第95話 寄る辺なき憐れなる者どもへと死の慈悲を
イクシマは目をぱちくりした。
「えっ、なにそれ」
「ですから死霊が直ぐそこまで来ているという事です」
平然と言ったヤトノは何事もないかのように、平然と焚き火に手を突っ込み薪を触っている。肉を美味しく焼く事に使命感を持って一生懸命らしい。
そしてイクシマも一生懸命になった。
「お、落ち着いとる場合かあああっ! むっ、待てよ。そうか、ここまで来んって事なんじゃな。脅かすなよなー」
「いいえ、この様子ですとここを目指してますよ」
「嘘ん! 嘘じゃろ。嘘じゃと言ってくれぇ……」
「わたくし嘘は嫌いですよ、それこそ呪いたくなるぐらいに」
「そういう意味じゃなあああいっ! というか落ち着きすぎじゃあああっ!」
イクシマの叫びは静かな森へと吸い込まれていく。
その騒ぎの間にアヴェラは装備を素早く身につけだした。それを見てノエルも、さらにそれでイクシマも我に返って装備に手を伸ばす。野営という事で最低限の装備にしていたのだ。
「でもさ、前にイクシマちゃんがいた時は何ともなかったんでしょ。それがどうして今ここで、このタイミングで!?」
「そうじゃぞ! 何で今になって襲われるんじゃって」
二人とも文句を言いながら手は止めていない。
ヤトノは指を頬にあて小首を傾げた。どうして当たり前の事を聞くのかと、不思議そうな様子だ。
「だって仕方ありませんよ。まずノエルさんは不運の神コクニの加護持ちですよね」
「もしかしてだけどさ、私が原因!?」
「いえいえ違いますよ」
狼狽するノエルにヤトノは優しく微笑んだ。
「小娘は死の神オルキスの加護持ち」
「こ、小娘言うなー!」
「そして御兄様は災厄の神たる我が本体の加護持ち。世界の理を外れた連中からすれば、加護を強く受けた存在は闇夜に輝く篝火のようなもの。あと、わたくしという存在が居ますので余計に目立ちますね」
「ちょっと待てぇい、最後の一言おおおっ! どう考えても、それが一番の原因でないんか!?」
「いいのですか? もう来ますよ」
ヤトノはくすくす笑った。その視線は焚き火の光の届かぬ濃い闇へと向けられている。この段階になると、アヴェラたちも薄ら寒い肌が粟立つような感覚を覚えだしていた。特にノエルとイクシマは身体の芯が冷えるように震えている。
そして――。
「あああっ! 出たあああっ!」
イクシマが叫んだ。
こうした場合は誰かが狼狽えると――特にそれが情けなければ情けないほど――他のものは平静でいられるものだ。だからアヴェラとノエルは静かに剣を構えられた。
光の届くギリギリの範囲に薄らぼんやりとした人の形が浮かび上がっている。
その数は十や二十といったものではない。
「これは少し数が多いな」
「問題ありません。死霊どもの数は多いですが、御兄様の剣なら問題なくいける相手です。火は大事ですので、わたくしが守りましょう。さあ、存分にお倒し下さい」
ヤトノが一歩引いたとたん、それが合図になったわけでもないが、木立や草葉の陰に潜んでいた死霊どもが一斉に飛び出した。
青白い幻影のような存在は兵士もいれば冒険者もいるし、老若男女の人間やエルフもいる。それぞれが死に至った凄惨な傷を負った姿である。
胸から腹までを斬られた兵士が剣を振りかざし迫って来た。
「ノエルとイクシマは魔法を使うんだ」
言っておいてアヴェラは前に出る。ヤスツナソードが焚き火の光に煌めき死霊兵士を斬ったとたん、その姿は煙のように消滅した。死霊に通常武器は効果ないがヤスツナソードは別という事だ。
後続の死霊剣士が一気に斬りかかってきた。
左足で地面を蹴り飛ばすように向きを変え、その青白い剣閃を回避。同時に膝を突く動作と共にヤスツナソードを振るい、青白い身体を消滅させる。
「火神の加護! ファイアアロー!」
ノエルの魔法が死霊の群れに叩き込まれる。火の神の加護を受けた力は、不浄の存在すら焼いてしまう。悶え苦しむが炎によって浄化されるのだ。
「うん、効いてるね。バッチリなんだよ」
「ならば我も大技いくぞ、見ておれ。火神の加護! ファイアウォール!」
「あっずるい、そんな魔法なんて聞いてないのに!? 後で教えてね」
「そんなこと言っとる場合かあああっ!」
イクシマがノエルに対し叫ぶのは初めてかもしれない。
腰高の炎の壁が何体かの死霊を包囲、逃げ場を奪って範囲を狭め焼いていく。なかなかエグイ魔法であるが、やはり効果は抜群で死霊たちの最後は安らいだ顔で成仏していった。
その間にアヴェラは無造作にヤスツナソードを振るった。
