第47話 斯くて異世界は汚染されていく

「えーっ、こんなにも沢山なの!?」

 アヴェラたちがテーブルに糸玉を積み上げると、ニーソはそれを前に驚きの声をあげた。流石にこの量は予想外だったらしい。

 コクーンを倒し回収した糸玉は拳大ほどで、魔術灯の光を反射し艶やかに光っている。もちろん玉なので、幾つかが転がりテーブルから落ちてしまう。それをノエルとイクシマが追いかけていた。

「もしかして多かったか?」

「実は二つか三つもあれば充分だったのよ。あっ、でも大丈夫だから。余った分は商会で買い取るから。もちろん私の裁量の範囲で割増しておくから」

「助かるよ。それと一つだけ別のがあって……どれだったかな?」

 山を眺め探すと、察したノエルが見つけてくれる。なお、またしても運悪く糸玉の山が崩れてしまい、その回収にバタバタな一幕があった。

「これは少し別の糸なんだ。フィールドボスのデスピネを倒して――」

「ちょっと待ってデスピネ? もうっ、そんな無茶して! 怪我はしてないよね、本当に大丈夫だったの?」

「怪我はない。まあ怪我をしてもポーションを使えば治るだろ」

「そういう問題じゃないんだから」

 平然としたアヴェラの発言にニーソはおかんむりだ。口を一文字に結び目を細め、ジッと見つめて来る。ちょっとだけ恐い。

 しかしアヴェラは軽く肩を竦めるだけだ。

「怒らないでくれよ。それより、これはどんなだ」

「本当に気を付けてね。これは上糸でコクーンの糸より上質で高級な布になるのよ。肌触りも最高で凄くいいから、皆のはこれでつくってみるから」

「いいのか? 無理してないか?」

「そこは大丈夫。それよりアヴェラのは何もないけど……」

「いいさ、代わりにニーソが使ってくれたら満足だ」

「そういう事を言うんだから……」

 さっきまで怒っていたニーソだが、今度は怒ってもいないのに顔を赤くしている。しかしアヴェラは気にした様子もなく糸玉を眺めており、ノエルとイクシマは呆れて顔を見合わせるばかりだ。

 ヤトノは白い袖を口元に当てると、さも楽しそうにくすくす笑っている。

 糸玉を集め箱に入れるとそれを廊下に出し、ニーソは他の従業員に何かを頼んだ。そして棚から一つの品を運んで来た。


「ちなみに、これが上糸を使った場合の布なの」

 白味を帯びた光沢のある布がテーブルの上に広げられる。

「ものっそい滑らかなんじゃ!」

「これで作ってくれるの!? うわぁっ凄い」

「どれどれ、わたくしも。むっ、これはすべすべ滑らか」

 三者三様の声が室内に響くが感心と感嘆の声ばかりだ。

 そちらが布に夢中となったところで、ニーソは一旦部屋を出て戻ってくると革袋をアヴェラに差し出した。中身は独特の金属音がしており、もちろんコインが詰まっていると直ぐに分かる。

 つまりそれが糸玉素材の代金という事だ。

 アヴェラは受け取ってそのまま懐にしまい込んだ。もちろん独り占めするのではなく、後で皆に分配するつもりである。

 だが、それとは別にニーソが咎めるような声を出す。

「駄目だよ、お金はちゃんと数えて確認しないと」

「ん? どうしてだ、ニーソが用意した額だから問題ないだろ」

「そういう意味じゃないのに……」

 アヴェラが疑う事すらしないため、ニーソは嬉しそうにしながら呆れている。もうすっかりと上機嫌だ。

「後は皆のと一緒に会頭にみせる試作品をつくるだけなのね。ここまで頑張ったから認められるといいけど……こればっかりは、私の判断するところじゃないから。どうなるのかな?」

