第103話 一番会いたかった存在

 アヴェラは上機嫌なまま食卓についた。

 既に夜だが、明るめの魔術灯に照らされた室内は清潔感があった。

 そこは客人用の食堂という事で、それほど室内は広くない。四人掛けのテーブルが配置されると狭からず広からずといった感じだ。

「食事まで頂いて申し訳ないな」

「なーに気にする事はなかろ。父上が良いと言ったのじゃでな」

 イクシマはゆったりと笑った。

「でもいの? イクシマちゃんはさ、家族の皆と食事をすれば良かったのに」

「それは構わぬ。どうせ昔っから食事は一人が多かったんじゃ」

「……それならさ、私たちで楽しく食べよっか」

「うむ、食べようぞ」

 この騒がしいイクシマが一人侘しく食事をしていたのだ。ニカッと笑う様子には少しの陰りもないが、なぜかそれが寂しげに見えてしまう。

 給仕のエルフがグラスを運び、透明な液体を注ぐ。本来はアルコール類なのだろうが、それは三人とも遠慮したので水だ。

 透明な液体を湛えた小さな陶器の杯は上品な白さだった。

「「「乾杯」」」

 殊更明るく楽しく声を合わせる。

 ゴクッと一口。その後は顎が上がって、一気に飲み干してしまう。

 純粋に美味かった。

 程良い温度の水は喉越し最高だが、この水はかつてない程に清純で繊細で透明な味わいだ。間違いなく身体全体へと染みていくような感覚がある。

 他の二人も同じく飲み干しており、驚いた給仕が慌てて水差しを用意しに行った。

「ふあーっ、やっぱし美味いのう。アルストルで一番不満じゃったのは水じゃって」

「まあ、あそこは硬水だからな。この軟水で育った者には辛いよな」

「なんぞそれ?」

「つまりだな……」

 アヴェラは口ごもってしまった。

 軟水硬水について含まれる成分による違いと説明したいのだが、問題はこの世界ではカルシウムやマグネシウムといった元素自体が発見されていないことだ。それすらも説明できるほど知識があるなら、前世で不遇な人生は送っているはずがない。

「まあ、水にも種類があるって事さ」

 もう一杯水を飲んだところで、料理が運ばれてきた。


 季節の野菜を軽く茹で何かの調味料で味をつけたものらしい。口にしたアヴェラは、全神経を口の中に集中させてしまった。

 一方でノエルは頬を押さえ感心した様子であるし、イクシマは嬉しげだ。

「初めての味だけどさ、これ嫌じゃないかな。むしろ美味しい」

「ふふーん、どうじゃー参ったか。これぞエルフの里秘伝の調味料でゾヤゾーゼなんじゃぞ。アルストルにもないぐらい珍しさよのう」

「へー、そんなに凄く珍しいんだ」

「まあ単に外まで運んで行くのが大変なだけなんじゃがな」

「確かに山道だもんね」

 美味しそうに味わうノエルは残念そうに残りを噛みしめている。

 そしてアヴェラは、ようやく硬直が解けていた。

「この味は醤油?」

「ゾヤゾーゼじゃぞ」

「分かってるが、この味は……」

 茹でて搾った野菜につけた調味料の味わいは、間違いなく醤油であった。ただし記憶にあるものよりも遙かに薫り高く、味に深みと複雑さがあって格段に美味しい。

「そのゾヤゾーゼってのは、昔からつくられているのか?」

「昔っからのもんじゃぞ」

「誰が発明したんだ?」

「発明って言われても分からぬ。昔っからあるもんじゃし」

「そうか」

 続けて出てきたスープは殆ど透明で、小さなキノコと香草が浮かび絶妙な塩加減と共に、香り付けは間違いなく醤油が使われていた。

「これはエルフの一般的な料理なのか?」

「うむ? まあそうよのう、ちと丁寧で手は込んでおるが、よくあるエルフ料理ぞ。アルストルはもっと肉! 乳! 油! って感じに香辛料ドサッてなった味なんじゃがな。エルフは素材の味をそのまま味わおうとするでな」

「素材の味を活かしてか……成る程」

 さらに続けて生の魚が出てくる。その魚肉をゾヤゾーゼを軽く付けて食べるという事で、アヴェラはもう何となく察してきた。この料理の成立には何者かによる介入があったのだと。

 だがそれを確認しようと騒ぐ気は皆無だ。

 イクシマは普段以上に楽しげであるのだが、久しぶりとなる郷里の味を気心知れた仲間と食べて嬉しさ倍増らしい。もちろんそれはアヴェラも同じなのである。

 今はこの料理をゆっくりと味わいたかった。

 そして一つの期待がある。もしこのまま想像通りに料理が進めば、もしかするともしかするとの食材が出てくるかもしれないのだ。即ちアヴェラが渇望するが如く食べたい食材による食事が出る可能性が極めて高いのだ。

