第50話 この人生で味わう家族の団らん
警備隊長のトレストは通常であれば、夕方頃に聖堂が鳴らす鐘六つと共に帰宅の途につく。そのためエイフス家の食事時間も、自然とそれに合わせ用意される。
しかし今日は、それよりも早い帰宅だ。
もちろん食事の準備など出来ておらず、カカリアが大慌てで料理を仕上げねばならなかった。台所ではヤトノも右に左にと動き回って大忙しである。
「そうか草原をクリアしたのか! 凄いじゃないか! しかしケイレブの奴は相変わらずか。あいつ昔から何かと騙されてな、一番最悪だったのは怪しいポーションを買ったらそれが媚……いや、この話は止めておこう」
トレストはカップを傾け酒精の強い飲み物を口にする。
リビングには薪の燃える匂いが仄かに、そして様々な具材を煮る美味そうな匂いが強く漂いだす。台所から食器の触れ合う固い音や、ザックザクと包丁が葉物を裁つ音が聞こえてくる。
家の音を心地よさげに聞きつつ、トレストは恨みがましい顔をする。
「どうしてデスピネを倒したと教えてくれなかった? 哀しいぞ」
「都市の警備兵全部に、息子が検定合格したと言って回った相手に伝えろと?」
「何を言うんだ。自慢の息子を更に自慢して何が悪い?」
トレストは心底不思議そうな顔をしている。
「よいか、お前はまだ気付いてないかもしれないが。冒険者は知名度が大事だ。名前が知られたからこそ舞い込む仕事もあるのだよ、分かったか?」
「名前が知られたからこそ、身の丈に合わない依頼が舞い込む可能性は? あと親のごり押しがある奴への嫌がらせとかは?」
「…………」
トレストは沈黙した。
自身もかつて冒険者として活動しており、今も警備隊長として社会に出て人間関係のドロドロを目にする事が多い。やっかみや嫉妬で人間がどう行動するかを熟知しているのだ。
「うむ、余計な事は言わないでおこう」
「その辺りに早く気付いていたら、尊敬できる父親でいられたのに」
「そうか! 尊敬できる父親と思ってくれていたのか! そうかそうか!」
「はあ……まあいいや。それより相談したい事があるけど、いい?」
「なにっ! 相談だって!? 息子からの相談、頼られる父親!!」
トレストは拳を握り悶えだした。
そんな姿にアヴェラは相談を止めようか悩んでしまう。しかし相談事はパーティ全体に関わる案件のため、ここは仲間のため我慢する事にした。
「転送魔法陣でしつこく声かけしてる連中がいるんだけど」
聞くなりトレストは深々と頷いた。
「あぁ、それか……ギルドの勧誘の事だな」
「直ぐ分かるんだ」
「昔っからあるからな。いやはや懐かしい」
「父さんはどう対処を?」
「あの時はその中の一人をカカリアが徹底的に締め上げてな、その恐ろしさに以降は誰も――いや、今のは忘れてくれ」
台所の方から聞こえた咳払いにトレストは震えあがった。
「とにかくだ、ああいうのは無視するのが一番だ。分かったな」
「……あーそー」
「まてまて、その相談するんじゃなかったって目はないぞ。後はギルドに加盟する手もあってな。つまり貴族やお偉いさんが趣味と見栄で設立したような、実質的には稼働してないギルドに入ればいい」
「なるほど」
「どうだ、父さんは頼りになるだろう」
面目を保ったトレストは嬉しそうだ。
「で、そういったギルドに加入するにはどうすれば?」
「コネか伝手だな……」
「ある?」
「ない」
がっかりしたアヴェラが呆れた息を吐くと、トレストは大ダメージを受け項垂れてしまった。
日は暮れ、外は夜の帳に覆われている。
だが、エイフス家の室内は魔術灯の光によって優しく照らしだされていた。
ダイニングの中央にあるのは、樫製の頑丈なテーブルと椅子だ。長年使い込まれ磨かれ、木の美しさに黒い光沢が加わっている。表面には細かな傷が幾つもあるのだが、それが味わい深さを醸しだしていた。
テーブルに並ぶのは、潰し麦をヤギの乳で煮込んだ粥、パンと肉の皿。中央には野菜と魚の蒸し物の大皿。ワインが無い点を除けば、ごく平均的な夕食と言えるだろう。
「では、食事にしよう」
最初に食べるのは、もちろん家長であるトレストだ。
この世界は家長制度が一般的で、家長が全ての実権を握って一番偉い。社会基盤や制度の整っていない中世的世界では、誰かが強力なリーダーシップで家族を率いねば生きていけないのだから当然の状態だ。
「御兄様、この蒸し物の野菜はわたくしが刻んでおります」
山盛りにされた野菜がアヴェラの前に置かれた。しかし同じ蒸し物の魚が少しも入っていない。それに文句を言いたいところだが、紅い瞳でキラキラ見つめられては何も言えやしない。
「……うん、ありがたく食べるよ」
「はい! おかわりの野菜もあります!」
「出来れば魚も欲しいのだが」
「野菜です、今日の御兄様は野菜を食べましょう。このヤトノが刻んだ野菜を食べるべきです」
賑やかに食事は進む。
貴族階級の場合、食事中は言葉を慎む事が作法とされている。だが、しかしエイフス家ではあまり気にされない。そもそも貴族と呼ばれるのは従四位以上の男爵からであって、正七位の場合は単なる騎士で官人だ。
