第86話 仄暗い水の中から顔を出す

「まさか下まで一気に来れるとは思わなかった……」

 アヴェラは地面を踏み締め呟いた。

 芋虫のようなラオペグートは凍らせ、蜂のようなスムスムは撃墜し、他にも出て来た虫系モンスターを斬って捨て、ついに辿り着いた湖面付近である。魔法と物理をバランス良く使う事ができれば、それほど苦戦する事はなかった。

「絶景かな」

 目の前に広がる水面は随分と向こうで褐色を帯びる壁とぶつかり、水平線さながらに視界を二分する。遙か上より落下する白滝が水飛沫をあげ、その霧が雲のように漂う。水面にはそれら景色が逆さに映り込んで見事なものだ。

 見た事もない美しき景色である。

 だが、奇妙な事に樹上から見ていた水中都市の姿は水底に全く確認できない。そちらは見通しのきかぬ深さがあるばかりであった。

「お主なー。ぼさっとすんなー、やらねばならん事があるじゃろって」

 急かすイクシマが戦槌の石突で地面を何度か突いてみせた。

 ここは巨木の根元に存在する僅かな陸地部分だ。やや固い土に砂利が混じり多少の草も生える。十歩も歩けば水際といった範囲のそれが、巨木の周りにぐるっと存在していた。

「そうだった、早いとこヤスツナソードを探さないとな」

「まーったくぼさっとしよってからに。これはもう、我がしっかり面倒みて指導してやらねばならぬな。しっかり我の言う事を聞くのじゃぞ、よいな我との約束じゃぞ」

「そらどーも」

「うむ、分かれば良い良い」

 ニカッと笑うイクシマにアヴェラは肩を竦めておいた。


「ええっと、ここから向こうで、あっちに伸びてるから……そうなるとさ……うん、あの辺が剣を落とした辺りって思うよ」

 ノエルが頭上に目を向け、巨大樹の生い茂る枝葉の間に伸びる吊り橋を見やって、大凡の位置に見当をつけてくれた。

 ただし、一緒になってアヴェラも上を見上げているが、木々の間を縦横無尽に渡された吊り橋の数が多すぎて、どこがどこやらさっぱりである。

 とりあえずノエルが指さしてくれた辺りに行くしかない。

 誰が用意したのかは不明だが、木々の間には浮き桟橋のような通路がある。目的の場所にも、幾つか巨木の根元を経由すれば行けそうだ。

「なるほど、行ってみよう」

「うん、行こうね。ところで今更だけど、剣は水中だよね。それさ、どうやって回収するの? やっぱり潜るってこと?」

「…………」

「もしかして考えてなかったとか?」

「はっはっはー」

「それ、何も考えてないよね。もうっ」

「近くまで行けばなんとかなる」

 軽く口を尖らせたノエルに冗談めかした笑顔を見せ、アヴェラは桟橋状の通路を軽やかな足取りで進んで行く。

 美しい景色、樹や水の清涼な香りが漂い風光明媚な観光地へとバカンスに来た気がしないでもない。もちろん、いつ襲って来るか分からないモンスターへの警戒は少しも忘れていなかった。

「ほれほれ、お主ら遅いのー」

 少し先に走ったイクシマが戦槌片手に跳びはねている。

「早くせんと置いていってしまうんじゃって」

「自称エルフは犬みたいだな」

「誰が自称じゃあああっ! 我は正真正銘エルフなんじゃあああっ! 無礼なことを言うと許さぬぞ……なぬっ!」

 叫んでいたイクシマが、その言葉を途切れさせ呻くような声をあげた。

 大質量の水が流れ落ち、激しくざわつく水音が響いた。反射的に視線を向けたアヴェラは空中に舞う大量の水飛沫を見た。それは――。

「……大きい!」

 人間を丸呑み出来そうな巨大な存在が水中からジャンプしていた。

 全体が金属光沢のある鱗に覆われ、上面が深い緑に下面が白といった色合いだ。魚の頭に黒々とした目、大きく開いた口には人間のような歯が並ぶ。大きく発達した背びれ尾ひれがあり、胸ひれはまるで翼のように大きい。

 間違いなく、この場所のボスモンスターだ。


 スムスムを捕らえ噛み砕く生物の、その黒々とした目がこちらを捉えた。

「マズい、気付かれたぞ!」

 巨体が空中から水中に飛び込み、勢いのある音が辺りに響き波が立つ。

 アヴェラはすかさず二人の少女を掴んで引き寄せた。波打つ水面が勢いよく浮き桟橋を揺らし、さらに足首辺りの高さで通過していく。体勢が悪ければ流されていたかもしれない勢いだ。

