外伝トレスト2 揃いも揃ってお人好し

「はぁっ! せいっ! りゃぁっ!!」

 そこでは一人の少女が数体のミニクィークを相手に戦っていた。苦戦する気配は少しもなく、軽やかに攻撃を躱し力強い突きが放たれる。次々と倒されていき、ついに最後の一体となったミニクィークが華麗な蹴りに弾き飛ばされ、石壁へと叩き付けられた。

 完全なる勝利というものである。

 腕には頑丈そうなグローブを装着し、身体は動きやすい服にハードレザーのベストを着用。脚には脛当てを着用し足先もしっかりとした靴を履いている。少なくとも自分たちの装備より金がかかっているに違いないとケイレブは考えた。

 そして、その装備に負けないだけ少女の動きは見事であった。

 戦いを終えた少女が額の汗を拭う姿は、息を呑むほどに美しい。もちろん美人であれば世に多数存在するが、この少女のような凛とした透明感のある雰囲気の持ち主はそうはいまい。

 あまりの美しさにトレストとケイレブは呆けたように見つめてしまったぐらいだ。

 気付いた少女が警戒の眼差しを向けてもまだ呆けており、固く冷たい言葉が発せられてようやく我に返ったぐらいだ。

「なにか?」

「うむ、特に用はない。だが、今の戦いはとても綺麗で感心してしまった! 素晴らしいものだ!」

「……そう、褒めてくれてありがとう。そして、さようなら」

 スタスタと少女は歩きだした。


 取り付く島もない様子だが直ぐ振り向く。そして後ろを付いてくる男二人に対し鋭い視線を向ける。女性で一人で動くとなると、何かと厄介事に巻き込まれやすいのだ。

「まだなにか?」

「俺たちも戻るところで同じ方向なんだ。気にしないでくれ」

 トレストの言葉に少女は目付きを鋭くした。そのまま壁際に身を寄せ、さり気なく手が固く握られた。先程の戦いからグラップラーか何かの格闘系と分かっているケイレブは慌てた。

「気を悪くしたなら申し訳ない。こいつは見ての通り、他人の気持ちも察せないような奴なんだ。しかし、それだけに変な下心を隠せる奴でないから安心して欲しい」

「おい、ケイレブ。それではまるで俺が馬鹿みたいじゃないか」

「気付いてくれたのなら、僕としては嬉しいね。まあ、こんな感じなんでね。申し訳ないが出口に行くまで我慢してくれないかな」

 余計な事を言うトレストを黙らせ説明したケイレブであったが、しかし少女は首を横に振る。ただし、その理由は少々予想と違った。

「私は戻るわけじゃないわ、クワックを探しているの。出口に行くのであればどうぞ」

「クワックか。それであれば、つい先程そこで倒したところだ」

「えっ! ずっと探していたのに……」

 少女の鋭い表情が驚きに変わり、何やら理不尽さを感じている様子だ。何に対する理不尽かは分からぬが、きっと世の中全般に対してだろうとケイレブは思った。

 なんにせよ少女が不満そうに軽く頬を膨らませれば、綺麗と言うよりは可愛い感じが強くなる。

「ねえ、お願いがあるのだけどいいかしら。クワックのクチバシを回収していたら、譲って欲しいのよ」

「申し訳ないが、それはできない」

「もちろん、ちゃんと買い取るわ。出来れば適正額でお願いしたいけれど」

「すまないが、これはこれが欲しいと必死に訴えている少年に渡さなければいけない。だからこうしよう。君がクワックを探しているのであれば、少年に渡した後で手伝おうじゃないか」

 トレストが力強く言うと少女は不思議な生き物でも見るような顔となった。ややあって首を小さく横に振った。

「別にいいわ、もう必要なくなったから。さあ、戻りましょう」

 少女は微苦笑すると肩を竦め急かすような仕草をする。その急変に戸惑うケイレブであったが、考える前にトレストがさっさと歩きだしてしまった。


◆◆◆


 都市に戻ると空は赤く染まり、人々が家路を急ぐ頃合いとなっていた。

 それでも広場に到着するなり、あの少年が凄い勢いで走って来た。何時出てくるかと、ずっと待っていたらしい。望むものが手に入ったのか不安げな少年の前でトレストは膝を突き、目線を合わせ力強く頷いた。

