第65話 来訪者が何かを告げに来る
エイフス家の居間は天井からは魔術灯の照明がつり下がり室内を穏やかな光で照らしていた。レンガ模様の白漆喰の壁にタペストリーや木の像などオブジェが飾られ、家の格式を決める暖炉周りには簡素な装飾が施されている。
床は古びた風合いの板で木目や節が目立ち、しかし使い込んだ事で磨き込まれ艶やかだ。そこに深い茶のラグが敷かれベンチの腰掛けがあるのだが、そこにアヴェラとイクシマは並んで座っている。
「父御殿はそんなに場所まで行かれたか、ものっそいのう!」
トレストの語る昔の話を聞いていたイクシマは感心したように頷いた。
対してトレストは、一人掛けの椅子に深く腰掛けくつろぎ、嬉しそうに軽く笑っている。最近はアヴェラが話を聞いてやらないため、話を聞いて貰えるだけで嬉しいといった様子だ。
「――それで、父が隠居したいとも言いだした。アヴェラが産まれると分かった事もあって、冒険者を引退し今の警備隊長の職を継いだというわけだ。一緒のパーティを組んでいたケイレブには少し悪い事をしてしまったが」
「おお、そうじゃった。ケイレブ教官とパーテーを組んでおられたのじゃったな」
「あいつは才能あったからな。そのまま一気に上級冒険者にまで登り詰めた凄い奴さ。しかしな、昔は二人でクィークに追われて逃げ回ったり、ヒースヒェンを一日追いかけて走り回ったり。もちろん母さんに言えないような馬鹿をやったりと……あの頃が一番充実していたかな。もちろん今も最高に幸せだが」
トレストは両手で包むように持つコップを口に近づけ、台所の方を見やった。
同じくアヴェラも見やるのだが、そちらからは台所仕事をするカカリアとノエルとヤトノの笑う賑やかな声が聞こえる。穏やかな時間、愛すべき家族、大事な息子の大事な仲間。それがトレストが手に入れた幸せの全てという事だ。
なお、イクシマが台所仕事に参加していない理由は、背の低さが原因で手伝えないという現実問題である。
その時、玄関からコロンコロンと音が響いた。
「むっ」
途端にトレストの顔が鋭く引き締まる。
これが普通の家であれば、単なる夜分の来訪者という事になるだろう。だが、ここは警備隊長の家だ。夜分の来訪者となれば、そこに仕事絡みの緊急という可能性が加わってくる。
アヴェラは即座に立ち上がって頷いた。
「見てきて対応をしますか」
「ああ頼む」
来訪者の応対に家長が出るものではない。
そのため、普段であればそれはカカリアが行う事になる。しかし今は台所で片付け中で気づいていない。そしてアヴェラも客人対応をして構わない年齢となっていれば、誰が応対すべきかは自明の理であった。
玄関へと向かうアヴェラであったが、探索時のような心構えをする。即ち、いつ襲われても反応できるようなものだ。
この世界は前世のような比較的安全な社会ではない。
夜間ともなれば盗賊や辻斬りが出没する事もあれば、人型をしたモンスターが徘徊する事だってある。玄関を開けた瞬間に襲われる可能性に配慮せねばならないのだ。
漆喰壁に埋め込まれた木枠のドアに近づき、のぞき窓を開け外の様子を窺う。
「ここはエイフス家になります、当家にどのような御用でしょうか」
「夜分に恐れ入りやす、第三警備隊所属第二班長のビーグスです。ウェージも同行しとりますが、トレスト隊長にお取り次ぎをお願いできますかね。坊ちゃん」
「ビーグスさん?」
しっかりとした声で名乗りをあげるのは、アヴェラもよく知る二人であった。
声の様子からすると、どうやら今日は夕食狙いというわけではなさそうだ。そもそも、それならもう少し早く来るだろう。
「今、開けますよ」
「すいやせんな。旦那に緊急連絡です」
それを聞いて急いで開けるが、もちろん警戒はする。
流石にビーグスが盗賊にくら替えしたとか、上司に逆ギレ報復する気になったとは思わない。だが、声を真似たモンスターという可能性は無きにしもあらず。この世界は、そういう世界なのだ。
ドアを開け軽く身を引きながら、腰横に差してあるスケサダダガーに軽く手を掛けておく。このダガーは呪われているため片時も離れてくれないが、こうした時はとても役に立つ。
「ご面倒をお掛けしやすな」
