第90話 魔法は便利な魔法の言葉

「依頼で遠出しますので、しばらく留守にします」

 アヴェラの言葉によって、和やかだった夕食時は凍り付いた。

 さすがに街を出てエルフの里まで行って帰るとなると、数日どころの話ではない。実家暮らしであるため、その辺りは両親には伝えておく必要があった。

「依頼であれば仕方がないな。うむ、そういう事を引き受ける場合もあるのだから仕方がない。そうだ仕方がないことだが、どこに向かうのだ?」

「エルフの里」

 アヴェラは簡潔に言って、大きめに切ったメインの肉を頬張った。

 ゆっくり咀嚼しながら味わい、満足げに目を細めている。たっぷりのソースは肉汁の旨味に塩と香辛料を合わせとろみをつけたもので、奥深い味わいが肉の美味さを何倍にも膨らませていた。

 一方で、トレストの手からフォークが落ち床の上で固い金属音を響かせ跳ねた。

 ヤトノは親切にも回収してやったが、しかし洗いもせずそのまま渡している。ただしトレストは気付くどころではない。

「ば、馬鹿なっ。行くだけで半月はかかる場所じゃないか。しかも行って帰ると言う事は、つまりその倍の日数がかかるという事なんだぞ」

「それはまあ、当然では? 片道だけであれば永遠に帰ってきませんから」

「駄目だ駄目だぞ、片道だけで帰らないなんて駄目だ」

「では往復で一ヶ月ぐらい? でも、向こうで用事を片付けるのと道中のアクシデントを考えれば、何だかんだで伸びる可能性もあるけど」

「何て事だ何たる事だ」

 トレストは頭の上に両手を載せ天井を振り仰いだ。

「いや待て考えるんだ、ナイスな父親はここで慌てるべきではない。つまり今こそ父親の貫禄と威厳を見せるべき時。いや……貫禄や威厳など、どうでもよいのだ。この窮地を何とかすべき素晴らしいアイデアを……」

 悩みだしたトレストをよそに、アヴェラは副菜の人参に手を付ける。バターの風味にレモンの爽やかさが効いている。少なくとも人参にレモンと呼ばれ認識しているものだが、それが以前の世界の同名のものと同じかどうかわ分からない。ただ確かであるのは、美味いという事だ。

「今日の料理も美味しい」

「…………」

 褒められたカカリアは、しかし先程から固まったままだ。ちょうど注いでいた水差しの水がコップから溢れても注ぎ続けていた。仕方なくヤトノが水差しを取り上げ片付けると、布を持って来て辺りを拭いている。


「はっ! 閃いたぞ」

 それまで上の空で黙考していたトレストが目を見開いたかと思うと、いきなり手をグッと握り込んだ。そして華々しい笑顔で頷いている。

「飛空挺を使えば良い。あれなら数日で近くまで行けるはず」

「もう検討した後だけど」

「そうか! さすがはアヴェラだ賢いぞ。それを使うのだな」

「結論は、料金が高すぎ利用は難しいということだね」

「くっ、費用までは気が回らなかった……だが……そうだ! そこは依頼主と交渉すべきだ。長旅の危険を冒させ、エルフの里まで行かせるのだろう。ならば、飛空挺の料金ぐらい出して当然ではないか。もし出さなければ、依頼を断れば良いのだ。うむ、我ながら何と素晴らしい考えだろうか」

「でも依頼主はナニア嬢だけどね」

「なんだって?」

「父さんは警備隊の隊長なのに知らない? ナニア嬢というのは、アルストル大公爵の息女であるナニア様のことだけど」

「それぐらい知っている」

「これは失礼」

「ナニア殿から依頼……まさか……いや、まさかな。前回の遠征で知り合ったのか」

「ええ、それでギルド勧誘の対策でギルドに入れて貰いました」

「なるほど、だったらいいだろう。よろしい、あの方であれば飛空挺の費用ぐらいは出してくれるはずだ」

 飛空挺を使用すれば一ヶ月以上は数週間程度に短縮できるが、それでも長期間の不在に変わりなく、トレストは渋い顔だ。

 カカリアも心の中で折り合いをつけ、ようやく再起動を果たした。

「そうよね、流石に依頼を断るわけにもいかないものね。飛空挺で旅程を短縮できる事をありがたく思わなくてはいけないわね」

「飛空挺の予約が取れるかどうか……」

「ナニア様から頼んで貰えば問題ないはずよ。公爵家であれば、その程度の事は簡単ですもの」

「今回は内密の依頼だから、そういう権力は期待できないと思うけど」

「内密の依頼……いえ、そんな事より飛空挺ね」

 カカリアは微笑んだ。しかし、そこに穏やかさというものは欠片もない。

「大丈夫よ、心配する必要は少しもないわ。航空管理局には知り合いがいるわ、その人に頼めば大丈夫よ。ね、お父さんも一緒に頼みましょうね」

「ふむ、昔の知り合いがいたな。何の問題もない。明日にでも挨拶に行くとするか。丁寧に頼めば飛空挺の予約など簡単に用意してくれるはずだ」

「そうよね、しっかりお願いしましょうね。うふふふっ」

 トレストとカカリアは笑うものの、その目は少しも笑っていないし口元も固い。どんな相手なのかは知らないが、ゆっくり休めるのも今日まで。明日からは胃の痛い思いをするに違いなく、何とも気の毒だ。

