第42話 草原を行くものたち

 木製の宝箱は鉄板と鋲で補強されていた。

 木の部分は褪せたような風合いで、鉄の部分は若干錆の浮いたような見た目だ。そんな古びた見た目でも、もちろん頑丈である事は間違いない。そもそも世界の掟として宝箱を無理矢理こじ開けることも、都市に持ち帰る事も不可能だ。

 ノエルは宝箱の前で腕組みしながら頷く。白シャツに柔皮のチュニックとズボンに膝近くまである腰巻きを重ね、腰には分厚い剣を差している。そろそろ武器防具を考えねばならない頃合いだろう。

「うん、レア度の低い宝箱だよね。前みたいな金色は簡単には出ないって事だね」

「だが中身が何か気になる。さあ頼むぞ!」

「お任せされてしまいましょう。ではでは行きます、えいやぁっ!」

 気合いと共にスキルが使用される。

「むっ、開いてない。木の宝箱だったら、解錠確率は八割の筈なんだけど」

「確率となると運だが。まあ……そこは頑張れとしか言いようがないな」

「了解だよ。では、もう一度気合いをいれまして。えいやぁぁっ!」

 結局、計四回失敗した。

「これってのは、ある意味でものっそい確率よのう」

「ごめん、私の不運のせいで。やっぱり向いてないのかな」

「一般論を言っただけじゃって! そのような事を気にするでない! そうじゃ、それよりも中身じゃって中身、どんなお宝か確認してくれようぞ」

 早口で言ったイクシマは宝箱に手を掛け――自分の失敗を思い出しアヴェラは止めようとした。

「おい、罠は解錠されていないぞ」

「なぬ!?」

 だが時既に遅し、イクシマは蓋を開けていた。その身体がいきなり痙攣したかと思うと、その場に尻餅をついてしまう。

「あんぎゃああああっ! しーびーれーたー!」

「騒ぐわりに平気そうだな」

「そんなわけあるかああああっ!」

「やめろ、叩くな。痛い」

 咆えるイクシマは何度もアヴェラを叩いてみせた。

 もちろんそれは照れ隠しのためで、さらに半分ぐらいはじゃれている部分もある。そのため、ちっとも痛くないポコスカ叩きでしかない。

「うーん。これはトラップも解除してくれるスカウトスキルⅡとか、それを早く覚えたほうがいいのかな。でも講習代と時間を考えると、なかなか悩みどころかも」

「他にも覚えないといけないスキルもあるからな。さてと、お宝は……おっとポーションか」

 宝箱から小さな六角形の瓶が取り出された。中身は薄い青味を帯びたもので、見た目としてはダメージを回復してくれるポーションに似ている。

「鑑定して貰わないと効果が分からないね」

「まあ、そうなんだが……宝箱から出て来たポーションってのは、消費期限とか大丈夫なのか?」

 いつ誰が宝箱に入れたかも分からないポーションだ。しかも、その出て来た宝箱ときたら唐突に出現し今も目の前で消えていくような、怪しさ満点だ。

 それを飲むなど、効果云々の前になんだか不安ではないか。

 けれど、そんな不安を抱くのはアヴェラだけだったらしい。

「ごめん、消費期限って何?」

「我も知らぬが、気にするでない。アヴェラめは時々変な事を言うのう。それよりじゃ、このポーションはエリクサーでないのは間違いないが。なんぞ高く売れるポーションだと良いのう」

「毒とかだったらどうしよう」

「安心せい。毒なら毒で高く売れるんじゃって」

 余計な知識のない二人は消費期限など少しも気にする様子がない。

 そして、なんとも腑に落ちないアヴェラであった。


 勢いの乗って、さらに草原の中を進んでいる。ただし、風に吹かれ立っているのはアヴェラだけだったなにやら身支度があるので先に行けと蹴られ――もちろんイクシマから――ひとまず一人で待機しているのだ。

