◇第九章◇

第99話 口は災いの元と云う

 堅牢な石塀と門が見えてきた。

 背後に山を構えた門は大きく開かれているが、その前には障壁となる柵が立てられ、よく見れば門の奥にもう一つの門があって二重の備えとなっている。

 警戒は厳重で、近づけば弓と槍を装備した数人の兵士が警戒の面持ちで見つめてきた。もちろんエルフだ。

 金色の髪の間からは先の尖った耳が覗き、体つきも全体的にほっそりとしている。もちろん、いずれも整った容姿であった。

 しかしイクシマが前に出て軽く会釈をしても、何も言わずに見つめて来るばかり。そこには無言の拒絶が存在するような感じだ。

「我はディードリが三の娘たるイクシマ、所用があって里に戻って参った。後ろの二人は我の供であるので問題ない」

 イクシマが先頭に立ち、懐から取り出した小さな陶片を差し出す。だがエルフの兵士はそれを受け取らず、鼻の頭に軽く皺を寄せ鋭い目付きをした。

「お前、もしかして死の使いイクシマか。まさか戻って来るとはな」

「所用があって立ち寄っただけじゃ。もちろん用事さえ済めば、直ぐに里を出るつもりでおる。ここを通ってもよかろ?」

「……通すなとは命じられていない。だが、お前の用事が早く終わる事を期待する」

「我もそう期待しておるよ、本当に」

「さっさと通ってくれ」

 素っ気なく冷たい態度に晒されながら、しかしイクシマは毅然とした態度で進む。それにノエルも続くのだが、周囲からのとげとげしい視線を浴び多少怯みがちだ。

 同じくアヴェラも睨まれる。

 この場で揉め事は起こすわけにもいかず、ヤトノが引っ込んでいたのは幸いだったに違いない。そう思いつつ静かに素知らぬ顔で通過した。

 二重になった門の奥側を通り過ぎると、まだ道が続いている。精緻に整った石段がゆるい上り坂となって続き、左手側の急斜面に沿って緩く左にカーブするものだ。

 門から充分に離れたところで、ノエルが不満そうに口を尖らせた。

「いろいろ思うところはあるけどさ。取りあえず思うのは、あの人たちって一体何なんだろね。もうさ、すっごく失礼って思うんだけど」

「気にせん方がいい。実害があるわけでもなし、嫌がらせもされず通れたわけじゃろ。すんなり通れただけでも良かったと思わねばのう」

「あのさ、そうじゃなくてだよ。私は通る通らないで怒ってるんじゃないから」

「みたいじゃな。まあ、お主が怒ってくれただけで我は嬉しいぞよ」

「イクシマちゃん……」

「ほれ、早く行こうではないか」

 促すイクシマは綻ぶように笑うのだが、それはどこか儚げでさえある。気にしていない素振りでも思うところはあって、だからこそノエルの気持ちが嬉しいのだろう。同時に気遣われる事で自分の境遇を憐れと再認識したのかもしれない。

 どう声を掛けるべきか迷うアヴェラであったが、何も言わない事を選択し並んで歩きだす。その辺りは同じように経験をしているのだから、自分がされて一番良い選択をしたのである。


 緩やかにカーブした上り坂は暖かな日射しを浴び視界は鮮やか。

 道端の草は鮮やかに照らしだされ、名も知らぬ白い花が素朴に咲いている。気持ちのいい微風に、人の暮らす匂いとしか言いようのない雑多なものが混じっていた。

 実に和やかで穏やかな情景と言える。

 だがしかし、注意深く周囲を見れば厳重なる外敵への備えが見え隠れしていた。両脇は簡単には登れぬ急斜面であり、その上には柵などが設置され場所によっては石壁が立てらている。恐らくだが、緊急時にはそこから矢や石や場合によっては岩などが降ってくるに違いない。

 実際、足元の石段を注視すれば細かな窪みや傷などが見られる。

 ここは間違いなく争いや戦いの存在する場所なのだ。アヴェラは足元の石段の一つを蹴るようにして上がった。

「やっぱりエルフの里に石を使われているのは、何かが間違っているな」

「間違っとるんは、お主の考えじゃろが。何を言うておるか」

「エルフの民というものは、森に生まれ森で暮らし森と共に森の中で生きていくものだろ。だったら石なんてものは使わず、木だけで生きるべきだろう」

「お主のエルフに対する、ものっそい偏見ってのは何なん? だいたい森の中で暮らすとかおかしいじゃろ、そんなんで暮らしが成り立つわけなかろ。普通に森を切り拓いて畑仕事なんぞしておるわい」

「なるほど確かに植物採取だけでは生活が成り立たない。そうなるとエルフも農耕文化を獲得しているのか……現実的に考えれば確かにそうだな。エルフの畑仕事ぐらいは許容せねば」

「お主の中で、エルフは蛮族でなかろうな」

「とんでもないエルフってのは高貴で繊細で優美な種族だぞ」

「そのエルフと毎日会っとるくせに」

 微妙にふて腐れるイクシマの背をノエルが気軽に叩き前に出る。ステップを踏むような足取りは、先程までのエルフ兵士に対する不満は少しも残っていなかった。

 優しい花のように微笑んでいる。

「二人ともさ、そういうのいいから早く行こうよ」

「それもそうじゃな。ようしノエルよ、あと少しじゃが一気に行くぞ!」

「行っちゃおう! 競争だよ。さあ、アヴェラ君も行こうよ」

 ノエルとイクシマは元気に小走りで進みだすものの、アヴェラが続くわけがない。

 エルフの里に到着した事で、旅の緊張が一気に緩んだらしい二人は、残りの十段ほどを軽やかに楽しげに上がってしまった。

 その一番上でノエルは軽く跳びはねている。

「うわー、凄い。異国情緒って感じだよ」

「久しぶりよのう」

「アヴェラ君も早く!」

「ほれ遅いぞ」

 坂の上で振り向いた二人に手招きされ、アヴェラも苦笑して足を早めた。

 ついに待望のエルフの里である。ファンタジー的な世界であれば、絶対に一度は訪れたい場所だ。木々と共に暮らす素朴な里か、森の中に白亜の建物が並ぶ優美な里か、幻想郷とでも呼びたくなるような神秘の里か。

 エルフの里こそ異世界の醍醐味かもしれない。

 アヴェラにしては珍しく弾む動きで坂を登り――視界が一気に開けた中で唸った。

「むっ……」

 そこは想像と、かなり違った。


 豊富な水の流れる川を底とした谷間地形、その斜面に張り付くようにして家屋が密集している。高い位置に居城らしき白壁赤柱に黒い屋根の立派な建物が存在し、それに準じる建物が下に建ち、低い位置ほど粗末な構造物となって密集していく。

 街中には水路が存在し、その水面が日射しの中に煌めいている。

「…………」

 アヴェラは言葉もなく眼前に広がる光景を見やった。

 建物には木材が多用され、白壁の建物もあり、煌めく水の流れは美しい。その点から言えば想像するエルフの里の条件は満たしている。だがしかし、これをエルフの里と呼んでいいかと言えば微妙だ。

 それが何かと言えば和風だ。しかも、前世の世界における江戸という時代を再現したテーマパークのような和風さのある村の光景だ。

 外壁を板壁にした造りに屋根は板葺きや瓦葺き。しかも土蔵や長屋のような構造物まである。しかも水路を見れば、そこを竿で操られた小舟が進んでいるではないか。

「どうじゃー凄いじゃろって」

「本当そうだよね。なんだかさ、いかにも知らない土地って雰囲気」

「異国情緒ってやつじゃな。我もアルストルに着いた時は、ちと感動したぞ」

「あー、それ同じ。私も村からアルストルに来た時は驚いたけどさ、イクシマちゃんだともっと驚いたんだろね」

「そりゃもう、ものっそい驚いたぞ。ところでそこの声も出んお主、どうじゃ。このエルフの里は。しかっと驚いとるようじゃな」

 イクシマはニカッと笑い、その肘でアヴェラをつついてみせた。

「ほれ、感想ぐらい言うてみぬか」

「ああそうだな。そうだよな、コレジャナイエルフの故郷なら、コレジャナイエルフの里だと思うべきだったよ」

「はあ!? なんでそんな事を言うん。何が気に入らないってんじゃ? ほれ、お主の見たがっておったエルフの里でないか」

「そうだエルフの里だぞ、エルフの里! いいかエルフの里ってのは、もっと優美で繊細で不思議であるべきじゃないか!」

「意味が分からんぞ」

「たとえば街のど真ん中に湖があって、そこに意味も無く白大理石の柱が無数に立っているとか! でっかい木があって、その上を走り回っているとか! 説得力がありそうで力学的に不可能な構造物とか! そういうのが少しもないじゃないか!」

「いや待て、それはおかしい。だって生活しているわけじゃし」

「そうだ、その生活だ。こんな生活臭のするエルフの里はおかしいすぎる」

「おかしいのは、お主の方と思うのは我だけなんか?」

 目線で問いかけられたノエルは頭に手をやり、あははっと乾いた声で笑っている。とりあえず言及は避けたいという事だ。

 アヴェラたちが居る辺りにも幾つかの建物――しかも旅人向けの土産物屋とか――が存在し、行き交うエルフたちの姿もある。そんな場所で大きな声をあげ騒ぐ旅人という珍しい姿に皆の注目が集まりつつある。

「とにかくだ、エルフの里ってのは木と水が調和したような場所であるべきだろ」

「でもさ、ほら見てよ。アルストルに比べて木の建物ばっかりだしさ。水路も多いよね。木と水が調和してるって私は思うよ」

「違うんだ。これをどう言うべきか表現が難しいんだが……とにかくエルフの里っているのは、こんなんじゃないんだ」

「ごめん、それ分かんない」

「エルフの里っていうのは、もっとこう……燃やしても安心な感じだ!」

「はい?」

「つまり何度盛大に燃やしても精霊の力で復活してくるような感じで木が生えてな、見ているだけで焼き滅ぼしたくなるような雰囲気がある――ん?」

 不意に肩を叩かれたアヴェラは戸惑った。

 ノエルもイクシマも前にいるわけで、他に肩を叩いて合図してくるような相手はいないはず。不思議に思ったアヴェラが振り向くと、そこには如何にも衛視といった装備をしたエルフが居た。

「ちょっと詰め所まで同行して頂こう」

 里を焼くと大声で言った相手に対する衛視の視線は鋭くも険しいものだ。背後に控える他の衛視たちは槍を腰だめに構え、怪しい動きがあれば即座に襲って来そうな気配があった。

 口は災いの元であるため注意が必要だが、厄神の加護を得ているアヴェラの場合は特にそうなのかもしれない。

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