そして生活ぶりからしても貴族と言える水準ではないのだから。
「――でな、また上が仕事増やしてくれて。困ったものだよ」
トレストは言いながら、スープを美味そうに口にする。
カカリアの料理は全般的に美味しい。ただしトレストの場合はカカリアの料理であれば、たとえ焼け焦げたパンでも美味しいと思う人間ではあるのだが。
「困った事ですか?」
「今度は街道整備の件で何か案を出せと言われた」
「街道ですと、警備隊の管轄外の話になりそうですね」
「ああ、そうなんだ。だが上も交易ギルドからの要望に困っているらしいんだ。ほら最近は女性の下着が人気だろ。輸出入が活発化したとかで、それで街道をもっと整備しろと要望が出たらしくて――」
アヴェラとヤトノは顔を見合わせた。
思わぬ場所で思わぬ影響だ。バタフライ効果の一側面のように、些細な事が予想外の事象を引き起こしているらしい。
「とはいえな、うちの都市も街道まで整備するほど予算がないからね。そこを知恵で何とかしてはぐらかしたいらしい」
「整備が無理でしたら、定期的に巡回するのはどうかしら? でも、現実的ではありませんよね」
「だな。出張手当に危険手当に特殊勤務手当、そもそも人手が足りないな」
きっと、どの世界のどんな時代も悩みは同じなのだろう。組織は常に金と人が足りず、金が無いなら知恵を出せと、上層部は考える事まで現場に押しつけるのだ。
「だったら――」
アヴェラは野菜を食べ終えると口を出し、勿体ぶりながらパンを囓る。
「せめて街道を利用しやすい環境に整えるというのは?」
「だがな、予算がないんだ。いいか、アヴェラよ。お前もいずれ知るだろうが公共の場で起きる問題の大半ってものは、予算がない事が原因なんだぞ」
「その辺りは分かってますって。だから街道そのものを整備するよりは、安上がりに街道の環境を整備したらどうかと」
「ほほう?」
「都市の周りは平原、そこに道があるだけ。それなら、たとえば一定距離毎に土を盛って木を植えるとかは? 目印にもなるし、木が育てば木陰になって休憩できる。これなら費用はかけず街道整備をした事になるのでは?」
その意見にトレストはしばし考え込み、ややあって力強く頷いた。
「うん、なかなかいい。その考えを使わせて貰おう!」
「さすがアヴェラね。やっぱり、トレストに似て賢いわ」
「それは違う。君に似たから賢いんだよ」
「いいえ、貴方が――」
「いや、君が――」
二人は言い合うが、とても子供がいるとは思えぬ具合だ。アヴェラとヤトノは呆れた様子で、さっさと食事を続けた。
「そうだ、母さん聞いてくれ。なんとアヴェラがデスピネを倒したそうだぞ」
トレストは得意げに自分が知った情報を披露した。
しかしカカリアは平然と頷く。
「そうですね」
「おっ? 驚かないのか?」
「だってもう聞いてましたもの。もちろん、仲間の子たちの事もですよ」
「なっ……」
ちなみにカカリアに伝えたのはヤトノである。料理や繕い物を一緒にするため、何かと仲良く話をする機会があるのだ。
なんにせよ、自分だけ知らなかった事にトレストはショックを隠せないでいる。そして自己暗示のように、ぶつぶつ呟きだした。
「落ち着け、落ち着くんだ。クールな父親は慌てない……たまたまだ、たまたま伝えるタイミングが遅れただけのこと……何も問題ない。よし! それで仲間はどんな子たちなのかな」
何事もなかったかのように微笑むトレスト。
お代わりの野菜を山盛りしていたヤトノが上機嫌に笑う。
「聞いて下さい、御兄様はモテモテなんですよ。二人とも可愛い女の子ですから」
「そうかそうか! まあ当然だな。しかし可愛い女の子二人か。ハーレムとはやるじゃないか、アヴェラが羨ましいぞ」
「ふむ、これが口は災いの元というものですか。さすがは御兄様の父にあたる人です。このヤトノ、感服いたしました」
「えっ!?」
トレストは恐る恐る目だけを動かし、その後にゆっくり顔を向けた。そこには獲物を前にしたバーサーカーの目をしたカカリアがいる。
生唾を呑む音が大きく響いた。
かつて一緒に冒険をしていたのだから、彼女が怒った場合にどうなるかトレストは知っている。しかし同時にトレストは勇敢であった。
「待とうかカカリア、つまり何が言いたいかと言うとだね。僕らの子供はとてもモテるという事だ」
「アヴェラがモテるのは当然です。だって、貴方にそっくりなんですから」
「いや君にそっくりだからモテるんだよ」
トレストとカカリア互いに見つめ合い、微笑みあってムードは和やかだ。
だが、アヴェラとヤトノは大急ぎで食事を詰め込み続けている。とにかく今は早く食事を終わらせ部屋に引っ込むべきだと悟っているのだ。
「後でじっくり、オハナシしましょうね」
「あっはい」
カカリアの微笑みを前に、トレストは額にじっとり汗を滲ませる。そんな食事時に、アヴェラは家族の団らんをしみじみと味わっていた。
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