第73話 エスコート

 アヴェラは疑問だった。

 どうして自分はこんな場所で、こんな衣装を着て立っているのだろうかと。

 こんな場所とは即ち――煌びやかな魔術灯によるシャンデリアに照らされ、壁には各家の紋章をあしらったタペストリーが飾られ、最高級の大理石の床の上を優雅に着飾った男女が闊歩し、楽士団の奏でる曲が静かに流れるホールである。

 こんな衣装とは即ち――ひだの付いたレースの胸飾りを付け、袖口がラッパ状に軽く広がった立て襟シャツに、肩章付きのケープのようなマントである。

「まるで異世界ファンタジー貴族のコスプレじゃないか……ああ、似たような状況だった」

 ぼやくアヴェラは腕組みしながら壁に背を預け、そっと息を吐いた。

 これは遠征隊の成果を顕彰する宴だ。

 街道を整備し、あまつさえモンスターに襲撃された村の窮地を救った輝かしい成果。これは貴族の権威付け、アルストル大公家の威光を高めるため開催されている。

 しかし参加するアヴェラからすると全くの無意味。

 アルストル大公がお言葉を述べられ、それから有力者が挨拶伺いに行った後は社交の場となっており、アヴェラはノエルとイクシマと共に目立たぬ隅の壁に張り付いているのだ。

「あのさ、アヴェラ君は挨拶とか行かなくていいの?」

「貴族同士の腹の探り合いなんて、誰が行くものか」

「またそんな事を……」

「父さんも行かなくて良いって言ってたからな。理解力のある親で良かったよ」

「それ、きっと諦めてるだけだと思うよ」

 しかし実を言えば行く意味が無い。

 貴族と呼ばれる存在は五位以上となり、正七位の騎士などは単なる武官。むしろ宴における警護役を任される立場でしかない。あげくに、その代理なのである。

 そんな者が挨拶に行ったとして、軽く見られて上から目線で馬鹿にされるだけだ。

「こんな宴を開くとか、ありがた迷惑だ。もう帰りたいな」

「それダメなんだからね」

「へいへい」

 注意するノエルは軽く着飾って、普段の服に赤い肩掛けを身につけている。

 貴族階級の女性たちのようなドレス姿ではないのは、あくまでも遠征隊に加わった従士という扱いのためだ。もちろんドレスを着せればとても似合ったに違いないが。

「暇じゃ……確かに、我たちここにおる必要あるんかって気になってくるぞ」

 イクシマも揃いの赤い肩掛けを着用しているが、自分の金髪を指に巻き付けては解き、それを繰り返しながらぼやいている。時折、欠伸を噛みころし頭で壁を叩いては眠気を覚ましているぐらいだ。


 ぼんやりと宴の会場を眺めていたノエルが何かに反応した。

「あそこに居るのってニーソちゃんだよ」

「コンラッド会頭の随伴かな」

 ノエルの視線の先を見ると、清楚な青と白のドレスの少女の姿がある。

 貴族階級ではなく商家の立場という事で派手すぎぬ控えめな装いだが、かえってそれがニーソの魅力を引き立て、純粋無垢な一輪の花といった雰囲気だ。

 こうした宴は商人が上流階級に顔を売る絶好の場となる。コンラッド商会には他にも大勢の従業員がいるのだが、その中から選ばれて来たとなると、ニーソは会頭から随分見込まれているという事だ。

「うーん、まだまだだな」

 アヴェラが指摘するようにニーソは明らかに場慣れしておらず、この雰囲気の中で戸惑っている様子だ。その証拠に貴族らしい青年に話しかけられるが、どう受け応えすべきか困惑している。

 何か誘われ断ろうとして上手く断り切れないらしい。

 困っている様子はありありと分かるのだが、生憎とコンラッド会頭は別の場所で歓談中。大勢の宴の中で少女一人の困惑に気付いている者はいたとして、特に助けようとする者はいない。

 こうした社交の場で貴族の男が慣れない子女を言葉巧みに騙し、または脅すなどしてお持ち帰りするという話は偶に聞く。

「……ちょっと行くか」

「そうだよね」

「我らの仲間に手を出そうとか、許せんってもんじゃ」

 アヴェラたちは壁から背を離し、揃って前に出た。

 徐々に会話が聞こえてくる。

「ここの庭園はさぁ、とても美しいからさぁ。もちろん君の美しさには及ばないけれどね。さぁ共に行こう、可憐な花の名前をこの私自らが教えてあげよう。君の花も見せておくれぇ」

「困ります。私はコンラッド会頭のお供ですから」

「大丈夫、うちの家令から連絡させておくからさぁ。二人でゆぅっくり語り合おう」

「申し訳ありません、そういうわけには……」

「ふーん、あっそぉ。君は私の誘いを断る気なのかなぁ? 我が家はコンラッド商会と取り引きがあるけどねぇ……君が私の誘いを断るという事はさぁ、遠回しに我が家との取り引きを断りたい意思表示って事かなぁ?」

「い、いえ……そういうわけでは……」

 狼狽えたニーソは軽く後退るが、貴族の男の方はそれより多く間を詰める。そして強引に手を掴もうとして――アヴェラが到着した。


「失礼します」

「なんだ、いきなり無礼じゃないか」

 見るからに素っ気ない態度の騎士と従士が登場し、貴族の男は僅かに怯んだ。しかし、周りの出席者たちが面白そうに眺める様子を察すると、顔を紅潮させつつ強気を取り戻した。貴族社会はなめられたら終わりなのだ。

