第72話 それぞれの立場

「あーぁ、もうすっかり潰れちまって最悪」

 ドラゴンは呟いた。前足でちょいちょいと残骸を突く姿が妙に人間くさい。

 そして傍らにいる人間の姿に気付くと、その不遜な存在を睨み付けようと長い首を巡らせ紅玉のような目を向け……そして軽く驚いた。

 確かにドラゴンの顔が驚いている。

「おっと、これはヤトノ姐さんとこの旦那さんではありやせんか!」

「どうもこんにちは」

 空から舞い降りてきたのは、初心冒険者講習で出会ったカオスドラゴンであった。

 ふんふんと鼻を鳴らし匂いを嗅ぐと、ノエルとイクシマを見やる。それで傍らに居たナニアは震えあがった。

 しかしカオスドラゴンの興味はナニアには向かない。

「そっちに居るのはノエル嬢ちゃんに、金色小娘ですかい」

「待てえいっ! なんで我の呼び名がそれなんじゃっ!」

「ヤトノの姐さんから聞いたんでやすが、ひょっとして違いやしたか」

「くっそー! 小姑めがー! 変な名前を付けおったなー!」

 イクシマの叫びが辺りに木霊すると、アヴェラの襟元にひょっこり白蛇が現れる。そのまま跳びだしたかと思えば空中で少女へと姿を変えた。

「誰が小姑ですか」

 ふわりと白い衣装を揺らし着地する姿は優雅さすらある。

「蛇が……人の姿に……これは一体なにが……」

「ナニア殿よ気にされるな。世の中には、関わらぬ方がよい奴もおるんじゃって」

「関わらぬ方がよい?」

 ヤトノは不機嫌そうにイクシマを睨むのだが、ナニアについてはスルーで興味すら抱いていない。

「なんて無礼な小娘でしょうか」

「小娘ではないっ! と言うかなー、金色小娘とか勝手に名付けんなー!」

「何を言いますか。金色の髪をした小娘、まさに名は体を表す。ぴったりではありませんか」

「ぴったりではなーい!」

「しゃーっ!」

「がぁーっ!」

 咆え合う二人の後ろでカオスドラゴンは足音を消し、抜き足差し足で移動しようとしていた。驚く事に全く音をさせずに動いており、追い詰められた者が驚異的な能力を発揮するのはドラゴンも同じらしい。

 何にせよヤトノの前では全くの無駄であったが。


「そこの愚かでドジで間抜けなトカゲ、どこへ行くつもりですか」

 振り向きもせず放たれた声に、カオスドラゴンは震えあがった。

「べ、べべべ別にどこにも行く気はありませんです」

「わたくし嘘吐きは嫌いですよ。それこそ魂まで呪いに染めあげてやりたいほど」

「すんませんっしたぁ!」

 ゆっくり振り向いたヤトノは小さく息を吐いた。

「まあいいでしょう、お前はどうしてここに?」

「いえまあ、今日の夕飯に魚でもどうかなーと思いやして。ちょいと海まで行って捕ってきた帰りなんすがね。どういうわけか足を滑らし獲物を落としちまいまして」

 それは間違いなくノエルの影響に違いないが、誰も何も指摘しなかった。

「夕飯が台無しなんですが、どうしやしょうかね」

「お前の夕飯なんてどうだっていいです、一食ぐらい抜いても平気でしょう。それよりも、もし御兄様に当たっていたらどうします? それに見なさい、御兄様のお召し物が魚の血で汚れたではありませんか。魚の臭いは落ちにくいのですよ!」

「すいやせん勘弁して下さい」

 ぺこぺこと頭を下げるカオスドラゴンの姿に、ナニアは細剣を取り落とした。その気持ちが分かるノエルとイクシマが慰め背をさすってやる。

 アヴェラは小さく息を吐いた。

「汚れはいいので、魚をなんとかしてくれます? 腐ると酷い事になるので」

「こんだけ潰れては食べる気もしませんし……こりゃ炎で焼きやすかね」

「村が今度こそ壊滅するから駄目です。それより潰れても大丈夫かと。魚のタタキって料理だと、こんな感じですから。ちなみに酒のつまみに良いそうですけど」

「酒のつまみ!? これ全部持って帰りやす!」

 いそいそと魚の残骸を両手で集めだすドラゴンの姿は、まるで酒好きのおっさんそのもので……ナニアは今度こそ膝を突き項垂れてしまった。


◆◆◆


「まさかドラゴンとも知り合いとは思いませんでしたよ。ですが、どうしてでしょうね。あまり驚く気がしないのですよ。今日はいろいろ驚き過ぎたせいかもしれませんけど」

 瓦礫の一つに腰掛けながらナニアは呟いた。

 既に飛び去ったドラゴンの消えた方角を万感の思いで見やっている。憧れやら何やらの消えた先を想っているのかもしれない。

 それから優雅な仕草で荒れ果てた村を見やる。

 そこでは下級役人や作業員など遠征隊の者が立ち働き、樹木を植える代わりに焼けた瓦礫などの撤去と片付けを行っていた。

 もちろんアルストルには急使を走らせてある。

 救援部隊が到着するまでの間、生き残った村人の保護と村の復興の手伝いをしていた。村の家屋は壊滅に近く犠牲者も多数だが、それでもクィークキングが倒された事で皆の顔は明るい。

