第102話 その異郷に出会うもの
用意されたゲストルームは、本邸とは別の建物であった。
こうした部屋にも迎える客によって格式があってるのだが、前世は庶民の今世は下級騎士のアヴェラには、その格式の程度が分からない。
だがしかし、狭からず広からずの部屋割りや敷物の質やテーブルの材を見れば、格式は良い方だろうと思える。また窓枠に埃の一つもない点を見れば普段から丁寧な掃除がされていると分かる。
何にせよ、ゲストルームを維持できるだけの余裕があるという事だ。
「ふむふむ、日当たりのよいお部屋」
白蛇から少女に姿を変えたヤトノは、軽やかに小テーブルの上に腰掛けた。
開いた窓からは日射しが差し込み、鳥の鳴き声と共に影がよぎる。微かに湿気を含む微風に髪を揺らせ、ヤトノは心地良さげに目を細め素足をぶらぶらと揺らす。
「占いというのは当たるものなのか?」
「いきなり、どうしましたか」
「実は占いなんてものは、正直に言って嘘臭く思っていた。でもな、さっきの話だと災厄が訪れると出ていたのだろ。つまり、ここに来ると知っていたわけだ」
「御兄様、予知と占いは違いますよ。それはそれとしまして、ここのエルフめは未来視ができるのでしょうね」
「異世界だなぁ……」
「今更ですよ。ですけど、神たちとても未来は明確に見通せません。そうでない者が未来をまともに見る事は出来ません。所詮は未来の断片を盗み見ている程度ですね」
ヤトノは真っ白な脚の間に手を突き、くすくす笑い身を乗り出した。
「災厄が訪れるという占い。さあ、それは災厄そのものが訪れるのか、災厄の化身たるわたくしどもの訪れか、どちらを示すのでしょう」
「どちらか……ちょっと待て、いつの間にか災厄の化身に巻き込むな」
「あら、御兄様には自覚がない? それはそれで構いませんが」
「変な事を言うな。真っ当な善良な、ちょっと厄神様の加護があるだけの人間だぞ」
「御兄様の事はさておきまして。生きとし生ける全ての者は、全て災厄の化身ですよ。自分以外の何かに害を与えねば生きていられないのですから」
なかなか深い言葉である。
流石は神の一部と言いたいところだが、くすくすと笑うヤトノの姿は本当に可愛い女の子だ。誰もこれが神の、それも災厄を司る神の一部とは思いもしないだろう。
「どうやら小娘とノエルさんが来るようですね。これは未来視ではありませんよ」
ヤトノは小テーブルの上から飛び降り、両手を伸ばし催促をする。それに応えたアヴェラが抱き上げると嬉しそうに頬を寄せ、次の瞬間には白蛇に姿を変えて服の中へと潜り込んでしまう。
そしてパタパタと響く足音が近づいてきた。
扉がノックされた次の瞬間には扉が開き、二人の少女が入り込んでくる。
「お主ー、どうせ暇じゃろ。仕方がないのでエルフの里を案内してやるぞ」
「折角だからさ観光しちゃおうって話になったの」
「我が良いものを見せてやる。父上から許可は貰っておるんで問題ないぞ」
「天気もいいし、行こうよ」
入って来るなり賑やかしい二人だが、その姿は見慣れないものであった。
「その格好は……?」
「エルフの衣装を用意して貰ったけどさ、どう似合うかな?」
「まあ、似合うと思うが」
「良かった、こういうの慣れてないから少し不安だったからさ」
ニコニコと笑うノエルは、金糸があしらわれた青の上下で頭には青布を巻いている。ヒラヒラと飾り布や精緻な金糸の刺繍もある。とても良く似合って綺麗だった。
アヴェラの腕が
「ん?」
「我も着替えておるんじゃがな」
「ああ、そうみたいだな」
「何ぞ言う事はないんか?」
「そうだな、そろそろ出かけるか」
「バカ者ぉっ! ここは褒めるところじゃろおぉぉっ!」
顔を赤くしたイクシマは、それに負けず劣らず赤い衣装を身につけている。普段のものより生地も飾りも豪華なもので、有り体に言えば姫らしさが出ていた。
「騒ぐなよ、その似合った衣装で出かけるのだろ」
「思っとるんなら、最初から言えよー」
頬を膨らませたイクシマであったが、次の瞬間にはニマッと変わった。
「そりゃそうと。出かける前にな、お主も着替えんとなー」
「別にそんな必要はない」
「そうはいかんぞー。ノエルよ、やってしまおうぞ」
両手をわきわきさせた二人に迫られアヴェラは顔を引きつらせた。
◆◆◆
エルフの里も最初こそ物珍しさが先に立っていたが、見慣れてくると何と言う事もない街並みだ。
夕食の買い物をする母親がいれば、その手を掴む幼子もいる。下らない話を楽しげにする友人同士もいれば、顔見知り同士での挨拶もある。軒先には賑やかしく野菜が吊され、洗濯物がはためく。足元では鶏が勢いよく走り回り、屋根だけの小屋には繋がれた牛の姿がある。
