第75話 高所恐怖症

「これは……」

 新たなフィールドは木の天辺に近い場所だった。

 木の周囲に僅かな木製足場が巡らされ、そこに簡単な手摺りがあるのみ。万一足を踏み外せば下まで真っ逆さまに落ちてしまうだろう。勢いよく走り降りたイクシマが悲鳴をあげたのも無理なからぬものだ。

 青々とした葉を茂らせた大木が何本も並び、その間を縫うように吊り橋が架けられている。遠くに見える壁面のあちこちに幾筋もの白滝が存在していた。

 つまり、巨大な窪みの中に何本もの大木が存在しているのだ。

「なんてありきたりなファンタジー風景なんだろうか」

 アヴェラは前世を思い出し呟いた。

 だいたいにおいて、異世界ファンタジーの風景にはパターンがある。即わち唐突に生える巨木と、その間を結ぶ橋。そして水源もなく高所から流れ落ちる滝といったものだ。そして後は――。

 木の足場に近寄り下を覗き込むと苦笑する。

「ああ、やっぱり」

 下には広大な湖があって、木々は何故かしら水中から生えている。しかも水底には水没した都市が見えている。

「水中に沈んだ都市か、これはもう王道だな。こうなると湖には、生態系を無視した巨大魚でもいるのかもしれない。これは注意しておかねばいかんな」

「待てえええいっ! お主なー、何でそんなに冷静なんじゃよー。もっと恐がれよおおおっ!」

 へたり込んだままのイクシマは八つ当たり気味に怒った。

「恐がれと言われても、何に対してだ?」

「ここ高いんぞ! 危ないんぞ! もっと恐がれよー!」

 肩で息をするイクシマを見やり、アヴェラはどこまでも冷静だ。

「気にするな。そうそう落ちはしないだろ」

「むっ、そうなんか」

「落ちる危険があるなら、事前に情報があってもおかしくないだろ。しかし、それが無いという事は……」

「なんじゃー、安全って事なんか。驚いて損したのう」

「危険な目に遭った連中は落ちて全滅してるだけかもしれない」

「やめろおおおっ! 恐い事を言うなあああっ!!」

 イクシマが良い反応を示すのでアヴェラは良い笑顔だ。


「しかしまあ、この景色は驚きだな。相変わらずありえない事ばかりだな」

 アヴェラが景色を見やると、ノエルにイクシマだけでなくヤトノも顔を見あわせた。少女三人が揃って同じ仕草をするのは、なかなかに可愛いものがある。

「御兄様、何がありえない事ばかりなのです?」

「たとえばだが。世界にモンスターは湧き続け、しかも倒せば消えて素材が残る。ほらどうだ、おかしいだろ?」

 常々感じる疑問だ。しかしイクシマは不思議そうに首を傾け金色の髪を揺らした。

「別にそんなの当たり前の事じゃろが、お主は何を言うておる」

「どうしてそうなるとか思わないのか?」

「思わんな。そういうもんじゃろが」

 どうやら欠片も疑問を抱いていないらしい。

 世界だとか文化が違うとか、そんなものではない。もっと根本的からわかり合えない何かがあった。それはイクシマだけの事ではなく、様子を見ればノエルやヤトノも同じようだ。

「……そうか」

 少しだけ寂しい気分でアヴェラは呟き悟った――この場合において間違っているのは自分の方だと。

 思考というものは知識経験から醸成されたものであり、前世においても文化圏や生活水準、さらには年齢や性差が異なれば思考の仕組みは全く違っていた。そこからすると、異なる世界で生きた思考を持ったまま生きるアヴェラという存在は、この世界において全く異質なものなのだろう。

 たまたま似て合致する思考があり、また少なからずこの世界に生きて思考を調整させているため普段は現出しないものの、アヴェラの意識はあくまでも異世界産という事で根本の部分は違うに違いない。

「アヴェラ君って、時々変な事を言うよね」

「御兄様は変ではありませんよ。ちょっとだけ他の方と考え方が違うだけなんです」

「それさ、ちっともフォローになってないと思うよ」

「フォローになってない……わたくしが御兄様に失礼な事を!? そんな……」

 ノエルの軽口に、ヤトノは白い上着の袂で口元を覆い、僅かに後退って何やらショックを受けた様子であった。両者の会話は、何気なく親しげなものだ。

「でもさ凄いよね、水の中に街があるなんてさ」

 その間にノエルはアヴェラの隣りに来て一緒になって遙か下を覗き込んだ。吹き上げてくる風は湿気を含み、そして涼しく心地よい。

「空の上から見たら、アルストルの街もこんな感じに見えるのかな?」

「きっとそうだろうな。衛星画像か航空写真でも見ている感じがしてくる」

「あっ、また変な事を言ってる」

「そりゃ失礼」

 アヴェラは肩を竦め水中の景色に目を凝らした。

 遙か下に赤煉瓦屋根に煙突といった建物が、幾つもコの字やロの字になって建ち並び中庭らしき部分も確認出来る。石畳らしい灰色の道路が区画を分け、複雑な模様を描いていた。噴水らしきものがある広場の脇には、尖塔のある大きな建物も存在する。ファンタジーらしい光景だが、本当に都市が沈んでいるのだ。