 そして人々はクィークキングを倒したを賞賛の目で見ている。

 奇妙な事に村人たちはドラゴンの姿を見たにも関わらず、その存在を誰も覚えていなかった。恐怖のあまり記憶を自己封印してしまったのだろう。もちろん騎士たちも似たようなものだ。カオスドラゴンは既に飛び去り姿を消し、その痕跡を示すのは魚のような生臭さが少しばかりである。

 なお、クィークキングはナニアとの戦いの最中に建物の崩壊に巻き込まれ、炎の中で焼け落ちたという事にしてあった。

「そして厄神様の一部ですか……」

「気軽にヤトノと呼ぶことを許してさしあげましょう」

 白蛇状態の尾が軽く振られ、ナニアは何とも言えない顔をした。やはり蛇が喋る姿や、それが厄神の一部という事を簡単には受容しきれないらしい。

「とりあえず用件を片付けましょう」

 だが、しばし目を閉ざしナニアは無理矢理納得した。

「正直に言いますと、私はアヴェラ=ゲ=エイフス。貴方に興味がありました」

「興味ですか」

「その通りです。貴方が遠征隊に加わるようにと画策をしたのですが……もう単刀直入に言った方がよろしいですね。どうでしょう、私の配下に加わって頂けませんか」

「……検討させて下さい」

 アヴェラが遠回しに断りの言葉を継げるとイクシマがいきり立った。

「お主なー、ナニア殿の誘いじゃぞ! 千載一遇のチャンスじゃぞ! そこは将来の事を考えれば、即答するとこでないか! つまり頷くって事じゃって!」

「バカだな。今回のことを考えてみろ、従卒になっただけで嫉妬の嫌がらせじゃないか。ここで実績もないのに引き立てられたらどうなる? さらに酷い事になるのは目に見えているだろ」

「むー、それは確かにそうなんじゃけど……出世とか興味ないんか?」

「出世……!」

 アヴェラの身体がビクッと震えた。

「部下無し上司で嫌味な同期が妬んでネチネチでパワハラアルハラ上手く立ち回って孤立を防いで愛想笑いで無駄に引き受け働き方改革で効率化と言いつつ仕事量は減らず増えるだけ自宅で残業して常に鳴るメールに寝られない日々に疲れて――」

「お、御兄様!? どうなされたのですか、しっかりして下さい。小娘、御兄様になんて酷い事を言うのです! 御兄様に謝りなさい!」

 白蛇状態のヤトノはイクシマを睨んだ。

「我か!? 我が悪いんか!?」

 そんな騒ぎの中でアヴェラは額を抑え辛そうに頷いた。

「すまない心配かけた……とにかく何の功績もないまま配下に抜擢されたら、周囲のやっかみが大変に決まってるからダメだ」


「でもさ、クィークキングはともかくとしてだよ。ハイクィークを倒した功績があるよね。さっきの凄かったから」

「それは遠征隊全員の功績だ」

「ええーっ!?」

 ノエルは驚愕した。

 普通であれば、僅かな成果でも誇り自らの功績と主張するぐらいなのだ。それをあっさり仲間に譲るなど到底ありえない。

 ナニアも同じ気持ちらしく、目を瞬かせている。

「待って下さい。私はきちんと、貴方の功績を評価したいと思います。むしろクィークキングも貴方の功績とすべきでしょうに」

「だから不要です。分かりませんか? 何人も死んだ中で一人だけ評価されますとね。それはもう逆恨みだらけなんですよ。それに耐えられる身分や状況ではありませんから。やるなら実績を積み上げて、手順を踏んでからですね」

「どうしてでしょうか、凄くまともな事を言っているようで……しかし何かがズレている。私はそんな気がしてなりません」

 ナニアが呟けばノエルとイクシマは激しく同意し頷いている。

 しかしアヴェラは落ち着かなげに辺りに目をやった。実を言えば、こうして長話をしたくはなかった。話した時間の長さだけで、余計な勘ぐりをしそうな連中がいるのだ。たとえ内容が分からずとも、憶測だけで嫌がらせをされる可能性もある。

「とりあえず、それで――」

「ねえ、アヴェラ君。ギルドの件はどうするの?」

「……ああ、そうだったな」

 アヴェラは頷くと訝しげなナニアに事情を説明し、ギルドへの加入を請うた。

「構いませんよ。では貴方たちをギルド員としましょう」

「いいのですか!? 自分でも虫が良すぎるお願いと思ったのですけど」

「もちろん条件はありますよ。その状態でお抱え冒険者として私の依頼をこなして貰います。もちろん将来的には、その功績と実績を持って私の部下になって貰います。如何でしょうか?」

「…………」

 アヴェラは考え込んだ。

 お抱え冒険者の立場だけでも、ある程度の妬みは発生するだろう。しかし、配下への抜擢よりは遙かにマシだ。ギルド加入によるメリットを考えれば充分にお釣りが来る。実績を積んで妬みを回避出来れば、ナニアの部下というのは美味しい立場だ。なにせ、この世界は封建制で地位と権力が全てなのだから。

「それでしたら、構いませんけど」

「よかった、ありがとうございます」

 ナニアは軽く両手を打ち合わせ喜んだ。

「なんぞ我の感覚がおかしいのかのう。普通は感謝するのは逆でないんか?」

「そうだよね。配下にして下さいって頼むはずだよね」

「やっぱそうじゃよな。我は間違っておらんよな」

「うん、間違ってないって思うよ」

 ノエルとイクシマは呆れた様子であった。

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