第85話 この世の理を外れたならば

 吊り橋を小走りで進むイクシマは切羽詰まった顔で振り向いた。

「お主なー! 何をのんびりしとるんじゃって、早う行かねば危険がピンチでデンジャーじゃろがー!」

 ドスンと足を踏みならせば、吊り橋がギシギシと音をたてた。それでようやく自分がどこに立つのか思い出し顔を青ざめさせている。折しも強い風が吹き、さらに揺れが大きくなれば太蔓に掴まりしゃがみ込んでしまった。

 かなり平気になったとはいえ、吊り橋の上が恐い事に変わりはないのだ。

「落ち着け。急いだって意味が無いだろ」

 そう言ったアヴェラは歩調をいつもと変えず、スタスタと足場板の上を進んで行く。前回酷い目に遭った辺りのため、辺りに視線を配り警戒している。しかも今回は腕から肩に巻き付いた白蛇ヤトノも念入りに辺りを見回していた。不意打ちされるような事は、まずないだろう。

 ちらりとノエルが視線を向けてきた。その顔は少し不安げだ。

「でもさ、私も急いだ方がいいかなって思うんだけど」

「その通りだとは思う。でも、急いでいる時ほどゆっくり進むべきだな」

 アヴェラは肯くものの、殊更のんびり足を進めた。

 前回来た時と大差なく、巨大樹が立ち並び吊り橋が渡された風景。よくよく見れば遠くに小さな点が幾つか飛翔しており、恐らくそれはあの蜂のようなモンスターなのだろう。取りあえず近くに姿はないが油断は禁物だ。

 ノエルとイクシマが急かす理由は、もちろん湖水に沈んだヤスツナソードがアヴェラを求め活動しだす危険性があるからだ。

「一日や二日で即座に異変が起きるとは思えないだろ。そもそも、もし何も知らずにいれば、今頃はのんびり菓子でも食べていたはず。それだったら焦って急ぐ必要は無いとは思わないか」

「確かにそうだけどさ、うん……」

「今ここで焦って進んだところで、下まで行く時間は大差ない。むしろ焦って危険な目に遭う事を考えれば、ゆっくり慎重に行った方がいい。そこのドジっ娘エルフを見れば分かるだろ、慌てるとろくな事がない」

 グレイブの長柄で指し示されたイクシマは目を怒らせ立ち上がった。

「やかましぃー! 誰がドジっ娘エルフなんじゃあああっ!」

「あまり騒ぐな。あの蜂みたいなモンスターが来ても、羽音が聞こえなくなるだろ」

「ぬっ、ぐっ……」

 イクシマは自分で自分の口を押さえて黙り込んだ。さらに左右を見回し目をキョロキョロさせ辺りを警戒しだす。流石にアヴェラが落ちかけた危険を見ているだけに、それは真剣だった。


 そのまま歩きだすとノエルが声を抑えたまま話しだす。時折吹く風の音よりは少し大きい程度だが、後方からの言葉のため聞き取る分には問題がない。

「とりあえず簡単にだけどさ、私が調べたとこによると。あれはスムスムっていうモンスターなんだってさ。体当たりで抱きついて毒針刺して攻撃するらしいんだよね」

「調べたって、あれからか? 商会で一旦別れて広場で集合するまでの間にか」

「先輩冒険者の人に、ちょっと立ち話程度に聞いただけなんだけど」

「なるほど」

 頷きながらアヴェラとしては少し驚きを感じていた。ノエルと言えばソロのイメージが強く、まさかに情報が得られる相手がいようとは思わなかったのだ。少しだけノエルに自分の知らない交友がある事を残念と感じつつ、しかし良かったとも感じる。その辺りはなんとも微妙な心情だ。

 傍らを行くイクシマに視線を向けた。

 即座に気付いた金色の瞳が不思議そうに向けられる。間違いなく、こちらには交友関係はないだろう。そういう気質というか雰囲気があるのだ。

「なんじゃ?」

「頑張れよ」

「んっ? なんぞ分からんが我はいつも全力、今回もしっかり敵を打ち倒してくれようぞ。任せておくがよい!」

「きっと大丈夫だ。諦めるなよ」

「……なんか分からんが、とっても失礼な事を言われとる気がする!」

 イクシマは目尻をつり上げ足を踏みならし、そして揺れる吊り橋に震えあがってアヴェラにしがみついた。そうやって進んで行き――。

「御兄様、小娘の相手をする場合ではありませんよ。あの虫どもが来ました」

「スムスムの事か」

「むっ……呼び名は大事ですね、はい。あのスムスムどもが来ましたよ!」

「よし、敵機接近。迎撃よろしく」

 蜂のような姿をしたモンスタースムスムが十匹ほども向かって来ていた。

 その動きからすれば、アヴェラたちを狙っている事は間違いがない。事前の打ち合わせ通りノエルとイクシマが手を突きだし集中する。

「敵機ってのは分かんないけど……火神の加護ファイアアロー!」

「火神の加護ファイアアロー! ぬうっ、ぶっ叩く方がいいんじゃがな」

「そうは言っても仕方ないよ、火神の加護ファイアアロー!」

「やはり手応えというものがのう、火神の加護ファイアアロー!」

 次々と炎の矢が放たれるが、多少の追尾性がある。そのに被弾したスムスムは煙をあげ、次々と墜落していく。

 魔法禁止のアヴェラとしては、なんとも羨ましい事だ。一部のスムスムが魔法攻撃をかいくぐり一気に迫る様子を、ちょっとだけ不機嫌に睨んでいる。

 