 しばし景色を眺めていると、ようやくノエルとイクシマがやってくる。

 どんな用事があったかは不明だが、アヴェラは聞かないことにしておいた。女性の行動を詮索して良い事など一つもありえず、むしろ悪い事しか起きないのだ。

「なんだかさ、少し木が増えた気がするんだよね」

 ノエルが呟くように景色の中に木が増えている。

 ただし林と呼ぶには少なく、さりとて平原と呼ぶには多い程度の本数なのだが。

「確かにそーよのー。最初の頃と比べると見通しが悪うなった感じじゃって」

「モンスターの種類も変わるかな?」

「もちろんじゃって。ここらで出よるモンスターで有名なんがおったはず。んーとな、ついて参れ……ほれ、あれじゃって」

 イクシマが小走りで進んだ先、木々の間に糸で吊り下がった白い固まりのような存在があった。追いかけたアヴェラは、それを見上げ唸った。

「なんだあれは、繭か?」

「あれはコクーンと呼ばれるモンスターじゃな。近寄ると糸を飛ばして獲物を捕獲し、中に引きずり込んで溶かして喰らうと資料にあったのう」

「アグレッシブな繭だな。それで弱点は?」

「知らぬ。そこまでの情報を買う金がなかったでのう」

「世知辛い世の中だ」

 アヴェラは深々と息を吐くのだが――ノエルの姿を二度見する。

「御兄様、どうなされましたか」

「いやその……」

 流石にヤトノ相手とはいえど、言えない事がある。つまりノエルの胸の膨らみ加減がいつもと違うといった事なのだが。

 しかしそこは流石に賢妹良妹を自認するヤトノである。すかさずその視線を追い、何が原因であるのか察してしまう。

「ノエルさん、これは一体どうしました?」

 即座に詰め寄ると、なんの遠慮もなくベタベタ胸部を触りだす。

 これが男であれば即座に張り倒され、縛り上げられ衛視詰め所に突き出されるところだが、しかし相手がヤトノであるため、そうはならなかった。

 頬を染めたノエルは両手で胸を庇い後ろに跳んだだけだ。

「な、何!? いきなり何?」

「ふむ今の感触……何かを巻いてらっしゃいますね」

 先程の身支度は、どうやらこれだったらしい。

「えっとさ、ほらさ。私は女の子だからさ、結構動いてしまって大変なわけでして。イクシマちゃんのアドバイスで、サラシを巻いてみたんだけど。ちょっと息苦しくて動きづらいけど、でも全体としては良い感じだよ」

 しかしヤトノは聞いてはいない。まるで親の敵を見るような目でイクシマを睨んでいる。どんなモンスターと対峙した時よりも鋭い。

「諸悪の根源は小娘ですか!」

「なんでじゃー! なんで我が怒られとるん!? というか小娘言うなー!」

「当たり前です、そんなサラシを巻くとか良くありません。いいですか、御兄様の目の保養はどうするのですか。時折黙ってチラチラ見ては心癒やされていたのですよ。それを奪うとは、おのれこの世で最も罪深き者め!」

「こやつ、やたらと真剣じゃ」

 さしものイクシマもあきれ顔だ。

 そしてアヴェラはいたたまれない気分だ。


「と言うかなー、お主も女なら苦労が分かるじゃろー。揺れて動くじゃろが、走っても戦闘しても何しても、重心がズレてバランスが取りにくいんじゃって」

「そうだよね。対策しないと擦れて痛いしさ、本当に辛いんだよ」

「まったくもって、その通りじゃって。でもって肩も凝って大変じゃろがー」

 批難の声が上がっている。

 だが、ヤトノは静かに言った。

「型崩れしますよ」

「なぬ?」

「そのようにサラシで巻いて押さえ付けますと、そのうち型崩れしてしまうのですよ。そして年数が経つといずれ垂れてしまうのです」

「こっ、この戯けっ! 言うに事欠いて何を言うか……いや我は大丈夫じゃぞ」

「小娘がどうか見た事ありませんので知りません。何でしたら、わたくしが確認いたしましょうか?」

「な、なんでそうなるっ! 来るな寄るんでない!」

 イクシマはノエルの後ろに逃げ込み、迫るヤトノにノエルはイクシマの後ろに逃げ込み、またイクシマがノエルの後ろに逃げ込む。そうやって悲鳴をあげつつ、ぐるぐると回っている。

 かしましい様子をアヴェラは何も言えずに見つめていた。自分が原因とは言え、話題が話題なだけに何も言えないである。

 出来るだけ関わらないでおこうと思った途端、さっとヤトノが振り向いた。

「さあ御兄様、一緒に確認をいたしましょう!」

「えっ、あーそれはまあ……」

 そのときアヴェラは、川に流された後の朝の事を思い出していた。薄闇の中にも眩しい真っ白な肌があり、イクシマの胸の膨らみは実に立派で実に美しかった覚えがある。

 だから突然尋ねられ、つい口走ってしまう。

「イクシマなら大丈夫そうな――いやすまん」

「お主ぃー! どういう見方をしておったんじゃ!?」

「いや待て。そうじゃなくて、見るには見たが……そんなに見たわけでもなく……」

「ちゃんと見ておかんかっ!」

 イクシマの反応は支離滅裂で反応に困る。しかし、とりあえずヤトノは分かって納得したらしい。あげく嬉しそうに口角を上げ、勢い込みながら訳知り顔で頷いている。

「まあ、そうでしたか! 御兄様は小娘と……」

「うぎゃあああーっ! 勘違いするなあああっ! 勝手な想像するなあああっ!」

 そんな中でノエルは当惑気味にアヴェラとイクシマの顔を交互に何度も見やっている。このカオスな状況に困惑し動揺しどうする事も出来ないでいる。

 しかし一番の問題はヤトノがノリノリの点だ。

「よろしいでしょう。ここは二人の為にも、何とかせねばなりません」

「やたら張り切っておるぞ、こやつ。どうなっておる……」

「当たり前です、これは全て大事な御兄様のため! いずれ御兄様が触れて味わい楽しむためであれば、このヤトノ全力で応援いたします」

「んなああああっ! そういうのって! そういうのって! 破廉恥なんじゃああああっ!」

 イクシマの叫びは草原中に響き渡るのであった。なお、ノエルは何も言わないまま頬を染めている。

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