ここでは間違いなく人々が生活し、ほのぼのとした日常を送っていた。
「いろいろ誤解していたな……」
幻想郷のイメージが強すぎた事をアヴェラは反省した。ただしそこには、憧れていた観光地が想像と全く違い何とも言えないガッカリ感を味わっているような気分も、多少なりと存在するのだが。
腕組みしながら歩くアヴェラは、ようやく足元の違和感に慣れてきた。
その違和感とは用意されたエルフの衣装である。上は身体にピッタリしたチュニック風で、下は裾の開いたダボッとしたズボンを帯で止めるものだ。歩く度に擦れるし、微妙に空気が動いて妙な感じであった。
きっと観光地で民族衣装を着る観光客並みに似合っていないだろう。
「この規模だと人口は千人前後、食糧は殆ど自給自足で貨幣経済は浸透していない。周囲の備えや警戒振りからすると、敵の襲撃は多め。そんな感じだな」
「アルストルに比べたら小さいかもだけどさ。でも、私の住んでた村とかに比べると、ずっと大きいし立派だと思うよ」
「村以上都市未満と言うべきか。ある意味で辺境の地だからな、独自文化を形成して一個の国家としての体系をとっているという感じかな」
「ごめん、なんかムツカシイ感じ」
エルフ風の衣装に着替えたせいか、到着時ほど周囲からの注目はない。郷に入っては郷に従えではないが、同じ衣装を着ていることで多少なり仲間意識を感じて貰えるのだろうか。
「さあ、こっちじゃって」
意気揚々と案内するイクシマは石段を軽々と上がっていく。
この地を離れアルストルで暮らさざるを得なかった理由はあるのだろうが、やはり故郷に戻った事が嬉しいらしく、イクシマは表情も動きも活き活きとしている。少し先に行って手招きする様子は、まるで小さな子供のようだ。
「ほれほれ、こっちじゃこっち」
「もう、はしゃぎすぎだよ」
「何を言うか、これがはしゃがずにいられようか。お主らは運がいいぞー。見せたかったものが、ちょうど見頃の時期じゃったでな。言うておくが、これは普通は見られぬのじゃぞ。特別なんじゃぞ」
「なんだろ」
「見たら驚くぞー」
先に行っては戻りまた行っては戻ってくるイクシマの姿は、まるで張り切って先導しようとする仔犬のようだ。
「イクシマワンコ、いやコイヌシマでもいいな」
苦笑するアヴェラであったが、目の前を過ぎったものに気付き眉を寄せた。
「なに……?」
目の前を小片がヒラヒラ舞いながら飛んでいく。一つだけではなくヒラヒラと、またヒラヒラと風にのって幾つも飛んでくる。記憶が恐ろしく刺激され、これと同じものをみた覚えがあると訴えてくる。
それが何かは分かった――同時に間違っていた時が恐く、認めたくない。
「うわぁっ!」
ノエルの感嘆の声があがった。
小さな広場があり、赤く塗装された木柵によって囲まれている。奥には鄙びた小さな祠があるのだが、それはどうだっていい。
アヴェラの視線は目の前にある一本の樹に釘付けであった。
「すっごい綺麗な花!」
「どうじゃー、凄いじゃろって。これを見せたかったのだ」
「うん、こんなに綺麗なもの初めて見てしまった」
「エルフの里が誇る神樹じゃぞ」
その樹は薄紅色の花を咲かせていた。
「桜……!? どうしてここに!?」
「御兄様、そこ案内看板ありますよ」
いつの間にやらヤトノが顔を出していた。
「ふむふむ――遙か昔に現れた一柱の神が里の皆のため遠き星の彼方より一本の樹を取り寄せ、自らの手で植えたとされる。舞い散る花片には抗菌作用やリラックス効果、鎮静作用に血圧低下、二日酔い防止などの効果がある――だそうです」
「えらく具体的で生々しい説明だな」
「微かですが神気を帯びておりますので、どこぞの神が関わったのは事実かと」
「そうか……お前も異世界転生。いや、転位したのか……」
間違いなく前世にあった桜だ。遠い異国の地で同郷に会えば深い親しみを感じるものだが、この世界を隔てた場所で出会った同郷の桜の姿に、何とも言えない強く深い親しみを感じてしまう。
おまけに舞い散る花片はあまりにも美しく、泣きそうな気分でさえある。
「どうじゃー、綺麗じゃろ。さあ我を伏し拝んで感謝するがよい!」
「イクシマ」
「むっ、まあ普通に感謝するだけでもよいのじゃがな」
「ありがとう」
途端にイクシマは目を見開き、金色の瞳孔まで開いている。
「ど、どうしたんじゃ! はっ!? さては旅の疲れか、それとも詰め所で酷い目に遭わされたんか!?」
「感謝しているよ。とても良いところに連れてきてくれた」
アヴェラは桜を見上げる。
今はこの美しい景色を、ただ見つめていたかった。
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