第94話 森の中は何かに出会いそう

「もう直ぐ森だな」

 アヴェラが呟くと金属音と足音が止まった。

 前方にはまるで山から濃緑がずり落ちたかのように森が存在する。草原を貫いてきた道は少し先で二叉に分かれ、一つはそのまま草原を進み一つは森へと真っ直ぐに向かっている。

「このまま森を進む感じでいいのか」

「うむ、その通りじゃ。直に日が暮れるでな、そろそろ野営をせんといかぬ」

「森と草原とどっちで野営するのが安全なんだ?」

「どっちもどっちじゃな。じゃっどん、フェルケルの事を考えよるなら森の方が良いかもしれぬ。少なくとも連中は、ここらの森には入り込まぬはずじゃでな」

「なるほど……しかし早めに休みたいな。ノエルが限界だ」

 言いながら見やった先では、ノエルが膝に手を突き肩で息をしていた。やや強行軍になったため、すっかり疲れきっているのだ。

 それでも自分が話題にあがったので顔をあげる。

「私なら、まだ大丈夫」

「どこがじゃって。ちっとも大丈夫くなさそうじゃろが」

「でも野営するまではさ、何とか頑張らないとだからさ。うん、頑張る」

「森の中であれば、も少し行かねばならぬがの。これは何ともはや」

 イクシマは両腕を組んで悩んでいる。

「ううっ、私こんなに体力なかったかな」

「いやそれは荷物もあるわけじゃし、装備のせいもあるじゃろって。やっぱしマントをしっかり着込みすぎたんじゃって」

「なるほど、ちょっと日射しを警戒し過ぎたよね……」

「あんまし気にせんでよいのだぞ」

 和やかな会話の横でアヴェラは何かと忙しい。ちらりとノエルを見ては直ぐに視線を戻し、さりげなさを装い再び視線を向けようとしている。つまり、前屈みとなったノエルは暑さ対策で胸元を緩めており、絶妙な角度で胸の谷間が覗き込めてしまうのだ。しかも汗防止で挟まれた布の存在が、なんとも想像をかき立てる。

 これを見ずして何を見るのかと言いたいぐらいだ。


 しかし、見ようとする者を見ている者がいるのは当然だった。

「御兄様は眼が忙しいですね」

 しゃがみ込むヤトノが両手を頬にあて、にやつきながら見上げている。アヴェラは顔を赤らめながら視線を逸らすと、とってつけたような咳払いをした。

「あー、ノエルが大丈夫なら少し先まで進もうか。ただしペースを落としてだが。イクシマは野営に良い場所を知っているか?」

「ああ、もちろんなんじゃって。森の中で野営できそうな場所であれば、我が把握しとるでの。さあ我が導いてやろう、感謝するが良い」

「そうだな、ありがとう」

 とたんにイクシマは身を仰け反らせた。

「ふええええっ!? こ、こ奴が素直に感謝しおった! どうしたん!?」

「こいつ……人の言葉を素直に受け止められないのか」

「いやだって、絶対おかしすぎじゃって。そうか何か悪いもん食べたのじゃな?」

 心配そうに見上げるイクシマの顔面を、アヴェラは片手で掴んだ。

「邪悪なニセエルフめ」

「やめろおおおっ! なんでそんな酷い事するん!?」

 騒ぐ内にノエルの息も整い、今のやり取りを呆れながら笑うぐらいまで回復した。

「よし先を急ぐぞ」

「あのさ、イクシマちゃんに優しくしてあげた方がいいよって言ってもいいかな」

「しているつもりなんだがな。それに、アレも喜んでるだろ」

「もうっ、そういう事を言うんだから。でも、そうだよね。あながち否定できない部分もあるかもだけど」

「そういう事だ」

 スタスタと歩くアヴェラだが、しかしノエルを気遣い歩調を緩め気味だ。

 空の高い位置を鳥が飛び、平原の遠く離れた場所には馬の群れが草を食んでいる。もう少しすればどちらも安全な場所を求め移動しだすに違いない時刻。

 ゆっくり歩きの一行にゆっくり日は進んで行く。


◆◆◆


 闇の中の森の中、澄んだ空気に小さな焚き火の煙が漂う。

 アヴェラは焚き火を前に、敷物を一枚置いただけの地面に腰をおろしている。下は腐葉土から小さな草が出るような地面のため、座り心地はよかった。

「野営が間に合って良かった」

 背後に手を突き背を伸ばしながら頭上を見上げれば、焚き火の光を受けた枝葉だけが赤々と輝いていた。

 森の中と言っても木々が密集しているわけではない。日が落ちる前に見たここは木々の間がゆったりと離れ、木はあるがそれなりの広さを感じていた。しかし今は焚き火の光が届く範囲だけの空間となって、光の届かぬ範囲は闇深い状態だ。

 辺りは静まり返って、微風に揺れる梢の葉擦れに薪がパチパチ弾ける音が響く。恐いぐらいに静かで、炎のあげる音まで聞こえる。

 なにか狭い部屋にいるような錯覚をしてしまいそうだ。

「はい焼けてまいりました、もう少しですよ」

 ヤトノは白い衣装の袖をまくり、火の周りに立てた串の向きを変えた。

 串には森に来るまでに狩った小動物の肉が刺してある。持って来た食糧は充分にあるが、しかしだからといって狩れる獲物を狩らないわけではない。もちろん、肉が食べたかったという理由が一番大きいのだが。