 だがしかし、アヴェラは男を無視した。

「コンラッド商会のニーソ様ですね」

「えっと……はい、そうです」

 ニーソは一瞬の戸惑いの後に頷いた。アヴェラが演技をしていると気付いて、それに応じるぐらい付き合いは長く、そして深い。

「おいぃ、君は失礼じゃないか。私たちが話しているのを騎士風情が――」

「アルストル家ナニア様より、コンラッド商会のニーソ様をご案内するよう命じられております。何か差し支えがあるのでしたら、お伺いしましょう」

「ぐぉっ……いやぁ、何の問題もないですぅ」

 貴族の男は顔を強ばらせ、即座に引き下がった。そのまま、そっと人々の間へと紛れるように姿を消すのは賢い判断だろう。この探索都市のアルストルで、アルストル大公の愛娘に逆らうなど馬鹿以外の何者でもないのだから。

 ニーソは安堵した。

「ありがと。とっても困ってたの」

「そう見えたから助けに入ったんだ。いいか、ああいう時は周りを見るんだ。それで気の毒そうな顔をしている人がいれば、そこに少々強引でもいいから逃げ込め」

「うん、でも……怒らせたらお店との取り引きが……」

「ああいう奴は取り引きの権限は持ってない。それにな、言っとくけど怒らせたら恐いのは商会の方だぞ」

「そ、そうなの……」

「この場合はコンラッド会頭になるかな。とにかく、取引停止されて困るのは概ね貴族の側だからな。強気になる必要は無いが、弱気になる事はない」

 そっと囁くように告げるのは、周りに貴族が大勢いるからだ。

 ノエルとイクシマは嬉しそうに目配せをして友人との出会いを歓迎している。

「よし、それでは行こうか」

 アヴェラは言葉はともかくとして、丁寧な仕草で手を差し伸べた。それはエスコートする時の仕草で、応じて手を預けたニーソであったが目を瞬かせ戸惑う。

「えっと……どこに行くの?」

「一応は言った通りにしないと」

「え?」

 堂々とした態度の騎士が可憐なレディをエスコートする、といった風情で少年少女が会場を進む。これを遮る無粋者はおらず、微笑ましく見守る人々は次々道を開けてくれる。


 そして向かった先には、今まさに歓談中のナニアがいた。

 優美なドレスは派手さは無いが身体の線を強調するものだ。着る者を選ぶドレスだが、ナニアは存分に着こなし自分の魅力を引き出している。

 ナニアはアヴェラたちの姿に気付いたらしい。

 それまで会話していた相手に会釈をして離れると、真っ直ぐに向かって来た。今回の主役となる彼女が目的を持って歩くとなれば、やはり誰もそれを邪魔しない。

 両者はピタリと揃って向かい合う。

 そこは曲を奏でる楽士の間近で、互いの会話は聞こえても周囲には聞こえない最適な場所だ。もちろん、ナニアがそうなるようにタイミングを調整していたのだが。

「皆、揃ってどうしたのかしら」

 ナニアは微笑むが、そこには親しみの籠もった柔らかさがあった。

 アヴェラは視線が胸元に向かぬよう――最大限の自制心を持って――配慮し恭しく会釈する。

「ナニア様、コンラッド商会のニーソを紹介します」

「コンラッド商会と言いますと、もしかして……」

「イクシマから話は伺っておりますので」

 恭しいアヴェラの後ろでイクシマがニッと笑う。

 とりあえず初貢献としては情状だろう。

「それからギルドの件で何か用事や依頼がありましたら、このニーソを経由してお願いします」

「つまりコンラッド商会を間に挟みたいという事かしら?」

「いいえ、あくまでもニーソをです」

「……成る程、そういう事ね」

 ナニアは言葉の裏にあるであろう、様々な意味を察した様子でうなずいた。ただしアヴェラは本当に何も考えていない。ただ単に取り次ぎなどが面倒なのでニーソを使おうという程度の考えなのである。

 そうと知らぬナニアはニーソに視線を転じた。

 上から下まで眺め、その清楚な装いと戸惑いを見せる初心な姿に好感を抱いたらしい。にっこりと、親しみのある笑みで頷いた。それはアヴェラたちに向けるものと同じ質の柔らかみのあるものだ。

「これから、お友達のようにお願いしますね」 

「えっ、え? どうなってるの……あ、はい! こちらこそ、よろしくお願いいたしますです!」

 ニーソはアヴェラに小突かれ我に返り、大慌てて勢いよく頭を下げた。

 雲上人の令嬢を前に緊張しきり、もう何が何やらといった状態だ。きっと、これが普通の反応に違いないとノエルとイクシマは頷いている。

 年若い者たちの微笑ましいやり取りを上流階級の人々は見るともなしに見ている。

 もちろん、その中にはコンラッドも交じっていた。自分が知己すら得ていないアルストル大公令嬢と、自分の部下が仲良さげな状況にも関わらずゆったり構えている。

「これだから面白い」

 思わず零れ出た独り言のみが、コンラッドの動揺を現していた。

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