外伝トレスト5 友情・勝利・惨劇

 深く息を吸い込むと、微かに湿った空気に木々の香りが含まれ清々しい。

「素晴らしい。これは絶景だ」

 巨木の幹に巡らされた足場にて、トレストは手を額にあて景色を眺めやる。

 辺りは燦々とした日差しによって鮮明に照らし出されるが、立っている場所は枝葉に遮られ頃合いの木漏れ日となっている。

 幾本かの巨木が生える向こうには、黒味を帯びた岩壁がある。そこに白い筋となった滝が飛沫をあげ流れ落ち、鮮やかな虹がかかる。遙か下には神秘的に青い湖水が広がり、そこに逆さの景色が映り込む。

 溜息ものの見事さだ。

「おいケイレブよ、この景色をどうして見ない。こんなにも素晴らしいのだぞ」

「それは認めるけどね。ここに到着した時に、たっぷり見たじゃないか。僕はもうすっかり見慣れてしまったのだがね」

「何度見ても素晴らしいものは素晴らしい」

「君は本当に幸せな男だよ」

「そうか、俺は幸せだったのか。ありがとう」

 トレストは上機嫌そのもので、横で肩を竦めるケイレブの様子も気にせず、景色を堪能し続けた。そして風に舞う木の葉を目で追って、足場の隅に溜まった土の存在に気付く。

「見てくれ、こんな木の上に土があるぞ。不思議だ、誰か運んできたのか」

「なんだ、都会育ちの君は腐葉土を知らないらしいな。それはね、ここに落ちた枝やら葉が腐ったものだよ」

「そうなのか。なるほど詳しいな」

「田舎の小倅のしがない知識ってものさ。ああ子供の頃、山や林から腐葉土を運ぶ事が辛くてね。だから冒険者を目指したけど……畑か、今となるとみな懐かしい」

「俺はいずれ家の庭に畑をつくるつもりだが、これを持って帰ると良いか?」

「そうだね、乾いてサラサラしている。畑に使うと良いものだね。しかし、ちょっとやそっとの量では足りんさ」

 ケイレブは膝を突き手に腐葉土を取って観察している。

 それを真似してトレストも同じように腐葉土を掴み、手の中で揉みながらサラサラと流し落とした。タイミング悪く強めの風が拭くと、粉末がケイレブの方に流され迷惑な事態を引き起こしてしまう。

「おいっ! 気を付けてくれよ」

「すまんすまん」

「ええいっ、服の中に細かいのが入ってジャリジャリする」

「ふむ、対人戦で、こういった攻撃も有効かもしれん」

「冷静に言うな。なんてこった、背中の方に入って気持ち悪い」

「一度脱いだ方がいいだろう」

「少しは申し訳なさそうに言ったらどうだい」

 ケイレブは文句を言いながら外套、革鎧、短衣と脱ぎ捨てた。細身ながら鍛え上げられた上半身を木漏れ日の下に晒し、乾いた布で首筋から背中までを拭き払う。

 モンスターの出現する探索地でずいぶんと無防備な行動だが、つい先程に大顎を持った甲虫を倒したばかり。辺りに同類もいないため、危険度は低いと判断しているのだった。


 布で身体を擦るケイレブであったが、腰に手をあて軽く唸った。

「この景色の中で服を脱ぎ捨てると、なんだろう開放感が素晴らしい。肌で風を感じるのも最高ってものだ。どうだい、君もやってみるといい」

「そうなのか。よし、やろう!」

 トレストも胸当てを外し服を脱ぎ捨てる。露わになった上半身は、ガッシリとして逞しさがある。

「むっ、これは良いな。まるで、この景色の中に溶け込み一体となった気分だ」

「どうだい最高にハイって気分じゃないか」

「なじむ、実になじむぞ」

「これは癖になりそうな感じだよ」

「それもそうだな。ところでケイレブよ、俺はさっきからトイレに行きたいと思っていたのだ。ここから湖面に向け思いっきりというのはどうだ」

「君って奴はとんでもない事を言い出すね。だが、そういうのは嫌いじゃない」

「やるぞ」

「やるか」

 二人は顔を見あわせ、ニヤッと笑った。さっそくズボンに手をかけ――しかし、キシキシと板を踏み締める軽い足音がした。

 カカリアだ。

 戦闘で汗をかいたため、少し離れた場所で拭ってきたところである。

 鞣し革のシャツ、腰回りの装備品を吊り下げた防具兼用の分厚い革ベルト。両手には黒い革のグローブをつけ、足周りも頑丈そうなブーツ。簡素な装備に思えるが、魔獣の革が使われ下手な金属鎧より遙かに優れた防具である。