「かなり高さがあるよね……ねえ、どれぐらいの高さなんだろね。ちょっと心配」

「どれぐらいの深さか調べてみよう」

「えっ、どうやって!?」

「これを使う」

 にやっと笑って、アヴェラは腰からダガーを引き抜いた。両刃の先が鋭利に尖ったそれは、スケサダダガーと呼ばれる名工の鍛えたものである。しかし呪われており、その効果は所有者の元に必ず戻ってくるというものだ。

 こんな時にはうってつけだろう。

 尖った先を下にして手を放すと、見る間に落ちていく。

 屈み込んだ全員が身を乗り出し見つめる先で、スケサダダガーはみるみる小さくなっていき、かなり経ってから水面に波紋を生じさせた。波打つ水面にかき消され姿は確認できなくなる。

 唐突に後ろで金属音がした。

 まるで自己主張するような音をさせ転がったのは、間違いなく水中に姿を消したスケサダダガーだ。アヴェラは少しの傷もないそれを拾い上げ、労をねぎらう意味で丁寧に拭いてやってから鞘に収める。

「これで高さが分かったな」

「どれぐらいなの?」

「凄く高い」

「なるほど、確かにそうだよね」

 ノエルは口元を押さえながら笑い声をあげた。

 そんな後ろで、ようやく気を落ち着けたイクシマが立ち上がっている。微かに顔が赤いのは、今まで恐がっていた様子が恥ずかしいからだろう。

「その程度は分かっておったし。そんなんに時間をかけんでもよかろうが」

「落ちたら終わりって実感できただろ。一番危ないのはドジっ子エルフだからな」

「何だよお主なー、誰がドジっ子じゃ! 我に変な名を付けるなー! 我はディードリの三の姫なんじゃぞー、偉いんじゃぞー、ものっそいんじゃぞー。もっと敬えー」

 最近どうやらアルストル大公令嬢のナニアと仲良くなったせいか、頻りに自分の素性を口にしたりする。ただし威張りたいとか、血筋を誇るとかではなさそうだ。ただ単にアヴェラに凄いと思って欲しいだけらしい。

「エルフ扱いしてやったのに文句を言われてしまったな。さてと、そろそろ新しいフィールドの探索を始めようか」

「そうだよね、モンスターとか警戒しなきゃだよね」

 立ち上がり左右を見回しモンスターの有無を確認し、まだ何やら落ち込み気味のヤトノに気が付いた。がっくり項垂れ元気が無い。

「どうした?」

「わたくしは良妹ヤトノとして御兄様をお支えする者なのに。失礼な事を言って……」

 まだ気にしていたらしい。

「失礼なんて言ってない」

「ですが……」

「ヤトノはいつだって頼りになるし、支えてくれて感謝しているよ」

「本当でしょうか!? わたくしはお役に立っておりますか!?」

「もちろん。さあ探索に行くぞ」

「はい!」

 元気よく頷いたヤトノはアヴェラへと飛びつき、その腕の中で頬を擦りつけたかと思えば姿を白蛇に変えた。いつもより多く巻き付きながら、すばやく襟元の中に入り込み姿を消してしまう。

「なんぞ面倒なやつよのう。意外にメンタル弱いんでないんか?」

「私のせいで気にしちゃったのかな。これから注意しないとね、うん」

「えーい、気にするな気にするな。親しき仲にも礼儀は必要なれど、そのような遠慮なんぞは我らの間では無粋というものよ。だから普通でいいんじゃって」

「そうかな?」

「もちろんじゃって。たとえわかり合えずとも、そんな事は関係ない! 我らは仲間であって、そんな事を乗り越えた上に成り立っておる。お互いに遠慮なんぞせず行こうではないか! よいな我との約束なんじゃぞ」

 カンラカンラとさっぱり笑うイクシマの様子にアヴェラは胸を突かれた思いだ。

 たとえ自分の思考が異世界産で根本でわかり合えないとしても、それは問題ないのだ。自分は今ここで生きており、そして頼もしくも大切な仲間達と共に時間を過ごしているのだから。

「イクシマの言う通りだ。さあ、遠慮なく行こう」

 アヴェラは宣言するように言って歩きだした。その足取りはどこか楽しげだ。

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