 細かく振動する羽音が大きくなる。

「左舷弾幕薄いよ、て感じだな。やれやれ」

 言い置いてアヴェラはノリフサグレイブを高く掲げ振り回す。辺りを照らす光の中で、その片刃の剣身はキラキラと輝きをみせている。間違いなくスムスムの狙いはアヴェラに定まった。

「こっちに来たぞ。注意しろ」

 アヴェラの言葉にノエルとイクシマは吊り橋上を移動、退避しながら魔法攻撃の手を休めず残りのスムスムを狙い撃っている。冷静に見定めれば、速度変化もなく一直線に迫るスムスムの動きは予測がしやすい。注意して見ていさえすれば、その回避もさほど難しくは無いはずであった。

 事前の打ち合わせで、こうやって魔法攻撃と囮に分かれる手筈になっている。難点は素材が回収出来なかった事ぐらいだが、確実に倒すことが可能だ。

 しかし、そこで想定外が起きた。

 するすると迫る姿にもう一体が加わったのだ。

「……増えたか」

 幸いにして狙いはアヴェラにある。

 これを上手く避けられるかは疑問である。だが、しかしノエルとイクシマはアヴェラを信じ、それぞれの役割に取り組んでいるのだ。こうなれば囮としての役目を上手く果たすしかない。

 アヴェラは構えを取り軽く姿勢を落とす。

 意識を集中すると、不意に精神と知覚が研ぎ澄まされていく。

 迫るスムスムの姿がしっかりと捉えられる。額に細かな毛が生え額から伸びる二本の触覚が風になびく様に、顔の両側にある漆黒の目と口元のハサミのような口が見えた。さらに四枚羽が羽ばたく動きですら視認でき――その不思議な感覚の中で時間はゆっくりと動く。

 アヴェラは瞬きすらせぬまま足場板一枚横に移動し、同時に下からすくい上げるようにグレイブの刃先を動かした。重い手応えをしっかり落とした腰で踏みこたえ、続けて刃先を返し下に振るった。

 傍から見ればグレイブを軽く上下させただけにしか見えなかっただろう。しかし、二体で突っ込んだスムスムは四つの塊に分かれ落下していたのである。


 その時ようやく、ノエルとイクシマは残りのスムスムを撃墜し、先程の二体を倒そうと身構え振り向いた。

「よし次。えっと、あれ? 今の二体はどこなんだろう」

「倒した」

「いやいや、そんなの倒せないって思うけど」

「斬った」

 アヴェラが冷静に告げれば、それは驚愕でもって迎えられた。

「はあああっ!? お主ぃ、なんで全部斬っとるん!?」

「そうだよ、前の時も思ったけどさ。飛んでくる相手を斬るとかさ、なんなのもう」

「ありえんじゃろって!」

 何故か非難囂々なのであるが、しかしアヴェラも自分に対し似た気持ちであった。飛んでくるスムスムを連続で斬ったが、自分の身体感覚的にそんな事が出来るとは到底思えなかったのだ。

 戸惑っていると、ヤトノが少女の姿をとった。そのまま吊り橋の綱に腰掛けた。

「御兄様、何故だか不思議そうですね」

「何か知っているのか」

「知っていると言いますか……そもそも御兄様はお気づきではありませんか? これまで御兄様は時々、普通ではありえない動きをされていたはず」

「そうか? ……いや、そういえば」

 アヴェラは口元に拳を当てた。

 考えてみれば幾つか思い当たる節が無きにしも非ず。これまでの戦闘でも前世と比較すれば格段に身体が動いていた。何よりイクシマと水中に落ち脱出したとき、遠征隊に参加し別行動から合流するため駆け通したときなど、よく考えると有り得ない程に身体能力が向上していた。

「魔法を思い出して下さい。あれは本人が認識し想像した事象が発するのですよ。この世界のことわりに縛られない認識さえあれば、肉体も同様にして想像以上の力を発揮するのですよ。通常は無理ですよ、この世界の理しか知らないのですから――ああ、なんと面白き存在だろうか」

 くすくすと笑うヤトノの様子は、普段とどこかが異なっていた。その緋色の奥から何か別の存在が見つめているような気がする。

 だが、アヴェラは肩を竦めるだけだ。

「とりあえず進むか」

 そして歩きだした。

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