 焚き火に屈み込み肉を焼くヤトノは火の間近。明らかに炎に触れているし、火の具合を調整するため燃えさかる薪を素手で動かしもしていた。やはりそこは人ではない存在という事だ。

 けれど頃合い良く焼けた肉の串を手に、満面の笑みでアヴェラに差し出す様子は、可愛げな少女のそれでしかない。

「さあどうぞ、つい先程まで平穏無事に暮らしていた生物の肉をガブッとどうぞ」

 やっぱり厄神の一部は厄神だ。ついでに言えば、厄神に見込まれたアヴェラと似たもの同士なのだろう。アヴェラが朝の焼き魚で言った事と、ほとんど同じ内容を言っているのだから。

「改めて言われると、食べにくいもんだな」

「ふむ? 御兄様でも、この肉が可哀想と思われる?」

「いいや自分の中の気分だけだ。別に肉になった相手の事情まで気にしてない」

「流石は御兄様。その他の生命に対する傲慢さ、素敵です」

 赤く染めた頬に手をやり悶える様子は、やっぱり可愛げな少女である。アヴェラは美味しく焼けた肉を噛みしめ、しっかりと味わった。相手の事情は気にせずとも、命を頂くことを感謝しないわけではないのだ。


 ヤトノが素手で炎をかき混ぜると、音と光りの変化が辺りに響いた。そんな様子を見つつ、イクシマは革袋の水を豪快な仕草であおり飲む。

「しっかしのう、まさかまたここで野営をする日が来ようとはのう。しかも、こうして仲間と共になどとはな。あの頃は想像もせんかった」

「そっかイクシマちゃんにとって、この森は思い出の地なんだね」

「思い出と言えば、まあそうじゃな」

 小さくもれた吐息は物憂げだ。

「あん時はフェルケルどもが里を荒らしてな、そんで死人がでたわけじゃが、我の持つ死の神の加護が原因とか言われてな。なんでか知らんが、我が責任をとって追いかける事になったのじゃって」

「うっ、凄い理不尽。でもまあ、私もそういうのあるから分かるけど」

「仕方なく山ん中を走り回って、気付いたらここに足を踏み入れとったんじゃって。何とか野営したわけじゃ」

「フェルケルを追ってたなんて、なんか凄いね」

「まあフェルケル自体はそう強くないんでな。数も五体程度じゃったんで、我一人でも充分倒せるぐらいじゃから大したことはない。ただ、里に続く道以外を逃げたんで追うのが大変だっただけじゃが」

「えっとさ、もしかして一人で追ってたの?」

「まあの、そいつらを狩るまで帰るなと言われとったでな」

「ちょくちょく入る情報が地味にキツいんだけど」

 ノエルは同情と困惑がない交ぜになった声をあげた。

 里を追い出され一人でモンスター退治を命じられるなど、流石に加護神からさえ不憫に思われるだけの事はある。これから向かうエルフの里に対し、つい何となくの悪感情を抱いてしまう。

 しかしイクシマは気にした様子もなく、ヤトノに渡された串の肉にかぶりついた。肉汁を熱そうにしつつ、美味しそうにニカッと笑う。

 そこに暗さは少しも感じられない。

「フェルケルどもなんぞより、野営の方が恐かったぐらいじゃって。なんせ、ここらは恐ろしい死霊が出るって脅かされておったでな。正直に言うと、けっこうビクビクだったんじゃて」

「し、死霊……」

「さらに死霊の王も出るとかでな。昔の話によればな、骨の冠に死霊の衣をまとう王は穢れと不浄の象徴なり。森を彷徨い迷い込んだ者より生を奪い己の配下に取り込み永遠に従える、なのだそうじゃ」

「えっと、ここってそんな危険な場所なの? それなら森の野営は全力で反対したのに。ううっ不運だ……」

「ふふーん、引っかかりよったな。それ子供を脅すお伽話なんじゃって、死霊なんぞおらぬ」

「もーっ脅かさないでよ」

 楽しげに笑うイクシマにノエルはじゃれるように怒り――だがしかし、それもヤトノが顔を上げるまでだ。

「いえ、いますよ」

「はあああっ!? い、いるってのはなんじゃ。そげな質の悪い冗談はやめろよなー、お主が言うと冗談が冗談で聞こえぬじゃろが」

「むむっ、失礼な。冗談などではありません。だって、この辺りに気配がありますから。おや、小娘……もしかして恐いのです?」

「ちょっと待てい、別に我は死霊なんぞ恐くないぞ。ちっとも恐くはないわけじゃが、ただあれじゃって。冗談というものは時と場所を選ぶべきと思うだけじゃ。よいな勘違いするでないぞ。我との約束じゃぞ」

「素直さに欠ける小娘ですね、恐いなら恐いと申せばいいでしょうに」

「だから恐くないと言っとるじゃろがあああっ!」

「そんなにムキにならずともよいでしょうに。ですけど、恐くないのなら良かったです。だって死霊どもは――」

 ヤトノは手を軽く打ち合わせ微笑んだ。

 そこには少しの邪気もなく、厄神の一部のはずなのに天使のような笑顔だ。しかしその笑顔のまま告げる言葉は、やはり災厄でしかない。

「すぐそこまで来てますから」

 一行は凍り付いたように動きを止めた。

 辺りの光の届かぬ森の闇が急に増したような気がする。

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