一体また一体と斬られた死霊は消滅していく。こちらは成仏したのではなく、より強力な呪いを浴びてしまい耐えきれず消滅したに違いない。
何の問題なく倒していくアヴェラであったが、しかし切羽詰まった声をあげた。
「数が多すぎる!」
「わたくしも、これは予想外でした。どうやら、これまでここで死んだ……いいえ、殺された連中が集まっているようですね」
「どうして集まる!?」
「それだけ目立つからなのでしょうか。しかし、数が多すぎですね。はてさて?」
火の傍らに佇んだヤトノは訝しがり小首を傾げた。
そうする間も死霊たちは尽きることなく次々と押し寄せてくる。炎が照らす範囲では動きが鈍るが、しかしアヴェラたちの身体が遮る影では素早い。
アヴェラが次々と斬り捨てるため何とかなっているが、これがもし魔法だけであれば数に圧倒され対処しきれなかったに違いない。
「こいつら強さはそんなでもないが、数が多すぎなんじゃって!」
「小娘は愚痴に口を動かすより魔法を唱えなさい。御兄様の負担になってますよ」
「と言うか、お主はなんじゃあああ! ぼさっと見ておらんで、ちっとは手伝ったらどうじゃあああっ!」
「むっ、失礼な。この程度の相手であれば、御兄様たちが全力で挑めば勝てると判断しての事です」
「じゃからってなぁ!」
「この程度のピンチで毎回わたくしをアテにするようでは、今後冒険者としてやっていけるか心配ですね。さあ頑張りなさい、御兄様のため馬車馬の如く働くのです!」
「うがあああっ、最後んとこはともかく正論すぎて反論できぬうううっ!」
神の一部であるヤトノは普段から何かと手を出すような甘々ではあるがしかし、何でもかんでも手を出すほど甘くはない。そして何より神の一部であるが故に、むしろ頼って縋ろうとする者こそ助けようとはしないのだ。
イクシマはファイヤーアローを複数放ったところで声をはりあげた。
「こうなっては致し方ない! 儀式魔法やるんじゃって」
「あっ、また知らない魔法!?」
「後で教えてやる。ちっとばっかし準備する、それまで二人で支えてくれい。よいな我との約束なんじゃぞ!」
「うん頑張るから」
言い置いてイクシマは這いつくばるようにして何かを地面に描きだした。
ノエルは必死になって炎の矢を放ち続ける。だが、それでも援護が減った分だけアヴェラには負担がかかっていた。目の前に迫った死霊兵士たちをヤスツナソードで消滅させ――剣先が右に行った瞬間、左から老婆の死霊が飛びかかってきた。
「っ!」
咄嗟に突きだし防ぎ、即座に斬って倒した。
だが左手が凍えるように冷たい。確認すれば、死霊に触れた部分に霜が降りている。かじかんだ手では剣が握れないが、片手のみで剣を振るう事は容易ではない。相当の膂力と鍛錬が必要で、アヴェラはそこまでを身につけていない。
斬りの上下は控え極力左右への払いで戦うが、それも大振りとなって隙が多い。徐々に圧されジリジリと下がるしかなかった。
「ごめん、そろそろ限界かも!」
ノエルが叫んだその時であった、膝を突くイクシマの前に光が生じるのは。地面にはいわゆる魔法陣が描かれ、それが淡く冷たい光を放っている。死霊たちの動きが止まり躊躇うように後退る。
光を浴びたイクシマは何か神々しく冒しがたい様相だ。
「我に加護を与えし死の神オルキスに伏して願い奉る。生きもせず死にもせず寄る辺なき憐れなる者どもへと死の慈悲を与え御許へと招かれんことを! 今ここに開けっ! デスゲート!」
魔法陣へと両手が叩き付けられ――光の奔流が溢れだした。
それは物理的な影響をもってイクシマの長い髪を激しく波打たせ、さらには森の木々たちを激しく揺さぶる。そして死霊たちは端から粉々に砕け消えていった。
「とりあえず、これで終了か」
森には静寂が戻り、死霊が存在した形跡は欠片もなくなっていた。
アヴェラは剣先を下に向け肩で息をする。激しい戦いの後だが汗もかいていない。むしろ逆に冷えているのは、死霊を間近にしたせいだろう。改めて確認すれば左の手首から肘までが霜に覆われていた。
強張った指先を動かしていると、さっとヤトノが駆けつけた。
「御兄様、お疲れ様です」
霜を払うと冷え切ったアヴェラの腕を自分の胸に抱え込むようにした。昼間はひんやりとしていたヤトノだが、今は心地よく温かな体温を感じる。戦いをひとつ乗り越えたのだと、ようやく実感した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます