外伝トレスト1 立ち止まり耳を傾ける者

「誰かお願いだよ、助けてくれよ。話を聞いてくれよ」

 その声は幼くか細げで何より必死さがあって、トレストは思わず視線を向けた。

 声を張りあげるのは薄汚れた少年だ。栄養不足気味に痩せ髪はボサボサ、着ている服は擦り切れる寸前。考えるまでもなくスラムに暮らす子供だ。

 しかし道行く冒険者たちの中に足を止める者はいない。

 少なくともトレスト以外には。

「おい、急に立ち止まってどうした?」

 数歩先に進んだケイレブが不思議そうに振り向いた。最近購入した外套は細身には少々大きすぎ、正直に言ってあまり似合っていない。

「うむ、ちょっと気になったのだ」

「気になる? もしかしてだが、君が気になっているというのは。つまりあそこで声を張りあげている子のことかな」

「その通りだ、お前は察しが良い奴だ。ほら、助けてくれと言っているだろう」

「なるほど言っているな」

 ケイレブは腕を組み真面目くさって頷いた。

「だがしかし考えてみるといい、僕たちのような新米冒険者に助けてやれる事なんて限られている。実力も余裕もないのだからな。すると声をかけたところで意味が無いとは思わないか?」

「まさしく、その通りだな」

 トレストは素直に肩を竦めた。

 まだ冒険者に成り立ての二人は、初心者用の遺跡に挑む程度の身の上なのだ。今日も遺跡にて一進一退の戦いを繰り広げ、疲れた身体で素材を報酬に変えた直後なのである。

 防具とも言えない服を身につけ、まともな装備と言えば剣ぐらいのものである。しかも、その剣でも使い込まれ刃の欠けた中古なのだ。冒険者協会に登録しているため何とか冒険者と名乗れるような立場でしかない。

 あの子供が冒険者に助けを求めているのは間違いないとして、言ったように余計な事に関わる実力も足りなければ余裕もないのだ。他の冒険者たちと同じく視線を逸らし聞こえなかったフリで通り過ぎるのが最善なのである。

 その最善に従ったケイレブが足を止め振り向くのは、相棒であるトレストが立ち止まったままのためだった。しかも視線は少年に向けられたままではないか。

「だがしかし俺は思うのだ。たとえ何もできやしないとしても、今ここで立ち去るのは間違っていると! 思い出してみろ、俺たちが冒険者になったのはなんのためだ」

「少なくとも僕は金のためだよ」

「だが、世の中には金では買えないものがあると俺は思う!」

「逆に言うとだね、大半のものは金で買えるという事なんだがね……ああ、分かった分かった、分かったよ、そんな捨て犬みたいな目で見つめないでくれ」

 しょんぼり哀しそうなトレストの様子は、本当に捨て犬のようで憐れをさそう。この視線に負け、けっきょく巻き込まれた面倒の数をケイレブは心密かに思い出す。

「どうせ君の事だ、放ってはおけないのだろ? さあ僕の事など少しも気にもせず、好きにすればいいじゃないか」

「そうか、すまない!」

 即座にすっ飛んでいったトレストに、皮肉も通じやしないとケイレブは肩を竦めた。このお人好しにはいつも手を焼いているのだ。

 その面倒を見てやっている自分も案外とお人好しかもしれない、そう思いつつ大声を張り上げるトレストをゆっくりと追いかけた。


「そこの少年! 何を困っている? よければ話を聞こうじゃないか」

 突進したあげく大声をあげたトレストに相手の少年は驚き恐がっている。スラム出身であれば、道行く者に殴られ蹴られる事は普通にあるため、当然と言えば当然だ。

 これだから駄目なんだとケイレブは額に手をやり、溜息一つ。

「おい、そんな勢いで言う奴があるか。ああ、そこの少年すまないね。こいつはお人好しの馬鹿者で、考えなしに突っ走るところがあるんだ。さあ、こいつに君の困っている内容を言ってやってくれないか」

