第89話 下げて価値ある頭とない頭
アヴェラたちは箱馬車に揺られていた。
外から見えぬよう窓にはカーテンがかけられ、石畳の上をガタゴト優雅にゆっくりの移動は快適ではない。空調もないし下からの振動は激しく、座席のクッション程度で抑えられるものではなかった。
荷馬車は偶に乗せて貰うが箱馬車は初めてになるが、これほど乗り心地が悪いとは思いもしなかった。
「だからサスペンションの改造で知識チートが成り立つのか?」
思わず呟いてしまう。
けれど、アヴェラにはどうしようもない。サスペンションという言葉と概念を知ってはいるが、馬車に適した仕組みや構造を知っているわけではなかった。ドワーフ鍛冶や大商人と知己は得たが、そうした人々を曖昧な知識で動かし、結果として信用を失うような事は避けたい。
そもそも、考えてみればおかしなものだ。
この世界の人間とて愚かではなく、これだけ非快適な揺れに不満を持たない筈がない。しかし、それが今もそのままという点を考えれば、改善の障害となる技術的な何かがあるに違いない。
「まともに考えれば、そうだよな」
「ん、どうかしたの?」
「特に意味の無い独り言だよ。それより大丈夫か?」
「大丈夫って言いたいけど、あんまし大丈夫くない……」
箱馬車の中は対面で座る構造となっているのだが、対面に座るノエルは辛そうに呟いた。ちなみに隣のイクシマは元から白い顔が更に白くなり、ぐったりと座席から半分ずり落ちかけたまま固まっている。
この換気も悪く蒸し暑い窮屈な箱馬車の中で、もう完全に車酔い状態なのだ。
ちなみにアヴェラは平気であった。
これは前世での経験があるからだけではなく、今世でヤトノの行使する力の余波でめまい頭痛ふらつき悪心などを受け、それで鍛えられ車酔い程度は平気なのだ。
「ねえ、平気なコツは……?」
「手元を見ないで遠くを見るようにする、それと進行方向に顔を向けておく事だな」
「ううっ、そういうのさ。先に教えて欲しかったよ」
「後は服を少し緩めると楽になるはずだ」
「うん……」
ノエルはノロノロと手をあげ、胸元のボタンを半ばまで外した。あげくイクシマなどは一気に胸元を緩め肌の一部まで露出させている。それで楽になったかどうか分からぬが、今度は視線を前に向けられないアヴェラが車酔いしそうな状態だ。
「ちっと楽になった感じがせんでもない。ノエルよ、頑張ろうではないか」
「うん、頑張る……」
ノエルは虚ろな目付きで僅かに頷くが、振動で揺れただけなのかもしれない。
視線の先に困ったアヴェラは、誤魔化すように箱馬車のカーテンをめくってみた。
そこには豪華な三階建ての建物があった。
縦長の窓が幾つもあって建物全体に細工と彫刻が施された素晴らしい建築物だ。もちろんいざとなれば要塞としても機能するように造られた貴族の邸宅である。それが誰の居住地であるか、この都市に暮らし知らぬ者はいない。
「よかった、もう目的地に到着だ」
裏門から入るそこは、探索都市アルストルの領主館であった。
◆◆◆
「さすが金持ちだな」
果実汁入り冷水を頼んだところ、あっさりそれが出されてアヴェラは感心をした。
案内されたのは格式の低い相手を迎える応接室であるが、面積も広く調度品も実に立派だ。大公爵の権勢は国王に匹敵すると言われるが、アルストルが物流の拠点という点を考えれば財政という面では上回っているに違いない。
「だが、ここで暮らしたいとは思えないけどな」
「アヴェラ君、変な事とか言ったらダメなんだよ」
「分かっている。それより気分の方はどんな感じになった?」
「冷たいの飲んだら気分は良くなった感じ」
「後はその冷たいタオルを目とか、首筋に当てると楽になる」
「うん、やってみる」
ノエルは後ろで縛った髪に手をやり横に退けつつ、冷たい水で固く絞ったタオルを首筋にやる。そのまま後ろを気にしてチラリと見返る姿は、うなじの美しさもあって妙な色気があった。
どきどきしたアヴェラが気恥ずかしくなって視線をそらすと、イクシマが目元にタオルを載せ上を向いていた。
「あ゛ぁぁぁぁっ、これは堪らぬ。染みわたるのう」
「こいつときたら……」
「ふいぃぃぃ生き返ったって気分よのう。ん、なんじゃ?」
「いいんだ、何でもない。お前はそれでいいんだよ、きっと」
「そうかそうか、我にでも見とれておったか。仕方のない奴なんじゃって」
さらにタオルで顔を拭いて、如何にもさっぱりしたという顔でニカッと笑っている。何か言いたい気分のアヴェラであったが、慈悲の心でそれを抑え優しく頷いた。
その時、従僕の者が入室の先触れを告げ一行は素早く起立し居住まいを正した。
やがて颯爽と現れたのは、アルストル大公爵の娘であるナニアであった。上流階級らしい洗練された衣装は、上質な白い上着に細かな刺繍の施されたスカートといったものだ。
「お久しぶりと言う程には時間は経っていませんね」
ナニアは微笑むと、自然な仕草で着席を促し自らも座った。
軽い挨拶に続き世間話、それからようやく本題になる。