「大丈夫だ。クワックのクチバシを持って来たぞ」

「あっ、ありがとう! ありがとう! 本当にありがとう」

 クワックのクチバシは薬に利用されるが、しかしその薬効はかなり弱いものだ。しかし、他に何の薬も手に入らぬ少年にとっては伝説の薬に等しいぐらいの価値があるらしい。

「これ、やるよ!」

 ボロボロと零れる涙と共に木片が差し出された。

「これは……?」

「死んだ母ちゃんが大事にしてたやつなんだ。こいつをやる!」

「…………」

 トレストは静かにそれを見つめた。

 それは古びた身分証で、もちろん何の価値もない代物である。だがしかし、市民からスラムに転落した者にとっては、自分がかつて市民であった事を示す最後の誇りとなるだろう。そして少年にとっては、手を震わせながら差し出すぐらい大切な母親の形見なのだ。

 トレストは身分証を差し出す少年の手を包み、それを握らせた。

「これを受け取るわけにはいかないな」

「でも、俺は他に何も……」

「ならば、こうしようじゃないか。いつか俺が困った時に、君が助けてくれればいい」

 さらっと除外されたケイレブだが、それを指摘するほど無粋ではなかった。しかも今は空を見上げ涙を堪えるのに忙しいのだ。


「早く薬を持って行くといい。いいか落とすなよ――」

「ちょっと待ちなさい」

 トレストの言葉を遮るのは少女であった。両手を腰に当て立つ姿は、まるでバカをやろうとする者を注意するかのようであって、実際そのようらしい。

「あのね、それは素材であって薬じゃないのよ。まさかと思うけれど、そのまま渡すわけじゃないでしょうね」

「あっ……」

「呆れた。薬にするなら加工しなければダメなのよ。誰か方法は分かっているの?」

 その問いにトレストとケイレブは首を横に振り、もちろん少年も揃って首を横に振る。間抜けな事に三人が三人とも素材の事しか考えていなかったのだ。

 少女は頭痛でも堪えるように額に手をやった。

「私に貸しなさい。これでも薬師の真似事は出来るから、すぐやってあげるわ」

「おおっ、君は何て良い人なんだ!」

「勘違いしないで。あなたたちに任せておけないだけだから」

 トレストの称賛に素っ気ない返事が飛んでくるが、その頬が赤く見えるのは夕日だけのせいではないらしい。

 少女はバックパックの中から小さな石鉢と石棒を取り出し、傍らの石垣の上でクワックのクチバシを手早いが丁寧な手つきで突いて砕きだした。

「使うのは先の部分のみ。それと薬効を高めるにはミニクィークの角が必要なのよね」

「なんと、それなら直ぐに回収に行かねば!」

「安心して。私が用意してあるから」

 今にも走り出しそうなトレストを制し、少女は何故か一本だけ別に確保してあった角を取り出し石鉢に投入した。そこでケイレブは少女と出会って以降の言動を思い出し、いろいろと察し合点がいった。どうやら、お人好しは一人だけではなかったらしい。

 薬の出来上がるのを待つ少年は拳で涙を拭った。

「いつか必ず助けるから、絶対の絶対に約束する。俺の名はビーグス! 兄ちゃんたちの名前を教えてくれよ」

「俺の名はトレストだ」

「僕はケイレブさ」

 これだけ大騒ぎして素材回収をしておきながら、少年と互いに全く名乗っていなかった事も随分と間抜けであった。トレストとケイレブは顔を見あわせ頭を掻いてしまう。

「なあ、姉ちゃんは?」

「私? 私はカカリアよ。さあ出来たわよ、一度に飲む量は一つまみ分。朝と昼と夜にコップ一杯の水に溶かして飲ませなさい。この袋に入れたから落とさないように持って行くのよ。それと、あなたずっと叫んでいたでしょ。のど飴をあげるから舐めておきなさい」

「ありがと!」

「本職の調合とは違うから過信しないで。しっかり身体を休めるようにさせなさい」

「分かったウェージにも言っておく」

「早く行きなさい」

 走りながら何度も振り返り手を振るビーグスに、カカリアは優しげに微笑んだ。その隣ではトレストが大きく手を振って見送っている。

 腕組みするケイレブは、これで片付いたと疲れ切った気分で息を吐く。そして、まあこんな日もあるかと肩を竦めた。

「ところで、カカリアさん。実はこの馬鹿者に夕食を奢って貰う約束をしているのですよ。よろしかったら、一緒にどうですか」

「いいの?」

「もちろん、こいつはこれでも騎士の家系なんですよ。しかも一番高い定食で良いと言っていましたからね、それをご馳走になれますから」

「あら、それはいいわね」

 目を剥いて反論しかけるトレストをいなし、ケイレブは軽く笑った。ちょっとした危険と苦労はあったが、こんな出会いがあったのだからお釣りとしては充分だろう。

 今日は美味い食事を楽しく食べられそうだと期待し歩きだす。

 日の落ちかけた空には月が現れ、月神の支配する夜へと変わりつつあった。

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