第96話 死霊の寄り合い

 戦闘が終わると辺りは静けさを取り戻した。暗い森の中で炎の光が踊り、炙られた薪の爆ぜる小さな音が響く。

「さっきの魔法凄かったよね」

 ノエルは興奮気味の様子で言った。ドワーフ鍛冶謹製のチェインメイルを装着しているが、焚き火の投げかける光のせいもあって体つきが強調されている感じだ。

「格好良かったし、なんだか感動しちゃったよ、うん!」

「そうであろ、そうであろ。さあ我に感謝し、もそっとチヤホヤするが良い」

「うん、イクシマちゃん最高っ! あんな魔法初めて見たけどさ、もう何だろう? どこかの上級魔法使いみたいかも」

「うむうむ。チヤホヤされるのは最っ高よのうっ! ふはははっ! 仕方がないのー、教えてやると言うておった儀式魔法を教えてやるんじゃって」

 上機嫌なイクシマは焚き火の放つ柔らかな光の中で顔を緩ませる。先程の戦闘中に地面へ書き込んだ魔法陣の前にどっかと座り込んだ。尖った耳のイヤリングが揺れ、焚き火の光の中に輝いている。

 ちょいちょいと手招きしてノエルを呼び寄せている。

「よいかー、この儀式魔法ってのはなー。こうやって地面とかにな、定められた文字を寸分違わず正確かつ正しい順にて描かねばならん。でもって正しい詠唱もせねばならず、我のような冷静かつ落ち着きある者でなくては難しかろうて」

「そっか、難しそうだね。これ不思議な文字だよね。なんて書いてあるの?」

「うむ、それはのう実は――」

 しかしイクシマが答えるより先に、アヴェラが横にしゃがみ込み魔法陣の文字を読み上げてしまう。やはりこちらも魔法に興味津々なのだ。

「なになに、恐れながら書付をもって御ん願い上げ奉り候。当方義、此の度神威を現すに相当り、火を司りし貴神之御力添えを賜りますれば有り難き仕合わせに存じ奉り候。なんて読みにくいんだ」

「はあああっ!? お主いいいっ、何を言っておるんじゃって!?」

「怒るなよ、読みにくいってのは字が下手って意味で言ったんじゃない。書かれている内容が読みにくいって意味だからな」

「そうではない、そうではないいいっ!」

 叫ぶイクシマは目を極限にまで開き呼吸もおかしい。


 こいつ大丈夫かとアヴェラが訝しがっていると、横からそっとつつかれた。白い衣の長い袖からほっそりとした指が見えている。

「御兄様御兄様、小娘はそれが読めていませんよ」

「うん? しかし、この通りに書いているじゃないか」

「ええ、仰る通りですが、意味と内容を知って書いているのではありません。これは神代文字ですので人間には識字出来ないものですから……」

 文字というものは視覚情報として脳に伝わり、その形状が区分され学習経験などの記憶と照らし合わせながら意味ある言葉として認識される。ヤトノが言う事によれば、その認識が出来ないという事なのだろう。

 だが、アヴェラは魔方陣を見やって頷いた。

「読めるぞ」

「あのっ、前から気になっておりましたのですが。もしや御兄様は覚醒しておられません? つまり人間の範疇を逸脱して、神の域に足を突っ込んでいらっしゃるとか」

「はいはい、そういうのはいいから。とっくに卒業しているからな」

「卒業とは?」

「亜神に覚醒だの、実は半神半人の生まれだとかな。子供の頃に妄想するけどな、そんなのは遙か昔の黒い歴史で、とっくに通り過ぎたよ」

「御兄様が何を仰っているのか、ヤトノには理解できませんが……大丈夫です! 理解してみせます。ええ、いつか必ず理解してみせますとも」

 きゅっと両手を拳にすると、ヤトノは決意と共に夜空の彼方を見やった。しかし――不意に鋭い動きで背後を振り向き、形のよい眉を寄せ厳しい目付きで森の闇を見やった。

「この気配は……」

「どうした?」

「追加が来るようですね」

「その追加って言うのは、やっぱり死霊の群れか?」

「はい、先程の死霊と同様の存在です。ですが少々強い力を感じますね。どうやら仲間が全てやられたので、親玉が様子を見に来たのでしょう」

「なるほど」

 アヴェラはヤスツナソードの柄に手をかけ、いつでも抜ける態勢をとった。

「来ましたよ。そこです」

 焚き火の光によって強調された森の闇に、青白い光がポツポツと現れる。それは数を増していき、見渡す限りを埋め尽くした。まるで夜空の星々が地上に降りてきような光景だが、その全てが死霊なのだろう。

