第93話 旅の脅威はいろいろと

「マズいな……」

「そうだよね、うん。これ予想外だったよね」

「まったくだ」

 呟いてアヴェラは空を見上げれば頬を汗がつたう。

 晴れわたる空には一片の曇りもなく、どこまでも青く澄んでいた。天頂には直視も出来ぬ輝きが存在しており、そちらを手を庇にしつつそれを恨みがましく見やる。

「日射しがこんなにも辛いとはな」

 だだっ広い草原は何一つ遮るものがない。

 コンラッドの助言でフード付きの短いマントを用意したのは大正解で、もしそれが無ければ干上がっていたかもしれない。

「ううっ、これ大丈夫ですかね。とっても暑いのですよ」

「雨と晴れのどっちがマシかと言えば、晴れなんだろうけど。これは辛い」

「私としては雨の方がいいかもって気分。だって暑いと胸の下で汗がたまってくるし、間に挟んだ布も小まめに取り替えないと気持ち悪いから。これならいっそ雨で全部濡れた方がマシだから」

「そ、そうか大変だな」

 他に言い様のないアヴェラは草原の遠くを見やるものの、その顔には気恥ずかしさが滲んでいる。とはいえ、当の本人であるノエルは少しも気にした様子もなく、胸元の服を動かし中に空気を送り込んでいた。

「お主らなー、この程度で何を生っちょろい事を言うておるか」

 イクシマは手で顔を扇ぎながら言った。

 こちらはフードを被らないため、光を浴びた髪はキラキラ輝き黄金色ではなく白く見える程だ。まるで太陽神の加護を強く受けているような姿だが、しかし実際には死の神の加護。むしろ対極に近いぐらいである。


「汗ぐらい、どってことなかろうが」

 言いながらイクシマは胸の間に挟んでいた布を取り替えだした。その仕草は無頓着であるし、身長差もあるためよく見える。だがしかし、ここまで恥じらいがないと逆に見ようという気がなくなるのが不思議だ。

「だが汗を甘く見るなよ、脱水症状になる場合だってあるんだ。分かったらフードをかぶって日射しを避けておけ」

「お天道様の恵みを避けるなんぞ、何を言うておるか」

「シミができるぞ」

「なぬ?」

「過度に太陽の光を浴びるとな、肌の老化が早まってシミシワタルミの原因となる」

「えっ、なにそれ知らない」

「さらにその影響を一番受けるのは頭皮であって、やがて禿げる」

 言われたイクシマは素早く頭を手で隠す。唇をわななかせ何かを言いかけたが声にはならず、唾を呑んでようやく声が出る。

「……う、嘘じゃよな」

「残念ながら事実だ。もうそろそろダメかもしれん」

「嘘じゃあああっ!」

「まあ脅すのはそのぐらいにして、とりあえず過度に浴びなければ大丈夫だ」

 しかしノエルとイクシマはフードを目深に被り直した。

 少し言い過ぎたかと心配になるアヴェラの肩から白蛇が勢いよく飛びだした。くるりと回転すると少女の姿に変じる。ヤトノは長く黒髪をさらりと揺らし、アヴェラの腕を取った。

「どうした?」

「暇ですので、御兄様と手を繋いで歩きます」

「それはいいが、日射し除けをしたらどうだ。何か布があったはずだが……」

「大丈夫です。わたくしは太陽神めごときに負けはしません。その証拠にほら」

 歩きながら背伸びしたヤトノはアヴェラの頬に手を伸ばし、ペタペタと触れた。ひんやりとした感触で、この暑さに参っていたところには本当に心地よい。そのまま腕にしがみついてくると心地よい温度であった。

 とりあえず、アヴェラは暑さしのぎをしながら歩き続けた。


◆◆◆


 オレンジ色を帯びる厚い雲の下を歩いて進む。

 辺りは細く丈の低い木がぽつぽつ点在し、細草や繊細な花が消えた代わりに、頑丈そうな茎や踏み込む事を躊躇うような膝丈の群生となっていた。

 少しばかり強まった風の音、砂利混じりの土を踏む足音、そして荷物の金具のたてる音ばかりが響いている。誰も何も喋らぬのは、いろいろ話しすぎて口数が減ってしまったという事もあるが、何より慎重になっているためだ。

 それは遠くから確認出来ていた。

「荷馬車か……」

 剣の柄に手を掛け少しずつ近寄っていく。

 見つけたのは、横倒しになった荷馬車であった。車体のあちこちが破損した状態で、地面に長く残された深い抉れた跡や散乱した木片からすると、かなりのスピードで走行する途中での事故だと分かる。

「モンスターに襲われたのか?」

「うーん、それどうかな。単なるモンスターじゃないって思うよ」

「どうしてだ?」

「だってさ、載せられていた荷が殆どないから。もし空荷だったとしてもさ、これなら乗ってた人とかは無事じゃないよね。もちろん馬も」

「そういえばそうだな」

 転がった水差しからポツポツと水が落ちている様子からすると、それほど事故から時間が経ったわけではなさそうだ。しかし周囲に荷馬車を牽く馬や制御する人の姿はない。これだけの状態で、何事もなく立ち去ったとは考えにくかった。

