しい音が響いた。

「なんだ?」

 低く重く長く響く音の後に物体が破砕される激しい音と振動。建物が激しく揺れ動き、あらゆる物が滅茶苦茶に動き回る。テーブルの上の料理は全て吹っ飛ぶ。椅子に座っていたノエルとイクシマも床に投げ出された。

 天井がミシミシと嫌な音をたてる。埃が激しく落下し、さらに細かな破片がばらばらと無数に降ってくる。給仕の者たちは悲鳴をあげ頭を抱え這いつくばった。

「これマズいんじゃって、皆の者外に逃げよ!」

 イクシマの声が凛と響くと、ようやく給仕の者たちは這うようにして逃げ出していく。自らも逃げようとして、しかしイクシマは気付いた。この揺れの中で立ったまま食事を続けようとする、信じがたい姿があるではないか。

「お主ー! 何をやっとるかあああっー!」

「食事だ」

「阿呆おおおっ、早く逃げんかあああっ! ええいっ ノエルよ手伝え!」

 揺れの中を必死にノエルとイクシマが駆け寄り、それでもなお食べようとするアヴェラからご飯を取り上げた。

「ほら逃げなきゃだよ」

「放せ! ご飯が米が!」

「はいはい、いいから行こうね」

「分かったせめて一口。一口食べたら行くから、だから放してくれっ!」

「我が儘言わないの」

 諦めきれず騒ぐアヴェラをノエルが背中から羽交い締めにし、前からはイクシマが両足を抱え運ぶ。だがしかし暴れるため簡単ではない。

「こやつやたらと、しつこいぞー。これ暴れるでない!」

「危ないから逃げなきゃいけないのに」

「ええい、小姑! おるんじゃろって、このまんまでは、アヴェラのやつが危険で危ないんじゃぞ! なんとかせい!」

 その叫びと同時に白い蛇体がするりと現れ、少女に姿を変えた。この揺れなどものともしておらず、激しく揺れる周りを物珍しそうに眺めている。そうかと思うと一歩前に出て軽く手を払い、倒れかかってきた大きな調度品を一撃で弾き飛ばした。

「だれが小姑ですか」

 ヤトノは出てくるなり不機嫌そうに頬を軽く膨らませた。

「この程度のことなど、大したことではありませんでしょう。御兄様に酷いことをしないで下さい」

「じゃーかーらー! ここは崩れるんじゃぞ危ないんじゃぞ!」

「ふむ確かに。もうすぐ崩れそうですね。御兄様の安全のため、時には御兄様の願いに逆らうことも必要なのでしょうか。ああ、これが愛ゆえの葛藤」

 言ってヤトノはアヴェラの服を掴んで歩きだした。真っ直ぐ進み、行く手にある壁を軽く掌で叩いてみせれば、どれだけの力が加えられたのか弾けるように粉々となった。ほぼ同時にアヴェラが呻いた様子からすると、力を使用したのは間違いない。


 全員が外に出た時点で、建物が崩れた。

 激しい風圧と共に細かな破片が勢い良く飛んでくるが、しかし前に出たヤトノが手を前に突き出せば全て跳ね返されてしまう。

 ただし、放物線を描いた一つがノエルの頭にコツンと命中した。

「ふむ、流石はコクニの加護ですね。わたくしの力をかいくぐるとは侮れません」

「ううっ痛い。これも防いで欲しかった」

「諦めて下さい。不運に故の避けられぬ出来事ですから」

「そうだよね不運だもんね、仕方ないよね」

 辺りは夜の暗さがあるのだが、しかし明るくもあった。なぜならば、あちこちで火の手が上がっているためだ。叫び声や悲鳴、泣き声が幾つも聞こえてくる。

「これは何事なんだろ」

「何が……」

 風を切る音が響き、大きな石が飛んでいた。

 呆然と見つめるノエルとイクシマの前で、岩と呼んでもいいぐらいの大きさをしたそれは、建物に激突し粉砕した。しかし元から斜面の多い土地だ。今度は斜面を転がり落ちだし下にある建物へと激突した。