 白蛇状態のヤトノが顔を出すと頷いた。

「ふむふむ、あれは……パントドンだそうです」

「知っているのか、ヤトノ」

「はい、ここらの死霊が申しております。かなりの強敵なのだそうです」

「あれが居るとヤスツナソードは探せないぞ」

 アヴェラは口元に手をやり唸ったった。あれが彷徨いている状態で水中を探すなど、全くもって愚かな行為でしかない。しかしゆっくりと考える事は出来なかった。

 水面を見つめていたイクシマが急に後退りしたのだ。

「いかぬっ! 来よるんじゃって!」

 水面が盛り上がると、そこを割ってパントドンの巨体が出現。それは見る間に迫る。激しい水音、芯に響く咆吼、降り注ぐ水飛沫。

 アヴェラは足を滑らせたノエルの腰を掴んで抱きかかえ足場板の上を走った。何か風圧のようなものを感じ――反射的に大きく前へと跳ぶ。

 波に煽られ足場板が激しく上下し、弾けるようにバラバラになった。

「なんの!」

 途中にある板の残骸を踏み締めアヴェラは思いっきり前に飛んだ。

 それで何とか地面の部分に辿り着き、転がるように着地。だが、追いかけて来た波を浴びてしまって全身ずぶ濡れだ。しかもノエルは運悪く水を飲んでしまったらしく何度も咳いている。

 要領よく頭上に避難していたヤトノが肩に戻った。

「むう、これは帰ったらお洗濯しませんと」

「そんな事を言ってる場合じゃない」

「分かっております、冗談ですよ。ですが動いただけでこれとは、少々厄介ですね」

「確かにな……」

 相手は動いただけで攻撃になり、しかしこちらの攻撃は届かない。

 振り向けばパントドンの尾が水中に潜る瞬間だった。水面が波打ち余波が何度も押し寄せ、途中で途切れた桟橋の残骸が水中へ垂れながら揺れている。たった一度の動きで危うく壊滅するところ――。

 アヴェラは周りを見回した。そして、もう一人の仲間の姿がない事に気付く。


「なっ、イクシマっ! どこだ!?」

「大丈夫みたいだよ……ほら、あそこ。向こうの木の根元を見て」

「あそこか、良かった」

 手を振り合図をすると向こうからも合図をしてくる。

 イクシマは大きな身振りと全身で一方向を示しており、どうやらそちらから回り込むと言いたいらしい。対してアヴェラは両手を上から下に降ろし、押さえ付けるような仕草をしてみせる。

 待てと伝えたつもりだが、果たしてイクシマは頭の上で丸をつくった。本当に理解したのか心配だったが、イクシマに動く様子がないので安堵する。

「よし伝わったみたいだな」

 以前であれば、勝手に突撃して好き勝手やったイクシマだが、変われば変わるもので、今はこちらの行動に従い大人しくしてくれている。それだけこちらを信頼してくれているという事だが、だからこそ応えてみせねばならない。

「よし、まずは落ち着こう」

 アヴェラは息を吸い大きく吐く。

 地の利は向こうにある。こちらの攻撃は水中には届かず、しかし向こうは好きなタイミングで攻撃ができる。対処方法をめまぐるしく考え――悠々と動く背びれが、波を引きつつこちらに接近してくる様子に気付いた。

 水面に現れた深い緑をした流線型の姿は、まるで潜水艦のようだ。

「潜水艦……そうだ! ノエル、魔法だ。火の魔法を近くに叩き込んでくれ」

「近くって、いいけど本当に当てなくていいの!?」

「いいから早く。やらないんだったら仕方ない、自分でやるとしよ――」

「待って、待って! それダメー! 火神の加護よ、ファイアアロー!」

 素直に従ってくれて嬉しいが、魔法を使うという事が脅し文句のように扱われ、なんだか面白くないのも事実である。

 そんな不満を抱くアヴェラの前でノエルが魔法を放った。

 火神たちから特別に加護を得たそれは、矢どころか槍に近いサイズとなって飛翔。パントドンの手前の水面に命中し、大きな水柱が立ちあがる。

 さらに魔法。

 水柱が起こりパントドンが苦しげに咆える。

「あれ? 何だか当たってないのに爆発してるし効いてるような……」

 普通の火であれば水に落ちた時点で温度が低下、酸素供給が断たれ消えて終わるだろう。だが、これは火の神たちの力を加味した魔法により生じた火という現象なのだ。水中に没したところで、まずはそこで水の神とのせめぎ合いになる。

 もちろん圧され消えるものの、それまでの間に熱せられた水は瞬間的に膨張し爆発。そして発生した泡が膨張収縮を繰り返すのだが、付近の物体が存在すれば泡が変形し、物体めがけ押し寄せる激しい水流を生じさせるのだ。

「――といったバブルジェット現象が水中で生じダメージを与えている」

「ごめん、分かんない。でも、もっと攻撃すればいいんだよね」

「頼む」

 ノエルが攻撃を加えると、向こうの岸でイクシマも同じように火の矢を放ちだす。次々と叩き込まれる火魔法による攻撃が水面に叩き込まれ水柱をたてる。

 だが、その水柱の中でパントドンの姿が消えた。

「潜っちゃったけど、逃げたのかな?」

「いいや違う……来るぞ」

 アヴェラは再びノエルの腰を抱きかかえ走った。

 直後、水を割って巨体が飛び出る。ほんの少し前まで立っていた地面を薙ぎ払うようにしてパントドンが通過。削られた土や砂利が飛んで降り注ぎ、体のあちこちに痛みがはしる。

 次いで激しい水飛沫があがり巨体が水中へと戻っていった。

 まさに間一髪。

 アヴェラはこの不利な状況に改めて歯がみするしかなかった。

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