 その期待に胸を高鳴らせワクワクするばかりである。


「でも、どうしよ。占いが無理って話だからさ、クエスト達成できないよね……」

「そうよな。我も再度頼んでみるが……果たして婆様が会うてくれるかどうかじゃ」

「押し掛けても占ってくれなかったら意味ないよね。しばらく粘ってダメなら、諦めて帰るしかないかな」

「確かにのう。滞在費がタダになったんは良いのじゃが、我としては、あんまり厄介にはなりたくないでな」

「うん、確かに。ねえ、アヴェラ君はどう思う?」

 しかしアヴェラは生の魚肉をゾヤゾーゼにたっぷりと浸し、そこに添えられた薬味――鼻の奥にツーンとくる葉――を巻いている。そのまま口に含んでウットリしながら食べ、それを飲み込み至福の顔で息を吐いてから、ようやく反応した。

「あまり遅くなるとマズいな。少し気がかりな事がある」

「やっぱりダンジョンと違うからさ、勘が鈍っちゃうよね」

「違うそうじゃない」

「もしかしてニーソちゃんの事かな。うん、きっと心配しちゃうよね」

「いや、うちの両親が心配だ」

 あの盛大なる見送りに普段の様子からすると、下手をすれば飛空挺でエルフの里まで駆けつけかねない。思い浮かべたノエルは何とも言えない顔をした。

「……それあるかもだね、うん」

「だから、少し粘ってダメなら帰るしかない。それで帰るのなら、ダメだったという証拠を用意するしかないかな」

「証拠って、それは難しいよ」

「その点は問題ない。エルフのそれなりの地位の人に書状を書いて貰えばいい」

「エルフの偉い人となるとつまり……」

「イクシマの父上だな。話せば分かってくれる人だと思う」

 焼き物の魚をフォークでつつきながらアヴェラは断言した。

 シュワッと音の出る焼きたて焼き具合で、使われているのはこれまた間違いなく味噌系のものだ。軽く火が入って、実に香ばしい匂いをさせている。

 続けて野菜と川海老を煮たものが出されるのだが、微かなとろみが付けられたツユは奥深いコクを感じさせる。口の中に優しい味わいが一杯に広がると、穏やかな気分にしてくれるではないか。


 桃源郷はエルフの里にあったのだと、アヴェラの期待は高まっていた。

 この世界に生まれ変わって以降、折に触れては市場を回り探したものの見つからなかったアレ。単なる食べ物ではなく、もはやアイデンティティとさえ言えるほどのもの。それを再び食べられるかもしれない。

 アヴェラは手にしたフォークを不満げに見やった。

 出来れば箸が欲しかった。望みのアレが出たならばフォークやスプーンなどではなく、もう絶対に箸でガッとかき込むようにして食べたかった。

「次が来たぞよ」

 イクシマに言われるまでもなく、アヴェラは独特の香りに気付いていた。

 白い山状に盛られたそれは、ふっくらもっちりした粒によって出来ている。つやつやとした粒が、魔術灯の光を受けて輝き湯気をあげている。

 心がこれを求めていた。

 幾つもの日々を恋い焦がれながら探しつづけ、ただの一度も見つからず、諦めつつも少しも忘れた事がない食べ物。それこそが――アヴェラは両手で器を持って掲げ呻くように呟いた。

「ああ、素晴らしい……」

 尋常でない様子に、ノエルとイクシマは顔を見合わせた。

「どうしちゃったんだろ、なんだか様子が変だよ。これ何か危ないものなの?」

「んなわけあるか、ライコッヘンっていう普通の食べ物じゃぞ」

「でもさ、どう見ても様子がおかしいんだけど……」

「むう、食べ物の中には時々特定の者に異常を起こすと聞いたが……もしやこれもそうであったやもしれぬ」

 ヒソヒソと交わされる会話にアヴェラは落ち着いた様子で器をテーブルに置いた。ただし我に返ったのではなく、単に食べるためにそうしただけなのだが。

「これに出会うために、ここに来たんだ。きっとそうなんだ」

 炊きたてでも冷めても美味しく、あらゆる料理に合うが、それ単体でも美味しい。煮てよし炊いてよし、焼いても揚げても載せても混ぜてもよい。丼にして上に載せればあらゆる食材に対応。雑炊にすれば、あらゆる食材の旨味を吸い込む。炒めて具材と合わせてもよければ、炒めた具材を混ぜてもよい。不作法に味噌汁をかけても良いが、茶漬けにしてもよい。溶いた卵を熱々に混ぜ醤油を加えれば至高の味にもなる。塩気の強いもので食べてもよいし、脂っぽい肉と共に食べればどれだけでもいける。お握りにして塩だけでも美味いが、梅干しなどあるとさらに良い。もしも海苔で巻きでもすれば、なおのことよい。

 それが――米飯だ。

 アヴェラはついにそれに出会った。

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