外伝トレスト6 そんな日々

 とぼとぼ帰る一行は注目の的であった。

 汚れきった姿のカカリアが不機嫌顔で進み、人を寄せ付けない猫のようにピリピリした雰囲気。顔を腫らしたトレストが喧嘩に負けた野良犬のようにヨロヨロ続き、それを笑うケイレブが軽い足取りで後を追う。

 いったい何が起きたのか皆の注目を浴びている。

 もちろん広場を彷徨いていたビーグスとウェージが――駆け寄った。最近はトレストの紹介で警備隊の下働きをして、少しまともな格好が出来るようになっている。

「兄ちゃん、ひでぇな。どんな凶暴なモンスターと戦ったんだよ」

「とてもとても恐ろしい相手だった……」

「そんな強敵だったのか、よく生きて帰れたな」

「俺もそう思う……」

 少し離れた位置のカカリアは、ふて腐れたようにそっぽを向き不機嫌そうだ。

 ラオペグートの惨劇での汚れは布で――男二人から供出させた布で――ある程度は拭い取っている。もちろん最低限であるため、大汚れが小汚れ状態になった程度だ。酸っぱい臭いは減ったものの、まだ青臭い方は残っている。

 本人はそれを気にして皆から少し離れた場所に佇んでいるぐらいだ。

「あー、カカリアよ。よければうちの風呂を貸そうじゃないか」

「必要ないわ。自宅に戻って湯浴みするから問題ないわ」

「そうか、今日はいろいろすまなかった。あー、あとな。ありがとう」

「ありがとうってのは何?」

「いや、何となく……」

 トレストが己の両手を見ながら呟くと、それで何かを察したカカリアは何かを言いかけ、結局顔を赤らめ向きを変え足早に立ち去った。

 しかし、そこに声をかけて来た者がいた。

「はーい、お姉さん。こんにちは」

 若い男の冒険者で、少しの傷も無い新品同様の装備を身に付けている。それはそれとして、妙に気安い感じで馴れ馴れしい。だが、トレストには見覚えの無い顔だった。もちろん声をかけられたカカリアもだ。

 男は甲高く耳障りな声で話しかけ、途中何かに気付き顔まで近づける。

「うちでギルドメンバーの募集してるけど……あれあれー? なんだか変な臭いがするね。うーん、これはもしかしてアレかな、ラオペグートかな? 潰しちゃったのか、うわ可哀想ーっ」

「…………」

 トレストとケイレブは後退り、ビーグスとウェージも本能的に危険を悟り同じく距離を取った。しかし男は冒険者として不適格な事に、甚だ危険察知能力が劣っている。

 甲高い大声のため、辺りの冒険者にまでカカリアの惨状が知られてしまう。気の毒がる声もあるが、失敗を小馬鹿にした笑い声まであがっている。

「やっぱねぇ、少数でやってると情報とか入らないでしょ。うちのギルドに加入すれば手取り足取り指導したげるから、そんな可哀想な目に遭って臭くなる事もなくなるから――ぶべらっ!」

「…………」

 カカリアは無言のまま男を殴り倒した。

 目撃したビーグスとウェージが怯えるぐらいの勢いだ。普段の素っ気ないが面倒見の良いカカリアの姿しか知らず、この激怒した様子は初めてなのだ。

 男が甲高い大声であった事や、元から一行が注目の的だっただけに、たちまち騒動を告げる声が広場に広がる。合わせて男の仲間たちも気付いて駆け寄ってきた。

 ぞろぞろと向かってくる相手にケイレブは天を仰いだ。

「やれやれ、見るといい。トラブルが来たぞ。お前はいけるか」

「仲間の危機を放っておくものか」

「まあ、そうなるね。やれやれ、今日は疲れてるのだがね」

「ダメージは少ないだろう」

「君に比べればね」

 トレストとケイレブは剣に手をかけカカリアの近くに控えた。さらに加勢するつもりなのか、ビーグスとウェージも木の棒や石を持ち身構えている。

 そして睨み合いとなったのだが……カカリアは周りの様子など見ていない。

「…………」

 殴り倒した男の髪を掴み無理矢理立たせ、続けてさらに殴りつける。相手の仲間が止めようとするが、カカリアに一瞥されると怯んで足が止まったほどだ。

「あー、僕が思うに。これは流石にマズくないか。つまり人死に的な話としてだが」

「それならば問題ないぞ、カカリアはあれでちゃんと手加減してくれるからな。俺が言うのだから間違いない。しかも段々と気持ち良くさえなってくる」

「お前、新しい何かに目覚めてないか?」

 ケイレブは剣から手を離し、むしろ気の毒そうな顔だ。

「しかしカカリアが俺以外を殴るのは面白くない」

「お前……自分が何を言ってるのか分かってるのかね」

「むっ、何かおかしかったか?」

「いやいいんだ、気にしないでくれ」

 呆れるケイレブの声を後ろに、トレストは恐れる様子もなくカカリアに近寄った。本人は止めるつもりで両手を軽く広げ話しかける

「カカリアよ、殴るならこの俺を殴ってくれ」

「えっ?」

「君の拳は俺だけに向けてくれ、この俺が君の全てを受け止めようじゃないか」

「……何を言ってるのよ」

 あまりの言葉にカカリアの怒りも気が削がれてしまったらしい。他の連中はトレストをよほどの大物か馬鹿かに思っている。そしてケイレブは別の何かでないかと考えていた。

「もういいわ、私は帰ります」

 手を離された男が倒れ込み、カカリアは颯爽と歩み去っていった。それを見送るトレストは少しだけ残念そうな顔だ。そしてケイレブは顎をさすり、きっとこれでギルド勧誘はなくなるだろうと頷いた。