 圧倒されたノエルとイクシマは互いに縋り付き手を取り合っている。もう戦い抗う気力すらないらしい。

 アヴェラが緊張で唾を呑む前で、一体の死霊が光の中に姿を現した。

 青白い光を纏うそれは堂々として力強い。骨の頭に骨製の冠を載せ頭蓋骨を繋げた飾りを首から下げ、身につけた黒ローブの表面には苦悶の顔が浮かんでは消え、不浄な邪悪を強く感じる。

「ふぎゃああああああっ! あれ死霊の王じゃあああっ!」

「それ間違ってるとかって可能性は?」

「さっき言うたじゃろが、骨の冠に死霊の衣! あの姿にあの気配を見よ、あれが死霊の王以外に何に見えよるんか!?」

「お伽話って言ってたのにー!」

 イクシマとノエルはパニック状態になって互いに抱き合っている。普通であれば声もあげられないところだが、これまで厄神の気配やドラゴンに遭遇しているだけに、多少の耐性が出来ているようだ。

 なんにせよ動けない事に変わりはないのだが。


 死霊の王は平然と光の中に足を踏み入れてきた。配下である死霊の群れは、焚き火の光の外を十重に二十重にと取り囲み蠢いている。

「喰らい甲斐のある極上の獲物」

「去れ、わたくしの御兄様とその仲間に不浄の者が近づくな」

「神の端末め、お前も獲物でしかない」

「はぁ、呆れた。わたくしを馬鹿にしてます? たかが死霊如きの下郎めが」

「お前を喰らえば更なる力となる。さあ雑魚は片付けておこう」

 死霊の王が腕を振るえば闇色の波動が広がった。

 それはアヴェラとヤトノの前で霧散するが、抱き合ったノエルとイクシマの前でも同じように消えてしまう。

「い、今のはなんじゃ?」

「芸のないただの即死攻撃ですよ」

「はあああっ!? なんで我たち無事なん!?」

「御兄様は本体の呪い、もとい加護がありますもの。たかが即死攻撃なんて効きません。そして小娘はノエルさんに感謝なさい、そのマントのお陰ですから」

 クスクスあざ笑うヤトノに対し、死霊の王は骨の腕を伸ばし滑るように進む。その途中に佇むアヴェラを気にも留めていない――瞬間、アヴェラは物も言わずヤスツナソードで斬り付けた。

 煌めく一撃が骨の杖で払いのけられる。

 滑るように動いた死霊の王が骨の腕を振り、アヴェラの肩を打つ。だが、その程度では怯まないどころか、躊躇わず引き戻したヤスツナソードを突き込んだ。

「消えろっ!」

 気合いを入れた一撃だ。

 しかし死霊の王は青白い残光を残し宙へ舞い上がり躱した。地面へと着地したところへ、アヴェラは体当たり同然に斬りつけていく。厄神の呪いを受けた剣が命中すれば、たとえ死霊の王といえど無事では済まない。

 そんな猛攻であったが、しかしヤスツナソードを握る手が骨の杖に打ち据えられ阻止されてしまった。

 技量と経験が全く違う。

 死霊の王が遊びで相手をしていなければ、アヴェラはとっくに死んでいただろう。

「まだ弱いな」

 嘲るように呟いた死霊の王の一撃がアヴェラの左肩へと叩き込まれる。

「っ!」

 痛みより衝撃を感じた。予想以上の力に大きく弾き飛ばされた身体は、焚き火へと突っ込み――寸前でヤトノが抱き留める。目にもとまらぬ程の高速の動きで跳んで受け止めたのだ。

