外伝トレスト8  恋に朽ちなむ心こそ惜しけれ

 砂や小石ばかりの地面は緩やかな起伏があり、点在する黒々とした岩の間に白茶けた草が疎らに立つ。青々とした空から降り注ぐ日射しのなか、ときおり吹く強風に交じる砂が顔を痛めつけてくる。

 乾いた空気は鼻の奥が痛くなるほどだった。

「おいケイレブよ。静かに聞いて欲しいのだが」

 トレストは声を潜めながら前置きをした。やや言いにくいことなのか、数度咳払いを繰り返した後に意を決し言葉を口にする。

「俺は次の戦いが終わったら、俺はカカリアに結婚を申し込むつもりだ」

「ああ、そうかい。ようやくその気になったか、君の決断は遅いと思うがね」

「なんだと……」

「どうして驚くのかい? 他の者、つまり僕とビーグスとウェージ。それから恐らく、君の両親あたりも待ちくたびれていたね」

「何だと、勘の鋭い連中だな」

「僕に言わせれば、君が鈍いだけだと思うがね。だが、まあいいさ。遅いとはいえ、決意したのはとても良い事だよ」

 そこでケイレブは片目を瞑ってみせ、にやりと笑った。

「もちろん僕を結婚式には呼んでくれるだろうね」

「おう、当たり前じゃないか」

「では盛大に冷やかして、もとい祝ってやるとしようじゃないか」

「よし、これでもう何も恐くない。こんな気持ちで戦うのは初めてだ」

 ヒソヒソと話す挙動不審な男二人に、カカリアは胡乱な目を向けた。

 この二人がそんな様子する時は、たいてい碌でもない事に違いないと信じているのだ。もちろん、それは概ね間違いではない。

「ちょっと二人とも、戦いの前に遊ばないで。これからフィールドボスに挑むのよ、もっと戦いに集中なさい」

 鋭い叱責の声色だが、トレストときたら飼い主に声をかけられた大型犬のように嬉しそうだった。横で見ているケイレブが呆れるぐらい、そんな感じだ。

「任せてくれ。俺はこの戦いに全てを懸け挑むつもりだ」

「気合いが入るのはいいけれど、気負いすぎてはだめよ。そういった気持ちでいると、怪我なんかの原因になるなのよ」

「もちろんだとも。ところでだが、ところでなんだが。あー、ところでだが。実はこの戦いが終わった後、君に伝えたい事があるのだ」

 何度も言い淀む様子に、これはダメかもしれないとケイレブは先行き不安だった。しかしカカアリアは気にする様子もなく、むしろこちらはこちらで何か気遣わしい事があるように目を逸らした

「そうなの、実は私も戦いが終わったら貴方に――いいえ、貴方たちに伝えないといけない事があるの」

「むっ、カカリアからの相談事か。それは珍しいな。だが任せてくれ、俺たちの未来のため全力で手を貸そう。そう、未来のために」

「……ありがとう」

 呟いたカカリアは足元の小石を蹴飛ばし、後は口を開く事なく黙々と歩く。

 何かあると察したケイレブは思わしげな顔をするのだが、興奮気味のトレストは機嫌良さげな顔で見当違いの事を一人で話していた。


◆◆◆


 荒涼とした荒野の中に石柱群と石像が存在し、長い影をひきながら等間隔に並んで輪をつくっている。

 そこにトレストたちが足を踏み入れた途端、石像の一つが動きだした。

 見上げる位置にある頭部は、異形の生物のもので空洞の目が一つ、口元には湾曲した牙が大小合わせ四つある。石鎧を身に付けた胴体からは伸びる手足の関節は逆向きという異形だ。

 空洞だった眼孔に鈍く輝く赤い光が宿り、全身から細かな砂埃と破片を落としながら足を踏み出した。その一歩だけで大きく音が響き、砂埃が舞い上がる。

「どうやら、こいつがボーンエレバスかな。フィールドボスらしい迫力じゃないか」

「確かにそうだ。よし、完全に動きだす前に攻撃するぞ」

「君にしては名案だね」

「当然のことだ、そう褒めてくれるな」

 大剣を担いだトレストは一直線に突撃し、苦笑したケイレブは横から回り込むように走り出す。カカリアも反対側から回り込み、三人のコンビネーションは抜群だ。

 それぞれの攻撃が命中、ボーンエレバスに一撃二撃三撃と叩き込まれる。

「くそっ、なんて硬さだ」

「まるで石のようだ!」

「当たり前じゃないか、石のような見た目なんだから石に決まってるじゃないか」

「なるほど、確かにそうだな!」

「君は下がれ、僕が注意を惹く」

「分かった」

 トレストは素早く距離を取って、一旦体勢を整える事にした。

 その間にケイレブが巨体の足元を動き回り、何度も攻撃を加えている。だが、ダメージを与えられた様子はなかった。この敵を倒すにはどうすべきか、本当に倒せるのだろうかと不安が過ぎる。

「君らは背後から――なっ!!」

 ボーンエレバスが足を払った。

 それはケイレブを捉え、その体を子供の蹴飛ばした人形のように宙を舞わせた。地面に叩き付けられてからも更に転がる威力だ。ようやく止まった後、僅かに動こうとするが力尽きたように突っ伏してしまった。

 トレストは即座に走る。

 向かう先はボーンエレバスだ。ここで判断を間違え機会を逃すほど愚かではない。

 石造りの足に迫り、肩に担いだ剣を思いっきり振るう。腕だけでなく体全体を使い、前のめりに全力での振り下ろしだ。普通の相手では簡単に避けられてしまう大振りの一撃だったが、しかしこの相手であれば有効だろう。