「いくらコンラッド会頭と言っても男だからな。そうなると試作品を身内に使って貰うように進言した方がいいかもしれないな」

「なるほど、そうよね。使ってみないと良さが分からないものね。流石はアヴェラだね。いろいろ、ありがと。また助けられちゃったかな」

 ニーソはもたれ掛かってくるのだが、アヴェラはふざけて体当たりされていると思って押し返しながら遊んでいるぐらいだ。

「アヴェラって、ときどき変なこと思いつくけど。なんで女の子の下着とか思いつくのかな。ちょっと心配かも」

「なんで心配なんだよ……それはそうと、そうだな。こうなったら文明汚染とか気にしないでいくか」

「どうしたの?」

「たとえばだ。ついでに、こんなものはどうだ。ショーツというものだが」


 この世界では色気のないズロース、ドロワーズといった下着が一般的だ。そして大半の者は長布を使い、褌状に巻いて当てていたりする。

「そのショーツって何なの?」

「見た目も良いし脱ぎ着しやすい下着なんだ」

「だからどうして、そんな下着の事を思いつくのかな」

「気にしないでくれ。とにかく絶対に良いから」

 羊皮紙に素早くイラストを描き上げ、その形状を説明する。

 ニーソはそれを真面目に考え、結論として難色を示した。生地が少なく肌の露出が増えるため、あまり受け入れられないと思えたからだ。

「ごめんね、これの利点が見いだせないけど」

「下着の厚みが減るから身体のラインを出しやすいし、ファッションの幅が広がる。それから動きやすいし脱ぎ着がしやすいだろ」

「うーん、一理あるのかな? でも、なんでそこまで気が回るの」

「だから気にしないでくれ。それにな脱ぎ着し易いってのは冒険者にとっては、非常に重要な事なんだ」

「えっと……?」

「つまり屋外で素早くトイレを――」

 言いかけたアヴェラの顔面に布の束が直撃した。

「戯けっ! お主は何を喋っとるんじゃって、破廉恥すぎじゃろが!」

「だけどイクシマだって苦労してるだろ。いつも物陰に行って――」

「やめろおおおっ! 我で事情を説明するなあああっ!!」

 イクシマは羞恥のあまり半泣きになって叫んだ。

 おかげで他の従業員が様子を見に来てしまうぐらいで、それにニーソは謝りに行って何度も頭を下げるしかない。

 アヴェラはテーブルに頬杖を突き、さも自分が悪くないといった素振りをした。

「まったく……吼えエルフはうるさくて迷惑なんだよな」

「あのさ、それ全部アヴェラ君が悪いだけだって私は思うんだけど」

「でもノエルだって、脱ぎ着しやすい下着は欲しいと思うだろ。毎回苦労しているのは誰だって同じなんだし」

「それもそうだけどさ……アヴェラ君はデリカシーって言葉を覚えた方がいいよね、うん。」

 ノエルは呆れるばかりである。

 何にせよ平然と案を出して言うアヴェラであるが、これまたショーツの試作が始まれば赤面ししどろもどろとなるのであった。


◆◆◆


「なるほど……分かりました。いえ、この場合は分かりませんが分かりましたという意味ですな。しかし、これは……何とも判断に困りますな」

 コンラッド商会の会頭であるコンラッドは困惑していた。

 いい歳したおっさんが、女性の下着について説明を受ければ確かにそうなるだろう。良くも悪くもコンラッドは男であり、説明された商品の良さが少しも分からないのだ。

 判断に悩む様子にニーソは余裕を持って頷いた。

「やはり使ってみませんと分からないと思います。それなので、こちらを奥さんにどうぞ。それから判断して頂けますでしょうか」

「そうですか、まあ頂きましょうかな」

 コンラッドは困った様子で受け取った。

 翌日――コンラッドは真剣な顔でニーソの提出した下着の商品化を宣言した。

 従業員の発案による品が即座に商品化されるなど、かつて無い事のためコンラッド商会の全員が大いに驚いてしまう。

 しかも会頭自らが陣頭指揮を執って素材の買い付け、縫製の手配まで行いだしており、もはやそれがコンラッド商会の最優先案件である事は誰の目にも明白であった。

 もちろんニーソは責任者に抜擢され、忙しい日々を過ごす事になってしまう。

 暫くして、下着類は盛大に告知された後に発売された。

 初日、手に取る者はいても買う者はいなかった。

 二日目、やっと一つ売れた。

 三日目、口込みで二つ売れた。

 四日目、十を超える数が売れたが全て口込みであった。

 これで売れると思って喜んだニーソであったが、それからパッタリ売れなくなって肩を落とした。自分の発案で商会に損害を与えてしまったと落ち込んでしまったのだ。

 そのため、コンラッドが焦った様子で増産を命じた事に気付かなかった。

 五日目、六日目と全く売れなかった。

 七日目以降、前に買った者が時々まとめて買いに来た。

 従業員たちは新商品の失敗に苦々しい顔をするばかりであったが、しかしニーソは言い知れぬ奇妙な予感と悪寒を感じだしていた。

 そして迎えた十日目。

「何これ!?」

 出社したニーソは店の前に出来た長蛇の列に驚愕した。

 慌てて店に飛び込み状況を報告すると、大急ぎで開店の準備がなされる。入り口の扉が開けられると同時に押し退けるように女性客が殺到。

 並べる端から飛ぶように売れていく。

 その後も連日のように客が押し寄せ続け、狂想曲のような状態が繰り広げられた。全従業員が疲労困憊で倒れそうになった頃、コンラッドが事前に製法を公開した事もあって、ようやく他の商会でも同じ下着の販売が開始された。

 それで、ひと息をつける状態になったのだった。

 斯くして世の中の下着という概念が大幅に塗り替えられたのだが……それが異なる世界からの文明汚染によるものと知っているのは、たった一人だけなのであった。

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