第76話 モンスターも人も、いろいろ面倒

 大木の間に渡された植物の太蔓はしっかりして足場板も頑丈。体重を支えるに充分なものだ。吹き寄せる風にも僅かしか揺るがず安定感があった。

 とはいえ、渡る者が恐怖を感じないわけではない。

 近寄ってみれば太蔓も所々がほつれ千切れ垂れた部分があり、足場板は不定形で場所によって間隔が大きく開いていたりする。吊り橋が僅かでも揺らげば不安感が増し、そもそも渡る者が風にあおられてしまう。

「これはスリル満点だな」

 アヴェラは階段のようになった足場板を降りていく。これは、吊り橋が大きくたわんで中央に向かって下って、また上がっていくためだ。距離があるため、たわみも大きく勾配も大きいというわけである。

 こうした吊り橋を渡ると、必ず揺らしてバカをやる奴がいるものだが、幸いにしてこのメンバーにはそんな者はいない。

「大丈夫か?」

 振り向くと太蔓に掴まり一歩ずつ慎重に降りてくる二人の姿があった。もはや完全に腰が引けており、その歩みは亀の如く遅い。

「大丈夫くない!」

「同じく……」

 強がりを言わない素直さは感心すべきだろう。しかし両者とも足場を確認するため下を見ており、それがため遙か下の水面が目に入って恐怖が倍増しているようだ。

「下を向いて歩くから駄目なんだ、前を見て歩いた方が恐くないぞ」

「でもさ、そんな事を言ってもさ。ちゃんと足元を見ないと、もし踏み間違えたら下まで――うん、やめやめ。今の発言はやめよう」

 ノエルが途中で言葉を途切れさせたのは自分のためではない。イクシマが恐怖に怯え唸ったせいだ。

「ノエルはいいとして、自称エルフがどうした。しっかりしろよ」

「自称ではないのじゃって!」

「エルフは樹上のツリーハウス生活だろ。ちょっと高さが違うだけで情けない」

「お主のエルフに対する偏見はいつかなんとかせねばならんと思うておるが今はまだその時ではなさそうなので勘弁してやるゆえ我を伏し拝んで感謝しついでにとっととここから助けて欲しいのじゃぞ」

「恐いなら無理して喋るなよな」

 顔色も悪いイクシマはモンスターが出たら戦闘どころではなさそうだった。


「さっきも言いかけたが、前を見て歩け。足元は目の端で確認すれば充分だ」

「お主はそう言うが、それが出来れば苦労はせんって」

「まあ確かに。もし足を踏み外したらとか、板の下は何もないとか、もし割れたらとか心配になってくるよな」

「やめんかあああっ! 余計な恐怖を植え付けるなあああっ! と言うか、何でお主は平気なんじゃ! 不公平じゃろがぁっ!」

 騒ぎながらも既に吊り橋の半分ぐらいを通過し、ここからは上りになる。そうなると視線も少し上を向くはずなので、二人の歩みも少しはマシになるだろう。

 しかし吊り橋が軽く揺れ、たちまち二人とも太蔓にしがみついてしまう。

「御兄様、向こうの木でモンスターが待ってますよ。早く参りましょう」

 吊り橋の揺れは風ではなく、先行していたヤトノが原因だ。白い上着の長い袖を降りつつ、軽い足取りで足場板を降りてきたのだ。もちろん殆ど揺れていないのだが、敏感になった二人からは文句の声があがった。

「あのさ、揺らさないで欲しいかな」

「そうなんじゃぞー、やめろよー。洒落にならんのじゃって!」

 まさかそんな文句を言われようとは、すこしも思っていなかったのだろう。降りてきたヤトノは不思議そうに小首を捻っている。

「あら? 揺れましたか」

「そんなに揺れてないけど敏感になっているからな」

「なるほど、そうですか敏感ですか。でしたら、そこを責めてあげたいところですが……まあ、今は止めておきましょう。わたくしは寛大ですから」

 笑むヤトノであったが、ノエルとイクシマはそれどころでなく反応すらしない。

「まあ、つまらないですね」

「二人とも、いっぱいいっぱいなんだ。ヤトノも平気なコツを教えてやれよ」

「畏まりました御兄様。では、平気でいる方法をお教えいたしましょう。こう考えればよいのです、つまり落ちても死ぬだけと。下手に希望を持つので恐いのですよ」

「なるほど確かに真理ではあるな」

「御兄様に褒められました!」

 喜んだヤトノは両手を揺らし、その場で何度も飛び跳ねた。

 もちろんそれでノエルとイクシマが悲鳴をあげたのは言うまでもなかった。


◆◆◆


 どっしりとした巨木の樹皮は黄系統の暗い茶色をしており、表面には細かな皺や亀裂が無数に存在している。拳で叩いてみると固く奥までしっかりと詰まった手応えで、流石に長大な樹高を支えているだけの事はあった。