「御兄様、なんて無茶をするのですか」

「……あいつはヤトノを獲物と言っただろ」

「大丈夫ですよ。わたくしは、あれしきの存在に狩られるような――」

「とにかく腹が立った、許せない」

「御兄様……本当にもう御兄様ときたら、わたくしの心をどれだけ喜ばせるのでしょうか……もう、ばかばか大好き。」

 ヤトノは感極まったのか、その小さな体でアヴェラをぎゅっと抱き締めた。

「いいでしょう、もうこうなったらヤトノが憐れな亡者の魂を欠片も残さず消滅させてしまいましょう」

「ちょっと待て、それ待て!?」

 途端にアヴェラは目を剥いて動揺した。

 これから何が起きるのか気づいてしまったのだ。


「しつこいカビは元からきっちり絶たねばダメなのと同じです。この世界にこびりついた穢れたカビのような存在ですので、少々力を使ってお掃除せねばダメですね」

「少々って!? ちょっと待て、いや他に方法がないのは分かるが。本当に!?」

「御兄様おいたわしや」

 ヤトノは白袖で目元を拭い、よよと泣く真似をした。そっと優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで憐れなアヴェラを後ろに押しやり立ち上がる。

 その間に死霊の王は少しも動いていない。

 否、力を解放しだしたヤトノの前で格の違いを今更ながら思い知らされ、動く事が出来ないでいるのだ。

 同時に余波を受けたアヴェラは、頭痛発熱倦怠めまい吐き気ふらつきに襲われ地面に崩れるように倒れた。さらに寒気動悸耳鳴りも加わり呼吸する事すら苦しんでいる。なお、死霊の王にやられたダメージ以上に酷い状態だ。

 ノエルとイクシマは、もう声すらあげられない。互いに手を取り合ったまま膝をつき身を寄せている。本能的な恐怖、根源的な絶対的な畏怖を感じているのだ。

 そして闇の支配する森の小さな光の中で、すっくと立つヤトノはあどけなさの残る幼い顔立ちに笑みを浮かべ、ゆっくりと手を挙げた。

「ふふふっ、それでは消え去りなさい。ちょいさーっ!」

 気合いと共に腕が振り下ろされ、勢い良く空間が打たれる。

 瞬間、その点を中心として景色が歪み、波紋が広がるが如く空間へと放射された。それが到達した途端に死霊たちは打ち砕かれた。死霊の王は僅かの間だけ耐えてみせたが、ただそれだけでしかなく、やはり粉々に砕け消滅してしまう。

「ふうっ、思ったより頑固な汚れでしたね」

 あまりの出来事にイクシマの口は半開きだ。

「い、今のは……何じゃ……」

「世界を揺らし歪めますと、修正力が働き元に戻ろうとするのですよ。そうしますと、その時に本来は現世に存在せぬ死霊どもも修正力を受け正常に戻されるのです。不浄の連中など一発ですね」

「それ我の知っとる退魔でない……」

 イクシマは絞り出すようにして呟いた。

「ところでお二人とも、近くの水場でしたらあちらですよ」

 ヤトノは森の奥を指し示した。

「辺りにはもう死霊は欠片も存在しませんし、モンスターも近寄る事はないでしょう。ですから水を浴びに行かれてはどうです? いまから下着を洗えば、朝までには乾くでしょうから」

「なにがじゃ……って、んなああああっ!?」

 その時になって初めてイクシマは、それに気付いた。以前に厄神の気配を間近に感じた事があるノエルは、早々に気付いて地面に座り込み情けなさのあまりシクシク泣いている。

「御兄様のお世話はヤトノにお任せなさい。いいえ、むしろ二人っきりにして頂きたいですね。さあさあ、早く行っちゃって下さい」

 そしてヤトノは柔やかな笑みを浮かべ、アヴェラを愛おしげに大切そうに抱えると、不思議な旋律の歌を口ずさみだした。

 炎の光に照らされる場は静謐さが漂い、心安らぐ空間となっている。しかし、意気消沈しながら水場を目指すノエルとイクシマには関係ない事ではあった。

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