 激しい打撃音、飛び散った石の破片がトレストの顔や体にぶつかってくる。そして手が痺れる衝撃と共に剣が弾き返されてしまうが、あえてそのまま剣先を後ろに流し――足腰に力を込め踏張り、剣の動きを止めた。

「うおおおおおおっ!!」

 一瞬の溜めから再度同じ箇所を狙って剣を振る。

 連撃は成功したが、ボーンエレバスはまだ健在だった。確かに攻撃した部分にヒビは入ったものの動きに問題はない。巨大な石の足が地面の上をにじり向きを変えた。

「避けなさい!」

 鋭い声を頭で理解するより前に、トレストは反射的に従った。


 跳び退いた直後、それまでトレストのいた地面に巨大なこぶしが振り降ろされている。地面を打つ轟音と震動、風圧と共に砕けた石が飛んでくる程の威力だ。

 そのまま後退したトレストは冷や汗をかきつつ、緊張から激しい呼気をした。

「なんて耐久力だ。こいつを倒せるのか!?」

 これまで遭遇したどんな敵よりも強靭であるし、何より攻撃の効果が見えない。石で出来た体は怯んだり出血したりの反応が全くないのだ。

「しっかりしなさい! 弱気になってどうするのよ」

 背中に軽い衝撃、小気味良い音がしいた。すぐ側にカカリアの気配を感じる。

「こんな事で諦めてはだめよ」

「ああ、分かっている!」

「あなたの、その信念と諦めない根性は素晴らしいわ」

「全て君の冷静さと励ましのお陰だ」

 互いに声をかけ合うが、しかし次の一手が見いだせないのは事実だ。ボーンエレバスには迂闊に近寄れぬ油断のなさが存在し、攻撃が出来ない状態だ。

 しかし――そのときであった、思わぬ方向から声が響いたのは。

「まったく、目の前でいちゃつかないで欲しいな。おちおち寝てもいられない」

 ケイレブはふらつきながら立ち上がると苦々しく言った。

 外套の下から黄金の鞘を取り出し思いきり放り投げる。偽とは言えど、それは日の光の中で燦然と輝きボーンエレパスの注意を強く惹いた。そこに紛い物の剣を間髪入れず投げつけ、見事に眼光に宿る赤い光に命中させた。

 叫びなき叫びをあげ、ボーンエレバスは明らかに動揺をみせる。

「今っ!!」

「今だ!!」

 トレストとカカリアが飛びだした。

 互いの呼吸と動きを完璧に理解した見事なコンビネーションで、先程の打撃を叩き込んだ場所を集中的に狙う。二人がかりの攻撃によって損傷が一気に拡大していく。

「よしっ!」

「喜ぶのは後、離れるのよ。ほら急いで!」

 手を取り合い走る二人の後ろで、それを追おうとしたボーンエレバスの身体が傾いでいく。限界を迎えた足が支えきれず破損をしたのだ。二足歩行は不安定なものであり、片足の骨が折れてはバランスを維持できないのは当然だった。

 ボーンエレバスの身体が前のめりに傾いでいく。徐々に勢いを増し地面に叩き付けられ時には、周りの土が大きく跳ね上がり濛々もうもうと砂煙が立った程だ。

 地面につこうとした手の骨が折れ、牙もまた同様。

 まだ動こうとはしているが、それは極めて鈍く弱々しいものだ。すかさず動いたカカリアの三節棍が眼孔に突き込まれると、それがとどめとなってボーンエレバスの動きが止まった。

 石の巨体が崩れ去る音と共にトレストたちの歓声が加わった。


◆◆◆


「戦いが終わった後、君に伝えたい事があると言ったな。だから俺は言う!」

 勝利を分かち合うと、瓦礫となったボーンエレバスを背景に、トレストは何度かの深呼吸に唾を呑み、カカリアだけを見つめ口を開く。もちろん居心地悪そうなケイレブなど気にもしていない。

「君だけが全てだ! どうか俺と生涯を共にしてくれ!」

「えっ! それってつまり」

「うぅむ具体的に言う必要があったか。つまり俺とカカリアとで家庭を持ち、爺さん婆さんになるまで末永く一緒にいて欲しい。もちろん子作りも励むつもりだ。必要であれば毎日毎晩どれだけでも」

「…………」

 カカリアは深く息を吐き、ケイレブは手で顔を覆ってしまった。

「張り倒したい気分だけど、貴方が真面目に言っている事は分かるわ。だから許してあげる。感謝なさい」

「そうか、それは嬉しいな。ありがとう!」

「でもごめんなさい」

 カカリアは穏やかさのある顔で目を逸らし言った。

「貴方はとても良い人で……そうね、好きかと聞かれたら、間違いなく好きと言えるわね。もし、私が普通の生まれで普通に生きる事が許されていたのなら、きっと馬鹿な事を言った貴方をずっと冷やかし続けたかもしれないわ」

「…………」

「でもね、私は家の決めた人と結婚しなくてはいけないの」

 カカリアは大きく息を吸って、止めて、吐いて、言葉を続けた。

「そう、私の名前はカカリア=エル=アルストル。つまりアルストル家の者として、定められた相手と結婚する運命にあるの。それも、もう直ぐに」

「なんだって!? アルストル!? 結婚!? 直ぐ!?」

「ありがとう。あなたの気持ちは嬉しかったわ、本当に……そしてさようなら。これでお別れよ。今日の戦いが終わったら言いたかったことは、それなの」

「あ……」

 頭を下げたカカリアは転送魔方陣のある扉へと走り去り、後には呆然と立ち竦むトレストが残された。ケイレブは空を見上げ、思わしげに息を吐いている。

 荒涼とした景色には乾いた風が吹くばかりだった。

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