 その幹を囲むように足場が取り付けられている。

 足場の原理は吊り橋と大差なく上の枝から下げた蔓で支え、ただし下で木の幹から斜めの支えを取っているため安定感がまるで違う。

――誰がこれを設置したのだろうか。

 ふと疑問に思ったアヴェラだが、それを口にする事はなかった。これもまた、そういうものだからと答など出て来ないに決まっている。それどころか、いちいち決まりや常識を問いただすような、しち面倒くさい奴にしか思われないかもしれない。

 ならば黙っていた方が賢いというものだ。

「まだ足元が揺れておる気がするんじゃって」

「あのさ、もう疲れたよ。何もして無いのに移動しただけで疲れた気分だよね」

「分かる。分かるがしかし、ここからが本番なんじゃ」

「クエストだと、ここら辺りでラオペグートってモンスターを倒して素材の蜜を回収なんだよね」

「我らであれば問題ないはずじゃが、ここは油断せず行こまいて」

 イクシマは勢いよく戦鎚の柄の先を木の板に叩き付けた。もちろん板が割れたり破損すれば、下まで真っ逆さまなのだ。しかし、先程まで板の上で震えていた当人は少しも気にしていない。

「さあ、者ども行くぞ!」

 すっかり調子を取り戻し、戦鎚を肩に担いで歩きだす。

 モンスターがいるのは樹洞の中だった。そこは底が平らな球状の空間で思ったよりも広い。そのスペースから考えると、明らかに巨木の断面の大半を占めている。木の構造耐力を考えると、どう考えてもおかしい。

 おかしいがしかし、そういうものだとアヴェラは無理矢理納得をした。

 なにより目の前にモンスターがいる。余計な事は考えていられない。

「あれがラオペグートか?」

 頭部らしき辺りが赤く、円筒形をした身体は緑といった生物が一体いた。短い触角を震動させながら動かし、体節のある身体を波打たせながら這っている。

「ラオペグートから蜜を回収なんだろ。だが、蜜を出すとは思えないんだが」

「大丈夫、クエスト指定の時に貰ったイラストだと……うん、間違いないんだよ」

「嘘だろ」

 アヴェラがぼやくのは無理も無く、どう見ても芋虫なのだ。しばらくは蜜を口にしたくない気分になってしまった。


「むっ、こ奴らどうも襲ってこぬようじゃな」

「ノンアクティブって事だね」

「よーしよし、何と感心なモンスターなんじゃろって。どれ、仲間の代わりに戦ってやるのもパーテーというものよな。よかろう、この我のものっそいところを見せてくれようぞ。ノエルよ、お主はさがっておるといい」

 イクシマはニッと笑うと戦鎚の柄を担ぎ、ラオペグートを指し示した。その背後でアヴェラがノエルを手招きしながら後退。察したヤトノも同じく壁際に移動する。

「どっりゃああああっ!」

 渾身の力で振り下ろされた戦鎚は過たずラオペグートに命中。だが、まるまると太った芋虫を戦鎚で叩き潰せばどうなるか。

「ふぎゃあああんっ!」

 もちろん。パンッと小気味良い音がして弾け散った――体液が。

「なんじゃこりゃああああっ! って言うか臭いいいっ! 酸っぱ臭いんじゃあ!」

 潰した芋虫の体液を間近に浴びたイクシマは戦鎚を取り落とし、悲鳴をあげた。とりあえず毒や酸といったものではない。

 もしそうなら、先にヤトノが注意していただろう。

「まあ、こうなるわな」

「お主ぃー! 気付いておったんなら言えよー、酷いぞー! あんま酷いと、泣くぞー! 恥も外聞もなく泣いてやるぞー!」

「分かった分かった、すまんすまん」

 すでに半泣き状態となったイクシマを宥め、手持ちの水をかけ洗い清めてやった。もちろん全員の分を集めても到底足りやしない。

 しかも服だって汚れてしまっている。

「もう嫌じゃああっ、今日はもう帰る!」

「分かった、分かった。だったらアルストルに戻ろう」

 流石に悪いと思ったアヴェラは提案する。

「それから家の風呂を使えるようにしようじゃないか」

「本当か!? お湯か!? 水でなかろうな?」

「もちろん、お湯だ」

「よしっ、お湯を使わせるんじゃぞ。よいな、我との約束なんじゃぞ」

 普段は水浴びだけのイクシマは半泣きから一転して大喜びだ。

「あの、アヴェラ君。私もお風呂とか使いたいなーと」

「どうせ一人も二人も変わらないし大丈夫だろ」

「やった!」

 ノエルは嬉しそうに両手を握っている。

 薪は意外に貴重であって、湯を沸かすことは贅沢の象徴なのだ。エイフス家ではカカリアの嗜好もあり、もちろんアヴェラも前世が前世なので贅沢にも風呂が使われるのだ。

 もちろんイクシマとノエルが使うと言えば、誰も文句は言うまい。

「早く帰るんじゃって!」

「そうだが、いいのか?」

「何がじゃ?」

「また吊り橋を通るだろ」

 アヴェラの指摘にノエルとイクシマは顔を見あわせた。そしてヤトノに促され追い立てられ移動しだすが、アルストルに戻るまでかなりの時間を要するのであった。

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