 そのカカリアは両手を腰にやり呆れ顔だ。

「ちょっと二人とも、こんな場所で服まで脱いで何してるのよ」

 仲間二人が上半身裸となってバカ笑いをし、さらにはズボンまで脱ごうとしているのだ。困惑しながら辺りを見回すのは、状態異常を引き起こすモンスターや呪術師の存在を疑っているからだろう。

「むっ、カカリアか。服を脱いでみたのだが、自然に返った気分だ。良かったらやってみるといい、この開放感は癖になりそうだからな」

「おいおい、君はレディに対し何を言う。それは失礼だぞ」

「確かにそうだな、すまない謝罪する。さて、これから俺たちは贅沢にも、この景色全てをトイレとして使うところだ。さあ、トレストよ。やるぞ!」

「言っておくが負けないぞ」

 トレストとケイレブはバカ笑いをして、いよいよズボンを脱ぎにかかる。

「…………」

 カカリアはこめかみに指を当て、小さく息を吐いた。

 そしてツカツカと歩みよると、取り出した手革紐を手に持ち勢い良く振り回す。それは鞭のようにしなり、バカ二人を鋭く打ち据え悲痛な声をあげさせた。きっと突き落とさなかっただけ、マシなのかもしれない。


◆◆◆


 カカリアは移動しながら二人を叱った。

 レディの前であるべき態度と払うべき敬意について、しっかり言い聞かせながら吊り橋を渡り次の巨木へと移動する。

 それが終わったのは、新たなモンスターを木の洞に見つけたからだ。

「なんだか動きの鈍いモンスターね。何かしら」

「あれは確かラオペグートというやつだな」

「そうなの。私が倒すから。貴方たちはそこにいなさい」

「「へーい」」

 男二人は素直な返事で従った。

 鞭代わりの革紐で散々に打たれた後なので、もうすっかり女王様と下僕といった態度で揉み手までするぐらいだ。ふざけた様子に少しだけムッとするカカリアだが、三節棍を軽く振り回すと槍のように腰だめに構えた。

 そして鋭い一撃。

「たあぁっ!」

 狙い過たずラオペグートの横腹に棒の先端が突き込まれ――瞬間、小気味良い音が響きラオペグートは弾けた。

 辺りに青臭さくも酸っぱい臭いが広がる。

「えっ……えっ? なにこれ……」

 爆心地の横でカカリアは呆然として立ち竦んでいる。その全身はグチョヌチョ状態で、どうやらラオペグートはたっぷりと蜜を持っていたらしい。

「ふむ、やはりこうなったか」

 呟かれた声にカカリアは険のある目を向けたが、そのトレストは気付かない。

「懐かしいな。俺も子供の頃に、うっかり芋虫を潰してしまったのだ。経験というものは大事だな、あの時に酷い目に遭ったからこそ、予想というものがたてられる」

「そう、気付いていたのね……」

「良い勉強になったと思うべきだな。はっはっは」

 朗らかに笑うトレストの側から、賢明なるケイレブはさり気なく距離を取った。


「私が酷い目に遭うと知ってながら、黙っていたのね」

「なんだ? カカリアよ、怒っているのか。だが、待ってくれ。別に知っていたわけではない。俺としては予想はしたが、ここまでなるとは――」

「黙りなさい! 絶対に許さないから!」

 怒り心頭のカカリアはトレストに詰め寄り、だがヌメッとした蜜に足を滑らせてしまう。思わず支えようとしたトレスト諸共、二人して倒れ込んでしまう。そして床の上で体液と蜜――もちろんラオペグートのもの――まみれになって絡み合った。

 押しのけようとするトレストの手がカカリアの双丘を鷲掴みにした。

「むっ、これは何と……」

「何するのよ!?」

「しかし待ってくれ、これは不可抗力というものだ」

「そう思うなら! 手を離しなさい!」

 更にバランスを崩し二人してもがいている。

 なんとかカカリアが身を起こすと、それはトレストの腹に馬乗り状態だった。しかしカカリアは退こうとはしない。その眼差しは処刑場の執行人の如く冷ややかだ。

 トレストの顔から血の気が引いた。

「待て待て待て、全ては誤解に基づくやむを得ない事で。つまり事故だ」

「うるさいバカぁ!」

「ぐわああああっ!」

 目にもとまらぬパンチの連打によって、トレストの顔が見る間に腫れ上がっていく。待避していたケイレブは何とも言えない顔で頭を掻いた。

「おい、トレスト死ぬなよ」

「見てないで、ぐわっ! 助けろ」

「自業自得ってものだ。そこで大人しく殴られてろ。ああ、安心してくれ。今日はポーションをたっぷり持っている」

「この薄情者が!」

 トレストの叫びは虚しく響き渡り、カカリアの気が済むまで攻撃は続けられる。もちろんその日の冒険は続けられるはずもなく、大人しく引き揚げるのであった。

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