「あっ……なっ、仲間が病気になって! それで遺跡のクワックってやつのクチバシが直ぐに欲しいんだ! 薬になるって聞いたから!」

「ははあ、なるほど。それであれば組合に依頼を出しなさい。よし、解決だ」

 ケイレブは宣言するとトレストの腕を掴んで歩きだした。だが直ぐに引き替えさねばならなかったのは、その手が振り払われたからだ。

「それは良かった。クワックであれば、俺の行ける場所にいる奴だ。待っていろ、今すぐに取ってきてやるからな」

 力一杯のたまうトレストの頭にケイレブの手刀が軽く叩き込まれる。

「君は馬鹿か? たった今、戻って来たところじゃないか。この疲れきった状態で、出現率の低いクワックに遭遇して倒して帰れるとでも?」

「そこは大丈夫だ!」

「ほう、どうしてか教えてくれ」

「いつもなら一匹は倒しているはずのクワックに今日は遭遇していない。だからきっと直ぐ見つかるはずだ」

「その理屈はおかしいと思うぞ」

「うるさい、俺は今すぐ行くぞ。行ってしまうぞ、お前は行かないのか?」

 断言したトレストは、言葉通りに今すぐ遺跡に向かうつもりだ。さらに助けを求め縋る少年の眼差しもある。こちらは捨て猫のような目をしている。

 ケイレブは額に手をやり深々と息を吐いた。

「馬鹿者一人で行けば死ぬに決まっている。それでは寝覚めが悪そうだ」

「だったら!」

「ああ、分かったよ。行くよ、行ってやるよ」

「よし行くぞ!」

 途端に走り出した馬鹿者をケイレブは追いかけるしかない。あまりにバタバタしていたものだから、報酬について聞くことを忘れていたぐらいだ。


◆◆◆


 トレストが放つ渾身の一撃が命中し、絶叫と共に羽毛のようなものが舞い散る。

「どうだみろ! 俺の言った通りだったろう」

 遺跡に入ってあっさりクワックに遭遇し、それを倒したトレストは自慢げで、ケイレブとしては理不尽さを感じるしかなかった。何に対する理不尽と言えばいいのか分からぬが、しいて言うのであれば世の中全般に対してだろう。

 ケイレブは首を横に振りつつクワックのくちばしを回収する。その固く軽い物体を手の上で軽く上下させると、改めてトレストを見やった。

「分かった分かった。だが無茶をするな、君は傷だらけじゃないか」

「少し無茶しすぎたな」

「直ぐにポーションを飲んでおけ」

「出口は近いじゃないか、べつに飲まずとも……」

「その油断は死んでからも言える事なのか? どうせ不味いから飲みたくないだけなのだろ、つべこべ言わずに飲め」

「分かった、そう怒るなよ」

「怒らせるような事ばかりするお前が悪いと、僕は思うのだがね」

 冷たい口調でありながら、ケイレブはトレストがポーションを飲み干すかどうか、しっかり見張っている。

「まったく、とんだ奴とパーティを組んでしまったよ」

「その点は申し訳なく思っている」

「悪いと思うなら言葉ではなく行動で示すべきだね。というわけで、今日の夕食はおごってくれよ」

「うっ、まあ一番安い定食ぐらいであればな」

「それで勘弁してやるさ。それよりもだ、これ以上の滞在はリスクが大きすぎる。目的を達したのであれば、早いところ戻るぞ」

「うむ! その通りだな! あの少年が待っているからな!」

 折角手に入れた素材も持って帰らねば意味が無い。恐らくは心配しながら待っているであろう少年のため二人は急ぎ撤退を開始した。

 遺跡の通路は、足音が思いのほか反響する。早足に進むが警戒は怠らず、背後も小まめに確認する。少しの油断で命を落とすのが冒険者という存在だ。

「おいっ!」

「ああ、居るな」

 しっかりと警戒をしていたため、コツコツという二人の足音に別の音が混じった事は直ぐ気が付いた。気合いの声、何かが叩き付けられる音、砕けるような音もする。

 どうやら、少し先の曲がり角の向こうで戦闘が行われているらしい。

 冒険者のマナーとして、別の者が戦闘中であれば迂回するか、もしくは戦闘が終わるまで待つのが習わしである。しかし、戻る道は曲がり角の先であるし何より早く戻りたい理由もある。

 マナーはマナーで絶対ではない。トレストとケイレブは視線を交わし頷き合い、戦闘の邪魔をせぬように注意を払い進む事にした。

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