第100話 郷に入っては郷に慣れよ

「お主なー、何を考えとるんじゃって」

 イクシマは両手を腰に当て、顔を迫らせ文句を言った。

 詰め所に連行されたアヴェラは拘留所に放り込まれたのだが、幸いにして本格的な取り調べを受ける前に解放されたのだ。それはイクシマが奔走し手を尽くしたからに他ならない。

「考えと言えば、この世の中の理不尽というものを考えている」

「こ奴、少しも反省しておらん」

「だがしかし。とりあえず、余計な事は大声で言わない方がいいと思った」

「大声だろうが小声だろうが、その前に不穏当なことを口にするでない。分かっとるんか、下手をすれば大事になっとったかもしれんのじゃぞ」

「うっ……」

 流石にそれを言われると気まずい。

 アルストルの人間がエルフの里を焼こうと企てたとなれば外交問題。それが誤解とは言えど、外交上では誤解など幾らでも真実や事実に変わる。そうなればナニア嬢からの信頼はがた落ちどころか消滅だっただろう。

「この我が頭を下げて引き取ってやったんじゃ。伏し拝んで感謝するがよい」

「少しは感謝してやるよ」

「一晩ぐらい置いてから引き取りに行けば良かったかのう」

「アルストルの拘留所よりは快適そうだったな」

 嘯きながら外に出ると、所在なく石垣に座っていたノエルが直ぐに気付いた。

「お帰りっ……あっ」

 顔を輝かせ身軽な仕草で立ち上がったところで、持ち前の運の悪さで足元の石に躓き前へと蹌踉めき出てくる。アヴェラが差し出した手に掴まり立ち止まると、バツの悪い顔で笑っている。

「ありがと、それから無事で良かったね」

「面倒をかけてしまった」

「私は別にいいんだよ」

 ノエルは優しく笑った。

「それよりイクシマちゃんに感謝しなきゃだよ。本当に必死に走り回って――」

「やめろおおおっ! 我のイメージを変えるななああああ! 別に我は、あちこち必死に頭を下げてなんぞおらんっ!」

「という感じで、頑張ってたからさ。ちゃんと感謝しなきゃダメなんだから」

 ノエルはイクシマの叫びなど、さらっと流してしまう。

 そして自らの行いを自ら暴露したイクシマは頭を抱え悶えていた。

「そうか、すまんな。ありがとう感謝しているよ」

「な、なんじゃ。そんな素直に礼なんぞ言いおってからに。別にな、我はそこまで必死でなかったし、感謝されたくてやったわけではないぞ。つまりその……まあ、ちょっとお主が心配じゃったが」


 ごにょごにょ下を向きながら言うイクシマはさておき、アヴェラは先程までノエルの腰掛けていた石垣あたりを見やって軽く目を見張っていた。

 我を忘れ確認のため思わず近寄ってしまう。

「これは……」

「ちっとは聞けよおおおっ!」

 人の背丈より小さな木製の構造物がある。中には人型の石像が安置され、花や食べ物が供えられていた。その構造物には見覚えがあったのだ。

「これは、なんだ?」

「言ってるそばから、少しも聞いておらんなこいつ!」

「聞いてるから、これはなんだ」

「ったく……ああ、これとか失礼じゃぞ。ここに祀られとるんは、里に災厄が入らぬよう安置されとる神様なんじゃって……だが、どうも効果はなかったようじゃの。目の前に小姑がおるわけじゃし、なんたる哀しき事か」

 その小姑というのはアヴェラの襟元から現れたヤトノの事だ。白蛇姿でキョロキョロ辺りを見回し、軽く欠伸をして頭をアヴェラの顔に擦りつけるようにぶつけ、また引っ込んでいく。その姿だけであれば誰も災厄を司る厄神の一部とは誰も思うまい。

 だがしかし、アヴェラの意識は石像に集中している。

「これはどう見ても……あれだよな」

「お主なー、早いとこ移動するぞ。とりあえず我の実家に行かねばならん、本当は寄るつもりはなかったんじゃがな。お主を解放するため手を借りたんじゃ、筋を通す必要があるじゃろ」

「んっ? あっ、ああ分かった」

「よし行こう、付いて参れ」

 イクシマに手を引かれ歩きだすが、まだそこに心を残したアヴェラは何度も振り返る。それは御堂とお地蔵様にしか見えなかったのだから。エルフの里を見た時の印象と含めると――どうにも慣れ親しんだ景色に似すぎている。


◆◆◆


 谷地形のそこは階層が存在する。

 階段を上がり次の階層に移ると、その中を横移動し次の階段を目指す。それは一気に上まで行けぬ防衛の為かもしれぬが、何にせよ長い階段をまとめて移動する事がないのは良い事だろう。