 アヴェラは見も知らぬ相手に心の底から同情した。雑巾を絞ってきたヤトノも全く同じ気持ちのようで、軽く肩を竦めているのだった。


◆◆◆


 数日後、いよいよ出発となってアヴェラは飛空挺を間近から見つめた。

「これがどうして飛ぶのか分からないな」

 まさしく船という形状をした木造のそれは、帆を張るべき柱に垂直方向の回転翼が据え付けられている。それがタンデム形式に設置され、ファンタジー的な見た目としては説得力のありそうな構造に見えた。

 しかし、あまりにも機構が単純すぎる。

 どう考えても上下左右にと、思うさまに飛べる代物には見えやしない。

「なんじゃ、お主知らんのかー? ものっそい最新魔法技術のお陰なんじゃぞ」

「コレジャナイエルフが飛空挺に詳しいとは知らなかったな」

「またそれ言う!? この我が親切にも、お主の疑問に答えてやったと言うに!」

「そらどうもありがとう。だったら動力は何だ?」

「最新魔法動力じゃ」

「なるほど、翼を回転させる方法は?」

「最新魔法駆動じゃ」

「なるほど、その魔法を伝達させる方法は?」

「最新魔法経路じゃ」

「なるほど、なんで船の形をしている?」

「最新の魔法工学を駆使した設計に決まっておろうが、たぶん」

「お前、本当は分かってないだろ。適当に魔法をつければ良いってもんじゃないぞ」

「小うるさい奴じゃのー」

 文句を言われたイクシマは頭の後ろで手を組んだ。さらに開き直った態度で口をへの字に見上げてくる。

「と言うかなー。我は専門家でないんじゃぞ、知っとるわけなかろうが!」

「最初に偉そうに知ってる口ぶりしてただろ」

「偉そうになんぞしておらん」

「どこがだ」

 言い合う様子だが、端から見ればじゃれ合いにしか見えないだろう。搭乗を始めた乗員乗客は微笑ましそうにしながら横を通り過ぎていく。

 向こうで手続きをしてきたノエルがやって来た。

「あのさ、どうしてなんだろ? アヴェラくんの名前を出したらさ、担当者の人が悲鳴みたいな声を出したんだよ。なんだか怯えた感じだったしさ、何だか変だね」

 きっとそれが、昔馴染みに脅されて無理矢理飛空挺の乗船枠を用意させられた気の毒な人に違いない。しかし、それはノエルには――もちろんアヴェラにも――関係のない事である。

「世の中には気にしない方が良いこともある。手続きありがとう」

「いえいえどーいたしまして。でもさ三人分で本当にいいの?」

「もちろん」

 アヴェラが自分の肩辺りに触れると、その辺りが微妙に動いた。ナニアは飛空挺代金を四人分で用意してくれたのだが、しかしヤトノはアヴェラの服の中にいる。

 乗るのは三人なので、差額はパーティの資金となるのだ。

「なんだかさ、ナニア様を騙した感じがして気が引けるけど……」

「問題ない。気になるなら今回の依頼をきっちりこなせばいい」

「頼まれた事を頑張るのって当然と思うんだよね、うん」

「あまり気にしないでおこう。さあ出発するみたいだ、乗り込もう」

「うーん……そうだよね。でもさ、それはそれとして。挨拶しなくてもいいの?」

「いいのいいの」

 ノエルは後ろを気にするが、アヴェラはあえて気にしなかった。

 なぜなら後方の見送り場には、涙するカカリアの肩を抱く悲壮感漂うトレストの姿があるのだ。横に食糧を山と積んだ荷車があるが、もちろんアヴェラに持たせようと用意してきたものである。冒険者をやっていたわりに、親バカモード全開となると完全にポンコツモードだ。

 さらに非番の警備隊の面々が横断幕を手に集まり騒いでいる。こちらはこちらで騒げればいいという事なのだろう。

「まったく、一応は極秘の依頼だってのにな……」

 うんざり顔で進もうとすれば、イクシマがニマニマしながらつついてくる。

「なんじゃー、お主恥ずかしがっとるんか? はっはー、これは意外じゃのう」

「さて荷物でも運ぶか。生ものだからな」

「やめろおおおっ! 我を抱えるなあああっ!」

「荷物がうるさいな」

 アヴェラが肩に担いだイクシマは、屈辱のあまり両足をバタバタさせている。

 そのまま乗船タラップを上がっていき、一応は両親や見送りの皆に振り向き片手を上げておいた。それで轟くような歓声がわきあがり、慌てて飛空挺の中に入り込まねばならぬハメになってしまう。

 空は晴れ船旅にはもってこいの天気であった。

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