 後には泣き叫ぶ声が幾つも響き、さらに轟々と炎の燃える音も聞こえていた。

「そにに居るのはイクシマか、無事であったか!」

 ヤオシマがやって来た。

 細剣に鎖帷子を身につけ、勢いよく歩く後ろでマントがなびく。

「父上、これは何事です!?」

「フェルケルの大規模な襲撃だ。既に下の門が破られ、投石機が持ち込まれておる」

「むうっ、連中め本気の本気か」

 イクシマは唸るがノエルはふと思い出した。草原で襲撃された馬車の痕跡に重い物を引きずったような痕があった事に。恐らくはその投石機を運んでいたのだろう。だがしかし、賢明な判断で黙っておいた。この混乱の状況下で余所者が余計な事を言えばどうなるか、想像に難くないのだから。

「我らはこれより戦いに赴く」

「それであれば我も共に」

「ならぬ!」

 強い命令にイクシマはビクッと身体を震えさせた。

「お前は、ここに控えておれ」

「……はい」

 イクシマが下を向き引き下がると、ヤオシマは辺りの兵士に矢継ぎ早に指示を出していく。その姿には人の上に立つ者の貫禄があった。

 気付けばエルフの兵士たちが集まっていたが、その中で囁くような声が交わされている――あいつのせいで、死の使いが戻ってきたせいでこんな事が起きたのだと。

 辺りは様々な音が響き渡っているが、イクシマには聞こえてしまった。

 死の加護を持って産まれた者として疎まれ忌まれ阻害されて来たのだ。皆から阻害され孤立して来た日々を思い出し、イクシマは何も言えず下を向くしかなかった。金色をした髪から覗く長耳の先が普段よりも下を向いている。


「報告します!」

 駆けてきたエルフの兵士がヤオシマの元に駆け寄った。肩から胸にかけ深手を負っているが、かなりの出血だ。それでも駆け寄った救護の女性を追いやり、表情も鋭く言葉を続ける。

「ネアシマ様が迎撃中ですが、フェルケルどもは多数。また一つ目鬼のキュクロプの姿もあるとの事で、我が方はかなり苦戦しております」

「分かった。君は直ぐに治療を受けなさい」

「お気遣いありがたく。私は大丈――」

 兵士は言いかけたものの、そのままぶっ倒れた。

 救護の女性が集まり、直ちに傷口を洗い回復魔法を使用し治療に当たっている。道の端には避難した者たちが座り込み不安げな様子で身を寄せ合っている。嘆きや泣き声が聞こえ、辺りは沈鬱な空気に包まれている。

 そんな中でヤオシマは勢いよくマントをひるがえし声を張り上げた。

「これより我らディードリの氏族は出撃する。我らが里の存亡は、この一戦にあり。各員、全力を尽くせ!」

 応える鬨の声は激しく強く闘志がみなぎっている。

 先頭をきって走りだすヤオシマに、エルフの兵士たちは僅かな遅れもみせず後に続く。それを見送る残された少数の兵士たちは、不安げに顔を見合わせるばかりだ。もちろん逃げ延びてきたエルフたちは項垂れたままである。

 ノエルは友人を気遣った。

「イクシマちゃん……大丈夫?」

「我は、我はやはり来るべきではなかったのじゃ。我のせいでこんな事に」

「そんなこと! これはイクシマちゃんのせいじゃないよ」

「だが多くの者が死に、それは死の神の加護のせいで――」

「違う!」

 ノエルは何かを払うように腕を大きく振り、手を強く握りしめる。

「私たちの持って生まれた加護は、人を苦しめて酷い事にするようなものじゃないよ! 絶対の絶対に違うよ! 確かにね、私も自分の不運を恨むときもあるし何かあれば加護のせいかもって思うよ。でもね、でも私は加護は贈り物だって思ってる」

「じゃが……」

「酷い言葉に負けちゃダメ! 自分の不満を他人のせいにしたい人には言わせておけばいいから! そんな人の言葉よりも、加護の神様を信じなきゃ! 私たちを選んで、私たちなら大丈夫だって選んで授けてくれたものだから!」

「お主……その通りかもしれぬ。いや、その通りなのじゃ。我を選んで下すった加護の神を信じねばな!」

 手を取り合う少女二人の姿に、エルフたちは何も言わない。ただ何人かは恥じ入るように目を逸らすし下を向いてしまう。

 そして――ヤトノは無言で佇み、二人を見つめ柔らかい微笑をみせていた。

 星空の下、白に白衣装を重ねた姿は燃えさかる炎に照らされ立つ姿は、凛とした厳かな雰囲気を纏っていた。よく目立つ姿であるが、エルフたちの誰も気にはしながら何も言えないでいる。

 なお、アヴェラは倒壊した建物を見つめ放心したまま座り込んでいた。

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