「荷物を奪うために襲ったのか」

「その可能性が大きいかも。でもさ、人と馬を狙った場合もあるけどね」

「分からないな」

 地面に触れているアヴェラにヤトノが声をかけた。

「御兄様、そこの地面のそれ血痕ですよ」

「これか? よく分かったな」

「ええ、それはもう。流される血とは縁深いですから、すぐ分かります」

「なるほど」

 しゃがみ込み地面をよく観察してみると、僅かに色の違う部分がある。それが血の跡だが、乾いている上に時間も経過しているため、ヤトノに指摘されなければ全く気付かなかった。


「範囲が広いが、投げ出されて激突しての出血かな」

「そのようじゃって。しかし見よ、そこの地面にあるのは貫通痕でないんか」

「確かに。そうなると武器を使って、走る荷馬車に襲い掛かったか……厄介だな」

 高速で動く荷馬車に襲い掛かったあげく、さらには倒れた相手にトドメまでさしている。単なるモンスターでなさそうだった。

 だがしかし――アヴェラはゆったりと辺りを見やった。

「血の乾きを考えると、この近くにいなさそうだな」

「恐らくそうじゃろな。獲物を担いで引き上げたってとこじゃのう」

「襲われた人は気の毒だが……もしかして襲われたのはエルフじゃないのか?」

「そうかもしれんが、痕跡がなにもないんで分からぬな。それにエルフの里まで行商に向かおうとした者かもしれぬし……」

 アヴェラとイクシマは揃って地面にしゃがみ込み、相談するように話をしている。だが、ぎょっとしたのは大きな音が響いたせいだ。それは倒れた荷馬車の上を向いた車輪をヤトノが回した音であった。

「驚かすなよ、びっくりしたじゃないか」

「御兄様に怒られました。わたくしはショックで哀しいです」

 よよと泣き崩れる真似をするヤトノにアヴェラは軽く困った顔をした。このヤトノがいじけると何かと面倒なのである。

「別に怒ってないぞ」

「本当です?」

「その程度でヤトノを怒るわけないだろ」

「うふふっ、御兄様大好き」

 ヤトノは白い衣の長い袖で顔を隠し、はにかんでいる。

「お主なー、そやつに対する態度が甘くないか」

「御兄様とわたくしの関係に口を挟むとは、無礼な小娘ですね」

「ふんっ、小娘言うな」

「御兄様とわたくしの関係は甘々なんです。分かりましたか、小娘」

 ヤトノは最後を強調しながら可愛い舌を出すと、跳ねるように移動してアヴェラの背中に抱きつきのし掛かる。アヴェラの本音――ヤトノがいじけると面倒なのでフォローしただけ――など露知らず、そのまま顔をすりつけ甘えだすが見せつけるような様子もあった。


 荷馬車周りを調べていたノエルが、刃が大きく欠けたハンドアクスを持って来た。

「これ見つけたけどさ、関係あるかな」

「むむっ、それ貸してみよ……ここに彫られとる印は覚えがあるぞよ。フェルケルって呼ばれとる悪鬼どもの使う印に似ておるの」

「えっと、どんなモンスター?」

「モンスターと言うか亜人と言うか……そこは言語も文化もあるんで、微妙なとこよのう。じゃがの、我はあやつらはモンスターでいいと思うておる。あの凶暴性と邪悪さは間違いなくモンスターとしか言い様がないのでな」

「そうなんだ……」

「一つ目鬼の事は言うたと思うが、あれの手下みたいな連中じゃって。何でも喰らう強欲。強い奴に媚びて、弱い奴にはとことん強い。そのくせ負けそうになって、自分が助かるためなら仲間だって差し出す」

 思うところがあるのか、イクシマは苦々しい顔だ。手にしていたハンドアクスを忌々しいものであるかのように投げ捨てさえしている。

「あのさ、私とっても気になるんだけどさ。乗ってた人の姿もないって事は、あれだよね。運ばれて行かれたって事だよね、しかも殺された後に。それってさ、もしかして……」

「お主の想像は間違っておらぬ。それなんで連中はモンスターなんじゃって」

「うわぁ」

 ノエルは悲鳴とも呻きともつかぬ声をあげているが、それはアヴェラも同じ気分でカニバリズムは流石に勘弁して欲しいと思う。特に飛びついて来たヤトノに耳をカミカミされると尚のことそう思ってしまう。

「しかし妙じゃな、ここらは連中の縄張りでないはずなんじゃが」

「そうなのか?」

「うむ、ここからは森は別の危険な連中の縄張りなんでな」

「どっちにしても危険があるわけか」

「安心せい、そっちは滅多に遭遇するような連中でないでな。よっぽど運が悪くなければな……運が悪くなければ、なんじゃが……」

「あー、それなら早く進むとしよう」

 アヴェラはヤトノを背負ったまま立ち上がった。

 このパーティは運の悪さに関しては間違いなく自信があるのだ。なにせ不運の神コクニの加護を持ったノエルがいるのだから。

 一行はそそくさと移動を開始する。

 やはりファンタジーな異世界は夢はあるが、そこに沢山の危険が存在する。この世界において人間は覇者ではなく、やや勢力が大きいだけの存在でしかないのだ。

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