元は冒険者のナニアだからこそ、手早く進んだが本来であれば、もっと他愛も無い話が続いたに違いない。やはり上級階級のマナーは面倒で下級騎士で良かったと思ってしまう。
「さて足を運んで頂いた理由ですが、ギルドの関係で依頼をしたいのです」
「……了解です」
アヴェラは答えながら内心は冷や汗だ。ギルドの依頼が来るのはもう少し先だと思っており、この初依頼には少しドキドキする。そして出来るだけ簡単だと良いなと願ってしまう。
それが分かるのかナニアは微笑した。
「それほど難しいものではありません。ですけど、これは信頼のおける相手でないとダメな内密なものですね。その意味では、大事な依頼です」
「なるほど、では信頼して頂きありがとうございます」
「内容はお使いと言いますか……まずは相手と交渉になるのですが――」
ドアがノックされ、まだ若い侍女が飲み物とお菓子を運んでくる。
さりげに話題を中断させたナニアは雑談紛いの話に切り替えた。どうやら本当に他の誰にも頼めない類の依頼ということだ。もしかすると、御家騒動の何かなのかもしれない。
侍女が下がり飲み物を口にし、ひと息ついてナニアは続けた。
「その交渉として、エルフの里に行って欲しいのです」
「エルフ……」
「はい。エルフは里に人間が近づく事を嫌がります。ですが――」
アヴェラはナニアの視線を辿って傍らを見た。
そこには金髪美人で耳の先が尖ったイクシマがいる。時々忘れそうになるが――認めたくないという気分もあるが――これもエルフだ。たとえアヴェラがコレジャナイエルフだと思っていようとも、エルフという種族である事は揺るぎない事実になる。
「イクシマ殿がおられますので、エルフの里には問題なく入れると思います」
「なるほど、それもあっての依頼ですか。でもエルフがいれば入れるものです?」
「どうでしょう」
ナニアの問いはイクシマに向けられていた。
そのイクシマは出された茶菓子をつまみ紅茶に口をつけるのだが、それは勿体ぶっているからではなさそうだ。あまり乗り気ではないらしい。
「確かに……この我が保証すれば里に入るのは簡単じゃの」
「その言いぶりからすると、何か問題でもあるのか」
「問題というべきか何というか……いや、気にするでない。我も一度は里帰りをせねばと思っておったでな。うむ、ちょうど良い機会じゃな」
空元気のように無理をしている様子だが、流石にナニアの前でそれを確認する事は出来ない。多少は引っかかりがあるとはいえ、本人がついでに里帰りをするとまで言うのであれば、もはや引き受けるしかなさそうであった。
そして細かい行程の話になっていくが、ちなみに報酬については口にはしない。
こういう上流階級の場合、そうした事は口にしないのだ。後から報酬となる金品が贈られるもので、それを確認するという世界なのだ。下手にこの時点で報酬について口にすれば見切られ次は無い――という事を、事前にニーソ経由でコンラッドから教えられている。
まさしくコンラッド様々であった。
「ところでじゃが、里に何の用事があるんじゃ?」
イクシマの問いにナニアは優雅に頷く。
「エルフの長老に占いの得意の方がいらっしゃると聞いておりますが、その方の事はご存じです?」
「あー、それ婆様の事じゃな。我の名付け親じゃって、よう知っておる」
「それでしたら――」
「じゃっどん、期待はせんで欲しい。言うておくが、婆様は結構にへそ曲がりなんじゃ。あんまり我が口出しせず、素直に頼んだ方がよいじゃろな」
「なるほど縁故は逆効果ですか」
「まっ、我が顔を出せば多少は機嫌もよいじゃろが」
言って笑うイクシマであったが、その笑顔にいつもの元気がないような気がする。
恐らくエルフの里に確執やら何やらがあるのは間違いなかった。そもそも三の姫と言いつつ、こうして供も付けず一人で里を出て暮らしているのだ。何もない方がおかしいだろう。
到着先で厄介事が待ち構えていそうな予感を高めるアヴェラであったが、静かにそっと吐く息でそれを宥めた。もしくは諦めた。
「占いたい内容はなんです?」
「人探しですよ、あくまで個人的な」
「なるほど……」
どうやら依頼全般で厄介事が待ち構えていそうだ。
公爵家と関係なく個人的な、しかも信用できる相手に内密に頼みたい人探し。これを厄介事と思わず、何を厄介事と思えばいいのか。何とか断る理由を探したいところだが――。
「よろしくお願いします」
ナニアが頭を下げる。
世の中に大きく分けて二つの物があるとすれば、下げて価値のある頭とない頭だ。そして大公爵の娘の下げる頭というものは間違いなく前者になる。この階級制度の封建社会において、本来は下げてはいけない頭だった。
ありえない事が起きてしまって、焼き菓子をつまんでいたノエルは運悪く喉に詰まらせ悶えている。だがそれを助けるどころか、アヴェラとイクシマは跳び上がるように背筋を伸ばし身を引き締めていた。それぐらいの衝撃なのだ。
「承知しました、お任せ下さい」
そう言う以外には無かった。
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