 それぞれの階層には賑やかな往来があり、食品や小物など売る姿がある。水を湛えた堀には橋が架けられ、そこを荷物を担いだ者が行き来する。

 実に平和で穏やかな都市である。

 ここがエルフの里でさえなければ、実に良い土地と思えた事だろう。

 アヴェラにはまだエルフの里の現実に対するわだかまりが残っていた。しかし、最初の動揺が落ち着いたためそれを強く表に表すことはない。

 何にせよエルフばかりの中で、アルストルの人間であるアヴェラとノエルは目立っていた。駆け回る子供たちが、見慣れぬ姿のアヴェラたちを見つけ興味津々といった様子で追いかけてくるぐらいだ。

「注目されてるね」

 ノエルはすっかり緊張した様子だ。

 後ろを振り向いたイクシマは、しつこく付いてくる子供を追い払った。

「余所からの者が珍しいんじゃって。エルフの里は他との交流が少ないでな。多少の商人は来よるが、取り引きは商会だけですませて街の中には出てこんし」

「そりゃまあ、これだけ注目されたら落ち着かないからな」

「元から閉鎖的じゃしな。殆どは、谷に生まれ谷を出ることなく死んでいく」

 歩きながら話しながら、店の中から通りの角から、遠くから近くから。なんだかんだと見られている。じっ、と見つめるわけではなく軽く一瞥する程度だが、皆がみな様子を窺ってくるため視線恐怖症になってしまいそうなぐらいだ。

 子供たちの無邪気で不躾な視線の方がずっと楽なぐらいである。

 とはいえアヴェラは直ぐに慣れた。なぜならば天や地からも風や土からも、あらゆる場所から厄神の加護を持つ者に対し視線が向けられているのだから。

 また一つ、階層を変える階段をあがる。

 谷間の崖かと思う程に急な斜面にある里は道を挟んで片側に普通に建物が、反対側には下層階の屋根がある。そのため見晴らしだけは素晴らしく広々としている。ただし場所によっては、遙か下まで見通せてしまって恐いところもあるのだが。

「イクシマの家はまだなのか?」

「んむっ、もう少し先になる。ディードリは王に近しい一族になるでな、宮殿の近くとなる」

「つまり偉いのか?」

「そこそこ程度にはのう。ほれ、見えてきた」

 顎でしゃくるようにして、前方の建物を示した。


 堅牢そうな造りで、恐らくは緊急時の防衛拠点にする事も考えられているのだろう。周囲の建造物に比べると板厚もあり、各所に弓のための狭間が設けられている。さらには武装した兵士が門の前に立ち警戒をしている様子が遠目にも確認出来た。

「筋を通すって事になると、誰かに礼を述べるという事だよな」

「もちろんじゃって。お主じゃで大丈夫と思うが……いや、お主じゃで心配じゃな。良いか、ふざけたり軽口なんぞは通じん相手じゃ。きちんと頭を下げて礼を述べるのじゃぞ、よいな我との約束なんじゃぞ」

「もちろん分かってるさ」

「本当じゃろな?」

「イクシマの面子を潰すような事はしないさ。ちゃんと、やるべき事はやる」

「普段からそういう殊勝で素直な態度をしておればいいものを」

 ぶつくさと文句を言うイクシマであったが、しかし表情は緩んで嬉しそうだ。

 だがしかしアヴェラからすれば至極当然の事である。なにせ前世ではそれなりの年齢であって、社会的なマナーぐらいは身につけていた。しかも、この世界でも下級とは言え騎士の家に生まれて作法は教えられてもいる。

「エルフ独自の礼儀作法はあるのか?」

「あると言えばあるが、それを別の者に強要したりはせん。その者が身につけた礼儀を示せば、それで構わぬ。つまり心に礼儀があるかの問題って事じゃな」

「なるほど」

 頷いていると、それまで異国情緒漂う街並みに気を取られていたノエルが困った様に言った。

「えーとさ、私はどうすればいいのかな。つまり、どこで何して待ってればいいのかって事なんだけれども」

「ノエルも一緒に来るといい。しかし特に挨拶はいらんでな、面通しみたいなもので一緒に頭を下げておればいい」

「了解なんだよ」

 優しく言われノエルは少し安堵した様子だ。

 もう殆ど目的となるイクシマの実家に近くなっていた。姿に気付いた兵士が反応し、すかさず中に声をかけ合図を送っている。

「ところで、わたくしはどういたしましょう」

 ひょっこり顔を出したヤトノにイクシマは目を剥いた。

「出てくるでない! 余計な騒ぎになるじゃろが!」

「まあ顔を見るなり失礼な。そこは問題ありませんのに、ちゃんと認識阻害をしておりますので」

 言葉の通りヤトノは力を使用しており、アヴェラは軽い頭痛に襲われていた。

「とーにーかーく! 何でもいいから出てくんな、面倒になる」

「はいはい、ところで気付いてます?」

「何がじゃ?」

「今のわたくしは他の者には見られておりません。ですから……」

「ですから?」

「小娘は一人で騒ぐ危ない人に見えてますよ」

「やめんかあああっ! ってぇ、これも我一人で騒いでるように見られてしまうん? くそー、やーらーれーたー」

 イクシマは悔しそうに騒ぎ、余計に周りからの視線を集めている。そして、ちょうど建物から迎えの者が向かって来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る