もちろん外に居たのは本物のビーグスとウェージで間違いなかった。ただし、いつものような軽い笑い顔ではなく困った様子の真剣さがある。
スケサダダガーから手を離しつつ、アヴェラは嫌な予感がしていた。
◆◆◆
「J王Ⅲ世の掲げた赤石が火山を噴火させました。魔王は岩と共に空へと高く高く打ち上げられ、あまりに高いので、もう地面に戻る事が出来ません。そのうち魔王は考える事を止めてしまい、永遠に空を漂うことになりました。空に見える流れ星は、もしかすると魔王なのかもしれません。めでたしめでたし」
アヴェラが話し終えると、ぱちぱちと拍手が起きた。
とりあえず暇なため、以前に約束した絵本の読み聞かせの代わりに適当に話をしたところだ。イクシマは目を輝かせ身を乗り出しているぐらいであった。
「くううっ、なんたる面白さ」
「かなり端折った内容だけどな」
「むっ! そうなんか、それはいかぬ。全部話せ」
「そのうちにな」
「絶対じゃぞ、よいな我との約束なんじゃぞ」
イクシマはベッドの上で胡座をかきながら断言した。その様子ときたらまるでここが自分の部屋と言いたげなぐらいだ。すっかり寛ぎきっている。
急な来客という事で、全員でアヴェラの部屋に来ている。
「しっかし、長いのう。あの二人は父御殿に何の用事なんじゃろな」
「年に五回ぐらいはあるな。手配中の犯人が見つかったとか、貴族の家に盗人がはいったとか、いろいろと。だから父さんは普段はあまり酒は飲まないし、いつでも出られるように剣と防具は手の届く場所に置いているぐらいだ」
「なるほど、父御殿は真の戦人よのう」
「常在戦場とでも言いたいのか?」
「なんぞそれ!? ものっそく格好いい響きなんじゃって!」
嬉しくなったらしいイクシマは膝を叩いてみせた。
床のラグに座り込むノエルは身体の前にクッションを抱え、ドアの方を気にして注意を向けている。
「でもさ、カカリアさんの対応も流石だったよね。きりっとして、ささっとして。うん、大人の女性って感じで格好良かった。私も、あんな感じを目指さねば」
「ノエルよ、そう気負うな。人はゆっくりと成長する、あの母御も最初から出来たわけではないはずじゃ。少しずつ成長すればいいんじゃって」
「そうかな、そうだよね」
「うむ、そうなんじゃって。そこの小姑も、ちっとは成長して人当たりよくなれば良いのじゃがな」
ヤトノは白蛇状態で机の上で軽く
「それは、わたくしの事を言っておるのですか。まったく、誰が小姑ですか。良いでしょう、この小娘には皿の洗い方から丁寧に指導してやるとしましょうか。ただし背が届くのであれば」
「ふん! そーいうとこなんじゃって」
「しゃーっ!」
「がぁーっ!」
二人は軽いジャブのような威嚇をしあっている。
その最中、イクシマは顔を上げ、金色の髪の間から飛び出した尖り耳を微かに動かした。一応エルフなので聴覚は鋭い。
「どうやら客人は帰るようじゃぞ」
「エルフイヤーは地獄耳か?」
「なんじゃそれはあああっ! お主は我を何と思っとるんじゃ! と言うかエルフイヤーとか、地獄耳とかってなんじゃあああっ!」
「騒ぐなよな」
適当にあしらい、アヴェラは腕組みをした。
「しかし話が早いという事は、そこまで重要案件ではなかったかな? そうなるとデザートが食べられるな。喜べよ、母さんが腕によりをかけたプティングだからな」
「それ美味いんか? 甘いんか?」
「美味しくて甘いな」
たちまちノエルとイクシマは笑顔になって手を叩いているぐらいだ。
「いよっし! 仕方があるまい、甘味に免じて許してやるんじゃって。さあ、この我に感謝するといい」
「コレジャナイエルフってのは食い意地が張ってる」
「また失礼な事を言いおった。ふふんっ、じゃがまあ構わぬって」
イクシマはニカッと笑った。
「今の我には強い味方が付いておるでな。つまり、お主の母御なんじゃがな!」
「そういうのは卑怯だと思うぞ……すまない呼ばれている」
居間からトレストの呼ぶ声が聞こえた。
アヴェラは形勢の悪さもあって、そそくさと居間へと移動する。流石にカカリアを出されると逃げるしかないのだから。
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