◆◆◆


「ふぅっ……」

 湯に漬かるカカリアは深く息を吐いた。

 邸宅にある浴場は泳げそうな広さがあり、たっぷりの湯が湛えられてている。三方の壁は曇りガラスに色とりどりのガラスで装飾がなされ華やかだ。

 普段は辺りに侍女が控えるが、今はこっそり使用しているため一人きり。

「まったくもう……」

 怒ったように呟き思い描くのはトレストの事であった。

 全てを受け止めると言った言葉を何度も思い返してしまい、妙にそれが心に刺さってしまったようだ。しかもラオペグートで酷い目に遭った後を思い出すと赤面してしまい、無意識に胸に手をやってしまう。

「ありがとうって、何よ」

 触られた部分に触れ、その時の感じを思い出し再現するように自ら手を動かす。さらにもっと触れられていたと考え別の部分にも触れていく。

「お嬢様?」

「な、なにかしら」

 戸の向こうからの声に、カカリアは我に返って首をすくめた。

「装備の方は綺麗になるようドワーフ職人に渡しておきましたので」

「そこまでしてくれなくてもいいのに。ばあやは気にしすぎよ」

「お嬢様が使われるのですから、常に最善の状態とすべき。この婆やは冒険など分かりません。ですが、使うべき道具の手入れを怠ってはならぬ事だけは分かります」

「でも大丈夫なのよ。本当に汚れただけなのだから」

 幼い頃から世話になっている相手の訴えるような声に、カカリアは軽く答えた。そして頭の中に描いていた相手の顔を打ち消す。もうすぐ親の決めた相手と結ばれることになる。余計な感情は消さねばならないのだ。

「本当にお気を付けになって下さいな。それはそうと、大旦那様がお呼びです」

「えーっと、行きたくない」

「そう仰らず。大旦那様も心配されているのですから」

「はいはい」

 カカリアは湯の中に頭を沈め、それから思う存分に湯浴みをした。たっぷりと時間をかけてから従うことが、自分の置かれた状況への精一杯の反抗なのだ。


 アルストル大公はカカリアが訪れるなり立ち上がった。

「あのね帰ってすぐ湯浴みって聞いたけど、もしかしてパパに言えないような事をしてないよね。でもパパはいつだってカカリアちゃんの味方だから、素直に言って」

「戦闘で少し汚れただけですから」

「そ、そうか……しかし、何だか不機嫌そうだが」

「街に戻って、不快な相手に会ったからです」

「不快な相手だと!?」

 たちまちアルストル公の目が無慈悲な為政者のそれになる。

「よし、全部隊動員せよ。カカリアに無礼を働いた奴を引っ捕らえるのだ! 牢にぶち込んで私自ら断罪してくれよう!」

 大人げない父親にカカリアは小さく息を吐いた。

「そんな事をするなら、カカリアは今から反抗期です。父上とは口をききません」

「えっ、ちょっとそれ酷い」

「…………」

「カカリアが自ら解決したのなら、私の出るまくはないな」

 真面目くさった顔で頷いている。さっと態度を切り替えられるのは、流石は街の支配者たる所以だろう。

 しかしカカリアは父親ではなく、その場にいる別の相手に視線を向けていた。

「兄上、戻られましたか。お久しぶりです」

「久しぶりだね。ようやく王都から帰ってこられたよ」

「継承の儀は如何でした、陛下はどんな方でしたか。それより王都はどうでした」

「こらこら、そんな一度に言うなよ」

 次期大公である兄は妹からの質問攻めに苦笑するばかりであった。なお、現大公である父親は話をしてもらえず、少し拗ね気味だ。

「お前には迷惑をかけるな。私の継承のせいで、思うような婚姻が結べず」

「仕方ありません。そのための血族ですので」

「もしお前に想う相手がいるのなら、私はそれでも構わないのだよ。妹であるお前の幸せこそが、私にとって一番の望みだよ」

「想う相手なんて……特にいません」

 優しい兄の言葉を受け、カカリアの脳裏に湯浴みの最中にも思い浮かべた相手の顔が蘇る。しかし、それも直ぐに打ち消してしまう。胸の奥に引っかかる感情はあるが、家の大事と比べ勝るかどうかなんとも言えなかったのだ。

「ねえカカリアちゃん、今の一瞬の間は何? もしかして誰か好きな相手がいるとかじゃないよね。よーし、パパお忍びで市街に出てしまうぞ」

「カカリアはたった今、反抗期となりました。しばらく父上とは口をききません」

「どうして!?」

「つーん」

「本当にやめて、そういうのやめて」

 次期アルストル大公は父親と妹のやりとりを眺め苦笑した。そして、自分の愛娘を思い父親の轍を踏まぬよう注意しようと誓うのであった。

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